大妖怪たちの作戦会議――天狗は大いに笑う
「……皆様、聞き苦しい所をお見せして、お聞かせして申し訳ありませんでした」
三國が戻ってきたのは退出してからおよそ十分後の事だった。慇懃な口調で体裁を保ってはいるものの、彼が強い興奮状態にある事は誰の目から見ても明らかだった。まずもってその声は獣の唸り声とほとんど変わらなかった。第一変化が半ば解け、半獣半人の姿をさらけ出していた。顔などは完全に獣と化し、巨大な化けイタチの様相を見せていた。変化を解いた三國の本来の姿はグズリという大型のイタチに似ているのだ。この姿は甥である雪羽の本来の姿と若干異なってはいるが、そもそも雷獣の姿は個体によってまちまちであり、違う血族ともなれば全く違う姿をしている事も珍しくはない。雪羽のネコ科獣的な姿は、それこそ雷園寺家の血統によるところが大きい。
春嵐は半ば獣と化した三國に何事か囁き、それからさり気なく手を添えて二の腕をさすっている。それと共に三國も落ち着きを取り戻し、普段の人間の姿へと徐々に戻り始めていた。
「雷園寺家当主から直々に電話がありましてね」
「そういう事だろうと思ってたよ、三國君」
雷園寺家当主からの電話。気軽な調子で返答する萩尾丸を尻目に、雪羽は心中が波立つのをひしひしと感じていた。雷園寺家当主とは雪羽の生物学的な父親であり、三國の長兄に当たる雷獣である。もっとも、雪羽はとうに実父への情愛など持ち合わせていないが。
さて三國はというと、苦り切った表情を露骨に見せ、それから言い捨てた。
「今しがた犯行グループからの犯行声明を雷園寺家も受け取ったみたいなんですよ。それで慌てふためいた当主殿はわざわざ俺に電話を寄越したんですよ。雪羽が自分の息子を傷つけたり殺したりしないように説得してほしいとね」
全くもってふざけた話です。三國はそう言うと盛大に舌打ちした。春嵐が困ったように眉をひそめただけで、三國の言動を非難する妖怪は誰もいない。
「雪羽が自分の息子を殺さないように説得してほしいと現当主が言ったんですよ? 確かに雪羽は雷園寺家当主の座を欲してますし、俺自身も雪羽が次期当主にふさわしいと信じています。しかしですね、くそったれ共の口車に乗って弟を殺すような手合いだと皆さんはお思いですか?
そもそも現当主殿にしてみれば、雪羽も実の息子に違いないんですよ。息子たちの……子供たちの事を何一つ見ていないと言ったも同然の話だと思いませんかね」
三國は同情を求めるように大げさなジェスチャーでもって萩尾丸たちに訴えかけていた。しかし何かに気付いたらしく、その顔には唐突に笑みが浮かぶ。邪悪で何か厭な気分になるような笑顔だ。実の叔父・最愛の保護者であるはずの三國に対して、雪羽は反射的にそう思ってしまった。
「いえ、あの男には時雨の事も息子ではなくて、単なる次期当主だと思っているだけかもしれませんがね。聞こえはいいですが、自分の地位を護るための道具に過ぎないんですよ、息子の存在なんて」
「そ……そんなんじゃないよ叔父さん!」
その面にありったけの憎悪と悪意を滲ませながら言葉を紡ぐ三國に対し、雪羽は思わず吠えた。甥に言葉を遮られるとは思っていなかったらしく、三國は毒気を抜かれたような表情を浮かべた。
「現当主は……あの人だって時雨の事を心配していると思うんだ。曲がりなりにも父親で、時雨は……実の息子だから」
「しかし、雪羽……」
雷園寺家当主が、雪羽の父親がどのような想いなのか。真相は雪羽にも解らない。しかし雷園寺家当主が父親として時雨の身を案じている。雪羽はそう思いたかった。そうでなければ赦せない。そんな気持ちさえ雪羽は抱いていたのだ。
「それで三國君。長い間電話していたみたいだけど、雷園寺家当主殿には何か意味のある返事をしたのかな? その……一緒に救出作戦に加わろうとかさ」
「地位に執着するしか能のない腰抜けが加わった所で、それこそ足手まといになるだけではありませんか」
足手まとい。その言葉で源吾郎がぶるっと震える。だが誰も気にも留めない。もちろん三國も意に介さず言葉を続けた。
「萩尾丸さん。今回の誘拐事件は単純な身代金目的とかじゃあないんですよ。雪羽を使って目的を果たそうとしているんですよね。それを真に受けて俺に雪羽を説得しろというような手合いですよ。父親として自分で説得するというのならまだしも……そんな奴を参加させてどうなるというんですか」
「解ったよ三國君。雷園寺家にどうして欲しいかこの後僕から連絡を入れておくよ。きっと君の事だから、『お前らが来たら雪羽君が次期当主を殺しかねない』とかって脅しを入れただけで、マトモな返答を行っていなさそうだからね……」
にこやかな萩尾丸を前に、三國は小さく言い返そうとしていた。しかし雪羽や他の妖怪と目が合うと唇を舐めてそのまま沈黙を通しただけである。きっと図星だったのだろう。それに説得とやらで雷園寺家のお偉方がやって来たとしても、余計に戸惑って混乱してしまうだけだと雪羽自身も思っている。三國や春嵐、或いは萩尾丸や源吾郎みたいに味方になってくれるというのならば話は別だけど。
そう思っていると、笑みをたたえた萩尾丸の視線が雪羽に真っすぐ向けられていた。
「雷園寺家の面々にはどういった塩梅で動いてほしいのか。それは雷園寺君に決めて貰ったら良いんじゃないかな」
「お……僕がですか?」
その通りだと萩尾丸は頷く。
「今回はただ単に妖質として時雨君たちが捕らえられているだけじゃないんだ。わざわざ時雨君たちの生殺与奪を君に握らせている形になっているでしょ? であれば、雷園寺家の面々も君の顔色を窺う事になる。そう思わないかな雷園寺君」
時雨の生命のみならず、雷園寺家の動きすらも今の雪羽が掌握しうる状況にある。その言葉に雪羽は驚き喉を鳴らした。
「だからね、雷園寺家には遠慮なく要望をぶつければ良いんだ。君の言葉一つで、彼らは救出部隊に加勢する事も出来るし、本家で僕らが救出するさまを大人しく眺めるよう留める事も出来る。全ては君の言葉次第だよ」
噛んで含ませるような萩尾丸の言葉を雪羽もまたゆっくりと頭の中で咀嚼する。脳裏には雷園寺家の面々が浮かんでは消えていた。後妻や異母弟たちとの暮らしを選んだ現当主、我が仔を使って雷園寺家に侵蝕した継母、そして彼らに仕える妖怪たち……本当に彼らが、俺の言葉一つで従うのか? その事を考えているうちに、心臓の鼓動が早まるのを感じた。
「私も萩尾丸さんの言うとおりだと思いますよ。それにしても雷園寺家も因果な事に巻き込まれましたね。大切な次期当主を護るために、わざわざ放逐した前妻の子供の言葉に従わねばならないんですから……だけど雷園寺君は今まで冷遇されてきたんですよね。であれば本家の面々を顎で使ってもばちは当たりますまい」
「雪羽、本家の連中には黙って指を咥えていろって言っても良いんだぞ。あいつらはお前の事を信頼していないし、お前の事を何一つ思っていないんだからさ……俺たちがいるからそれで構わないだろう?」
黙り込む雪羽の両側から、全く真逆の意見が飛んできた。意見を述べたのはそれぞれ灰高と三國であるが、どちらも彼ららしい意見だと思うのがやっとだった。
隣の源吾郎は心配そうに雪羽を見つめている。気の利いた言葉は出てこないらしく、それに気付いているから心底恥じているような表情だった。
萩尾丸さん。自分の中で考えをこねくり回した雪羽は、萩尾丸を見据えて言い放った。灰高や三國の主張は理解できた。しかし雪羽にも雪羽なりの考えがある。
「雷園寺家の面々がこちらにやって来るのを押し留める権限は僕にはありません。彼らも僕らと同じように異母弟の安否を気にしているのでしょうから。
ですが、こちらに雷園寺家の部隊がやってくるのと、僕が彼らの協力を求めている事とは別問題です。僕の事を信頼していない面々からの協力は願い下げです」
叔父よりも冷静な口ぶりと言えども、幾分高圧的な主張になったのではないか。言い終えてから雪羽は軽く反省した。とはいえ誰も何も言わない。萩尾丸も相槌を打っていただけである。この場で一番昂奮しているであろう三國も、興味深そうに話を聞いているだけだった。
雪羽も若干冷静な気分になり、周囲を見渡しながら言い添えた。
「僕は僕の事を心底信頼している妖怪の説得にしか応じない。萩尾丸さん。雷園寺家現当主にはそのように伝えてください。もっとも、僕自身も初めから時雨を助け出すつもりですから、説得するような事柄なんてありませんがね……まぁその時は僕の協力者に回ってくれるのでしょうが」
「成程ね。君も中々頭が回るみたいじゃないか」
萩尾丸の誉め言葉とも取れる言葉を前に、雪羽はほのかに笑みを浮かべた。とはいえ実際の所、雷園寺家当主がそうした
お前たちの助けを俺は欲してはいない。雪羽は雷園寺家に対して暗にそのように主張しているも同然だった。
「――雷園寺家がやって来ることは押し留めないが、協力者は自分を信頼している者に限るって事だね。解ったよ、その旨は当主殿に僕から連絡しておこうか」
ありがとうございます。雪羽が礼を述べると、萩尾丸は余裕たっぷりの笑みを見せていた。
「三國君と雷園寺君。これからやって来る雷園寺家の面々について、君らは特に心配する事は無いからね。現当主殿を筆頭に雷園寺家には雷園寺君や三國君を極力刺激しないようにと僕の方から説得しておくからさ。
それに雷園寺君。君には九尾の子孫たる島崎君が味方に付いている。だから安心したまえ。しかも雷園寺家の面々もやって来てその事を知るから、雷園寺家の当主の座を狙う君には尚更都合がいいと思うんだ」
萩尾丸の後半の言葉は謎めいたものだった。萩尾丸は先程、源吾郎を手駒と見做す発言をしたが、今回もその延長線上の事柄なのかもしれない。しかしその割には、雷園寺家とか雷園寺家の当主という言葉を殊更に強調しているきらいもある。
そうした疑問を抱いたのは雪羽だけではなかったらしい。灰高の部下らしい鴉天狗の男などは、慇懃な口調で萩尾丸に質問を投げかけていた。
一種のおまじない、験を担ぐようなものですよ。萩尾丸の言葉は更に謎めいていた。
「まぁ確かに九尾の狐にはよろしくないイメージも憑き纏っているかとは思うのです。秩序だった世界に混沌と破滅を招くですとかね。具体的に言えば王のそばに侍り、堕落させて国を亡ぼすとかそう言った所でしょうか。実際問題、島崎君の曾祖母もそう言った遊びに興じていたらしいですし」
ですが。萩尾丸は一呼吸おいてから言葉を続ける。
「九尾の狐が王を堕落させ王国を亡ぼすのは、そもそもその王が王としての器を持ち合わせていないからに過ぎないのですよ。愚かな王を堕落させ国そのものを亡ぼすのも、言ってしまえば革命を促し新しい国を立ち上げる原動力になっているとも言いかえる事が出来ます。紅藤様の受け売りですが、渾沌の中に秩序あり、破壊の先に新たな創造ありとも言いますからね。
ついでに言えば九尾の狐は王の善悪に関わらず王のそばに侍る事が多いのですが、善良な王の前ではむしろその王国の繁栄をもたらす存在になりうるのですよ。
ですからね、雷園寺家を王国と見立て、そこの雷園寺君を王子だと見做してみてください。島崎君がもたらすものが何であるか、すぐに解るのではないでしょうか」
「成程……中々面白いご意見ではありませんか」
九尾と王に関する考察に対して、まず灰高がそう言って笑った。
「確かに私は前に、九尾の子孫たる島崎君を見て『混沌と破滅をばらまくような妖狐』と申し上げました。その事に対する返答を、今ここで聞く事が出来るとは……」
「そのようにお思いになれば、九尾の子孫もあながち悪い存在ではないでしょう」
不敵に笑う灰高に対し、萩尾丸もまた会心の笑みを浮かべながら言葉を紡いでいる。さて唐突に話題の当事者となった源吾郎はというと、大それた話に驚きじっとりと周囲を見渡すのがやっとのようだった。
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