若妖怪 外道の術を考察す
そうこうしているうちに土曜日を迎えた。決行日はいよいよ明日である。
自室で眠っていた雪羽は、普段よりも早い時間に目を覚ました。萩尾丸の許で暮らすようになってから早起きが習慣化してきたきらいもあるが、ここ最近は事情が違う。おちおち寝ていられないのだ。体力を温存するためにじっくり休めと大人たちからは言われているし、きちんと寝ろとも言われている。とはいえ特に支障はない。夜通し遊び呆けていた時とは異なり気だるさはないし、ここ数日は妖気がおのれの身体に満ち満ちているのを感じている。パフォーマンス的には問題ない。雪羽は自身をそう判断していた。
布団に戻る気にもなれず、雪羽はそっとベッドから抜け出した。向かう先は本棚である。萩尾丸から借りた呪術や妖術の類の本――もっとも本格的な内容ではなく、人間向けの書店でも手に入るような代物だが――をひっつかみ、ページをめくって目を通した。
救出作戦に向けて動く傍らで、蠱毒についてあれこれ調べていたのだ。雪羽の母親は蠱毒で殺されていたのだが、雪羽はしかし蠱毒の事をほとんど知らなかった。知らなかったというよりも知ろうとしなかっただけなのだが。
今ここで蠱毒について調べたとしても、付け焼刃の知識にしかならないだろう。
それでも雪羽は蠱毒についてのあれこれを、多少は知る事が出来た。特に彼が興味を抱いたのは犬神や猫鬼についてだった。前に萩尾丸が言ったとおり、蠱毒の殆どは複数の小動物を喰い合わせて錬成するという。しかし犬神や猫鬼の場合は犬や猫を一匹用いるだけでも作る事が出来るそうだ。飢えと怨嗟とを抱かせたうえで首を刎ねる。死ぬ寸前の執着によって憐れな動物は恐ろしい蠱毒に変貌するという寸法だ。
――何だ。蠱毒というのは素材が一匹だけでも作れるんじゃないか
雪羽は密かにそう思った。奇妙な笑いさえこみ上げてくる始末だ。
犬神は日本産の呪詛という事もあり、記述は多岐に渡った。人工的な錬成方法のほかに、いかにして犬神が誕生したのか。そう言った事もその本には記されていた。
雪羽はだからその記述を見つけてしまった――犬神のルーツは、平安時代に射殺された鵺の遺骸の一部であるという記述を。
鵺から犬神が生まれる。この記述は雪羽にとって天啓だった。もちろん雪羽は鵺ではない。しかし鵺とは全く無関係な存在ではなかった。雷獣は鵺の近縁種であり、それこそ雷獣の先祖は鵺であるとされているのだから。現に三國は鵺である月華を妻にしているし、雪羽の実弟である穂村などは雷獣でありながら鵺そのものの姿を見せているではないか。
断片的に与えられた情報が一つに繋がっていく。雪羽はそんな感覚を抱いてしまった。
※
源吾郎がやって来たのは九時前の事だった。元々萩尾丸は自分の部下たちを集めて十時から救出作戦の打ち合わせを行おうとしていたので、源吾郎はそれよりも早く来たことになる。そもそも源吾郎は件の打ち合わせのメンバーに指名されていなかったのだが。休日だし無理に来なくても良いよ。萩尾丸は単にそう言っただけだったのだ。
「先輩……」
「おや島崎君じゃないか。おはよう。よく来たね」
来訪した源吾郎の姿に雪羽は気圧されていた。妖狐ながらも鬼気迫る気配を漂わせていたのだ。雪羽や萩尾丸を前にしているから威圧的な表情や素振りは見せていない。むしろほんのりと笑みを浮かべているくらいだ。それでも全身からは、平素とは異なる雰囲気が放たれていたのだ。それこそ獣じみた雰囲気さえ今の源吾郎は持ち合わせていた。
「島崎君。君は後方部隊で初陣だから別に打ち合わせに参加しなくても良かったんだけど……今日はどうしたのかな?」
呆然とする雪羽を半ば押しのけ、萩尾丸は半歩前に進んでいた。雪羽とは対照的に、源吾郎の姿を見ても特段うろたえたり驚いたりする素振りは萩尾丸には無かった。
「確かに僕は後方部隊になるんでしょうね。ですがその……雷園寺君がきちんと演技できるかどうか、そこが気になったんです。きっと今日も、最後の練習でもする所でしょうから」
そこまで言った源吾郎の眼球、黒目があからさまに動いた。上目遣い気味に萩尾丸を見つめているのだが、その顔には僅かに笑みが浮かんでいる。若干皮肉っぽい笑みではあるが。
「それに萩尾丸先輩の事です。もし僕に来て欲しくなかったのならば、屋敷自体に術をかけて僕がたどり着けないようになさる事も出来たのではないですか?」
源吾郎の笑みと言葉は随分と挑戦的な物だった。あの日、あの救出作戦の打ち合わせ以降、源吾郎の萩尾丸への態度は前とはがらりと変貌してしまったのだ。表向きはしおらしく従順に振舞ってはいるが、時折こうして皮肉や憎まれ口が顔を覗かせるのだ。萩尾丸の言動に納得していないと言わんばかりに。紅藤や他の先輩たちがその事を指摘しないから尚更だ。
萩尾丸はしばらく無言で源吾郎を見下ろしていたが、その面には笑みが浮かんでいた。
構わないよ、お入り。萩尾丸は何のこだわりもなく源吾郎を迎え入れてくれた。
「ふふふ、君が来るであろう事は僕もうっすら解っていたからね。だからこそ無理に来なくて良いと言ったんだ。君の事だ、初めから土曜日も最終調整に入るために動くつもりだったんだろうからさ」
源吾郎ははっとしたような表情で目を見開き、それから小さく頷いた。
「僕たちの方は大丈夫だよ。最終準備の妖員が一人増えた所でとやかく言う手合いはいないからね。お昼も用意するし、適当な時間になったら送迎してあげよう」
「お気遣いありがとうございます。ですがお昼はお弁当を用意しましたので」
「それでも足りなかったら言うと良いよ」
そこまで言うと萩尾丸は踵を返し、源吾郎に入るように促した。
ここで雪羽は源吾郎と目が合った。萩尾丸が喋っていたせいでまだロクに言葉は交わしていない。目線を合わせた源吾郎は、雪羽に向かって笑みを見せていた。
「日頃は張り合って競い合っていても、いざという時に気を許せる兄弟分がいるというのは良い事だよ」
萩尾丸の声が聞こえたのは、雪羽が源吾郎に笑い返した丁度その時だった。普段とは異なり、呟くようなささやかな声音だった。
「雷園寺君も島崎君も、早い段階でそう言う相手が見つかったみたいで何よりだよ。いっそ羨ましくもあるよ。僕にはそう言う相手はいなかったから」
萩尾丸の声には一抹の寂しさと過去への郷愁がふんだんに籠っていた。
※
九時半から十三時を少し回った間まで、救出作戦の最終調整が萩尾丸の指揮のもと行われていた。源吾郎の懸念通り演技の練習も行われたのだが、意外にもその練習は一回だけだった。もう大体動きも覚悟も定まっているから練習はこれで最後にするのが良いだろう。そう言ったのはやはり萩尾丸だったのだ。むしろこれ以上練習すれば、却って雷園寺君の負担になりかねない。そんな事さえ言ってのけていた。
その代わり臨場感は今までとは比べ物にならなかった。萩尾丸の部下、それも金翅鳥に所属する化け狸の女性が、幻術を用いて当日の現場を再現してくれたからである。負担になるなんて……と思っていた雪羽だったが、それでも寸劇を終えた後はどっと疲れを感じてしまった。
その他には犯行グループのメンバー構成であるとか、外部との連携についての打ち合わせだった。雪羽や源吾郎もこれに参加していたのだが、話をぼんやりと聞く程度に留まってしまった。それでも青松丸が真琴と連携して情報を集めている事、犯行グループには雪羽のオトモダチの他に何故か人間の術者も構成員として存在している事などは耳にして、頭の中でその意味が咀嚼できた。
「蠱毒を錬成する日取りについては、まぁ中途半端に意識しているって感じであるように僕には思えるなぁ」
話の途中で萩尾丸はそんな事を言った。
「十月は五行の水に当たり、指定時間の二十二時も水に当たる。雷獣の特性を伸ばしつつ蠱毒に据える……そんな事を考えていそうだね」
そんな事を言う萩尾丸の面に、興味深そうな笑みが広がる。五行属性の関係性の中に、水生木がある。水により木が長じ栄えるという事だ。雷に縁のある雷獣は、五行属性としては木に当たる存在なのだ。
「とはいえ、こじつけめいたところはあるかもしれないけどね。向こうも聞きかじりの連中ばかりだろうし、そもそも蠱毒を作るのに良い日なんて無いんだからさ」
「萩尾丸先輩」
良い日。その言葉に反応した源吾郎がふいに声を上げた。
「明日は友引らしいんですよ。友引ってその……良い事がある時には良いんでしょうけれど、縁起が悪い事には良くない日ですよね、お葬式とか」
「確かに最近は良くも悪くも友が引くって意味はあるねぇ。だけど友引の本来の意味とはちょっとかけ離れているね。
――友引は元々勝負の決着がつかないとか、そう言う意味が含まれているんだ。まぁ、その辺りは向こうもさほど気にしてはいないだろうけどね」
勝負の決着がつかない。それはつまり相討ちという事になるのだろうか。萩尾丸はそこまで気にしなくて良いと言い放ってはいる。しかし雪羽には何がしかの意味があるように思えてならなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます