血縁相食む意趣返し
「そうだとも。叔父貴は穂村たちを見捨てた訳じゃないんだよ」
気付けば雪羽は言い足していた。三國が雪羽の弟妹を見捨てたのではないか。何も知らないと言えども源吾郎にそう思われたのが癪だったのだ。不穏分子と見做された雪羽だけを引き取る。あの時の三國にはそうする事しかできなかったのだから。
大人の事情ってやつさ。随分とぼやけた言い方だったが、源吾郎は物分かりの良い犬みたいな表情でこちらを見つめている。
「本当は、叔父貴だって穂村たちも引き取りたいって思っていたんだ。母さんの子供たちである穂村たちが大切にされるか解らないし……何より兄弟が離れ離れになるのは良くないって思っていたからさ」
雪羽の脳裏には、あの日の情景がおぼろに浮かんでいた。
――恥知らずが。今いる子供の面倒もろくに見れないくせに、女にすり寄られて無責任に子供を作りやがって……義姉さんの仔を蔑ろにするくらいなら、全員俺に寄越せ。お前だってそれが望みだろう?
後に叔父だと知ったその雷獣は、そんな言葉を吐きながら猛り狂っていた。幼子ながらも当事者としてその場にいた雪羽は、しかし弟妹達の目があったから取り乱す事は出来なかった。怯える
「雷園寺家にも体面や外聞もあったし、叔父貴も子供を養育できるかどうか怪しいと思われていたんだ。だからその……俺だけ叔父貴が引き取って穂村たちは本家に残すって事になったんだよ」
源吾郎は曖昧な声を出していた。納得はしたが、それを言葉にするのは難しい。そんな風に思っているようだった。
「俺は……それでも良かったんだ。あの時は叔父貴がどんな
源吾郎は何も言わなかった。彼の事だから、迂闊に何か言ってもマズいと思ったのかもしれない。
※
研究センターに戻った雪羽たちを待ち受けていたのは、通常業務ではなくてさらなる打ち合わせだった。紅藤も一応出席してはいたが、主催者は当然のように萩尾丸だった。議題は件の救出作戦の延長であるのは言うまでもない。
「雷園寺時雨君を拉致し、彼を異母兄である雷園寺雪羽君に殺害するように命じる……犯行グループは雷園寺家先代当主の支持者だと言っているみたいだけど、雷園寺君に傅くつもりは毛頭も無いだろうね」
紅藤に灰高たちや三國たちとの打ち合わせのあらましを伝えたのち、萩尾丸はそう言った。営業マンらしい笑みがその面には浮かんでおり、雪羽はやはり心がざわついた。
「そんなのは当たり前の事じゃないですか! そりゃあ確かに雷園寺家次期当主の椅子は欲しいですよ。ですが……こんな……」
まぁ落ち付きたまえ。萩尾丸はぴしゃりと言ってのけた。猫の仔をあしらうかのような物言いである。
「単刀直入に言おう。下手人は確かにかつての雷園寺家の関係者なのかもしれない。しかし君や君の母親に敬意や忠誠の念を持っている訳ではないんだ。むしろ先代当主とかかわりがあった事を逆手に取り、雷園寺君を傀儡にしようと目論んでいるのだろうね」
「それでわざわざ、次期当主とされる時雨君を雷園寺君に殺させようとしているんですね」
冷静な口調で問いかけるのは青松丸だった。大人しく内気な妖物であるが、萩尾丸の弟分と見做される事もあってか、特段取り乱した様子はない。
息子の言葉に紅藤も納得したように頷いた。
「単に時雨君を雷園寺家次期当主にしたくないだけであれば、自分たちで暗殺者を用意して時雨君を暗殺するなり何なりすれば良いものね。その方が確実ですもの。
合理的な判断をすれば、わざわざ素人の子供を暗殺者に仕立てるメリットは特に見当たらない訳ですし」
「そもそも雷園寺君を暗殺者に仕立てるというもくろみ自体が失敗していますからね」
紅藤の言葉に、萩尾丸が即座に返す。
「皆さんもご存じの通り、下手人は遣いを出して雷園寺君に接触し、異母弟を殺すように唆しました。雷園寺家次期当主に繋がるであろう事を餌にすれば乗って来ると向こうは思ったんでしょうね。実際には、弟への情が次期当主への執着を上回ったんですがね。
だからこそ僕らの方で緊急の打ち合わせを行い、どのように対処するか作戦を練っている訳ですが」
雪羽はここで自分に視線が絡みつくのを感じた。視線の主は源吾郎だった。やけに緊張した面持ちで、自分や萩尾丸を盗み見ていた。組まれた指はせわしなく動き、唇をもごもごさせている。何か言いたいけれどそれをためらっているような仕草に見えた。
「――もっとも、下手人たちの提案に雷園寺君がどのような反応を示したとしても救出作戦を組み、打ち合わせを行う事には変わりありませんがね。仮に雷園寺君が当主の座に目がくらみ、下手人の言うがままに時雨君を殺そうと思ったとしても、ね」
源吾郎の視線は一度だけ往復し、萩尾丸に向けられた。萩尾丸は笑みを深めている。爽やかな好青年らしい、だからこそ不気味さとよこしまさが見える笑顔である。
「その時は僕の方で雷園寺君の行動を制限するつもりでしたのでご安心ください。まぁ、雷園寺君は時雨君を救出する事を既に選択していますので、要らぬ話だったかもしれませんが」
「り、リスク管理は大切な事だと、わたしも思いますよ」
選択も何も、時雨を救出する一択に決まってるだろう……雪羽はとっさにそう思ったものの、心中でぼやくだけに留めておいた。サカイ先輩が先に口を開き、しかも萩尾丸の意見に賛同していたからだ。
話が横道に逸れてしまったね。しれっとした表情で萩尾丸はそう言った。自分で話題を逸らしたのではないか。そんなツッコミを入れる者は誰もいない。
「今しがた、暗殺者としては雷園寺君は不向きという話が出ていたよね。合理性のみで見れば確かにそうなるね。妖力も豊富で戦士としての素養はあれど、殺しを行う覚悟があるとは思えないもん。雷園寺君の事だ。今まで他の野良妖怪と闘った経験はあったとしても、殺しの経験はまだ無いだろうし」
殺しの経験が無い。萩尾丸の推測は図星だった。雪羽はヤンチャな妖怪で、確かに自分に突っかかって来る妖怪たちと闘った事は幾度もある。しかし彼らの生命を奪う事は無かったし、そもそも考えた事すらなかった。自分に歯向かってくると言えども、二度、三度攻撃を受ければ降伏して逆らわなかったからだ。
それに――誰しもあっけなく死ぬ事を雪羽は嫌という程知っていたのだから。雪羽は誰かが死ぬのを見る事を嫌悪し、恐怖していた。怨霊を怖がる事は出来ないにもかかわらず。
「だけどね、連中が思うままに洗脳し傀儡に仕立て上げるには都合が良いんだよ。誰しも未経験だった事を行うのは、最初の一歩を踏むのは勇気とか覚悟とかがいるからね。殺しなんて経験ならば、どれほどの精神的武装が必要なのかは言うまでもないよね?
しかも相手は異母弟で、雷園寺家の後継者でもある。連中も雷園寺君が雷園寺家の正式な後継者に強い感情を――実際には憎悪ではなくて情愛だったんだがね。ああしかし、どちらであっても変わりは無いだろう――抱いている事は知っている。その上で殺させるんだ。雷園寺君はもう後戻りはできない。真実はどうなのかさておき、雷園寺君はそう思うに違いない。もうそうなれば連中の手に堕ちたも同然さ」
少年兵を作るやり方と全く同じさ。萩尾丸は反応の薄い周囲に対してそんな事を付け加えた。源吾郎はまたも蒼い顔をしている。しかし他の面々は平然としている。紅藤や萩尾丸は言うに及ばず、青松丸やサカイ先輩まで取り乱した気配はない。狙われているのが彼らの身内では無いからなのだろうか。
ねぇ萩尾丸。頬杖をついて考え事をしていた紅藤が、柔らかな声音で呼びかけた。
「雷園寺君には酷な話になるとは思っているわ。だけど今回の件について、下手人たちは単に雷園寺君を傀儡にするだけで留まるとは思えないの」
「というと?」
萩尾丸が問い返すと、紅藤は思案するような表情で雪羽たちに視線を向けた。薄く瞼を伏せ、それから決心したように口を開く。
「――もしかしたら、雷園寺君を基にして蠱毒を作ろうとしているんじゃあないかしら」
「――!」
「そんな……!」
蠱毒。忌まわしくも思いがけぬその単語に、雪羽は息を詰まらせた。のみならず、源吾郎までもが驚いて声を上げている。
源吾郎は可哀想なほどに怯えの色を見せていた。彼自身も蠱毒に侵蝕されかけたのだから無理からぬ事であろう。しかし雪羽自身も源吾郎の様子を見守る余裕はなかった。蠱毒を作る。紅藤のその言葉が心を鷲掴みにして放してくれない。心臓の鼓動が早まり、うっすらと吐き気も覚える始末だ。この打ち合わせが一時間早ければ、堪えきれずに嘔吐していたかもしれない。
「雷園寺君に殺させるにしろ、拉致してから殺させる日までブランクがあるでしょ。そこが何故かしらって引っかかったのよね。普通の身代金目的の誘拐や拉致事件でしたら、条件に見合う金品の用意をさせるために時間に余裕を持つ事はおかしくもなんともないのですが……
もしかしたら、蠱毒を錬成するための下準備をしているのかもしれないわ」
「成程、蠱毒ねぇ……」
「強いのが出来そう……」
蠱毒錬成説。聞くからに物騒でおぞましい話ではある。しかし萩尾丸は感心したように相槌を打つばかりだった。
「その可能性は十二分に考えられますね。雷園寺君と次期当主の時雨君は同じ種族であり、しかも異母兄弟でもありますからね。どちらも力を持つ雷獣で互いに血の濃い間柄ですから、喰い合いをさせて蠱毒にする素体としてはもってこいなのでしょうね。
しかも雷園寺家の先代当主はそもそも蠱毒によって生命を落としている……ええ、中々洒落の利いた意趣返しではありませんか。
単なる犬猫でさえ、蠱毒の術で犬神や猫鬼という恐ろしい蠱毒に仕立て上げる事が出来るんだ。元から妖力のある雷獣を基にすれば、相当強いのが作れるだろうね。もっとも、普通の蠱毒でさえ御する事は難しいから――」
「……の、外道が――」
外道。押し殺したような低い声が耳朶を打った。相変わらず軽い調子で話していた萩尾丸が一旦口をつぐむ。視線が雪羽の顔に向かい、それから横に逸れた。外道と言ったのは雪羽ではない。源吾郎だった。
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