妖狐は話に疑問を示す

 萩尾丸の予想通り、一日休んだ雪羽の心に出社しようという気概が蘇っていた。厳密には散歩の最中に異母弟妹に出会ったというちょっとした事件があったため、心休まる休日だったわけではない。しかしそうした出来事も、雪羽にとってはおのれを奮い立たせるスパイスになったのだ。

 源吾郎に負けた事というのは、放っておいても短期間で立ち直れる事柄だったのかもしれないが。



「おはよう雷園寺君。元気になったん、だよね……?」


 朝。出社して身支度を整えた雪羽の前に、待ち構えていたかのように源吾郎が現れた。笑みを浮かべているものの、用心深く雪羽を観察する素振りが見え隠れしている。雪羽が考え事をしているであろう事を察したのかもしれない。

 源吾郎も源吾郎で、案外相手の心の動きに敏感な所がある。それは彼の持つ甘え上手な気質と関連性があるのだろう。


「ああ、おかげさまで元気になったよ! 島崎先輩も何か俺の事を気にしてくれていたみたいだし、そこはちょっと悪かったなぁ」

「悪いとかそんな事はないよ」


 雪羽のおどけた言葉に、源吾郎は困ったような笑みを見せた。その仕草や表情こそが、源吾郎の言う「甘さ」なのだろう。最強の妖怪になって世界征服、という野望を持つ自分らしからぬ気質だと源吾郎は悩んでいる節があるようだが、雪羽は源吾郎の見せるは嫌いではない。

 無論源吾郎は負けず嫌いであるし、雪羽をライバル視している節もある。しかし争いごとが苦手で平和主義である事もまた彼の特性なのだろう。そうした気質を源吾郎は人間の血が多いからだと思っているみたいだが、それは恐らく違うと雪羽は思っている。人間にも残忍な性質を持つ者はいる。だから源吾郎の穏和さは彼や彼の親族に起因するものに違いない。

 源吾郎はまだ申し訳なさそうな表情で様子を窺っていたが、少し考えてから口を開いた。


「それじゃあ、昨日はゆっくり休めたの? 萩尾丸先輩からは休んでるだろうって聞かされてたんだけど」


 休んでいたかどうか。源吾郎の率直な問いに雪羽もちょっとだけ戸惑ってしまった。休むと言えば自宅とか寝室で静養したり寝て過ごしたりする事を考えるだろう。しかし雪羽の昨日の過ごし方はそれとは少し違っていた。起きる時間は普段より遅かったが、昼以降は外出していたのだから。


「仕事を休んでいたのはその通りだけど、部屋でじっとしてた訳じゃないんだ。萩尾丸さんからも外をぶらついても良いって言われてたから、お昼から散歩してたんだよ。大理町におわす道真公に今後の事もお願いしたかったからね」


 雪羽はここで一呼吸置いてから言葉を続けた。


「それでだな島崎先輩。本当に偶然なんだけど――出先で母親違いの弟妹に会ったんだ。雷園寺家の跡取りと見做されている弟と、その妹にな」

「ま、マジで!」

「ああうんマジだよ、本当の話さ」


 雪羽の弟妹、それも雷園寺家次期当主と目される異母弟たちに遭遇した。雪羽の淡々とした説明に、源吾郎は案の定驚きを見せていた。源吾郎と雪羽の付き合いはそう長くは無いが、雪羽の兄弟関係が込み入ったものである事は知っている。恐らくは、やがて雪羽が次期当主である異母弟と相争うであろう事も。


「そんな事があったんならおちおち休んでいられなかったんじゃないのかい? それにしても遠方に住んでいるはずの弟さんに出くわすなんて……」

「旅行に来ているって時雨は言ってたんだ。あ、時雨って言うのは異母弟の名前な」


 旅行ねぇ……源吾郎は囁くように単語を反芻する。真面目な表情を浮かべていたその面には、いつの間にか笑みが浮かんでいた。


「学生街とか大理町も、港町と並んでお洒落で見所のある所だもんねぇ。日頃奈良の山奥に暮らしている雷園寺家の弟さんたちも、目新しい旅行になったんじゃないかな」

「おい! 雷園寺家は奈良にあるんじゃないぞ。県境だけどギリギリ大阪に位置するんだからな」


 雷園寺家は奈良にある。いたずらっぽい源吾郎の言葉に雪羽は思わず吠えた。吠えたと言っても実は怒っている訳ではない。怒っているそぶりに過ぎない。無論それは源吾郎も気付いていて、気付いた上で更に笑っていた。


「ま、まあ島崎先輩は姫路の出身ですもんね。大阪とは馴染みが薄そうなんでそう言う勘違いをするのはしょうがないかもですね」

「俺だって大阪くらい知ってるよ。大阪も奈良も学生の時に行った事あるし……それに雷園寺君の気質は明らかに大阪の男だしなぁ」


 やはり先の発言はちょっとしたネタだったのだ。その事が解ったので雪羽も源吾郎もしばし笑い合っていた。二人とも若いし、漫才的な掛け合いを楽しんでいたのだ。

 雪羽の笑いが治まると、源吾郎も笑うのを止めた。その時には源吾郎に顔には真剣さが戻っていた。


「それはさておきさ、そんなとんでもない話を俺にしても良かったの? 何と言うか、あんまり話したくない事柄になるだろうし」


 先程笑い合っていたのが嘘のようだ。源吾郎は少し黒目を動かし気遣わしげな表情を見せている。雪羽は静かに首を振った。


「別に良いんだよ。萩尾丸さんには既にバレてるし」

「あの人にバレてるんだったらしゃあないな」


 萩尾丸の名を出すと、源吾郎は半分納得したように視線をさまよわせた。源吾郎もまた、萩尾丸の事を畏れて一目を置く妖怪の一人だったのだ。

 余談だが雪羽が時雨たちと接触した事を萩尾丸が見抜いたのは、雪羽に時雨の妖気が残っていたためだった。妖怪同士が接触すると、相手に妖気が残る事がままあるらしい。仲良くしたいとか、もっと親しくなりたいという時にそうした現象が起きやすいのだ。


「それで……弟さんとの出会いは特に何事も無かったんだよな? もし何かあってひと悶着起こしたんだったら、こうして呑気に出社できないだろうし」


 もちろんだよ。源吾郎のいささか直截的な問いに対し、雪羽は鼻を鳴らした。


「確かにあいつとは、異母弟とは当主の座を巡って相争う運命にあるよ。だけどそれはあの時でもなければ今でもないんだ。物事には準備とタイミングが重要って事は俺だって知ってるよ」


 それに。雪羽は心臓がギュッと縮むのを感じながら言葉を続けた。


「変に思うかもしれないけれど、次期当主である時雨には恨みはないんだよ。あいつは何も知らないんだ。自分が次期当主になった真の理由どころか、自分に兄姉たちがいる事もな。もちろん俺が兄である事も知らなかったし、俺も敢えて教えはしなかったよ。時雨が混乱しても可哀想だし。

 それに時雨は思っていたよりも良い子だったんだ。おてんばな妹が自分たちとはぐれたから、姐やと手分けして探そうとしてたんだよ。俺はその時に時雨と出くわしたんだ。

 島崎先輩。時雨はまだほんの子供だったんですよ。俺よりも十個下ですからね。そんな子供が、はぐれた妹を探すために、見知らぬ土地で見知らぬ妖怪の助けを借りたんです。健気だと思いませんかね?」

「……確かに、兄は妹を可愛がる生き物だからねぇ。俺の叔父も長兄も、それぞれ自分の妹には甘くてシスコン気味なんだ」


 そう言った源吾郎の言葉は何処となくぼんやりとしていた。朝方だからぼんやりしているのだろうか。雪羽の怪訝な眼差しに気付くと、取り繕ったように源吾郎は笑みを浮かべた。


「まぁその……その話しぶりだと、雷園寺君も時雨君の妹探しを手伝ったって事だよな?」

「手伝ったという程大げさな事はやってないよ。俺はただ、時雨の話を聞いて、姐やと一緒に合流しようって提案しただけさ。

 何と言うか、時雨も色々と大変そうだったよ。雷園寺家の当主として自分が相応しいのかってあの歳で悩んでいたし、妹とか弟の面倒も見ないといけないって意気込んでいたしさ。本当に良い子だったよ――あのくそったれ共の息子だとは思えないほどにな」


 しまった、言い過ぎた。源吾郎の表情が強張るのを見て、雪羽は軽く反省した。時雨の話をしていただけに留まらず、思わず雷園寺家の当主夫妻の愚痴を、雪羽はこぼしていた。雪羽が実父を憎み継母を密かに恨んでいる事は揺るがない。しかし源吾郎に言い聞かせるには刺激が強すぎたのだ。円満な家庭で育った彼は、彼自身が思っている以上に純朴で善良な気質なのだから。


「時雨君、だっけ。雷園寺君の弟さんが良い子なのは何となく解るよ。だってさ、時雨君は雷園寺君の弟で、三國様の甥っ子でもあるんだからさ。ほら、子供って実の両親じゃなくて叔父さん叔母さんとか祖父母に似る事とかもあるだろう? 父親そっくりの見た目の俺が言っても説得力はないかもだけど」


 当惑と笑みをないまぜにしながら源吾郎はそんな事を言った。時雨が良い子なのは、雪羽の弟であり三國の甥にあたるから。源吾郎はリップサービスや冗談ではなく、本心からそう思っているらしい。源吾郎のその言葉はありがたくもあり困るものでもあった。


「まぁ確かに時雨も俺の弟に違いないわな。俺も、あの子を弟と呼べればと思ったりしたんだ……おかしいだろ?」

「おかしくないよ。雷園寺君も弟さんたちも色々と込み入った物があるんだろうし。

 それよりも雷園寺君。さっきの弟さんの話を聞いていて気になった事があるんだ。少し質問しても構わないか?」

「何だ質問って。ちなみに妹の深雪は無事に見つかったから安心したまえ」


 おどけたように雪羽が言うと、源吾郎は少し考えこんでからゆっくりと口を開いた。


「時雨君たちは旅行していたって話だけど、時雨君と妹さんと、後は引率の姐やだけだったんだよね?」

「そうだな。両親殿は雷園寺家の仕事とやらで忙しくて同行できなかったんだって」

「姐やってどんなひと? やっぱり大人?」

「いや。俺よりちょっと年上って感じだったわ。まぁちゃんと働いてるから俺らよりも大人だろうけれど」

「時雨君には妹の他に弟もいるって言わなかったっけ? その弟は旅行にはいなかったのかい?」

「弟は数年前に生まれたばっかりでまだ幼いらしいんだ。あいつらも当主候補を育てながらぬけぬけとを作ったつもりなんだろうな。それはさておき弟は留守だったんだろうね。なんせ産まれて数年の妖怪なんて赤ん坊みたいなものだからさ」

「だけどご両親は仕事があって旅行に同行できなかったんだろ? それなのに幼い子供を留守にするって――」

「それはまぁ、他の世話係が面倒を見てたんじゃないのか」


 何度も何度も質問を重ねる源吾郎に業を煮やし、雪羽は半ば遮る形で言い放った。昨日から雷園寺家の事ばかり考えていたせいか、どうにも神経が高ぶっていた。探るような源吾郎の言葉に苛立ちを感じるほどに。


「島崎先輩! さっきから回りくどい質問ばっかり投げつけてるけれど、一体どうしたんですか? 俺から何を聞き出したいんだ?」


 若干声を荒げてしまったが、源吾郎は特に怯みはしなかった。相変わらず何かを考えているような表情だった。


「ああごめん。別に探りを入れている訳じゃないんだ。ただ、時雨君たちの動きがなんか引っかかるなって思っただけでさ……」

「時雨たちは姐やに付き添われて旅行していただけだぜ。そこに何か疑問でも?」

「時雨君は雷園寺家の正式な当主だろう? 良くも悪くも時雨君の両親は彼を雷園寺家の当主に仕立てようと心を砕いているんだ。そんな二人がさ、俺たちよりもちょっと年長な姐や一人を引率に付けるだけの旅行をさせるって何かおかしくないか?

 普通の庶民妖怪だって、子供を遊ばせるのに親とか兄姉が見張ってる事なんて珍しくないのに……」

「あいつらの考えは一般妖いっぱんじんと違う。ただそれだけだろうさ」


 雪羽は鼻息荒く言い捨てた。すぐさま源吾郎の反論が飛んでくるかと思ったが、彼は物憂げな眼差しをこちらに向けるだけだった。


「そうだね。考えや教育方針はひとそれぞれだもんなぁ。俺も、色々気になって考えすぎてただけかもしれないし」


 俺の思い違いだったら良いんだけど。源吾郎が呟くのを雪羽は聞き取ってしまった。しかしその直後に始業ベルが鳴ったため、問いただす事は出来なかった。

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