侵入者には要チュウ意

 夏の盆休みも連休としてそこそこあったはずなのだが、体感的にあっという間に過ぎてしまった。

 無論学生だった頃の夏休みの日数と較べればうんと短い物であるのは事実だ。だがそれでも、春の連休と比較しても遜色ない日数である事もまた事実だ。

 あっという間に過ぎたように感じたのは、特段やる事も無く、また平和に休みの日々が過ぎていったからに他ならない。

 もちろん盆休みだからと言って怠惰に過ごしたわけではない。宣告通り実家には戻らなかったが地元の自警団での活動にも参加したし、町の夏祭りにも顔を出した。もちろん、使い魔であるホップの面倒も毎日見ていた。

 それ以外は図書館に赴いたり筋トレをしたりナンパのイメトレをしたりと、まったりしつつもそれなりに充実したひとときを送っていたのだ。



 出勤日。源吾郎はいつもより早く目が覚めた。夏場は冬場よりも早く目が覚める事が多いのだが、今回目を覚ました要因は暑さではなかった。

 ホップの啼き声と羽音である。ホップがしきりに啼き、また羽ばたく音も断続的に聞こえていた。確かに十姉妹のホップが、朝になれば啼くのはいつもの事である。しかしいつもの啼き声よりも明らかに切羽詰まっていた。何より未だに羽ばたいているのだ。

 源吾郎は布団から這い出すと、すぐさま鳥籠に向かった。視界はぼやけているが、鳥籠の中でホップが羽ばたいて浮遊しているのが見える。鳥籠の上に何かがあるらしい。だが今の状態では見定めるのが難しい。源吾郎はひとまず眼鏡をかけ、様子を窺う事にした。


「なっ! これは……!」


 鳥籠の上に乗っている者、そしてホップの動きを見た源吾郎は思わず声を上げた。事もあろうに、一匹のネズミが鳥籠のてっぺんに鎮座していたのだ。大きさは鶏卵と同じくらいであるから、きっとハツカネズミの類だろう。但し毛皮の色は灰がかった褐色であり、野生のネズミっぽさを醸し出していた。

 そのネズミが、ホップの騒ぐ原因である事は明白だった。視線をスライドさせ、用心深くホップを見た。ネズミ食料をかじるとか病気をもたらすとか色々な害がある。しかし小鳥に対しては、肉をかじったり血を飲んだり喰い殺したりするという恐ろしい事案もあるにはある。その事を源吾郎は知っていたから、不安になってホップを見ていたのだ。


「ポイ、プイ、プッ」


 勢いよく啼くホップは、見たところ目立った外傷はない。血の臭いもないし彼自身もキレのある動きを披露しているから、健康そのものであろう。

 それにしても、何故ホップはここまでキレのある動きを見せているのか。その謎もすぐに明らかになった。ネズミは鳥籠の枠を握りしめてそこに留まっているのだが、尻尾だけは檻の中に垂らしていたのだ。ホップはこれを獲物だと思ったのか、興奮して突こうと飛び上がっているらしい。源吾郎はホップがかつて蜥蜴を喰い殺しているのを思い出した。このネズミの尻尾もまた、狩猟本能を掻き立てているのだろうか。

 しかもネズミもただ者ではないらしい。尻尾はただ垂らしているだけではなく、ホップが飛び上がる度にわずかに揺らし、最小限の動きで攻撃をかわしていた。

 中々捕まらないから、ホップも躍起になっていた。つまりはそう言う事である。


「一体全体どうしたものかねぇ……」


 状況を把握した源吾郎は少し冷静になっていた。そして冷静になったからこそ、今のこの状況をそのままにすべきではないと悟ったのだ。ひとまずネズミは捕獲するか追い出すかのどちらかだ。

 ネズミが研究センターの生物ではない事は明らかだった。紅藤の擁する研究センターでは、ネズミの類を扱っていないからだ。もちろん源吾郎が料理するために調達したおかずでもない。確かに源吾郎はマウスを調理して食べる事はあるが……それはそれ用に冷凍されたものを買い求めるからだ。いかな妖狐の血を引いていると言えども、生きたマウスを捌くほどの胆力は持ち合わせていない。

 それに源吾郎自身も、野生のネズミは病気があるから迂闊に触ってはならないと、親兄弟から注意されていた身であるし。

 少し考えてから、源吾郎は術で即席の器を用意した。ネズミは用心深い生物である。捕まえるための準備をしている間に逃亡されたら元も子もない、と判断したのだ。術で作ったと言えども数分は水槽として機能してくれる。その間に本当の入れ物にネズミを移せばいいのだ。

 後はまぁ、大人しくネズミが捕まってくれるかであるが。


 源吾郎は意を決してネズミに手を伸ばした。後ろ首から背中の皮を摘まむという持ち方である。ネズミはあっさりと捕まった。源吾郎はホッとする一方で何か腑に落ちないような気分でもあった。源吾郎が手を伸ばしている事はネズミも解っていたはずだ。しかし彼はそれを見ても逃げようとしなかった。摘まみ上げられた時も、さほど抵抗せず鳥籠にしがみつく事すらなかったのだ。

 あのホップを挑発する尻尾さばきからして、元気が無くて衰弱している訳では無かろう。源吾郎はひとまず器にネズミを入れた。とりあえず紅藤たちに見せて、その後のネズミの処遇を決める事にしたのだ。この部屋は今源吾郎が寝起きしているが、元は紅藤の所有する敷地である。しかもこのネズミは何かが違う。であれば師範に報告するのが妥当であろう。



 本物の水槽にネズミを入れて出社した源吾郎は、思いがけない相手に出くわした。白い衣装に身を包んだ雷園寺雪羽である。彼が雪羽だと解ったのは、頭を覆うフードを被っていなかったからだ。

 雪羽は所在なさそうな表情を浮かべていたが、源吾郎とネズミを見るとニヤリと笑った。


「早いじゃないですか島崎先輩。それにしても、そのネズミはどうしたんです? もしかして新鮮なランチとか」

「そんなアホな」


 雪羽の軽口に対して、源吾郎は呆れつつ返答する。


「朝起きたらそのネズミが部屋にいたんですよ。それで……捕まえて紅藤様にお見せしようと思って」


 源吾郎はそう言ってネズミの入っている水槽を持ち上げた。水槽に入ったネズミは、妖狐や雷獣に凝視されているにもかかわらずリラックスしていた。厳密に言えば源吾郎が水槽に入れておいた小鳥の餌を両手でつまんで食べていた。よく見れば細長くて黒いウンコも一、二個転がっている。恐ろしいほどの胆力だ。

 雪羽はしばらく無言でその光景を眺めていた。いつの間にか彼もまた真剣な表情に戻っている。


「そうか、確かにネズミがいるって妙だもんな。俺も紅藤様や萩尾丸さんに報告したほうが良いよな?」

「報告って、どういう……?」


 源吾郎が首をひねっていると、雪羽が手招きしてこちらに来るようにと促してきた。彼が指し示す先には、十リットルほど入る大きさのバケツがある。連休前の大掃除の時に、水を溜めたりしたあのバケツだ。

 バケツを覗き込んだ源吾郎は驚いてあっと声を上げた。やはりネズミが数匹入っていたからだ。しかも大きさも毛並みも顔つきまでも、源吾郎が捕らえたネズミにそっくりである。


「実は俺もネズミを見つけたんだ。床の隅を歩いている奴もいれば、机の上に隠れている奴もいたんだ。俺だって、ネズミを使ってるなんて聞いてなかったから一応捕まえておいたんだよな。まぁ、こういう小動物を捕まえるのって面白いし」


 最後の一文を言い添えて笑う雪羽の顔は、まさしく獣妖怪のそれだった。


「しかしあっさり捕まったんじゃないのかい」


 源吾郎の問いに、雪羽は素直に頷いた。


「そうなんだよ。隠れていると思ったんだが見つかったらじっとして動かなくなるしな。捕まえる時も抵抗しなかったんだ。バケツに入っている時も、先輩の捕まえたネズミと同じように暴れないし」


 今一度源吾郎たちはバケツの中を覗き込んだ。ネズミらは囚われの身であるはずなのに随分とリラックスしている。仲間同士で毛づくろいをしたり、雪羽が投げ入れたであろう食パンの耳をかじったりしている。


「やっぱり紅藤様たちに報告したほうが良さそうだと思うよ……というか、萩尾丸先輩は?」


 源吾郎は雪羽を見、周囲を確認してから尋ねた。始業時間よりも幾分早い時間だが、今ここに自分たちしかいない事に気付いたのだ。紅藤や青松丸が居合わせないのはまだ解る。寝坊しているとか自分の部屋で支度しているという事が考えられるからだ。

 しかし雪羽がいるのに萩尾丸がいないというのはおかしい。雪羽は今萩尾丸の管轄下にいる。叔父から引き離されて萩尾丸の許で暮らしている状況なのだ。出社の折は萩尾丸が雪羽を連れてくる形になるから、雪羽がいるという事は萩尾丸もいるという事になる筈だ。

 だからこそ、今の状況が変だと思ったのである。

 そう思っていると、雪羽は首を揺らしながら問いに答えた。


「それがだな、萩尾丸さんは用事があって少し遅れるって事で俺だけここに飛ばされたんだ。飛ばされたって言うか、移動させられたって感じだな。何せ普段通り部屋の扉を開けたら、何かぐにゃっとした感触があって、気付いたらここにいたんだよ」

「それは多分、萩尾丸先輩の術だよ。あの人は俺たちを遠くに移動させる事が出来るんだ。天狗だしさ」

「……」


 移動術によって雪羽はこの研究室に移された。そんな結論が浮かんだものの二人とも黙り込んでしまった。ネズミたちがいるといういつもとは違う状況なのに、相談すべき年長者がいない。若者らしく、或いは子供らしくその状況に幾許かの不安を感じた。しかし自分らに出来る事はネズミを監視しつつ上司たちが来るのを待つだけだろう。

 そんな源吾郎たちとの思いをよそに、ネズミらの気楽そうな啼き声がバケツの中で響いている。

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