つかの間の安息 若妖怪の世間話

 灰高とその配下が監視役に回る。そこまで決まった所で今回の打ち合わせはお開きになった。

 正午を少し過ぎた頃合いであり、若干昼休憩に食い込んでいる時間帯だった。口には出さないが、雪羽は内心その事に驚いていた。打ち合わせは一時間足らずの短い物だったのだ、と。もっと長い間あの重苦しい打ち合わせを行っているように思えたのだ。


 打ち合わせが終わった一行が向かったのは社員食堂だった。三國の部下、黒𤯝である堀川さんが主だって運営しているこの食堂は、素材も味も良いという事で他の部下や外部の妖怪たちからも人気である。雪羽自身もしっかりとした味付けは好みだったし、何より今は懐かしさが勝った。

 雪羽の隣に座るのはもちろん源吾郎だった。量り売りのおかず数種類とご飯を選んだ彼は、さも嬉しそうに料理を頬張っている。普段より食べる量は少ないようにも思えるが、それでも普段の元気を取り戻したようだった。


「お疲れ様。まだ打ち合わせの段階でこんな事を言うのもなんだけど……頑張ってくれたと思うよ」


 テーブルの周囲を睥睨しながらそう言ったのは萩尾丸だった。天狗らしい上から目線の物言いに違いない。しかしその言葉の節々には優しさのような物が滲んでいる。その萩尾丸はというと卵とか野菜が挟まったサンドイッチを二つ三つ注文しているだけであった。大妖怪はさほど食事を必要としないと言われているが、彼の隣に座る三國の昼食とはかなり対照的でもあった。


「曲がりなりにも灰高様も協力して下さる事という言質を頂いた訳だし、正直言って僕も安心したよ。利害が絡むからあのお方が僕らの邪魔をする可能性は低いとは思っていたけれど、万が一という事もあるからね」

「灰高様が協力せずとも、俺らでどうにかできたとは思いますがね」

「三國さん……いくら何でもそこまで言わなくても……」


 萩尾丸の言葉に三國は鼻を鳴らし、それから慌てた様子で春嵐が困ったような表情を見せる。萩尾丸は叔父に何か嫌味を言うのかもしれない。雪羽は軽く気構えた。だが萩尾丸は以外にも穏やかな笑みを見せ、思いがけぬ事を口にした。


「とはいえ最後までほぼほぼ無事に打ち合わせが終わって何よりだと思っているよ。それもこれも、三國君が堪えてお行儀よくしてくれていたお陰さ。

 血の気の多い若者だと思っていたけれど、君も成長して立派な大人になったと思うよ……そうだろ


 お行儀良く、大人らしくなった。雪羽と源吾郎が呆然とする中で、萩尾丸はそんな誉め言葉を放ったのだ。雪羽ではなく三國に対して。三國は確かに妖怪としては若い。だが彼の事を雪羽は大人だと見做していた。本家から放逐された雪羽を、保護者として父親代わりとして三十年間面倒を見ているのだから。


「ここでその事に言及なさるとは……」


 一方の三國は複雑な表情を見せていた。照れと気恥ずかしさとがないまぜになったような表情だ。かつて三國は萩尾丸の許で教育指導を受けていた事があるという。丁度今の雪羽のように。と言ってもそれは昔の話、それこそ雪羽が生まれる前の話らしいけれど。

 萩尾丸が三國などよりもうんと年長である事、そもそも妖怪が望めば何百年も何千年も生きる事は雪羽も知っている。それでも保護者と自分が同じ指導者の世話になっていたという話を聞くと不思議な気持ちになる。


「萩尾丸さん。そりゃあまぁ俺とて大人になりますよ。萩尾丸さんからすれば俺もあなたの部下みたいな若妖怪に見えるのかもしれませんが……大人としての責務は、俺だってちゃんと解ってます」

「うん。君もちゃんと頑張ってる事は解ってるよ。君は今まで頑張って来たし、これからも頑張っていくつもりだろう。何度も言ったかもしれないが、僕の若い頃よりもうんと立派にやってると思うよ」

「あなたに褒められると何か落ち着かないですねぇ……」


 三國は何となくばつの悪そうな表情を見せていた。雪羽は食事に集中するふりをしながら叔父から視線を逸らせた。三國も萩尾丸に頭が上がらないのは知っている。それでも雪羽の叔父は堂々とした保護者だったのだから。

 ついでに言えば、萩尾丸が若い頃、というのも興味深く不思議な物だった。八頭衆の幹部の一人、紅藤の一番弟子として立ち働く萩尾丸であるが、しかし謎めいた部分も多い事もまた事実だった。私生活はどのようなものなのかすら雪羽はまだ掴めていない。大人妖怪として存在する彼の若い頃というのは、雪羽にとっては全くもって謎だったのだ。

 ところで雷園寺君。萩尾丸の事についてあれこれ考えていると、その萩尾丸から声がかかった。


「今回の救出作戦には君の弟妹達は呼べないけれど、そこはまぁ作戦に集中するための事だと思って勘弁してくれるかな」

「そういう事なら大丈夫ですよ、萩尾丸さん」


 雪羽はそう言ってふっと息を吐いた。弟妹達の今の姿を思い浮かべようとしたがどうにも上手くいかず、最後に会った時の、幼子の姿しか浮かばない。あの時赤ん坊だった時雨が既に少年になっているのだから、穂村たちはそれよりも年長である事は言うまでもない。もしかしたら兄である雪羽よりも大人びた少年少女に育っている可能性すらあるのだ。妖怪の成長速度には若干の個人差があるのだから。


「元より弟妹達が戦力になるとは思っていませんからね。僕と違って強さも妖力も一般妖怪と変わらないはずです」


 幼子だった弟妹達は三人とも一尾だった。あれから三十年経っているが、未だに一尾であろう。雪羽にはそのような確信があった。彼らが雪羽みたいに強い妖怪に育っていたら、あの時時雨がその事について何か言及するはずだ。

 それに雪羽とて、普通の妖怪がそんなにすぐに二尾や三尾に育たない事は知っている。貴族妖怪は傾向的に強い妖怪が生まれやすいと言われているが、それでも五十年足らずの若妖怪が三尾や四尾まで育つというのは珍しい話だ。

 つまるところ、既に三尾である雪羽や四尾である源吾郎の方がむしろ異端なのだ。


「特に穂村は雷獣としての力がほとんどありませんからね……、あんまり闘うような手合いでも無かったですし」


 そう言った雪羽の口許にはやるせない笑みが浮かんだ。稲妻にちなんだ名を与えられたにもかかわらず、すぐ下の弟は雷獣としての能力に恵まれなかった。何と言う皮肉であろうか。

 ともあれ穂村は雷獣らしい雷獣とは違っていた。力は弱いがその分落ち着き払っていて、難しい事をあれこれ考えるのが得意だった。むしろ鵺の要素が強いのだと大人たちが言っていた気もする。

 或いは――そうした気質だったからこそ、異母弟である時雨に怨霊噺を吹き込んだのかもしれないが。


「説得要員云々は建前で、本当は弟妹達に会いたかっただけなんでしょ」

「……そうなります、ね」


 直截的な萩尾丸の言葉に、雪羽は素直に頷いた。萩尾丸の言葉は問いかけというよりもむしろ事実確認に近かったからだ。この大天狗がこうした物言いをする事は雪羽もよく知っていた。萩尾丸が雪羽を敢えて操る事はしない。だが雪羽も知らない雪羽の事を知っているのではないか。そう思わしめる所がしばしばあった。


「雷園寺君。君の弟妹に、いや君の親族たちに会う機会はすぐにやって来るからね。この度の拉致事件がすれば、雷園寺家本家に出向くつもりなんだ」


 どのみち雷園寺家に雉鶏精一派として接触を図る事になる。萩尾丸の説明を雪羽はぼんやりと聞いていた。あまり気持ちの良い話ではなかったが、萩尾丸の言葉は嫌でも耳に入ってきた。時雨の救出を雉鶏精一派の功績として雷園寺家に恩を売る。あからさまな大人の駆け引きを隠そうとしない萩尾丸の態度には辟易していた。しかも直截的ではないにしろ不吉な結末にも言及していたのだから尚更だ。


「三國君たちは雷園寺君の保護者として同行するのは言うまでもないけれど……島崎君にも同伴してもらおうか。いざという時の護衛としてね。ふふふ、九尾の子孫である島崎君が雷園寺君に憑いている。それだけでも本家の面々も分家の面々もびっくりだろうねぇ」


 雷園寺家に源吾郎も同行させる。萩尾丸のこの言葉に源吾郎自身はひどく驚き目を丸くしていた。別にそういう事を狙って島崎先輩と仲良くしている訳じゃあないのに……雪羽はそう反駁したかったが、流暢に語る萩尾丸に突っかかる気力は無かった。



「三國さんとこの社員食堂、めっちゃ美味しかったなぁ」

「それは良かったぜ」


 食後。雪羽と源吾郎は廊下に微妙に配置された休憩スペースに控えていた。打ち合わせが終われば研究センターに帰るという話なのだが、萩尾丸が三國や月華たちと話し込んでいるので待たねばならなかったのだ。

 もっとも、「食後すぐに車に乗ったら酔うかもしれないからさ」という萩尾丸の謎の気遣いによるものでもあったが。

 さて隣の源吾郎についての話に戻ろう。打ち合わせの際には蒼ざめ血の気が失せ切っていた源吾郎であったのだが、社員食堂で食事を摂ってからは血の気も戻っていた。普段通りとまではいかないが、肌もほんのりと色づいている。ついでに言えばふさふさした四尾からも熱っぽい妖気が漂っていた。ご飯を食べれば元気になる。きわめて原始的な話だが、そういう事は結構大切だ。

 ちなみに源吾郎も社員食堂のメニューを堪能できたのは、実は昨晩萩尾丸から連絡があったからなのだそうだ。とはいえその時は、外出があるから弁当は作らなくて良いと言われただけらしいのだが。時雨が拉致された事、その救出作戦に加わる事について、源吾郎は出社してから知った形になる。


「普段通りじゃあないけど、先輩も元気になって良かったよ。先輩っていつも元気だからさ……」

「雷園寺君が安心してくれて何よりだ」


 源吾郎はそう言ったものの、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


「本当は雷園寺君を励ましたり勇気づける事が出来れば良いんだろうなぁ。一番不安なのは雷園寺君だろうからさ。でも何を言えば良いのか思いつかないんだよ」

「……大丈夫。一番不安なのは俺じゃなくて時雨たちなんだから」


 励ますつもりで雪羽はそう言っていた。源吾郎は何も言わず、驚いたように目を見開くばかりだった。彼は確かに演じるのは得意なのだろう。しかし嘘が苦手な事も雪羽は既に知っている。


「それにしても萩尾丸さんたち、打ち合わせが終わったのにまだ叔父貴たちと話し込んじゃうなんて……まぁあのひとは天狗だからそんなにしんどくないのかな」

「萩尾丸先輩は幹部だし大人だから、俺らが考える以上の事まで気を配らないといけないんだろうさ」


 空気を変えようと放った呟きに源吾郎が乗っかる。仔狐・若妖怪として蚊帳の外である事をはなから認めているような言葉に雪羽は少しだけ面食らった。子供っぽい所もあれば大人びた所も持ち合わせている。末っ子だから耳年増でませているだけなのかもしれないが。

 気になってた事があるんだけど。今度は源吾郎が雪羽に問いかけていた。


「三國さんには怖くて聞けなかったから代わりに聞きたいんだ。あ、でも雷園寺君も知らなかったら無理して答えなくても良いけど」

「仰々しい前振りだな。どんな質問だ?」


 改めて尋ねると、源吾郎は少し考えてから呟いた。


「雷園寺君は三國さんに引き取られたけどさ、どうして他の弟妹達はそのまま本家に留まっているんだろうって思ったんだ」


 ある意味無邪気なこの問いに、雪羽の心が波立った。無論源吾郎は気付いていて、ゆえに怯えたような表情を浮かべた。


「いや、詳しい事を知らないからあんまり決めつけるのは良くないかもしれない。だけどその……三國さんらしくないと思ったんだ。雷園寺家の本家も色々とややこしい事になっているのに、実の甥っ子とか姪っ子をそのまま放っておくようなお方には見えないからさ。ましてや、自分が引き取った甥の弟妹たちなんだから」

「あの時叔父貴は、何故俺しか引き取らなかったか。そう言う事だろう?」


 源吾郎は即座に頷いていた。雪羽はここで、自分の声が普段以上に重く低く響いていた事に気付いた。


「叔父貴は穂村たちを引き取らなかったんじゃない。んだよ」

「……」


 雪羽の言葉に源吾郎は何も言わなかった。だが、全てを察したであろう事はその目を見れば明らかな事だ。

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