天狗は妖狐に助言を託す
救出部隊として働いていた源吾郎たちが解放されたのは日付が変わったあたりの事だった。
仕事が終わったという事を各班の班長から言い渡され、そこで解散するという形である。構成員たち――多くは妖怪だったが、中にはそれこそ人間の術者もいた――の足取りはそれぞれだった。自家用車で来ている者もあれば、手近な宿舎に向かう者もいたのだ。
もちろん源吾郎も終わった後はどうかするという算段は決めていたのだが……そんな事はすっぽりと頭から抜け落ちてしまっていた。従って、散り散りに行動する妖怪たちの中で、呆然と立ち尽くす事となった訳である。
「お疲れ様、島崎君も大変だったでしょ?」
そんな風に立ち尽くしていた源吾郎に声をかけたのは米田さんだった。生誕祭の場でウェイトレスとして雇われ立ち働いていた彼女は、今回の救出部隊の構成員――それも源吾郎と同じく後衛部隊・第二班である――として当然のように組み込まれていた。
雉鶏精一派の正式なメンバーではない彼女が何故救出部隊の構成員になっているのか。その理由は定かではない。しかし萩尾丸は外部からも優秀な
それに――彼女の兵士としての、戦士としての勇敢さ有能さは疑いようのない物であった。米田さんは機敏に忠実に残党狩りをこなしていった妖怪の一人だったのだ。
「あ……ええと、お、お気遣いありがとうございます」
頬が無駄に火照るのを感じながら、源吾郎はたどたどしい口調で礼を述べるのがやっとだった。そうしたおのれ自身の態度に多少の憤りを感じはしたのだが。
米田さんはしかし、そうした源吾郎の態度を指摘する事はなく穏やかに微笑むだけだった。
「米田さん。僕は大丈夫ですよ。殆どゴミ拾いみたいな事しか出来ていないんですからね。文字通りの意味ですけど。それよりも救出部隊の先輩たちとか、それこそ雷園寺のやつが一番大変な思いをしたはずです」
雷園寺。雪羽の名字を口にした源吾郎は、その面に渋い表情を浮かべていた。元々は結界が破られた後に、反抗する妖怪たちを取り押さえる仕事を源吾郎たち後衛部隊は担っていた。そう言う手はずだったのだ。
しかし実際には、結界が破られ現場に突入した段階でほとんどの面子は戦闘不能になっていた。そうでなくとも戦意喪失状態に陥っていたのだ。それらが雪羽の仕業である事は明白だった。結界が破られるまで、内部で暴れられる妖怪と言えば雪羽しかいない。それに所々に残る雷撃の後は、雷獣が暴れまわった事の何よりの証拠だったのだから。
とはいえその雪羽も無傷という訳では無かった。意識を失う程の重傷を負い、そのまま保護者たる三國の手で病院に運ばれた事は源吾郎も知っていた。重傷を負った雪羽そのものは見ていない。しかし現場に残された血痕や散らばった毛の束たちが、彼の受けた惨状を物語っていた。
源吾郎は知らず知らずのうちに歯を食いしばっていた。ほのかに血の味がしたのは気のせいでは無かろう。
「雷園寺君、ご弟妹と彼らの付き
「あいつならそうするだろうと思っていました」
米田さんの言葉に源吾郎は即答していた。貴族妖怪の子息として、おのれの家柄に対する雪羽の想いが生半可ではない事を源吾郎は知っている。だが、雪羽の持つ兄としての弟妹への情がそれを易々と上回る事もまた事実だった。
源吾郎には弟妹はおらず、現時点では甥姪もいない。しかし兄が弟妹を護ろうとする気持ちの強さは嫌という程知っていた。源吾郎は末っ子だが、彼には兄がいるからだ。
米田さんは軽く目を伏せ、それから呟いた。考え込むような表情を見せながら。
「あの生誕祭の場では、血の気の多いヤンチャな坊やだと思っていたけれど……あの子も見ないうちに成長したのね」
「そう……ですね……」
源吾郎はそこまで言うと俯いた。口内の血の味が強まっていく。その事は気にせずに、ただただ雪羽について色々と思いを馳せていた。戦闘訓練の場で、雪羽は自分に対して明らかに手加減していたのだ。そんな考えが唐突に脳裏をよぎった。
※
「もう遅いし、部屋まで送っていくよ」
源吾郎に対してそう言ったのは、兄弟子である萩尾丸だった。普段通りにこやかな笑みを見せてはいるが、その裏で苦虫を噛み潰したような心境になっているであろう事を源吾郎は察していた。
「ありがとうございます。ですが僕は電車で帰りますんで」
電車で帰る。源吾郎の言葉を聞くや萩尾丸はうっそりと笑った。
「電車だって。島崎君、とうに終電も行ってしまった後だよ。というか君については初めから僕が車で送るって言う話だったんだけどなぁ……」
まぁ良いや。自ら話を切り上げ、萩尾丸は今一度源吾郎を見た。
「僕の事は気にしなくて良いよ。元より紅藤様に相談したい事も出来たしね。青松丸君も結局参加してくれたから、その事のお礼も言わないといけないし」
「…………」
この後打ち合わせをやるのか。若干の驚きを感じつつも、源吾郎は特に何も言わなかった。大妖怪とはとんでもないモノなのだと思うのが、疲れ切った彼に出来る事だった。
何せ萩尾丸は、ここ数日救出作戦の指揮官として働き詰めだったのだから。
ともあれ源吾郎は萩尾丸の車に乗る事にした。これからまだ仕事をこなすらしい萩尾丸のためにも。
「初めての実戦はどうだった?」
萩尾丸がそんな問いを投げかけてきたのは、二人で車に乗り込んだ直後の事だった。何となく後部座席に腰を下ろした源吾郎は、運転席の方に視線を向けた。質問の意図は気になった。しかし結局の所何を言っても同じなのかもしれない。そう思い直していた。
「どうって言われても……一言では言い表せませんよ」
源吾郎の口から出てきたのはぼんやりとした言葉だった。本来ならばやりがいがあるだとか勉強になっただとか、そう言った優等生的な言葉の方が良いのかもしれない。しかし源吾郎は初陣で疲れ切っていたし、何より感じた事を今ここで上手く言葉にまとめられそうになかった。
「ふふふ、一言で言い表すのは難しいよね。君にはああいうのは初めての事だからね」
萩尾丸は頓着せずに笑っているようだった。それどころか源吾郎の心中を見抜いているかのような物言いですらあった。
「情けないとかふがいないとか自分を卑下しなくて良いからね。島崎君、他の
「それは米田さんもでしょうか?」
「僕は彼女の事は詳しく知らないけれど、きっとそうだろうね」
ここで何故米田さんの名前を出したのだろう。源吾郎はぼんやりと思った。それはやはり、同じ妖狐として彼女に憧れているからだった。いや……憧れとは別の感情もまた、彼女に対して抱いている訳であるが。
「雷園寺のやつ、弟さんたちを助けようとして頑張ったみたいですね」
源吾郎はここで話題を替え、それから時雨一行が保護された時の事を思い出した。引率者だった狸娘の松子は、時雨たち兄妹を抱えて廃工場の一角に身を潜めていたのだ。隠れた先は既に雷獣が暴れまわったためにスクラップと瓦礫にまみれていた。しかし、彼女は防具――それも雪羽の物だ――に護られていたので無事だった。
救出部隊に保護された松子は、人目をはばからずにさめざめと泣いていたという。裸同然の姿だったとも伝わっている。いずれにせよ、彼女も被害者であり、囚われた先で言葉に出来ないような思いをした事は想像に難くない。
悲しいかな、源吾郎は詳しい所まで知っている訳ではない。しかし類推は出来た。松子が雪羽の防具で身を護っていた事、幼い雷獣の兄妹がほぼ無傷で保護された事。他ならぬ雪羽が彼らを護り抜いた。そのような結論を下していたのだ。
「本当にすごい事ですよ……雷園寺のやつ、本当は僕よりもうんと強い妖怪なんだって思い知りました。犯行グループの連中も、ほとんど独りでやっつけてましたし」
「全ては雷園寺君が自分で考えてやった事なんだ。だけど……だからこそ危うい所があの子にはあるんだ」
萩尾丸の言葉に源吾郎は怪訝そうに眉を吊り上げた。皮肉っぽい気配はなく、むしろ物憂げなニュアンスを伴っていたのだから。
「もちろん雷園寺君も今日はよく頑張ったと思っているよ。仕込まれた呪詛を打ち祓い、死に瀕していた時雨君の生命を救ったのは、他ならないあの子なんだから」
「何ですって!」
思いがけぬ話に源吾郎は思わず声を上げていた。特に外傷はなく無事、時雨は意識を失っているものの生命に別状はない。源吾郎は雷獣の兄妹の状況についてそのように聞いていた。だがまさか、そんな事情が隠れていたとは。
「時雨君の身に何があったのか、我らの雷園寺君がどのように弟を救ったのかについてはまた明日にでも教えるよ。今伝えても、島崎君も頭に残らないだろうしね。
それよりも雷園寺君の危うさについて伝えておくよ。島崎君、君らが現場に踏み込んだ時には、犯行グループの面々は戦意喪失していただろう?」
「はい。雷園寺君は、闘って連中をのしてましたからね」
それが彼の危うい所なんだ。萩尾丸は幼子に言って聞かせるような調子で源吾郎に伝えた。
「あの時の雷園寺君を勇敢だと称する人もいるだろうね。だけど僕にはそう思えないんだ。あの時の雷園寺君は……単に頭に血が上って、我を忘れて暴れていただけに過ぎないんだ」
「そんな……」
容赦のない萩尾丸の言葉に、源吾郎は声を漏らした。
「もちろん彼が囮になってくれたお蔭で、時雨君たちは追撃されなかったのかもしれない。だけどあまりにも無謀過ぎたんだ。自分が殺されるかもしれないというリスクすら、あの時の雷園寺君の頭には無かったんじゃないかな。いくら弟を助けても、自分が死んでしまったら元も子も無いのにね」
萩尾丸の言葉は容赦がなかったが、十分にあり得る話だと源吾郎も思っていた。蠱毒の調査をしていた折に、犬神であれば犠牲が一匹で済むと雪羽は知り、狂喜していたのを源吾郎は目の当たりにしていたのだから。あの時だって、彼は弟妹が助かるなら俺は生命をなげうっても構わない。暗にそう言っていたではないか。
「雷園寺君は確かに強い。何せ雷園寺家の子息で、若くして大妖怪になった三國君の甥でもあるんだからね。しかも僕が引き取るまでの三十年間、三國君の許で戦闘の手ほどきも受けていたんだから。だけど――
そうした性質のために、強い雷獣ほど天寿を全うできずに短命である事が多い。萩尾丸の言葉に源吾郎は身震いしていた。雪羽がふとした拍子にいなくなってしまうのではないか。そんな妄想が浮かんでしまったからだ。
島崎君。気付けば萩尾丸は静かな調子で呼びかけていた。
「雷園寺君はそんな感じの子だから、別に君はあの子と比較して落ち込まなくて良いんだよ。君の目に映るあの子の勇猛さは、死と隣り合わせの危うさに過ぎないんだから」
だけど。そこで萩尾丸が微笑んだのだと源吾郎は思った。
「ともあれ君ら二人が仲良くなったのは良い事だと僕は素直に思ってるよ。君にしろ雷園寺君にしろ、本当の意味で釣り合う相手と巡り合うのは難しい事だから……強いだけの妖怪ならごまんといる。未熟な妖怪だって、若い妖たちは大体そんなものさ。だけど、精神が未熟でそれでいて強い妖怪なんて……」
言葉尻を濁す萩尾丸を前に、源吾郎はおのれの強さを思った。
源吾郎も雪羽も、既に中級妖怪レベルの強さの持ち主である。妖狐であれ雷獣であれ、普通の妖怪であれば中級妖怪に至るまでに数百年の歳月がかかる。若干才能がある個体であってもゆうに百年は要するだろう。そこに至るまでに経験を積み、心身ともに成熟している事は言うまでもない。
しかし、若く幼いながらも強大な力を持つ源吾郎たちには、そうした物は無いのだ。
「似通った所がありつつも、気質とか境遇は真逆だもんね。でもだからこそ、互いに支え合うような関係が出来たんじゃないかな。気が合うだろうとは思っていたけれど、思っていた以上に打ち解けるのが早くて驚いたよ……
ともあれ今後も雷園寺君の事をよろしく頼むよ。あの子も今は君に大分心を開いているみたいだし、だからあの子が危うい方向へ進もうとするストッパーに君がなれるかもしれないんだ。島崎君は割合用心深い所もあるしね」
唐突な萩尾丸のこの言葉に、源吾郎は不明瞭な声で応じるのがやっとだった。萩尾丸はきっと、疲れ切った源吾郎が寝ぼけてそんな声を出したのかもしれないと思っている事だろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます