平静戻らず妖狐は激する

――この外道が。静かな怒りを発露した源吾郎の様子を、雪羽は密かに窺っていた。隣に控えているから様子を見やすいという事もあるにはある。しかし源吾郎の横顔に何がしかの異様さを感じ取ったのも事実だ。

 雪羽と時雨。異母兄弟であり親族でもある二人を――雪羽の母親と時雨の母親もまた血縁関係のあるのだ――蠱毒の素体と見做しその上で一方を殺させる。何をどう考えても鬼畜の所業である事には変わりない。ましてや雪羽は実母を蠱毒によって殺されているのだから。

 従って、犯行グループの意図に源吾郎が義憤を燃やすのは何らおかしな話ではない。実際雪羽とて腸の煮えくり返りそうな思いを抱えているのだから。

 異様なのは、源吾郎の眼差しだった。義憤といくばくかの嫌悪の混ざった彼の眼差しは、のだ。

 或いはそれは雪羽の目の錯覚だったのかもしれない。萩尾丸に呼びかけられた源吾郎は、普段の表情に戻っていたのだから。


「犯行グループの大まかな動機も判った所だし、君らの役割分担について話そうか。島崎君。もちろん君は当日僕の後方部隊に混じってもらう事になっている。だけど決行の日が訪れるまでに、一つ台本を書いて欲しいんだ」

「台本……ですか?」


 萩尾丸の言葉に源吾郎は目を丸くした。あからさまに驚いており、いっそ少年らしい表情だった。

 源吾郎の表情の揺らぎなど意に介さず、萩尾丸は続ける。


「当日、雷園寺君には誘いに乗った体で現場に乗り込んでもらうんだ。もちろんすぐに僕らも動き出すけれど、その間のつなぎ……時間稼ぎが必要だからね。状況が状況だ。いかな雷園寺君とてアドリブで演技をするのは難しかろう」

「……アドリブは役者であっても難しいと思いますが」


 島崎君。萩尾丸はあくまでも冷静な眼差しを向けている。鼻を鳴らして応じた源吾郎は何処となく斜に構えた気配を見せているが、その事すら萩尾丸にはどうでも良いらしい。


「君は演劇部の中では優秀な役者だったんだよね。だけど君の事だから、台本の一、二本くらいは書けるでしょ? 何、難しい話ではないよ。演じる時間はせいぜい十分程度だし、リテイクとかチェックは僕や青松丸君がやるからさ。とりあえずト書きでも台本形式でも良いから後で書いてくれないかな」


 解りました。源吾郎はそう言ってからちらと雪羽に視線を向けた。雪羽が役者としてどこまで動けるのか。そうした事を値踏みしているような眼差しである。

 それと島崎君。萩尾丸は源吾郎の様子をしばし見守ってから言い添えた。


「もし今回の救出作戦の件で仕事に身が入らないようだったら有給を使ってもらっても良いからね。君ももう入社して半年が経っているんだ。だから二日くらい有給を使ったとしてもばちは当たらないだろう。

 うん。今日も半日休暇って事でこの後帰っても構わないからね」

「……お気遣いのほどありがとうございます、萩尾丸先輩」


 有給。休んで良い。唐突な言葉に源吾郎は驚いていたらしい。彼は確かに思案するような表情を見せていた。しかしややあってから落ち着きを取り戻したようで、その面には狐らしい笑みが浮かんでいる。


「ですが僕は大丈夫です。どの道仕事をすると言っても、作戦を練ったり台本を考えたりするのが仕事になりそうですし。

 それに――休んだら休んだで部屋から出てはいけないとか、そうした行動制限が僕に課せられるんじゃあないですか?」

「あら島崎君。流石にそこまでやらないわよ。いくら部下とはいえ、そこまでやるのは職権乱用に当たりますし」


 源吾郎の返答はいささか生意気な物だった。だからこそ、紅藤が口を挟んだのかもしれない。ここまで源吾郎が皮肉っぽい言葉を放つのは、萩尾丸にとっても珍しい事に違いない。それでも彼は特に戸惑った素振りは見せなかった。のみならず、さも面白そうに笑っているくらいだ。


「ははは、成程ね島崎君。君なら多分そう言うと思っていたよ。良かったじゃないか雷園寺君。お友達の島崎君が今日も明日も出勤してくれるんだからさ」


 お友達の島崎君。萩尾丸は特に深い意味を持たせずにそんな事を言ったのだろう。だが雪羽の心中は複雑だった。救出作戦の折に源吾郎が参加するのは彼が九尾の末裔である為だ。そんな話をつい先程聞いたからなのかもしれない。雪羽としては源吾郎と気が合うから親しくしているだけに過ぎず、特に打算など無いというのに。

 気付けば源吾郎への話は既に終わっており、萩尾丸はサカイ先輩に声をかけていた。


「サカイさん。僕が君に対して心配する事は、思わずという事だけなんだ」

「は、はい……そこは気を付けますね」


 食べ過ぎに注意。萩尾丸の指摘にサカイ先輩はうつむきがちに応じた。なまじ見目の良い美女に化身しているのだから、何とも可愛らしい注意事項に見えなくもない。もっとも、すきま女たる彼女の食事とは、敵妖怪の精神や負の感情等なのだが。


「後々処刑される連中だとしてもだね、捕縛する前段階で廃人にしてしまうのは悪手だと思うんだ。特に首謀者や共犯者がそんな状態になったら動機とか協力者の有無とかを聞きだせなくなってしまうし。だからもし食べるのなら、つまみ食いレベルにしておくか、末端の有象無象に留めておくくらいにしてほしいかな」

「それこそサカイさんには現場に漂う邪念ですとか、蠱毒の錬成のための術式とかを食べて貰うのも良いかもしれないわ。末端の者たちも犯罪に加担している事には違いないけれど、それで廃人にされるのはちょっとやり過ぎだと思うわ」

「先走って動くとそれはそれで警戒されそうだし……まぁサカイさんは場慣れしてるからその辺の判断はサカイさんに任せようか」


 サカイ先輩の動きについての話し合いは、妙な和やかさを伴ったものだった。和やかであるからこその不気味さを孕んでいたのは言うまでもない。

 萩尾丸が最後に声をかけたのは青松丸だった。紅藤の息子であり、萩尾丸の弟分にもあたる青松丸であるが、実は彼は今回の救出作戦に直接参加する事はないそうだ。


「青松丸君。予定としては君には紅藤様と共にこの研究センターを護ってもらうつもりなんだ。僕らが出向いている間に変な輩がこちらを叩きに来ても良くないからね。だけど状況によっては君にも増援を頼むかもしれないから、それだけは念頭に置いていて欲しい」


 青松丸に向ける言葉は、源吾郎やサカイ先輩に向けた言葉よりも若干丁寧さが宿っていた。萩尾丸は首をわずかに動かして今度は紅藤に視線を向ける。


「……紅藤様。状況によってはご子息の青松丸君に協力していただく事も考えております。その事をご了承いただきたいのです」


 畏まった萩尾丸の言葉を受け、紅藤はふっと笑った。


「萩尾丸ったら緊急事態なのに畏まっちゃって……青松丸を救出作戦に使うのに、別に私の許可は要らないわよ。萩尾丸には私の弟子たちを使う権限が初めからあるのですから。それに青松丸だってあなたの頼みとあれば断ったりなんてしないわ」

「そうかもしれませんが、青松丸君にも立場という物がありますから……」


 若干歯切れの悪い口調で言いつつ、萩尾丸は青松丸を見やった。


「青松丸君は紅藤様の息子であり、胡琉安様の半兄ですからね。状況が状況ならば、八頭衆を飛び越えて頭目の側近中の側近になっていたお方でもあるんですよ。そりゃあまぁ僕ごときが勝手に扱っていい御仁じゃあないですよ」

「萩尾丸さん、何もそこまで言わなくても……」


 妙な力説をする萩尾丸を前に、青松丸は何とも居心地が悪そうな表情を見せていた。雪羽はもちろん青松丸の出自や正体を知っている。係長職と言えどもいち研究員という出自にそぐわぬ控えめな地位に青松丸が治まっている理由は、他ならぬ彼の態度が雄弁に物語っているように思えた。



 短い打ち合わせが終わると、唐突に戦闘訓練を行うと萩尾丸に言い渡された。


「二人とも気が張ってるみたいだし、気分転換になるんじゃないかな」


 萩尾丸はそんな事を言って笑っていた。とはいえ気分転換を欲している状態なのか、雪羽にはよく解らなかった。無論雪羽たちに選択権は無いからこれから戦闘訓練を行う事には変わりないのだが。

 源吾郎とタイマン勝負を繰り返した戦闘訓練だったが、今日のそれは何もかもがいつもと違っていた。まず外で行うのではなくて地下室が会場だった。かつては拷問部屋の機能を具え、今では術の鍛錬で使うあの部屋である。

 いや、会場が違う事などは些事であろう。普段と決定的に異なっていたのは雪羽たちの心境だった。断れないから頷いたものの、雪羽たちは乗り気ではなかった。源吾郎などはあからさまに当惑の色を見せてしまった位だから相当だ。源吾郎はそもそも負けず嫌いな性質であるし、おのれの戦闘能力を高めたり周囲に見せつけたりするのが大好きな青年なのだから。

 雪羽も露骨な態度は見せなかったが、正直な所乗り気ではなかった。時雨の生命は決行日まで確保されていると言われたものの気が気ではなかった。作戦や計画がある事は解っている。しかしここでくさくさしている場合ではない。そんな気持ちが募ってしまうのだ。

 だが雪羽は考えを変え、戦闘訓練に向き合う事にした。戦闘訓練での動きも、犯行グループと渡り合う時に役立つであろうと思ったためだ。相手になる源吾郎が強い事は雪羽も知っている。かつてのオトモダチとは違い、格段に歯ごたえのある相手なのだから。



 一応意気込んで行った戦闘訓練であるが、五分も経たぬうちにあっけなく終了した。地下室だから派手な術は使えなかったのだが……雪羽がこの度圧勝してしまったのだ。互いに派手な事はやっておらず、体術を行使した取っ組み合いに近いものあった。

 源吾郎ももちろん逃げたり防戦したり捕まったら抵抗したりしていた。しかし途中から雪羽の気迫に押されている感じだった。

 そこまでだ。監督者の一人である萩尾丸は、ゴロゴロと転がる雪羽たちを見下ろしながら静かに告げた。転がるのをやめて源吾郎と距離を取る。源吾郎は目が回ったらしくしばらくの間肩で息をしていた。呼吸が落ち着いてからも、その顔には悔しさの色は浮かばない。むしろ負けたにもかかわらず安堵の色さえ浮かんでいた。


「やっぱり二人とも冷静じゃあないね。雷園寺君は必要以上に殺気立ってたし、島崎君はもうそれどころじゃあないって感じかな。

――ともあれ、君らがどれくらい冷静なのか、或いは取り乱しているのかはっきりと解って良かったよ」


 冷静さを測るために戦闘訓練を行った。萩尾丸の発言に雪羽は驚いて目を丸くした。そうした意図があるとは夢にも思っていなかったのだ。

 しかし次の瞬間、ぼんやりとしていた源吾郎が顔を上げ、萩尾丸を睨みつけた。その眼差しその面には、露わにしていた憤怒と嫌悪の色が包み隠さずに浮き上がっていたのだ。


「取り乱しているかどうかなんて、俺たちの様子を見れば一目でわかる事だろうが!」


 事もあろうに源吾郎が吠えたのだ。純血の妖狐ならばこの段階で獣の様相を見せていてもおかしくない程の剣幕である。

 おやおや。萩尾丸は間延びしたような声を上げる。それこそがスイッチだった。


「萩尾丸さん! あんたは一体どういう気持ちでさっきの打ち合わせを行っていたんですか。雷園寺の兄弟同士で蠱毒を作るのが洒落の利いた意趣返しだなんて、何であんなに言ってたんですか! あんただって、雷園寺が蠱毒の件でトラウマを持っている事ぐらいご存じでしょうに」


 源吾郎の剣幕に対し、誰も何も言わなかった。雪羽は純粋に驚いていたのだ。萩尾丸や紅藤も驚いていたのかもしれない。

 耳朶まで赤くした源吾郎は一息つくと、それでも憤怒の眼差しを萩尾丸に向けつつ言い添えた。


「あんなくそったれな計画を立てる犯行グループとやらも外道でしょうけれど、萩尾丸さん、あんただって同じ穴の狢だと俺は思ってますよ。当事者の前であんな恐ろしい計画をさも楽しそうに話せるなんて――外道中の外道が」


 先程よりも若干落ち着いた、しかし侮蔑の籠った源吾郎の言葉に雪羽は尻尾を震わせた。彼は先程外道だと言い捨てていた。その外道というのが、まさか萩尾丸に向けた言葉だったとは。


「外道である事は認めよう島崎君。何せ僕は六道輪廻を外れ、天狗道に入った身なのだからね。ふふふ、おめでとう島崎君。君はいくらでも僕をと呼んでも構わないよ」


 そう言う萩尾丸の顔にはほのかな笑みが浮かんでいた。妙に儚げな笑みに、流石の源吾郎も呆気に取られているようだ。

 その次の瞬間には、萩尾丸の笑みは嘘のように消えていた。真面目な表情で源吾郎を見下ろしている。


「前に言っただろう。君らが歩む野望の道は血塗られているとね。外道中の外道にならずしてその道を歩けるとでも?」

「萩尾丸、いくら何でも言い過ぎだと思うわ……」

「すみません、僕も少し気が立っていたのかもしれません」


 見かねた紅藤が萩尾丸を嗜める。萩尾丸の言動の意図は今の雪羽にはよく解らない。しかし、激昂する源吾郎の姿を見た雪羽は、少し前よりもむしろを取り戻していた。パニック状態の時に自分よりも慌てふためく相手がいれば冷静になる。その話が脳裏をかすめた。

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