大妖怪たちの作戦会議――雷獣は天誅を欲す

 結局のところ、時雨救出計画について、夕食後に多くを語り合う事は無かった。仕事終わりの夜であり、雪羽が精神的に疲労している事も考慮された結果だった。

 とはいえ全く何も話が進まなかったわけでもない。萩尾丸は言葉を選んで告げるべき事は告げてくれたからだ。明日の早い時間帯にこの案件について打ち合わせをすると言ってくれたのが雪羽には心強かった。

 その一方で、不穏な発言もあるにはあった。今回の拉致事件について、姐やの松子が一枚噛んでいるのではないか。そのような可能性もあるという話だ。

 あの少しどんくさくて善良そうな狸娘が、弟拉致という恐ろしい事件に加担しているとは、雪羽には思えないし、思いたくもなかった。



 打ち合わせの会場は赤石北部にある三國のオフィスだった。三國は雪羽の保護者であり、色々な意味で今回の事件のキーパーソンとなる事、萩尾丸の職場では無関係の一般妖怪も大勢いる事を考慮した上で、三國のオフィスが選択されたのだ。

 集まる妖数にんずうが多いという事もあり、打ち合わせは第一会議室で行われる段取りが決まっていた。

 ある若妖怪と共に萩尾丸に連行された雪羽は、ヒゲを切られた猫のような所在の無さで周囲を見渡していた。このオフィスは萩尾丸に引き取られるまで数十年間滞在していた職場である。本来雪羽にとっては馴染みのある場所だった。重役クラスの妖怪たちが議論するこの会議室の椅子に雪羽が腰を下ろした回数も数えきれないほどある。

 それでも雪羽が緊張し、ツレである若妖怪と共に身を寄せ合うほかなかった。理由は二つだ。拉致された時雨たちの事が気がかりでならなかった。それに何よりこの場に集まった妖怪たちの放つ妖気、それらが合わさって醸し出される空気に圧倒されていたのだ。この場には第四幹部の灰高、第六幹部の萩尾丸、そして第八幹部にして雪羽の叔父である三國が居並んでいた。彼らがそれぞれ信頼できる側近を数名連れているのは言うまでもない。そして恐ろしい事に、灰高の側近も萩尾丸の側近も、三國と互角かそれを上回るような妖力の持ち主だったのだ。

 ある意味自分のテリトリーとはいえ、雪羽が借りてきた猫のように大人しくなるのは致し方ない話だった。自分はほんの仔猫に過ぎないのだと、隣の若狐と目配せするのがやっとだった。

 ちなみに雪羽の傍らにいる若妖怪とは、妖狐の青年・島崎源吾郎である。


 そうこうしているうちに萩尾丸が言葉を紡ぐ。雪羽の許に雷園寺家次期当主たる雷園寺時雨が拉致された旨を伝える封書が届けられた事、下手人たちは雪羽の支持者を自称し、時雨を雪羽に殺害させる事を目的にしているらしい事を簡潔に伝えた。

 そこまで言い終えてから、萩尾丸はやにわに三國に視線を向けた。


「――念のために聞いておくけれど。三國君、君はこの事件に絡んでいる……なんて事は無いよね?」

「この打ち合わせはを言う場所ではなかったはずですが?」


 萩尾丸の直截的すぎる問いかけに、三國は目を剥いて睨みつけている。放電していないのは、自分よりも強い妖怪たちが居並んでいるからだろう。しかしそれでも、叔父が静かに憤っている事は雪羽には伝わった。


「俺が事件の主犯と繋がってなどいない事は、少し考えればお解りになるでしょうに。そもそも俺は、雷園寺家次期当主殿が影武者を立ててこっそり旅行していた事を今朝知ったばかりなのですから。それは灰高様も同じでしょうが」


 三國はそこまで言うと、まなじりをやや釣り上げて言い足す。


「それにですね、俺たちは雪羽の支持者たちとやらと繋がってもいないんですよ。元々からして雷園寺家とは関係が薄かったですからね。それに義姉を、雪羽の母親に忠実だった者はむしろ俺の事を良く思っていないはずです。俺も若かったからですね、事あるごとに義姉さんには楯突いていた事もありましたから」


 雪羽の母親。そう言った三國の顔には寂しげな翳りが生じていた。三國と雪羽の母親の間に何があったのか、雪羽は多くを知っている訳ではない。三國はその件についてほとんど語ろうとしないからだ。少なくとも三國が雪羽の母親に敬意を表していた事だけは知っているし、それだけで十分だった。

 ともあれ叔父の嫌疑は晴れたのだろうか。雪羽の心配は杞憂だった。萩尾丸は既にいたずらっぽい笑みを浮かべて笑いかけているのだから。というよりも疑わしげな表情を作っているだけだったようだし。


「気を悪くしたなら謝るよ、三國君。もっとも、僕たちも君がそう返答するだろうことは薄々解っていたからね……雉鶏精一派の中で新参の部類に入ると言えども、君もかれこれ四、五十年は一緒に働いているんだからさ。

 ははは。本当は僕も君がシロである事は解っていたよ。君自身は実は雷園寺家の権力に事も、幼子を人質に取って本家を脅すようなみみっちい真似をするわけがないとね。

 仮に君が雷園寺家にテロ行為を働くなら、それこそ本家に殴り込みでもかけるだろうしね」

「全くもって仰る通りです」


 三國は割合落ち着いた表情で萩尾丸の言葉に同調する。雷園寺家への殴り込み。確かに叔父ならばやりかねない事だと、雷園寺雪羽は静かに思っていた。仲間に対しては優しく穏やかに振舞うように心がけているが、本来は烈しい気性の持ち主である事も雪羽は知っている。

 その間にも萩尾丸と三國は二、三度言葉を交わしていた。救出作戦に協力するのか否か。萩尾丸はその最終確認をしているらしかった。既に答えは決まっているのではないかと雪羽は思っていたのだが。そもそも救出作戦に関与しないのならば、この場に顔を出す事も無いだろうし。

 しかしそれでも、三國たちが救出作戦に参加すると聞いた時には雪羽は安堵した。


「萩尾丸さん。確かに俺は雷園寺家の現当主やその後妻については色々と思う所はありますよ……雪羽の前なのでアレコレ言うのは控えますが。しかしだからと言って次期当主を狙うのは筋違いだと俺も思いますよ。次期当主はまだ子供で、大人たちの思惑なんぞまだ何も知らないんですから。というか次期当主なんてまだ赤ん坊なんじゃないかってイメージが付きまとってるくらいですし」


 言いながら、三國は何度か雪羽に視線を送っていた。時雨は手許にいる雪羽よりも幼いという事を言外に語っているようだった。

 その三國は比較的穏やかな表情を浮かべていたが、釣り上がったまなじりと薄く開いた口許に獣らしい荒々しさが今再び浮き上がった。


「いずれにせよ、今回の事件は腹立たしいものだと思っています。何せ子供を巻き込んでいるんですからね。しかもそれに義姉だとか雪羽の名目を借りているのが尚更腹立たしい所です。次期当主を自らの手で殺すなんて事、雪羽が望むわけがありませんからね。

――そう言う輩にこそ、や天誅を下すのが相応しいと僕は思います。きっと雷園寺家当主だった義姉も同じ考えでしょうね」


 神の怒り。天誅。臆せず過激な言葉を放った三國は今度こそ放電していた。雷の力を神聖視し、雷神を崇拝する発言であると雪羽は思っていた。

 放電しながら鋭い妖気をまき散らす三國を前に居並ぶ妖怪たちから若干のどよめきが広がった。とはいえ恐れおののく気配は薄く、むしろ見世物を眺めるような気楽さもあるにはあったが。但し隣席の源吾郎だけは本気で驚き尻尾の毛を震わせていたが。


「君の主張は良く解ったよ三國君。だから君と君の部隊には後衛を担ってもらおうか」


 笑みをたたえた萩尾丸の言葉に、三國は虚を突かれたような表情を見せ、隣席の春嵐に視線を向ける。三國たちが何か言い出す前に、萩尾丸は言葉を続けた。


「君が今回の救出劇に一番積極的な事、戦力として申し分ない事は僕たちもきちんと解っているよ。しかし君が冷静に立ち回れるのか。それが懸念事項なんでね」


 萩尾丸はそう言うと、さり気なく雪羽に視線を向ける。


「正直な話、雷園寺君が冷静に立ち回れるかどうか自体も僕としては不安が残るんだ。そうした不安があるのに、更に不安事を抱えるのはどうかと思うだろう。

 まだこれが、単なる悪人の摘発で好き放題暴れられるのならばまだ良い。しかし今回は子供らの生命が掛かっている訳だし……そうでなくても三國君は好き放題暴れまわった前科があるからね」

「遊撃部隊の件は雪羽が生まれる前の、うんと昔の話ではないですか。あの頃は僕もまだ若かったですし……」

「話が脱線しましたよ、三國さん」


 ばつの悪そうな表情で三國が呟き、春嵐がそれを軽く指摘する。三國の武勇伝は雪羽も知っていた。ある時などは悪徳組織に自家用車で突撃し、壁に横穴をぶち空けるという奇襲でもって敵の妖怪たちを圧倒したのだという。映画やドラマのワンシーンみたいでカッコいいと雪羽は素直に思っていた。しかしそれは雪羽や三國の考えに過ぎず、他の妖怪たちはまた違う考えだったようだ。


「ともあれ三國君。君と君が指揮する部隊は事後処理に回ってもらおうと思うんだ。君らが動くのは時雨君たちの無事を確保できた後で良い。刃向かってきた下手人たちの制圧とか、騒動を聞きつけて集まってきた野次馬たちの牽制が主だった仕事になると僕は考えている。

 何しろ雷獣の名家・雷園寺家の子息が拉致されたんだからね。僕らが気を付けていたとしてもその情報が何処かからリークする恐れだってある。下手人たちが犯行声明を出す可能性もあるだろうしね。そこで無関係な妖怪たちが群がってきたら混乱を招く。その辺りの処理を行ってほしいんだ」


 萩尾丸はここで言葉を切ると、意味深な笑みを浮かべて言い足した。


「――パパラッチや野次馬だけではなく、も集まってくるかもしれないからね」


 それは確かに同感です。三國はため息とともに言葉を吐き出した。


「雷園寺家の面々はもとより、兄姉たちも一族郎党かき集めてやって来るに違いないでしょうねぇ。あいつらは雷園寺家に取り入る事に余念のない連中ですからね。そうして雷園寺家の当主や有力者に気に入ってもらえば自分たちの格が上がると思い込んでいる訳ですし。実際には闘いも何も知らない腰抜けの癖に」

「思惑は違えど、三國君の親族たちも時雨君を救出したいという考えを持っていると思って違いないもんねぇ。場合によっては彼らも戦力と見做せるんじゃないかな?」

「戦力ですって? 実の兄姉と言えども、僕は彼らに戦力を求めてなどいませんよ。それこそ無闇に動き回って場を混乱させるだけでしょうし……そもそも俺は今回の件でも雷園寺家に恩を売るつもりは無いですし、むしろ俺の声掛けに兄姉たちが従うとも思えないんですがね……」


 三國は終盤では声を潜めて呟いていたのだが、ややあってから萩尾丸と雪羽に視線を向けた。


「萩尾丸さん。ともあれ今回の僕の立ち回りは理解しました。後衛としておかしな輩が近づかないように目を配り、雪羽や他の部隊のサポートに回れば良いんですよね」

「そんな感じでお願いするよ、三國君。くれぐれも冷静に立ち回って欲しいんだ」

「ええ、解っていますとも」


 三國が頷くのを見て、萩尾丸の目に僅かな安堵の色がともった。

 三國と彼の率いる部隊の役割が決まり、話がひと段落したようだ。そして今萩尾丸の鋭い視線は、雪羽の隣に腰を下ろす源吾郎に向けられている。

 何故この若狐を連行したのか。それが次の議題なのだろう。

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