大妖怪たちの作戦会議――鴉たちの諜報員
張りつめていた会議室の空気がにわかに緩んだ。雪羽は唐突にそう思った。雷園寺家をどう動かすか定まった訳だし若狐である源吾郎の使い道もはっきりとしている。何より雷園寺家絡みという事で一番ピリピリしていた三國が曲りなりにも落ち着きを取り戻している。こういった事があって、萩尾丸たちと言った大人妖怪は安心しているのだろう。
もっとも、周囲の空気を気にせず緊張し続けている妖怪も二匹ばかりいる。源吾郎と雪羽だ。むしろ源吾郎はある意味重要な役割を担っていると知り、余計に緊張しているようだった。普段なら玉藻御前の末裔である事を認められ、その事に言及されれば喜んで調子づくであろう。そう言った意味では彼らしくない振る舞いだ。
いや――時雨の生命が懸かっているという事実を受け止めた上でのこの態度なのだ。それはそれで彼らしい振る舞いだ。むしろ深刻に受け止め緊張している源吾郎を見てこちらがいくらか安堵したくらいだった。
「それじゃあ皆さん、雷園寺家の事についてもこんな感じで良いですかね?」
司会進行役を担っている萩尾丸が声を上げる。萩尾丸はにこやかで穏やかな表情を見せていた。その笑みの裏で、話をどのように進めようかと冷徹に分析しているのかもしれないけれど。
「恐れながら、雷園寺の動向についてご意見があります」
多分次の話題に進むのだろう。そう思っていた矢先、一人の女妖怪が声を上げた。声の主は
どうぞ、と萩尾丸が狗賓天狗に発言を促す。彼女は眼鏡の奥を光らせながら再び口を開いた。
「雷園寺家に協力を仰ぐのであれば、救出部隊の増援よりも、むしろ下手人の調査に回っていただいた方が効率的かと思うのです。
雷園寺家の次期当主を拉致したという事は、雷園寺家に恨みがあり因縁が深いという事です。そう言った
一緒に拉致されているとされる使用人についても怪しい所が無いか調査すべきである。冷徹な口調で狗賓天狗は言い添えていた。雪羽は複雑な気持ちでその言葉を聞いていた。雷園寺家が下手人の調査に回った方が良い事は解かる。しかし狸娘の松子を疑ってかかるような物言いが何となく嫌だった。
「雷園寺殿」
「えっ、俺」
そうした意見を述べていた狗賓天狗がおもむろに雪羽に声をかけた。雪羽はびっくりして周囲を見渡したが、彼女の眼差しは真剣そのものだった。下手な事を言えば捕食される。そんな空気も漂っている。
「先程雷園寺殿は自分の信頼している相手からの説得に応じると言ってましたよね。信頼している相手というのは、やはり実の弟妹達の事になる。そう考えて相違はありませんね?」
「…………」
狗賓天狗の問いかけに対し、雪羽は無言だった。というよりも驚いて声が出なかったのだ。弟妹の主張は受け入れる。おのれの考えを見透かされていると雪羽は感じたのだ。狗賓天狗と言えども天狗の一種であるし、何がしかの術で雪羽の心中を見抜いたのではないか。心臓の鼓動が早まるのを感じながら雪羽は思った。
しばし沈黙を貫いていた雪羽だが、ややあってから素直に頷いた。向こうは確信をもって問いかけているのだと悟ったためだ。
やはりそうでしたか。呟く狗賓天狗の顔には渋いものが僅かに浮かんでいた。
「雷園寺殿。気持ちは解りますが次期当主を救出する前に実の弟妹達に会うのは控えた方が良いかもしれません。彼らはむしろ、あなたの心に混乱をもたらすでしょうから」
冷徹な彼女の言葉に、雪羽は息を詰まらせた。実の弟妹達、彼らの言葉が時雨救出の妨げになるかもしれない。そのような解釈がある事を雪羽は考えてもいなかったのだ。
雪羽の戸惑いに気付いたらしく、狗賓天狗は言葉を続ける。
「前置きは抜きにしてお話しましょう。雷園寺殿の弟妹達が、次期当主の救出に賛成しない可能性がある。何となればあなたを唆して次期当主を害する方向に持っていく恐れもあるのではないか。そこが私は心配なのです」
狗賓天狗の説明は丁寧で、それでいて簡潔な物だった。無論雪羽も彼女の言葉をしっかりと聞き、頭の中で理解しようとしていた。難しい事を言われたわけではない。しかし――中々理解できなかった。心と頭が理解を拒絶していた。
「神谷さん! お言葉ですが憶測と想像で物を言うのはやめて頂けませんか!」
険しい口調で吠えるのは叔父の三國だった。雪羽の正式な保護者である彼は、雪羽が抱える疑問や戸惑いをたがわず言葉にしてくれたのだ。幾分烈しさを伴ってはいるのだが。
「穂村たちは……雪羽の実の弟妹達は先代当主の子供たちなんですよ! あのくそったれ共とは違うんです。先代当主だった義姉の子供たちで、雪羽とは母親の同じ弟妹に当たるんですよ。そんな子たちが、実の兄である雪羽を困らせるなんて有り得ません」
「実の弟妹が実の兄を困らせる事は有り得ない……三國君の口からそんな言葉が出てくるなんて」
これは傑作だなぁ。萩尾丸は寸劇でも見たような表情と口調で言ってのけた。
「ねぇ三國君。君がついさっき電話越しに口論していた相手は誰になるのかな? 相手は雷園寺家の現当主だけど、それ以前に君の実の兄だろう?」
ねちっこい萩尾丸の問いかけに、三國は猛獣よろしく喉を鳴らすだけだった。三國にも大勢の兄姉がいるが、いずれも同じ父母から生まれているという。萩尾丸の指摘は正しかった。
「父母の違う半兄弟は言うに及ばず、実の兄弟であっても分かり合えない事がある。そう言った事は三國君だっていやという程知っているんじゃないかな」
萩尾丸の言葉は不気味なほどに優しげだった。三國は反駁せずに黙り込んだままだ。もう唸ってなどいない。それどころか雪羽も春嵐ですらも何も言えなかった。
「それにだね、雷園寺君は次期当主と別居しているけれど、彼の弟妹は次期当主たちと同居しているんだ。彼らが本家でどのような扱いを受けているかはさておき、異母弟である次期当主を良く思っていない可能性だってあるんだよ」
確かに。雪羽は小さな声で呟いていた。時雨のせいで長兄たる雪羽は追放され、自分たちは父の親族と見做されて冷遇されている。彼らの今の境遇を考えれば、そのように思って時雨に悪感情を抱いていてもおかしくはない。現に実弟である穂村などは、ありもしない怨霊の話を時雨に吹き込んでいるのだから。
「兄である雷園寺君を慕っている事。異母弟の時雨君を憎んでいる事。この二つは相反する要素ではない。何となれば実の兄への想いが強ければ強いほど、異母弟への憎しみも強まっている可能性もある。そんな弟妹達が雷園寺君に接触したら――神谷さん。あなたの懸念はそういう事ですよね」
「萩尾丸さんの仰る通りです」
不気味なほど爽やかな笑みをたたえた萩尾丸の言葉に、神谷は小さく頷いた。恭順と、感謝の念を込めながら。三國は何とも言えない表情で視線を動かしている。そうこうしているうちに、雪羽は今度は萩尾丸に呼びかけられた。
「そんなわけで雷園寺君。悪いけれど君の弟妹達に来てもらうのは今回やめておこうか。彼らが悪いとは僕たちは言わない。だけど君と考えは違うだろうし、そんな彼等の話を聞けば、却って混乱するかもしれないから……」
「萩尾丸さん。僕はその、本家の連中が弟妹を僕の許に寄越さないだろうと思ってああ言っただけなんです。穂村たちは父の親戚という事になっていて、時雨たちも異母兄姉だとは知りませんからね。体面を保つ事に腐心している現当主とその面々ですから……その……」
「大人を見くびってはいけないよ、雷園寺君」
萩尾丸は雪羽を嗜めていた。だがその口調は存外優しいものだった。
「確かに雷園寺家も体面を保つ事に心を砕いている節はあるにはある。しかし今回は体裁を気にせず動く時であると雷園寺家は解釈しているんじゃないかな。犯行グループの事だから、既に時雨君には兄姉たちがいる事も伝えているだろうし。
それに雷園寺君。切羽詰まれば馬が角を生やす事だってあるんだよ。その事を思えば君の弟妹を君の許に送り込む事など容易い話じゃないか」
雪羽は小さく首を揺らして頷いた。源吾郎が横目でこちらを見ていた気がするが、場に圧倒されているのか特に何も言ってこなかった。
※
多少の話の脱線はあったものの、雷園寺家の件についても話は一段落した。結果的に雷園寺家には本家で待機し、身辺に怪しい妖物(人物の可能性もあるが)の調査に回ってもらうように指示を出す事と相成ったのだ。雪羽の当初の意見とは大幅に異なっているものの、それが一番穏当であろうというのが大人妖怪たちの見解である。萩尾丸は雪羽に敢えて了承を求めたが、雪羽には頷く事しかできなかった。
「それでは最後の議題に移りましょうか。思っていた以上に時間もかかってしまいましたが」
最後の議題。その言葉を口にした萩尾丸は若干緊張しているようだった。萩尾丸の事だから、露骨に表情を顔に出したりはしていない。しかし雪羽には萩尾丸の緊張が判ってしまった。
「灰高様。今回の救出作戦に関してですが……」
「私や私の配下にも協力を要請する。そう言う事ですよね?」
全て言い切る前に、遮るように灰高は告げた。萩尾丸もそんな灰高に大人しく頷いていた。こうした態度こそが灰高と萩尾丸の関係性を如実に物語っていた。
ついでに言えば先日灰高の遣いが紅藤の敷地内で殺傷されている事も明らかになっている。いかな萩尾丸と言えども、灰高に交渉するのは気まずいのだろう。
「この会議に参加している時点で無関係とは言えませんよ。そもそも私は参加は任意であるとお伝えしました。その上でこうして出席なさっているのですから、今回の救出作戦に参加する意思があると、そのように解釈しております」
「そりゃあもちろん、雷園寺君絡みの事は私も関係していますからね。直接的な教育や監督はあなた方に任せているとしても、外部調整という役割が私にはありますし」
そうです。萩尾丸は短く、念押しするように強く言い放った。
「灰高様も雷園寺家とのつながりを得る機会が見つからないか、内心焦っておいでではないのですか。ですから今回の事件は――」
「萩尾丸君。主だった救出部隊は君と三國君たちで編成すれば事足りるのでは無いですか? ましてや君の手許には九尾の末裔がいるのですから。仔狐と言えども、ね」
「まさか、救出作戦に参加なさらないと仰るおつもりですか? この会議に参加している以上、知らぬ存ぜぬでは通せませんよ」
萩尾丸の語気が若干強まる。萩尾丸の焦りと緊張の色が目に見えてその顔に浮かんでいた。一方の灰高は表情を崩さない。何となれば人を喰ったような笑みさえ見せていた。
「そう焦らなくて良いじゃないですか萩尾丸さん。別に私は参加しないと申している訳ではありません。それに慎重なあなたの事ですから、私どもが参加せずとも問題ないほどの兵力を既に確保なさっているのではないですか」
救出部隊の増援を行うのではなく、監視役として参加する。灰高は妖怪たちに対してそう言ってのけた。
「十分に兵力があるのであなた方に任せておいても良いと思ってもいたんですよ。ですがあなた方は雉仙女殿の敷地を勝手に掃除させる事を許可したような迂闊さがありますからね。今回の案件に関しても、若いあなた方に任せっきりというのはいささか不安です。なので監視と情報収集を担おうと思っているのです。
もちろん、決行の前日までに有力な情報を得る事が出来れば、その事もお伝えいたしますので」
萩尾丸たちが油断ならないから情報係として救出作戦に参加する。灰高の主張はいささか高圧的なものに感じられた。しかし萩尾丸は平身低頭し、丁寧な口調で礼を述べている。
そんな萩尾丸の姿が奇妙で滑稽で、そこはかとなく哀愁が漂っている。雪羽はぼんやりとそう思っていた。
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