雪羽の選択

 その封書の言葉を信じるならば、この度雷園寺時雨を拉致した妖怪たちもまた、雷園寺家にゆかりのある妖怪なのだという。厳密に言えば先代当主に仕えていた過去を持ち、雪羽が雷園寺家次期当主になる事を望んでいるのだそうだ。

 先代当主は邪心のある女に謀殺された。しかもその女は罰せられるどころかしゃあしゃあと仔を産み次期当主の母親の座に収まろうとしている。を持つ雪羽は母親の無念を晴らす権利と義務がある。よこしまな女と優柔不断な男の間に生まれたを粛清し、堂々と雷園寺家に舞い戻れば良い――そう言った旨の文言が、件の封書には記されていたのだ。

――勝手な事を。


 憤怒と焦燥と困惑と悲憤が渦巻く中で、雪羽はそう思うのがやっとだった。雷園寺家には多くの使用人がいる事は、今も昔も変わらない。時雨を次期当主に据えるという風潮を良く思っていない手合いは確かにいるだろう。しかしまさか、雪羽を次期当主にと考える妖怪たちの中で、このような過激な手段に出る者が出てくるとは。

 雪羽の、そして先代当主の支持者であると彼らは謳っているが、自分たちとは無関係な存在だろうと雪羽は思っていた。雪羽は雷園寺家の当主の座を狙っていたし、いずれは異母弟と相争う覚悟はできていた。しかし――拉致した上で殺すなどというやり方を望んだ覚えはない。

 雪羽は迷わずスマホを取り出した。他言無用と封書にはあるものの、そんなものは知った事ではない。身代金目当ての誘拐事件でも、警察に連絡するのがセオリーではないか。もっとも、雪羽が連絡を入れたのは妖怪社会の警察ではなくて叔父の三國だったのだが。


『……もしもし。雪羽お坊ちゃまですか』

「もしもし……あれ、この声は春兄はるにい? どうし……」


 三國だと思って電話をかけたら春嵐が出てきたので面食らってしまった。疑問が脳裏をひらめくが、電話をかけ間違えたのだと思いなおした。いずれにせよ、雪羽の保護者・理解者である事には変わりないのだから。

 お坊ちゃま……? 電話の向こうで春嵐が怪訝そうな声を上げていた。


「相談があるんだ春兄。弟が、時雨が誘拐されたんだ。よく解んないけれど、俺を雷園寺家の当主にしたいって言う妖怪が主犯らしくって……やつらは俺が、おとうと、を――」


 異母弟を殺すように仕向けている。その言葉を雪羽は言い切る事が出来なかった。何かが在る訳ではないのに喉から胸にかけて詰まっているような感覚に襲われたのだ。雪羽は代わりに声にならない音を漏らすほかなかった。それは呻き声だとか、嗚咽と呼ばれる代物になるのだろう。


『お坊ちゃま……』


 どれだけそうしていたのかは解らない。気が付いたら春嵐が呼びかけていた。穏やかな、しかし雪羽への気遣いが見え隠れする声音だった。


「ごめん春兄。俺――」

『いえ。取り乱すのも無理はありません。弟を妖質ひとじちに取られていると知ったんですから。それにお坊ちゃまは今や三國さんそっくりに育っておいでなのですから』


 相変わらず春嵐の声には心配の色が濃かった。しかし雪羽とは異なり、彼の声には冷静さが滲み出ていた。装っているものなのかもしれないが。


『萩尾丸様は傍に居らっしゃらないのですね?』

「うん。仕事とか打ち合わせが忙しいみたい……萩尾丸さんにも相談するつもりだよ。だけどいないからまず叔父貴に相談しようと思って」

『……萩尾丸様に相談する事は私も賛成です。あのお方は私どもよりもうんと冷静なお方ですし、色々な事に経験を積んでおります。必ずや、雪羽お坊ちゃまがなさろうとする事を手助けしてくれるでしょう……』


 ゆきは。電話口の向こう側で力強い声が響く。ごそごそという音がしたのち、もう一度声の主、三國が呼びかける。


『この前雷園寺家の件で打ち合わせをしたばっかりだが、まさかそんな事になっていたとはな……だが安心するんだ雪羽。俺は、俺たちはお前の味方だから』



 夜。やっと帰宅した萩尾丸の許に雪羽は飛びつくように駆け寄った。その手に件の封書があるのは言うまでもない。

 雪羽の腹は決まっていた。連中の思惑はさておき、拉致された時雨たちを助け出すつもりだ。とはいえその大役を一人で出来るとは思っていない。だから世話係であり大妖怪である萩尾丸の助けを借りるのだ。

 萩尾丸が雪羽の申し出を突っぱねるという考えはない。元々彼は雪羽を用いて雷園寺家のパイプを構築しようと考えている。正式な当主候補たる時雨の窮状を萩尾丸は見過ごすわけがなかろう。雪羽は妙に冴えた頭でそのように考えていたのだ。


「萩尾丸さん、とても大事なお話があります」


 時雨を拉致した。その旨が記された封書を突き付けながら雪羽は手短にそう言った。


「――そう言う訳で、僕や僕の母の支持者を名乗る妖怪が弟たちを誘拐したのです。やつらは僕が異母弟を殺す事を望んでいますが、僕はその手に乗るつもりはありません」

「つまるところ、攫われた時雨君たちを救出したいって事で合ってるよね?」


 もちろんです。妙にのんびりした口調の萩尾丸に対し、雪羽は即答する。


「時雨の……弟の救出に力を貸して下さりますよね?」


 雪羽の言葉は懇願でも命令でもなくもはやに近いニュアンスを孕んでいた。そもそも萩尾丸に雪羽が命令するという事自体が滅多にない事だ。何しろ萩尾丸は雪羽の教育係であり、妖怪としても格上なのだから。

 もちろんさ。萩尾丸もまた手短に応じた。その瞳その面はあくまでも冷静沈着で、感情の揺らぎは見られない。春嵐の言ったとおりだった。


「君は時雨君たちを助ける事だけを考えているだろうけれど、彼らを拉致した下手人たちを捕縛して真相を確かめる事までは流石に気が回っていないだろう? ましてや君が助けようと思っているのは弟一人だけじゃあないはずさ。そんな大仕事を、君一人に背負わせようなんて思ってないよ。

 安心したまえ雷園寺君。時雨君一行の救出と下手人の捕縛、僕も部下と共に協力するよ」


 萩尾丸はその面に爽やかな笑みを浮かべていた。何はともあれ萩尾丸の協力を得られたのだ。雪羽も顔の表情筋が緩み、幾分だらしない笑みが頬に浮かんだ。

 それにしても……萩尾丸は視線をさまよわせ、静かに言葉を紡ぎ始めていた。その笑みは先程の爽やかな笑顔とは何かが違う。


「今回の一件で雷園寺君が活躍できれば、本家も君の事を放っておく事は出来ないだろうねぇ……対面の指定日は日曜日の夜になっているだろう? 流石にそれまでに時雨君が拉致されている事は雷園寺家にも知れ渡るだろうねぇ。君も知っている通り、雷園寺家は時雨君を次期当主として大事に育ててきたんだ。その彼が拉致されて……あまつさえ殺されそうになっている。これはもう雷園寺家最大のピンチと言っても過言ではないだろうね」


 雪羽は口を挟まずに、萩尾丸の言葉を聞いていた。大人しい雪羽の態度に気を良くしたのか萩尾丸は言葉を続ける。


「雷園寺君。僕が君を通じて雷園寺家にパイプを作ろうとしている事、僕や三國君の手中に雷園寺家のキーパーソンがいると知らしめようとしている事は君とて知っているだろう? それにしても、そのがこうして転がって来るとは……」

「弟の生命を何だと思っているんですか!」


 冷徹に、そして若干の面白おかしさを滲ませて呟く萩尾丸に対し、雪羽はとうとう吠えた。雷園寺家との関係を意識している萩尾丸が、時雨の救出に賛同してくれる事は雪羽も解っていた。何となればその事で彼を利用しようとも思っていたくらいだ。

 しかし――雷園寺家に恩義を売るための功績と異母弟たちの生命を。そう思うと我慢ならなかったのだ。

 冷静に萩尾丸に交渉するという建前は崩れ去り、その奥にあった雪羽の本音がむき出しになった。


「萩尾丸さん。俺はですね、雷園寺家との関係とか、次期当主になれるチャンス云々とかは。ただ異母弟たちを助けたいだけなんですよ。母親が違おうが面識がほとんど無かろうかそれもどうでも良いんです。んですから。あいつは後継者争いの事はまだ何も知らないんですから尚更です。

 それに……俺のせいで誰かが死ぬのはもう見たくないんです……」

「君の本音は解ったよ」


 気付けば萩尾丸は穏やかな笑みを浮かべていた。一瞬だが申し訳なさそうな表情を見せたような気もする。


「元より僕は部下を率いて時雨君を助け出し、実行犯を捕縛するつもりだったんだよ。雷園寺君が連中の誘いに乗らないであろう事も初めから解っていた。

 だけど、君がどれだけ冷静さを保っていられるかが僕は心配だったんだよ。あまりにも君が取り乱すようだったら、君は参加させずに君の代理をこちらで用意するつもりだったからね」

「それこそ島崎先輩を僕に変化させて身代わりにするつもりだったんでしょうか」

「いや……あのには荷が重いだろうね。確かに島崎君は演技上手だと思うよ。だけどあくまでも舞台演劇や、日常生活のシーンを再現できる程度なんだ。今回みたいな切羽詰まった状況下では難しいだろうね……あの妖に協力してもらうなら、むしろ兵士の一人として配置したほうがまだ効果があるよ」


 雪羽はおそるおそる萩尾丸の様子を窺っていた。もしかしたら自分の出る幕はない。そのような言葉が出るかもしれないと思ったのだ。


「雷園寺君。君は彼らの誘いに乗ったふりをして時間稼ぎをしてくれれば良い。十分も十五分も時間稼ぎは行わなくても大丈夫だ。向こうが完全に油断し、こちらの準備が整えばそれで全てが終わるんだからね。だから別に、時雨君たちを取り返して何処かに逃げようとか、ましてや下手人たちを自分独りで打ちのめそうなどと考えなくて良いんだ。そう言った事は僕たちがやるからね。

 そのためには君も一芝居打たねばならないけれど……その話は一旦後にしよう。よく考えれば、まだ夕食も済んでないしね」


 夕食。その言葉を聞いた雪羽は、まだ自分たちが夕食を済ませていない事に気付いた。しかしだからと言って空腹を思い出したわけでもないが。

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