パワーバランスも会議の手札

「萩尾丸さんがお困りになるなんて相当な事だよな……」


 源吾郎と入れ違いに事務所を去った紅藤を見て、雪羽はそう呟くほかなかった。源吾郎やサカイ先輩からは違った意見が出てくるかもしれない。だがそれでも、うろたえる萩尾丸というのは雪羽にとっては珍しい物だったのだ。


「やっぱり萩尾丸先輩も立場があるし、今回もその辺りをつつかれていた感じだったかな」


 具体的な話を教えてくれた源吾郎は、やけにあっけらかんとした様子だった。状況が読みこめていないというか、若干他人事のように思えているのかもしれない。少なくとも、萩尾丸を蔑ろにしているとか彼の困った様子を面白がっているというそぶりは見られなかった。


「萩尾丸先輩の立場、かぁ……」


 源吾郎の言葉をオウム返しし、雪羽は思いを巡らせた。萩尾丸の立場。灰高の遣いである鴉たちや紫苑の部下たちとの関係性。はっきりと解った訳ではないが、ややこしい物を抱えているであろう事だけはおぼろげに掴めた。


「簡単に言えば萩尾丸先輩は板挟み状態になってるんだよ。萩尾丸先輩自身は、紫苑様の部下が勝手に掃除をした事を良くない事だって思っておいでなんだ。だってあの鴉たちは灰高様の遣いなんだ。灰高様がどれだけあの鴉たちに心を配っているかは俺には解らないけれど、それでもあのお方に喧嘩を売ったと見做されてもおかしくはない。実行犯は紫苑様の部下だけど、研究センターで起きた出来事だから」


 灰高に喧嘩を売った。それが大事である事は雪羽もすんなりと理解できた。

 大妖怪揃いの八頭衆であるが、その中でも灰高が強い妖怪である事を雪羽はもちろん知っていた。何しろ大妖怪中の大妖怪・雉鶏精一派最強とされる紅藤に対して、真正面から挑発したくらいなのだ。ついでに言えば雪羽を雷園寺家次期当主に推し進める事に賛成している妖怪でもある。

 あれこれ考えていると、源吾郎が更に言葉を続けた。


「萩尾丸先輩だって立派な大妖怪、立派な勤め妖だと俺は思ってるよ。だから俺たちだったらどうにもならない事とかでも涼しい顔で解決なさっているだろう。

 だけど今回は紫苑様の部下が相手だから色々とやり辛いみたいなんだよ。何せ紫苑様は胡琉安様の従姉に当たるお方なんだからさ。実力だけじゃなくて血縁関係とかも絡むと、どうしても萩尾丸先輩は分が悪くなってしまうんだ。特に名のある天狗の子弟でもないし、元々は人間だったって事もあるらしいし」

「そっか……」


 源吾郎の解説に雪羽は素直に驚いていた。家柄の後ろ盾が無いから交渉ごとに苦労する事がある。こうした悩みを萩尾丸が抱えているなどとは夢にも思っていなかったのだ。叔父の三國ですら平伏する萩尾丸の事は十二分に強いと思っていたし、何より雪羽自身が名門妖怪の生まれだったからだ。雷園寺家の看板を背負い続けている彼には、家柄という武器が無い状況をうまく想像できなかったのだ。

 ついでに言えば、八頭衆の幹部たちのパワーバランスについても雪羽は実は無頓着だった。誰も彼も三國よりも強くて年長の面々ばかりだったから、叔父貴より強い妖怪という事でひとくくりにしていたのだ。


「今回萩尾丸先輩が相手をしていた面々は特に性質が悪いみたいなんだよ。紫苑様の側近か何かは知らないけれど、自分が紫苑様の配下である事をちらつかせて、自分たちのやった事を正しい事だって萩尾丸さんに認めさせたがっているんだ。それで、らちが明かないから紅藤様の助けを借りたという事さ」


 萩尾丸が困ったり紅藤の助けを借りたりするなんてますます普段の彼らしくない。雪羽は無遠慮にもそんな事を思い始めていた。しかし昨晩から今日にかけて、八頭怪襲来の件で皆オロオロしたりバタバタしたりしているのだ。雪羽だって平常心とは言い難いわけだし。

 そんな事をあれこれ考える雪羽の顔を覗き込むと、源吾郎はうっすらと微笑んで言い添えた。


「自分が付き従っている相手の地位や肩書を振りかざす手合いは、むしろ雷園寺君の方が俺よりも詳しいんじゃないかな。今はいないみたいだけど、雷園寺君の周りにもが大勢いたんだからさ」

「腰巾着なんて言い方はよせよ!」


 源吾郎のにやにや笑いが気に入らなかったのか、はたまた腰巾着と言い放った時の冷え冷えとした口調に心がざわついたのか。気付けば雪羽は声を荒げていた。

 雪羽の声に源吾郎は一瞬怯んだような表情を見せた。源吾郎の意外と穏和な気質を思えば特におかしくない反応である。その先彼がどうするか雪羽には解っていた。きっと戸惑いつつも何も言わずに終わるのだろう。

 ところがそうはならなかった。源吾郎はその面に寂しげな笑みを浮かべつつ今一度口を開いたのだ。


「雷園寺君はあいつらの事をだと思っているのか? 威勢がいい時だけ付き従って、旗色が悪くなったら見限って顧みないようなあいつらをさ」

「それは――」


 何故こいつは今になってこんな事を言いだすのだろう。雪羽の脳内にはそんな疑問が浮き上がってきた。疑問と言えば、そもそも雪羽自身が源吾郎の言葉に過剰に反応している事も疑問なのだが。

 源吾郎の言うオトモダチとは、雪羽がかつて従えていた妖怪たちの事だ。周囲からは「取り巻き」「悪い仲間」と呼ばれていた若妖怪たちである。雪羽はオトモダチを大勢抱えていたし、面白おかしく遊ぶという点では彼らは忠実だった――少し前までは。

 付き従うだけ付き従って、旗色が悪くなれば見限る連中である。その事はもちろん雪羽も知っていた。オトモダチも所詮は雪羽の力に平伏して逆らわないだけである事、利益を求めて媚びているにすぎない事は解っていた。雪羽の事を慕っている妖怪は誰もいない事も解っている。不祥事を起こし再教育を受ける事となったあの日以来、彼らと顔を合わせた事が無かったのだから。

 オトモダチの腹の底を知っていたにもかかわらず、雪羽は源吾郎の言葉に心がざわついていた。それが何故なのかはよく解らない。もしかしたら、自分とオトモダチとと思って源吾郎が腹を立てているのかもしれない。そんな考えさえ首をもたげる始末だった。


「ね、二人とも。お喋りは良いけど喧嘩しちゃだめだよ。ほら、もうすぐお師匠様とか萩尾丸さんたちも戻って来るし」


 二人のやり取りに横槍を入れたのはすきま女のサカイ先輩だった。彼女の口調は柔らかい物であったが、源吾郎も雪羽も表情を一変させた。


「すみませんサカイ先輩。そうですよね。そろそろ打ち合わせも終わる時間でしょうし」

「べ、別に僕らは喧嘩してた訳じゃあないんですけれど……」


 わざとらしく腕時計を確認しながら応じる源吾郎に続き、雪羽も軽く弁明した。サカイ先輩は研究センターの中では若手の研究員と見做されている。しかし源吾郎も雪羽も彼女に対して一目を置いていた。源吾郎には年長者の前で従順に振舞うという習性が染みついているだけに過ぎない。しかし雪羽は純粋にサカイ先輩を強者と見做し、若干の畏れの念を抱いていた。彼女には電流探知能力が通用しないためだ。

 そんなわけで様々な思惑はあるものの、源吾郎も雪羽もサカイ先輩を敬っていた。サカイ先輩は後輩に力や威厳を示すタイプではないが、それでも彼女の顔を立てている事には違いないだろう。



 紫苑が派遣した「清掃係」の話も、紅藤の介入によって良い塩梅に落ち着いたらしい。萩尾丸の前では威勢よく振舞っていた鳥妖怪たちも、流石に紅藤の前では態度を改め行儀が良くなったそうだ。そもそも紅藤は大妖怪であるし(萩尾丸ももちろん大妖怪なのだが)、何より紫苑の叔母・胡琉安の生母という立場も強かったのかもしれない。


「紫苑ちゃんはこの前こっちに来た時に掃除の件を持ちかけてくれたのよ。伯母上様もお忙しいでしょうし私の部下で良ければ……って感じでね。でもまさか、灰高のお兄様が寄越しているかもしれない鴉を狙うなんて思ってなかったわ」


 事務所に戻ってくるなり紅藤はそんな事を告げた。萩尾丸や青松丸を従えて入室してきた彼女であるが、その顔は物憂げに曇っていた。何と彼女は紫苑の部下が退治した鴉の事を気の毒に思ってすらいたのだ。思っているどころかあの鴉には気の毒な事をしたと口にしたくらいである。


「今後はこうした事があれば事前に軽く確認しておいた方が良さそうですね」


 即座に意見を述べたのは案の定萩尾丸だった。彼は普段通り表情の読めぬ笑みをその面に浮かべていた。未明から朝にかけて焦ったり戸惑ったりしているのが嘘のようである。大妖怪だからそうした状態から立ち直るのが速いのだろうか。或いはもしかすると、大妖怪だから心の戸惑いを押し隠し、平静を装うのが上手なのかもしれない。


「別に紅藤様を悪く言うつもりはございませんよ。ですがわざわざ姪が申し出てくれたという事で気が緩んでいた所もおありだったのではないですか」

「そうね。全くもって萩尾丸の言うとおりだわ」


 柔らかな口調と言えども萩尾丸は遠慮なく思った事を口にしていた。炎上天狗だのなんだのと周囲から言われている訳であるが、そうした舌鋒の鋭さが紅藤に向けられる事も珍しくない。雪羽も初めは驚いたものであるが、紅藤と萩尾丸の関係はむしろ良好な物であるというから恐れ入る。紅藤は大妖怪のためかおおらかな性格であり、部下や弟子が自分に意見し逆らう様をいっそ楽しんでいる節があった。一方の萩尾丸は、言動はさておき紅藤に対して忠義と恩義の念を持ち合わせているらしかった。


「まぁ、くらい外部に委託せずとも自分たちで始業前にちょろっとやれば何とかなるという事だね」


 萩尾丸は源吾郎たちに視線を向けると、得意満面と言った様子で言い放った。青松丸やサカイ先輩は頷いているものの、雪羽は少し戸惑って源吾郎に視線を走らせ、勢い彼に目配せする形になった。

 掃除がどのような意味を持つのか。そこが雪羽の気になる所だったのだ。言葉通り掃き掃除や拭き掃除などの類ならばどうという事はない。それこそ工場棟の工員たちとて出来る話だ。

 もしかしたらここでの掃除とは外敵の排除という物騒な意味合いを孕んでいるのではないか――そのような考えがどうしても脳裏をかすめてしまったのだ。


「……特にサカイさんは掃除が上手だもんねぇ。昔は仕事終わりとかにふらっと出向いてボランティアがてらにやってたんじゃないの?」


 意味深な笑みと共に、萩尾丸はサカイ先輩に話を振っていた。やっぱり掃除って物騒な方の意味じゃないか。思わず雪羽は源吾郎と顔を見合わせていた。


「ま、まぁあの頃は私も若かったですし……それに萩尾丸さん。ここはお師匠様の縄張りですから、私たちが掃除しないといけないような、わ、悪いモノは来ないと思いますが……」


 それもまぁ違いないか。至極まっとうなサカイ先輩の指摘と萩尾丸のとぼけたような返事に、周囲の場が一瞬緩んだ。何処となく漫才的なやり取りになったので、一同は大なり小なり笑いをこぼしたのだ。無論それは年若い雪羽や源吾郎も例外ではない。

 さて唐突に沸き上がった笑いが治まると、萩尾丸は真面目な表情で雪羽を見やった。


「そう言えば雷園寺君。今週末は三國君の許に戻らないって言ってるらしいね?」

「萩尾丸さん! どさくさに紛れて俺の考えを術で読み取ったんですね!」


 唐突な発言、質問というには断定的すぎるその言葉を前に雪羽は面食らってしまった。無論萩尾丸の言葉は事実である。午前中の中休みに、雪羽の身を案じた三國から電話があったのだ。「八頭怪に出くわして怖い思いをしただろう。だから今日にでも家に戻ってくれば良い。萩尾丸さんへの掛け合いは俺がする」そのように三國は言ってくれたのだ。だが雪羽はこの申し出を敢えて突っぱねた。

 面食らう雪羽とは裏腹に、萩尾丸は落ち着いた調子だった。


「ははは、君みたいなお子様の考えを読み取るためだけに術なんて使わないさ。実を言えば昼休みに三國君から連絡があったんだ。ねぇ雷園寺君。三國君は大層心配していたんだよ。八頭怪に襲撃されて心細いだろうに、は戻らなくても平気だと言い張っているってね。場合によっては僕が君にそう言わせていると思われてもおかしくないんだけどなぁ」


 見慣れた笑みを浮かべながら萩尾丸はつらつらと言葉を紡いだ。僕は叔父貴の息子じゃなくて甥ですよ……そのようなツッコミが反射的に浮き上がって来たが、雪羽は口には出さなかった。三國にとって息子同然の存在である事、息子と同等の手続きを経た養子である事を踏まえての発言であろう事は解っていたからだ。それにその事は今回掘り下げる内容とは違う。

 雪羽が単に強がっているだけなのか否か。萩尾丸は単純にそれが知りたいだけなのだ。とはいえ知った上で最終判断を下すのは萩尾丸であるのだが。


「八頭怪に襲撃されたからこそ、萩尾丸さんの許に留まろうと僕は思ったのです」


 雪羽は呼吸を整えてからゆっくりとおのれの意見を述べた。若狐である源吾郎は言うに及ばず、紅藤や萩尾丸たちと言った年長の妖怪たちも軽い驚きを見せていた。


「あの時八頭怪は明らかに僕を狙っていました。あいつがすぐにまた僕を狙うのかどうかは解りません。ですが、週末になったからと言って安直に叔父の許に戻って、叔父たちを危険にさらしたくないんです。もうすぐ叔父にはが出来るんですから」


 本当の子供。その言葉を雪羽は半ば無意識のうちに強調していた。萩尾丸が感心したように息を吐くのが聞こえる。雪羽は彼を見据えながら言葉を続けた。


「萩尾丸さんはとても強い妖怪ですから、むしろ萩尾丸さんに僕が護られていると思った方が、むしろ叔父貴も安心すると思うんです。だから今週末は……いえ時雨が無事に雷園寺家に帰った事が確認できるまでは萩尾丸さんの許に留まろうと思っているんです」


 雪羽はそこまで言い終えると、静かに萩尾丸の顔を仰ぎ見た。萩尾丸は思案する素振りをわずかに見せ、微笑みながら頷いた。


「そうか。君の事だからまた強がっているのかなと思ったけれど、きちんと考えた上での話なんだね。雷園寺君。君の考えは僕の方から三國君に伝えておくからね」

 

 週末は三國の許に戻らず萩尾丸の家に滞在する。この申し出はあっさりと了承された。手ごたえがないどころか拍子抜けしてしまった位だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る