雷獣と半妖、そして人間の術者たち

 月曜日。普段より早めに出社してしまった源吾郎は、割り当てられた場所の掃除を一通り終えると、敷地内をぶらつき、空いているベンチに腰を下ろした。

 事務所自体には相変わらず紅藤や萩尾丸は出社している。しかし上司らは何となく忙しそうだし、何よりじっとしていたい気分ではなかったのだ。もしかしたら、昨日は部屋に籠ってゴロゴロしたりホップと遊んでいた反動があったのかもしれない。

 ベンチの周辺とか工場棟の出入り口にも、仕事前の工員たちが小さく固まってたむろしていた。それを眺める源吾郎の隣に、さも当然のように雪羽がいるのは言うまでもない。

 源吾郎自身はツレの有無にかかわらず、気が向いた時にセンターの敷地内をぶらつくのが常だった。しかし雪羽は一人でぶらつく事は滅多にない。源吾郎がぶらつくのを見計らって付いて行く事がほとんどだ。源吾郎に対しては打ち解けた様子を見せたり、過去には取り巻きを従えてふんぞり返っていた雪羽であるが、意外と人見知りな気質なのかもしれない。口には出さないが源吾郎はそう思っていた。


「土曜日は大変でしたね、島崎先輩」

「あれはまぁ大変だったよ。俺たちだけじゃあ対処できない案件だったし」

「一尾の化け狐だけだったらどうにかなったでしょうけれど、犬神なんかは……」

「本当に、犬神はねぇ……」


 会話はそう長くは続かなかった。雪羽の顔は早くも思案の色が濃く浮かんでいる。源吾郎だって同じ事かもしれない。だが致し方ない事だった。あの時犬神に恐怖し、どうにもできなかった事は事実なのだから。

 それに――犬神はすぐに双睛鳥そうせいちょうたちが捕食してくれたが、犬神の言葉は源吾郎たちの心の中に未だに残っている。いずれにせよ自分達は蠱毒と因縁があるのだ、と。

 思案顔だった雪羽は、ふいに明るい表情を作って口を開いた。


「ところで先輩、昨日はどうだったんですか? 連絡とか、全然無かったけれど」

「どうって、特に何もないよ。強いて言うなら朝方まで末の兄の部屋に滞在したって事くらいかな。部屋に戻ってからはゴロゴロしたり、ホップを遊ばせたりして自堕落に過ごしたんだよ。悪かったな雷園寺君。連絡を寄越さなくって。もしかして寂しかったのか」

「やだなぁ、別にそんなんじゃないっすよ」


 寂しかったのか。冗談半分に問いかけると、雪羽の面に笑みが咲き開く。きっと源吾郎が冗談をかましたと思っているのだろう。それでも彼の笑顔は無邪気で、源吾郎は見ていて安堵した。笑顔の方が雪羽には合っている。源吾郎は一人勝手にそんな事さえ思っていた。


「俺も先輩と似たり寄ったりですよ。休みの日だったんで叔父貴の許に帰ってたんですけど、寝たり本を読んだり動画を見たりしてたかな。大した事はしなかったのに、何か疲れちゃってたから。でも春兄はるにいも事情を知ってるから結構優しくしてくれたんだ」

「結構って、春嵐しゅんらんさんは基本的に優しいやんか」


 疲れていたのは自分だけじゃなかったんだな。雪羽の顔をまじまじと眺めながら源吾郎は一人感慨にふけっていた。雪羽の顔には疲労の色は無い。その辺りはやはり妖怪、雷獣である為に体力の回復が早いのだろう。或いは保護者の一人である春嵐に甘える事が出来たのも要因の一つかもしれない。

 春嵐に関しては、源吾郎も好感を持っている妖怪の一人である。優しくて理知的なその姿は何とも兄らしかった。生真面目で子供妖怪が羽目を外す事に苦言を呈する辺りも、源吾郎の長兄に似ているのだが。

 昔の事を思い出したんだ。両手を組み合わせて呟く雪羽の声は、先程と異なり小さなものだった。十代半ばの少年しか見えない雪羽の口から「の事」と出るのを聞くのは何とも不思議な感覚だった。だが雪羽はこれでも源吾郎の長兄よりは年上だし、何より子供だって「懐かしい」とか「昔は」と言うではないか。そのように源吾郎は思い直した。


「あの時犬神が言っていた通りだったんだよ。俺さ、母さんが戻って来るには、もう一度会うにはどうすればいいか、そんな事ばっかり考えて、調べてた時があったんだ……叔父貴の許に引き取られたばかりの話だけどね」

「それで、雷園寺君は怖い話が好きなんだな」


 的外れな事を言ってしまったか。源吾郎は密かに悔やんだが、雪羽は気にする素振りさえ見せない。


「俺の怖い話が好きなのはさておきだな、今回の事件は他人事じゃあないって思ったんだよ。あの白狐はさ、好きだったかみさんを取り戻そうとしてあんな事をやってただろう。やり方は間違っていたかもしれないけれど、あの狐の気持ちも俺には解るからさ……」


 雪羽の述懐に対し、源吾郎は何も言わなかった。肯定であれ否定であれ、雪羽の心に沿う言葉を発する事は不可能だと解っていたからだ。雪羽もひととおり話せば落ち着くはずだとも思っていた。

 ともあれ、あの事件で過去の自分の考えを思い出してしまったのだろう。そのように考えていた丁度その時、雪羽が思いがけない事を口にした。


「それにあの時も来てたでしょ。それで、芋づる式に子供の時の、叔父貴に引き取られたばかりの時の事を思い出したんだ」

「待ってくれ、話が飛躍していないか?」


 源吾郎は思わずここで質問を投げかけた。白狐の動機を知った雪羽が、実母に死なれて間がない頃の事を思い出すのはまだ解る。だがそこで、紫苑の名が出てくるのか。それが源吾郎には疑問だった。もちろん源吾郎とて、紫苑が雉鶏精一派の第五幹部である事くらいは知っている。だが、雪羽や三國と交流があったかどうかは定かではない。勤めて間がないから、その辺りの関係性に源吾郎が疎いだけかもしれないが。

 質問を受けた雪羽はきょとんとした表情で源吾郎を見つめ返すばかりである。その彼を見つめながら、源吾郎は言葉を紡いだ。


「いやさ、紫苑様がお見えになった事と雷園寺君が子供の頃に思っていた事がどういう繋がりがあるのかなって不思議に思っただけだよ」

「……を叶えてくれるおまじないを、紫苑様は俺にこっそり教えてくださったんだよ」

「何だと……!」


 僅かに顔を近づけた雪羽の言葉と表情に、源吾郎は面食らってしまった。願いを叶えるおまじない。字面だけで言えば可愛らしくてメルヘンチックな物であるが、その内実はとんでもない話である。死んだ実母を蘇らせる。それこそが雪羽の本当の願いなのだから。

 死せる者の完全な蘇生。これは妖怪ですら成し得ない難業なのだ。そうでなければ、紅藤はとうに胡喜媚を復活させている事だろう。死霊を操るネクロマンサーも、キョンシーの術もアンデッドの使役も、完全に死者を蘇生させる術とは言い難い。

 源吾郎はとんでもない表情を浮かべていたのだろう。だが雪羽は困ったように微笑んでいただけだった。


「先輩、そんなに怖い顔をなさらなくて良いじゃないですか。おまじないの内容とやらはもう忘れましたよ。そう言う話を紫苑様から教えてもらったって事しか、今は覚えてないんです。ああ、でもその話を結局大人たちに話しちゃって、しこたま叱られたのは覚えてますけどね。あの時は春兄だけじゃなくて、月姉つきねえも物凄い怒ってたからびっくりしたよ」


 雪羽はそう言って舌の先をぺろりと出した。茶目っ気たっぷりの態度であるが、何処となく不穏な気配がするのは考え過ぎだろうか。


「まぁその……雷園寺君としたら災難だったね。それにしても、どうして紫苑様はそんな話を雷園寺君に伝えたのかな」

「それもこれも紫苑様の親切心だったのかなって、俺は思うんだ。叔父貴の許に引き取られた時の俺って、結構うじうじした子供だったからさ。でもやっぱり、子供が暗い事を思って悩んだり、うじうじしているのはフケンゼンだって大人は思うでしょ? それでおまじないの話をして、紫苑様は俺を励ましてくれたのかもって思ってるんだ」


 所謂サンタクロースの話と同じかもな。そう語る雪羽に対し、源吾郎はひとまず頷いた。何かが違う気がするが、それを上手く言葉に出来そうになかった。

 その替わりに、自分も雪羽に伝えねばならない事がある。源吾郎はそのように思い始めていた。犬神に過去や素性を暴かれたのは雪羽だけではない。源吾郎もだ。呪われた血統、蠱毒に手を染めた先祖の話を、あの時犬神は嬉々として語っていたではないか。


「雷園寺君。俺の事は怖くないのか?」

「怖いって……先輩の事が? どうしてさ」


 本題や前提をすっ飛ばした源吾郎の問いかけに、雪羽は不思議そうに首をかしげていた。自身の先祖が蠱毒に関与していた。その事は出来れば雪羽には伏せておきたかった。だが雪羽もあの時犬神の言葉を聞いていたのだ。表面上は普通に接していても、何がしか思う所があるのかもしれない。であれば洗いざらい話した方が良いのかもしれない。そう思い始めていたのだ。


「犬神のやつが暴いたのは、何も雷園寺君の――」


 思い切ってカミングアウトに踏み切った源吾郎であったが、しかし途中で言葉を切った。自分たちの傍に誰かが近づいてきているのを悟ったからだ。近付いてきたのは何と一組の男女だった。朝からカップルかよ……とは思わなかった。よく見れば女性の方は鳥園寺さんだったからだ。もう一人は確か柳澤と言う名の術者だったはずだ。やや強面である事と、ペットのインコを可愛がっている事が印象的だった。


「おはよう。島崎君に雷園寺君。もしかして取り込み中だったかしら?」


 挙げた手をひらひらと振りながら声をかけてきたのは鳥園寺さんだった。どうしたんだろう……そう思っている間にも彼女は言葉を続ける。


「悠斗さん……じゃなくて柳澤さんがね、島崎君たちとちょっと話したい事があるって言ってたの。まだ始業時間までかなりあるけれど、大丈夫かな?」


 源吾郎の視線は鳥園寺さんから離れ、隣にいる柳澤に移った。それから雪羽の顔をちらと覗き込んでから、再び鳥園寺さんたちを見た。


「話って何でしょうか?」


 土曜日の話だよ。柳澤は短く、しかし断言するように告げた。土曜日と言えばあの話だろうか。そう思っている間に柳澤は続けた。


「島崎君も雷園寺君も、土曜日は港町のギャラリーホールで妖狐の襲撃を阻止すべく動いてくれていただろう。実はあの時、俺も相棒と共に駆り出されていてね」


 そうだったんですか。源吾郎と雪羽は顔を見合わせ、思わず頓狂な声を上げていた。そう言えば柳澤も術者だし、年齢的にも仕事に駆り出されていてもおかしくない。ぼんやりと考えながらも、源吾郎は言葉を紡いでいた。


「柳澤さんもご協力して下さっていたんですね。すみません、あの時は色々と気が動転していて全く気付きませんでした」


 別に構わないよ。そう言う柳澤の表情は思いがけず優しいものだった。近くに鳥園寺さんがいるからなのだろうか。邪推に近い考えが源吾郎の頭の中にふわりと浮かんでもいた。


「聞けばあの事件では島崎君のお兄様も狙われる可能性があったんだろう。君らはそのお兄様を護るためにあの現場に出向いていたんだから、俺の存在に気付かなくても仕方のない話さ」


 自分は術者として今回妖狐襲撃事件の現場に投入されたのだが、源吾郎や雪羽たちの活躍にはやはり感動した、二人とも才能のある若者だと思った。柳澤の話はおよそそのような物だった。叔父である苅藻からも似たような話は聞いたばかりであったが、他人である柳澤に褒められると何となく気恥ずかしくもあった。

 それから若干世間話にもシフトし、柳澤と鳥園寺さんが現在婚約している事なども源吾郎たちは知る事となった。「朝から二人でいる所を見せちゃって悪いかしら?」と鳥園寺さんは冗談めかして言っていたが、悪い気など起こりはしなかった。鳥園寺さんたちも人間で年頃だし、結婚とか婚約とかしてもおかしくないと思っただけだった。


 そうこうしているうちに、始業時間が間近に迫ってきた。鳥園寺さんたち人間の術者を見送り、自分たちも研究センターに戻る時間だった。

 柳澤に話しかけられたのはびっくりしたが、そのお陰で源吾郎は自身の血筋の話についてカミングアウトせずに済んだ。いずれは話さねばならない事ではあるが、今はまだどう話そうかうまくまとまっていない。そう言う意味では良かったのかもしれないと源吾郎は思った。

 もっとも、雪羽は源吾郎が話そうとした事を覚えているらしく、「さっき先輩が話そうとした事は何だったんですか」と尋ねられたが。

 時間がある時にまた話すよ。源吾郎はそう言って場を取り繕い、その話はそこで終わりにした。

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