会合始まり待ちぼうけ

 一日休みを挟んで出社した訳であるが、業務をこなしている間に平和に時間は過ぎていった。午前中は座学や事務仕事がメインであり、午後からは地下室で術の鍛錬を行ったのである。

 ちなみに戦闘訓練は今週は無いらしい。源吾郎と雪羽のコンディションを考慮した上での話だった。とはいえ、こうした配慮がなされるのも今のうちだけらしいのだが。

 鍛錬は雪羽も好きだった。元々身体を動かす事は好きだったし、今は源吾郎の術を見学する事も出来る。源吾郎は自分とは全く異なる戦闘スタイルの持ち主ではある。それでも彼の遣う術を見るのは勉強になるし、何より面白かった。


「どうかな雷園寺君。俺の術の感想とかあったら教えてよ」


 的を射抜いた源吾郎がやにわに振り返り、見学していた雪羽に声をかける。今までになかった振る舞いに雪羽は一瞬だけ驚いた。しかしよく見なくても源吾郎は無邪気な笑みを浮かべており、他意は無いのだとすぐに思った。顕現させている四尾が小刻みに揺れており、何となく犬っぽい。狐だからイヌ科なのだけれど。


「まぁ凄いんじゃない。狐火は先輩の得意技だから威力が抜群なのは知ってたけど……結界を使って足止めをするなんてね」

「お、解るか。解るよな雷園寺君」


 雪羽の言葉に、源吾郎は頬を火照らせ目を輝かせた。ますますもって犬めいた懐っこさが彼の態度に現れている。前までの彼は、手の内を雪羽に知られる事を好まなかたのに。やはりこの前の勝負で初勝利した事が、源吾郎の心境にも何がしかの変化をもたらしているに違いない。勝利したから自分の強さを確信しているのかもしれないし、こちらに歩み寄ろうという気概を持ち始めたのかもしれない。雪羽にしてみれば、源吾郎の心境はどちらでも構わなかったのだが。


「……先輩って本当に強い妖怪なんだなって思いますよ。さっきのあれも、幾つもの術を同時に使ってるんだから」


 よしてくれよ。雪羽の呟きに源吾郎は照れ臭そうに笑った。日頃の雪羽の言動を知っている彼ならば、この言葉が世辞ではなく本心である事は見抜いているだろう。見抜いた上で恥ずかしがっているのかもしれない。

 源吾郎が普通の妖怪とはまるきり異なっているのは、背後で揺れる尻尾を見れば明白だった。源吾郎は既に尻尾を四本も有するのだ。三十で二尾だった時雨がもてはやされ、その歳には既に三尾だった雪羽は神童であると呼ばれるくらいの妖力量を、二十歳に満たない源吾郎は易々と上回っている。しかも人間の血を半分以上受け継いでいるにもかかわらず、だ。半妖は純血の妖怪よりも成長が速いという説もあるらしいが、その事を差し引いても源吾郎の才能は特異な物と言っても問題無かろう。

 実際問題、源吾郎の才能の一端に関しては雪羽も肌で感じていた。何せ初勝負から二か月足らずで雪羽を打ち負かす事が出来たのだから。お坊ちゃま育ちの源吾郎は妖怪として暮らし始めて半年を迎えたばかりで、今までは喧嘩らしい喧嘩もした事すらないという。雪羽を打ち負かした源吾郎は、そんな存在だったのだ。

 強さへの執着を棄てない限り、源吾郎は今後も強くなっていくのだろう。そうした才覚に恵まれているであろう事は、雪羽もとうに見抜いている。

 もしかしたら、その事を彼の身内も解っていたから、闘う術を教えず妖怪と関わらないように育ててきたのかもしれない。雪羽は唐突にそんな事を思っていた。



 平和にのんびりと業務が終わる。そのような予想が打ち破られたのは午後三時を少し回った時の事だった。萩尾丸のスマホに電話がかかってきたのだ。事務仕事をしていた雪羽は何気なく萩尾丸の様子を窺う。営業関係の電話かと思ったのだがどうやら様子がおかしい。電話口で丁寧な口調になるのはいつもの事であるが、何と言うか神経をとがらせ相手の様子を窺い言葉を選んでいるのがまざまざと感じ取れた。

 はい、それでは解りました……不気味なほど完璧な営業スマイルを浮かべた萩尾丸は、そんな文言と共に通話を終えた。黒光りするスマホの画面をしばらく眺め、彼は呆けたようにため息をついていた。あからさまに困り果てた表情の萩尾丸を、雪羽は驚きと若干の好奇心を抱きつつ観察していた。常に余裕綽々な彼らしからぬ表情と素振りだったのだ。


「紅藤様。灰高様から打ち合わせの招集がありましたので、すぐに向かいますね」


 灰高からの打ち合わせ。その単語を耳にした雪羽は、それで萩尾丸さんが渋い表情を浮かべていたのか、と納得していた。灰高というのは雉鶏精一派の幹部の一人である。第四幹部という地位は萩尾丸の第六幹部のそれよりも格上であるし、何より前に紅藤とサシでやり合う手前まで煽っていた御仁でもある。萩尾丸が緊張するのも無理からぬ話だった。


「私も一緒について行った方が良いかしら」


 紅藤の申し出は思いがけない物だったらしい。萩尾丸は驚いたように目を瞠っていたが、薄い笑みを貼り付けて首を振った。


「それには及びません。元より灰高様からは僕と三國君でと指名が入ってますし……それにしても、紅藤様が会合に積極的だなんて珍しいですね」


 いつの間にか萩尾丸は片頬に笑みを浮かべていた。師範たる紅藤をおちょくるような物言いであるが、それでも雪羽は少しだけ安心していた。萩尾丸の事を全面的に信頼している訳ではない。しかし彼が不安そうにするのを見るのは心がざわつく。

 さてそんな事を思っていると、萩尾丸は雪羽の許ににじり寄り、札を一枚手渡した。レシートよりも一回り大きいそれには、漢字とも梵語ともつかぬものが描かれている。

 それは転移術に使う媒体だよ。札を眺める雪羽の頭上に、萩尾丸の声が降りかかる。


「早く終わるに越したことはないんだけど、内容とメンバーの関係上長引きそうな気がしてね……多分こっちに戻ってこれるのは遅くなるかもしれないんだ。だから雷園寺君は仕事が終わったらそれで先に帰ると良いよ。もちろん残業して、僕の帰りを待っても構わないけれど」


 萩尾丸は打ち合わせの内容について手短に告げると、そのまま颯爽と研究センターを後にした。よほど急いでいるのか、彼もまた部屋を出てすぐに転移術を使ったらしい。彼の気配が一瞬で消えたのでそう思わざるを得なかった。

 雪羽は貰った護符を手にしたままだった。灰高が招集し萩尾丸と三國が参加する会合。そこで上っている議題は雷園寺家の事なのだという。もちろんその事に雪羽が戸惑っているのは言うまでもない。



 六時になった所で雪羽はタイムカードを切った。残業をするつもりは無かったが、さりとてすぐに帰ろうと思った訳ではない。残業代を付けずにそのまま萩尾丸が戻ってくるのを待つ心づもりだった。

 仕事を終えても雪羽が留まる事について、紅藤たちは快諾してくれた。そもそも研究センターの敷地内で暮らしているような彼女たちである。仕事の時間が終わっても事務所にたむろするのはよくある事だと割り切っていた。源吾郎や萩尾丸の話だと、紅藤は時々研究室の妙な所で寝落ちしている事もあるくらいなのだし。

 そんなわけで、雪羽は堂々と研究センターの事務所内で萩尾丸を待つ事が出来た。源吾郎はというと、身支度を済ませてそそくさと帰宅してしまった。研究センターの居住区に戻った事を「帰宅した」と言えるのであれば、の話ではあるが。


「雷園寺君。まだ萩尾丸先輩の事を待ってるの?」


 帰宅したと思っていた源吾郎が戻ってきたのは、六時半を回った時の事だった。白衣は着用せず、濃緑色のワイシャツとズボン姿だった。白衣の下はおおむねスーツだったはずだから普段着なのだろう。そんなに派手な服装ではないが、センスの良さそうな衣装だと雪羽はぼんやりと思った。


「先輩こそどうしたのさ。帰ったんじゃなかったの」

「帰ったんじゃなくて、ホップを遊ばせるために部屋に戻っただけだよ。でも、いつもよりも一、二時間早かったからあんまりホップは乗り気じゃなかったけど」

「先輩は小鳥ちゃんが、ホップ君の事が大好きですもんねぇ。それで、ホップ君とは仲直り出来たんですか?」

「ぼちぼちかな。まだちょっと用心している所はあるけれど、丸めたティッシュとか毛玉ボールを転がしたら喜んで飛びつくし。今日は手にも乗ってくれたんだ」


 源吾郎はそう言うと開いた右手をじっと眺めていた。確かにその手には小鳥の匂いが染みついている。

 ホップというのは源吾郎が面倒を見ている小鳥だった。名目上は使い魔らしいのだが、現時点ではほとんどペットの小鳥と変わらないらしい。元は普通の十姉妹だったのが妖怪化したらしく、そのため源吾郎が引き取って養っているそうだ。白い身体に所々まだら模様が入った、雀よりもなお小さいその小鳥を源吾郎が寵愛している事を雪羽は知っていた。

 そもそも源吾郎が研究センターの近辺に暮らすようになったのは、ホップの存在あっての事なのだというから相当な入れ込みようである。

 最近は蠱毒に侵蝕されかけた事もあり、ホップは源吾郎を警戒しているらしい。あまり多くは語らないが、源吾郎はその事で若干凹みもしていた。本当に色々と解りやすい青年である。

 だがそれにしても今の源吾郎の行動には引っかかるものがあった。先程彼は、わざわざホップを普段より早い時間に遊ばせたと言っていた。向こうが気乗りしていない事を解った上でだ。それは源吾郎らしからぬ態度だった。話を聞くだに、源吾郎はずっとホップが喜ぶ事について心を砕いている。ホップに振り回される事もあるが、それを楽しんでいる節もあるくらいだ。自分の都合で、いつもと違う時間に遊ばせる事などするだろうか。

 というよりも、この研究センターに戻ってくるためにいつもの予定を前倒しにしたのではないか。雪羽は今更ながらそんな事に気が付いた。


「それにしても珍しい事をするんですね先輩も。わざわざホップ君の放鳥タイムを前倒しにしてまでこっちに戻ってきたんだから……何かあったの?」

「雷園寺君が気になったからさ、戻ってきたんだよ」


 雪羽の問いに対し、源吾郎は即答した。気負った様子も何もなく、清々しいほどに正直な返答だった。


「萩尾丸先輩は先に帰っていても良いって言ってたけど、お前の事だから戻ってくるまで律義に待ってるんだろうなって思ってさ」


 源吾郎の指摘は図星だった。雪羽はもとより萩尾丸の帰りを待つつもりだった。残業ではないからぼんやり待っていても咎められはしないだろう。先に帰るのは申し訳ないと自分で判断しての事だが、正面から源吾郎に指摘されると何とも気恥ずかしい物だ。


「まぁ、ここでぼんやりしているのもなんだし、何か飲み物でも作るよ。ポットのお湯もきちんと使わないといけないからさ。雷園寺君は何が飲みたい?」

「それじゃあ生姜湯で」


 雪羽の言葉に頷くと、源吾郎はすっと立ち上がってゆっくりと歩き始めていた。歩く度に微かに揺れる白銀の四尾を、雪羽はぼんやりと眺めていた。

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