封書もたらすかつての「仲間」

 夕方六時。タイムカードを押して帰り支度を終えると、待ち構えていたかのように萩尾丸が近づいてきた。様子を見るに、彼はまだ帰る素振りは無い。雪羽を転移術で家に戻そうと思っているのだろう。


「今日は遅くなるから先に戻ってくれるかな」


 言いながら、萩尾丸は事務所のドアを示した。原理は定かではないが、萩尾丸はああして特定の場所から別の離れた場所に移動できるような術を即座に構築できるのだ。

 有無を言わさぬような圧に若干たじろいでいると、萩尾丸は優しげな笑みを浮かべて言い添える。


については気にしなくて良いよ。新調したその護符は、君が嫌がる揺らぎの影響も軽減するようなからくりがあるからね」

「それって本当ですか?」

「本当だとも。騙されたと思ってあのドアを抜けてごらん」


 促された雪羽は荷物をまとめ、言葉通りにドアを抜けた。よく解らない景色が見えたと思ったら、そこは既に萩尾丸の屋敷の中だった。もう転移したのか……そんな感想を抱くほどに、ごく自然な転移だった。ちなみに普段は、二日酔いに似た違和感と不快感を雪羽は抱いてしまう。これもまた感覚が鋭敏な雷獣故の事であった。

――という事は、これからは仕事が終われば好きな時間に屋敷に帰れるって事だな。

 転移術への違和感が無くなった事について、雪羽は素直に喜んでいた。今までは萩尾丸を待って帰宅せねばならなかった。学生街から吉崎町の研究センターまで通う足を持っていなかったためである。さりとて毎度毎度転移術を使って二日酔いのような感覚に苛まれるのも面白くない。

 自分への利点にばかり注目していた雪羽であるから、転移術に抵抗を持たなくするという仕掛けが有利な物であると気付くまでに、若干の時間を要したのだった。



「シロウさん。何でわざわざ先回りして転がってるんですか……」


 午後六時半。普段よりも早い時間に帰宅した雪羽は、屋敷内の掃除を一人で行っていた。屋敷には萩尾丸の部下である妖怪が来訪している時もしばしばある。しかし今日は萩尾丸も彼らも忙しいらしく、そうした妖怪たちの姿は無かった。代わりに居候である猫又のシロウが屋敷にいる位だ。彼も猫又として(?)地元の地域猫が安全に暮らしているかどうか見回る事もあるらしい。だが概ね屋敷のどこかにいるか、散歩をする雪羽にそれとなく同行するかのどちらかだった。

 そして今回は、掃除を行う雪羽の傍にまとわりついている。お猫様とはそう言う生き物らしいのだ。ちなみにシロウは掃除機の音を聞いても涼しい顔だ。猫と言えば騒音が苦手というイメージがあったが、彼は猫又であるから平気なのだろうか。

 シロウについては萩尾丸の居候(部下ではない)であり猫又という事しか雪羽は知らない。だが三尾あるという事は猫又として相当に経験を積んでいるのだろうと思われた。猫はすぐに化けるという伝承にある通り、猫が妖怪化して猫又になるにはそう多くの年月を要さない。妖狐や雷獣が二尾になるまでに百年近くかかるのとは大きな違いだ。しかしその一方で、三尾以上の猫又になるまでが長いのだそうだ。猫又が二尾の個体が異様に多いのはそのような種族的背景があるらしい。


「いやそのぉ、萩尾丸さんから大変な事があったって聞いてたからね。本当は雷園寺君だって、広い屋敷で一人っきりじゃあ寂しいでしょ?」

「…………」


 雪羽は視線を落とし無言を貫いた。へそ天していたシロウはきっと、雪羽の本心を見抜いているであろうけれど。

 一人っきりでいて寂しい。あからさまに寂しいと感じる事は少なかったが、ふっと言いようもない感覚に陥る事はある。自分がこうしてここにいる事が正しいのか、元々自分とは何なのか。そんな考えが去来する事があるのだ。きっとそれが寂しいという感覚に近いのだろう。雪羽はぼんやりと思った。そうした感情は、総じて妙に落ち着いた心境の時にやってくるのだから。

 島崎先輩は寂しいと思う事があるのだろうか。雪羽は何故か源吾郎の事にも思いを馳せていた。いや、彼も寂しさを抱える事もあるだろう。次の瞬間には断定めいた考えに疑問はすり替わる。紅藤の敷地内に暮らしているとはいえ、源吾郎もあれで一人暮らしを敢行しているのだ。親兄姉の多い賑やかな環境で育ち、かつ甘えん坊な源吾郎の事である。本人は否定するかもしれないが、案外寂しがり屋な所もあるのかもしれない。


「早く帰れたのは良いけれど、屋敷にいても退屈だからびっくりしちゃってさ。それでちょっと掃除とか始めたんだ」

「雷園寺君は活発だもんねぇ」


 今回のシロウの指摘には雪羽は素直に頷く。活発というと動物みたいな感じであるが、雪羽はそもそもアウトドア派である。三國の許で暮らしていた頃は体力と時間が許す限り夜遊びを敢行した日々を送っていたのだ。世間で言う所の健全なアウトドアとは言い難いが、少なくともインドア派ではない事だけは確かな話だ。

 もっとも現在は謹慎中であり、萩尾丸の監視もあるため夜遊びは行っていないのだが。とはいえ屋敷の中でじっとしているのも性に合わないので、こうして掃除とかを勝手に行う事がままあった。料理を習得すれば料理の下ごしらえなどを行うようになるのかもしれない。

 午後六時を過ぎているから、夕刻から夜に移ろう時間帯ではある。普段ならば夕方の散歩を行おうか、という考えも浮かんでいたかもしれない。しかし今日ばかりはそう言った気持にはなれなかった。何せ八頭怪に襲撃されてから二十四時間も経っていないのだ。用心する事はごく自然な流れであろう。仮に萩尾丸がこの場にいれば、屋敷に留まるように言いつけたかもしれないし。

 だが一方で、屋敷の内部、要は室内の清掃に飽き始めていたのも事実だった。雷獣の特性という事も大いにあるが、雪羽は若干飽きっぽく移り気な所も持ち合わせている。

 またしても先回りして転がるシロウを一瞥し、雪羽は庭掃除を行う事を思い立った。庭掃除は屋内の掃除とは一味違うし、そろそろ落ち葉も気になる季節である。しかも庭だから屋敷の外に出ている訳でもない。妙案だと、雪羽は密かにほくそ笑んだ。


 室内にいた時はずっとくっついてきたシロウであったが、流石に庭に出てくる事は無かった。代わりに庭に面する窓に陣取り、雪羽の様子を観察している。シロウがどのような力を持つ妖怪なのかは雪羽にもよく解らない。しかし萩尾丸の屋敷に住む者同士関心を持っている事だけは明らかだった。

 雪羽は時々シロウを見やるだけで、落ち葉掃きに専念していた。別段何がどうという訳ではないが何となく楽しい。今日は色々あったし、気晴らしにはもってこいだろうと思った。飽きるまでやっておいても問題なかろうなどと思っていた。段々暗くなり始めているが、夜の闇が雷獣の活動を妨げる事はない。獣ゆえに夜目が効くし、そもそも電流を読み取る能力があれば何も見えなくても概ね問題はない。


「……?」


 さてそのように庭掃除に励んでいた雪羽であるが、敷地を隔てる柵の向こうに誰かがいる事に気付いた。漂う妖気と電流探知により、彼らが獣妖怪である事を雪羽はすぐに知った。箒を木の傍らに立てかけた雪羽は、思いがけぬ喜びを覚えてほおを緩ませた。相手が面識のある妖怪、それもの二人であると知ったからだ。一人はカマイタチの少年でもう一人はアライグマの妖怪だった。夏の生誕祭の折に、雪羽と共に同行していた若妖怪である。

 雪羽には彼ら以外にもオトモダチがいた。しかしこの二人とは特に長い付き合いでもあったのだ。


「おう、お前らじゃないか。久しぶりだな……」


 二人の妖怪に名前で呼びかけたのち、雪羽は柵越しに彼らの許に近付いた。本来であれば門扉に向かって敷地の外に出て彼らを出迎えれば良かったのかもしれない。しかし思いがけぬ再会に興奮した雪羽は、そこまで考えを巡らせていなかったのだ。


「雷園寺の若君もお元気そうで何よりです」

「ええ。俺たちも雷園寺様があの天狗に軟禁されていると聞いて心配していたんですがね」


 カマイタチもアライグマ妖怪も笑みを浮かべていた。しかし以前と違って雪羽様と呼ばず、雷園寺の名字で呼びかけている。そんな彼らの言動に若干引っかかるものを感じてはいた。それでも雪羽は久々に出会った二人に対し無邪気な笑みを向けていた。次期当主問題であれこれ悩んでいた事も、そもそも彼らが一度雪羽を見限るような言動をした事もこの時ばかりは忘れていた。あいつらも大妖怪たちに睨まれてああ言っただけに過ぎないんだ。そんな風に解釈していたのである。

 雪羽もまた詰めの甘い所があったのだろう。それ以上に退屈さと心細さを心中に抱えていたのも大きい所だ。


「軟禁だなんて大げさだなぁ。俺はちょっと真面目な社会妖しゃかいじんになれるように勉強しているだけさ。ちゃんと日中は仕事をしているし、週末には叔父貴の許に帰れるから心配しないでくれよ」


 雪羽の言葉に、二人の若妖怪は顔を見合わせたようだった。それからおずおずとこちらに向き直る。


「仕事ってもしかしてあの変態狐と一緒に働いているんですか?」

「変態狐とは酷い言い草だなぁ。流石に島崎先輩も怒るかもしれないよ?」

「雷園寺の若君、本当に丸くなりましたねぇ……」


 カマイタチの少年がしんみりとした口調で呟いている。何となくであるが寂しそうな口調に思えた。面白おかしく過ごしていただけの相手だとしても、変化があると思えば複雑な気持ちになるのは致し方ない話だろう。

 とはいえ彼らも雪羽の事を心配してくれていたのだ。それは有難い事だった。源吾郎に引き合わせれば彼とも親しくなれるかもしれない。取り留めもなく、尚且つ可能性の低そうな事柄さえ脳裏に浮かんでしまった。

 あ、そうそう……密かに感慨にふけっていると、思い出したようにアライグマ妖怪が声を上げた。


「雷園寺様。今日は雷園寺様に手紙を届けに来たんですよ」

「手紙だって……? そりゃあまた大げさだなぁ」


 思いがけない言葉に雪羽は軽く笑った。アライグマ妖怪の大真面目な表情と、手紙を届けるという他愛なさのギャップが妙に面白かったのだ。手紙など寄越さずとも電話とかメールで連絡できるのではなかろうか……その事を告げるとカマイタチと共に首を振った。


「えっとですね、僕たちは今雷園寺様から離れているんですが、そこで大人の妖怪たちと知り合ってそこで働いているんですよ。まぁ俺らもまだ若いし下働きみたいなものなんですけどね。

 実は今回の手紙も、ボスから雷園寺様に渡すように直々に言われているんです」

「この手紙、雷園寺の若君にとってはまたとない朗報でしょうね」


 カマイタチの少年が言い切るや否や、アライグマ妖怪は手にしていた封筒を雪羽に手渡した。事務用の武骨な茶封筒である。封はなされていたが切手は貼られていない。あらかじめ雪羽に渡す事を想定しているようだった。

 オトモダチから受け取った封筒であるが、奇しくも抱え持つような形となっていた。サイズもごく一般的な郵便物の範疇に収まる封筒に過ぎない。しかし何故か、雪羽には非常に重たく感じられたのだ。


「それじゃあ、俺たちも今日はこの辺で帰りますね。遅くなるとボスたちも心配するんで」

「また今度お会いしましょうね、雷園寺の若君。良ければまた一緒に遊びたいですね。何せあなたには、が巡っているんですから」

「おい! あんまりべらべらと喋ったらだめだろう」


 俺に雷園寺家次期当主のチャンスが巡っている? 一体何の話であろうか。カマイタチが放った言葉は意味深であったが、雪羽がそれを問いただす暇は与えられなかった。彼らは雪羽が封書を持っているのを確認すると、そのまま風のように姿を消してしまったのだから。



 庭掃除を早々に切り上げた雪羽は、あてがわれた自室に戻っていた。どうという訳でもないのだがごく自然に机に向かい、椅子に腰を下ろした。

 細工用のカッターで封を開け、中の用紙を取り出す。重たいと感じたのはやはり錯覚だったのだろう。中から出てきたのはA4用紙二枚だった。一枚はパソコンでタイプした文章をプリントアウトしたものであり、もう一枚は簡略化した地図がプリントアウトされているだけだった。パッと見た感じでは、特に怪しむような点は薄い。

 しかし――一枚目の文章に目を通した雪羽は絶句した。様々な考えや思い、感情が目まぐるしく浮かんでは消え、雪羽の中で暴風よろしく渦巻いていた。雷園寺家次期当主になれるチャンスが巡ってくる。カマイタチの少年はそう言っていた。しかし、こんな事があるとは――


 封書には雷園寺時雨の一行を拉致した事が淡々と記されていた。その上で雪羽に彼らをを付与すると書かれてあったのだ。

 もちろん他にも色々な事が記されてはいた。しかし今の雪羽には、時雨が何者かに拉致された事、その下手人が雪羽に時雨を殺害するよう暗に仕向けている事しか解らなかった。

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