半妖はおのれの出自を鑑みる

「本当に色々とご迷惑をおかけしました……」


 弱弱しさの滲む声音で謝罪したのは春嵐しゅんらんだった。


「本来ならば大事になる前に自分たちでお坊ちゃまをきちんと教育するべきだったのです。私もそれは重々解っていたのですが、何分力不足だったのです。そもそも妖力とか強さが私には足りていませんでした。お坊ちゃまを圧倒し心服させる力が私にあれば、そもそも内輪で解決できた内容かもしれないのです」


 おのれの心情を吐露する春嵐の声は案外とはっきりとしたものだった。自分の実力、妖力や戦闘能力が雪羽よりも劣っており弱いという彼の証言は事実なのだろう。春嵐とは何度も対面しているが、彼の放つ妖気は一般妖怪の範疇に収まっている。それに雪羽や源吾郎にあれこれと話しかけてくるが、戦闘関連のアドバイスが出てくる事は無かったのだ。


「春嵐さん。まぁそんなに思いつめなさんな」


 気軽な調子で声をかけたのはやはり萩尾丸だった。


「君は自分が弱いとか非戦闘要員だという事がネックだと思っているけれど、それを補って余りあるほどに賢いじゃないか。賢くて知性があるという事が、僕ら妖怪の最大の武器になるって事は君とて知ってるだろう。

 だからこそ、君は三國君の部下たちの中でも重宝されているんじゃないかな。それにそもそも、君が参謀として三國君を支えているから、古参幹部たちは三國君を第八幹部に選んだんだよ」

「そうだったんですか……」

「そっか、そうだったのか」


 三國と春嵐は揃って驚きの声を上げていた。三國は第八幹部の座にいるが、それでも自分が選出された理由を詳しくは知らなかったのだろう。八頭衆とひとまとめにされつつも、幹部たちの間に明確な序列があるのだと、源吾郎は妙な所で思い知らされた。

 そう言う物なんだよ。相変わらず軽い口調であるが、そこはかとない優しさが萩尾丸の声に込められている気がした。

 そう思っていると、萩尾丸は源吾郎の方に視線を向けた。


「春嵐君はもちろん雷園寺君の面倒も見ていたんだけど、今はむしろ対外的な活動が本業に近いんじゃないかな。今回の生誕祭の時も、実は出席せずに外部勢力との会談に出向いていたんだよ」


 そうだったんですね。源吾郎は小さく呟いていた。生誕祭の件に話が及んだ時には少し驚いたが、それと共に腑に落ちた気分でもあった。

 実を言えば、何故生誕祭の場に春嵐がいなかったのだろうとここ最近疑問を抱いていたのだ。そもそも雪羽が萩尾丸の許で修行をはじめたのも、彼が引き起こしたグラスタワー崩落事件のためである。諸々の思惑が絡んだあの事件も、そもそも春嵐がいなければ発生しなかった可能性は高い。

 萩尾丸によると、生誕祭の日に外部勢力が雉鶏精一派と面談会談を希望する事がままあるのだという。わざわざそのような日取りを選ぶ連中は雉鶏精一派をよく思っていないかカモにしようと虎視眈々と狙っている事が多い。主要な妖怪たちは生誕祭に出席しており、自分たちと相対するのはしょうもない妖怪たちだろうとたかを括っているのだろう。そう言う面々へのカウンターとして、春嵐はここ十五年ばかり動いているそうだ。

 それならば、生誕祭にて雪羽の行動を止めるのは難しい事であろう。源吾郎の考察している間に、萩尾丸は言葉を続ける。


「若い子はとかく強さも賢さも全部一番に到達しないとって思いがちかもしれないけれど、実際にはそんな事は無いんだよ。誰しも苦手な事や特別に得意な事があっても何一つおかしくない。苦手な所は誰かと補って協力すれば良いだけだし、その協力できる仲間を得る事こそが大切だと、僕は思っているんだ」


 そんな風に萩尾丸先輩が思っていたなんて……三國と春嵐に向けられた萩尾丸の言葉を前に、源吾郎は深い感慨を抱いていた。言葉の内容自体は、学校のホームルームなどでも耳にするような代物である。しかし萩尾丸が真面目な調子で言ってのけたために、その言葉には不思議さが宿っていた。

 源吾郎の知る萩尾丸は、概ね一人で何でもできる立派な妖怪だった。見る限り紅藤や灰高には太刀打ちできないようだが、それは相手が大妖怪の中の大妖怪であったり、老齢かつ老獪な鴉天狗だったりするからに過ぎない。萩尾丸はおおむね様々な事を迷いなくこなし、間違いとは無縁で優雅に仕事を行っているように源吾郎の目には映っていた。

 そしてこの言葉が、三國たちだけに向けられたものではない事も察していた。この話は源吾郎にも当てはまる事なのだ。そして恐らく、別室にいる雪羽にも。


「三國さんに春嵐さん。生誕祭の場ではきつい言い方をしましたが、あなた方が頑張って雷園寺君を養い育てている事は私も十分に解っているわ」


 次に口を開いたのは紅藤だった。彼女ははっきりとした笑みを三國たちに見せている。口調も優しげだったが、微かに憂いの色が混ざってもいる。


「幹部とか重役とか色々と大きなものを背負っておりますが、そもそもあなた方はまだ若くて、これから経験を積んでいくような妖怪たちですもの。ええ。私が百歳過ぎの若い頃に較べれば、あなた達は本当によく頑張っているわ。子供を育てるのも本当に大変な事ですし。私も……息子たちをきちんと育て上げる事が出来たのか、そう思う時もあります」


 紅藤の言葉に三國たちは驚いたように目を瞠っている。三國たちからしてもひとかどの大妖怪と見做される彼女が、若い頃について触れたり、自分の子育てについて言及したのだから。しかも彼女の場合、息子の一人は頭目の胡琉安であるから尚更だろう。



「さてそろそろ本題に入りましょうか」


 三國はそう言うと、座ったまま伸びをしている。ある意味怒りを発露していたし、疲れたり身体が凝ったりしているのだろう。伸びつつも控えめに欠伸をする姿は何となく猫に似ている。春嵐は相変わらず渋い表情を見せているが、三國は殆ど気にしていない。


「俺が気になっているのは二点です。島崎君が甥にとって安全な存在なのかと……蠱毒を彼に仕込ませた黒幕が誰であるかですね」


 話したい内容について挙げると、三國は視線を一度泳がせてから言葉を続けた。


「まずは簡単に話が片付く方から進めましょうか。まぁ要するに、島崎君が雪羽にとって安全な存在かどうか。それは是非とも確認したいのですよ」


 三國の視線は既に源吾郎を捉えていた。獣そのものの眼差しに晒されながら、源吾郎はため息をつきたくなった。表向きには三國は源吾郎が安全な存在かどうか確認したいと主張している。だが実の所、三國の中では既に答えは決まっているようなものなのだ。それが解ったから、源吾郎は窮屈な気分を味わってもいた。


「皆さん。俺も本当の事を言えば、甥が萩尾丸さんの許で四六時中修行を受けると聞いて最初はちと心配だったんですよ。萩尾丸さんが中々恐ろしい存在なのは俺もよく知ってますし、弟弟子の狐、島崎君も甥よりも強い妖怪だって聞いていましたからね。

 ですが甥の近況を聞いたり春嵐からの報告を受けてから考えが変わりました。何だかんだと言いつつも、良い環境で修行しているんだろうなって」


 そこまで言うと、三國は春嵐の方をちらと見やる。


「そう言えば春嵐は月華と一緒に甥の修行先を探してくれていたみたいだけど、なかなか見つからなかったって事は萩尾丸さんの所よりも良い所は無かったって事だろう?」

「まぁ、結論から言うとそうなりますね」


 話を振られて戸惑っているようだったが、春嵐は素直に応じた。


「単に若いだけの普通の妖怪であれば、しっかりとした大人の妖怪の許でもそれこそ術者の許であっても修行先・勤務先はいくらでもあるのです。ただ、雷園寺のお坊ちゃまは強すぎましたからね……戦闘慣れした妖怪ならさておき、一般生活を送るような妖怪たちの場合ですと、強すぎる妖怪を持て余してしまう危険性がありますね。

 萩尾丸様の場合は、萩尾丸様自身がお強いので、そう言う事はありませんが」


 それに……言い添える春嵐の視線もまた、源吾郎に向けられていた。


「お坊ちゃまが萩尾丸様の許で修行するにあたり、島崎さんが傍にいたというのも良かったと私も思いますね。雷園寺のお坊ちゃまの周りには、友達とか競い合える仲間とかがいない事も私は心配しておりましたので。そういう意味では、島崎さんの存在もお坊ちゃまにとっては良い刺激になっているのでしょう。同年代でほぼ互角の実力を持ち合わせている訳ですから。しかもお坊ちゃまにへつらう事も無いですし……」

「そうだよな。そう言う所では安心できるよな」


 春嵐の言葉に三國が軽い調子で同調している。予想はしていたが、源吾郎は胸騒ぎがしてしようがなかった。


「褒めてくださるのは嬉しいですが、いくら何でも僕を買いかぶり過ぎてませんか」


 源吾郎はだから、思っていた事を口にしたのである。三國や春嵐は源吾郎の事を雪羽の良きライバルだと思っているらしく、実力が拮抗していると思っているのだ。だがそれは過大評価だと源吾郎は思っていた。

 もちろん春嵐の言葉には事実も含まれている。妖怪的には源吾郎と雪羽は同年代の括りに入るのだろう。また、源吾郎が雪羽の取り巻きに堕する事は断じてあり得ないのも事実だ。


「春嵐さん。俺と雷園寺君が互角だって言うのは言い過ぎですよ。タイマン勝負では僕はずっと負け続けているんですよ。スタミナも速さも段違いですし」

「互角というのは全体的にお二人の能力を俯瞰してのお話です」


 源吾郎の主張に対し、春嵐は冷静な様子で切り返した。


「確かに島崎さんはタイマン勝負、力と力でぶつかり合う勝負は苦手なようですね。しかし妖術を行使する方面では、お坊ちゃまよりもはるかに勝っているではありませんか。お二人は同じ方面の力が伯仲しているのではなく、相手の苦手な事が得意であるという感じかと私は思ってます」


 確かにその通りかもしれないと源吾郎は思った。変化術や結界術云々は源吾郎の得意とするところであるが、雪羽は殆ど扱えないからだ。そうした術較べも萩尾丸の監督で行っていたが、その結果については実は源吾郎は頓着していなかった。タイマン勝負こそが二人の強さを測る指標だと信じて疑わなかったからだ。


「実力面だけじゃなくてさ、態度的にも甥と競い合って成長しあうには君の存在はとても適していると俺たちは思っているんだよ、島崎君」


 春嵐の話が終わった所で三國が言った。笑みを浮かべた彼がそう言うのは源吾郎も実は想定済みである――だからと言って、源吾郎が伝えるべき内容に変化は無いのだけれど。


「まぁ最初のうちは君に甥が迷惑をかけたって事で君自身も色々と思う所があったかもしれない。だけど最近はちょっとずつ雪羽とも打ち解けてきているんだろう? 俺もさ、仕事とか忙しいから直接雪羽の様子を見る事は出来なかったけれど、状況については萩尾丸さんとか春嵐からちょくちょく聞いてるんだよ。そこでだな、ちょっとずつだけど君と甥が親しくなっているとも聞き及んでいたんだ。

――だからだって、俺は思っている」


 とうとうその言葉が出てきたか……源吾郎は戸惑いと心のさざ波を押し隠しながら三國を直視するほかなかった。源吾郎が雪羽にとって安全かどうか。その事実を三國ははじめから確認する気はなかったのだ。そう思ってその思いを押し付けて安心したいだけに過ぎないと、源吾郎には初めから解っていた。そうでなければ、雪羽を傷つけた張本人である源吾郎を前にここまで冷静に振舞ってはいられないだろう。

 源吾郎がなすべきは、その三國の思いを黙って受け取る事だった。その事も解っていた。しかし実行できるかどうかは別問題である。雪羽同様身勝手な思いだと、その考えが源吾郎の心中を覆っていた。叔父と甥だから考えが似るのか、それとも雷獣特有の考え方なのかは定かではないが。


「最初は君の事を危険な妖怪だとかって思っていた事は謝罪するよ。萩尾丸さんから妖力が強くて雪羽を瞬殺できるって聞いた時には俺も気が動転していたんだ。何せ八頭衆の面々に、甥が目を付けられていたんだからね……

 しかしよく考えたら、生誕祭のあの場で雪羽を助けてくれたのは他ならぬ島崎君だ。今回だって、雪羽を傷つけたものの途中からは襲わないように懸命にこらえていたとも言うじゃないか」


 気付けば三國は優しげな笑みを浮かべている。その笑みが歪み、泣き笑いの表情に見えたのは気のせいではない。


「島崎君。今回の事件は君にとっても不幸な事だったんだよ。無論雪羽も傷ついたが、その件に関しては君は悪くないと俺は思っている。君が悪意を持って甥を害したとあれば話は別だが……あの時は単に蠱毒に操られていただけだろう? 本来の君が、そう言う事をやる奴じゃあないって俺も信じているからさ。だから……」

「三國様。雷園寺君の保護者であるあなたまで身勝手な事を仰るのはやめて頂けませんか」


 お前は悪くないんだ。その事を認めろ。言外に迫る三國に対し、源吾郎は堪り兼ねて口を開いた。三國にしろ雪羽にしろ、おのれの身勝手な考えから源吾郎に善性を求めようと躍起になっていた。源吾郎にはそれが耐えられらなかったのだ。蠱毒に取り憑かれながらも、自分にも邪悪な一面があると知ってしまったためである。

 だからこそ、結果はどうであれ源吾郎は主張せねばならない事があったのだ。


「三國様。俺にだって悪意はありますよ。雷園寺のやつに負け続けて悔しさだって募ってました。それに――俺は紛れもなく忌まわしい連中の子孫でもあるんですから」


 おのれにも悪意は宿っているしでもある。これこそが源吾郎の伝えたい事柄だった。

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