白猫走りて妹見つかる

 雷園寺家の怨霊。その事を耳にした雪羽は色々と考察すべきとがあると思っていた。しかしのんびりと考えを巡らせている場合でもなかった。

 というのも、時雨と共に歩いている雪羽の許に、二つの影が猛スピードで迫って来ていたからだ。

 一つは白い猫……いや猫又のシロウその猫だった。雪羽が時雨と遭遇してから姿を消していたと思ったら、今更になってこちらめがけて突進してきているのだ。ばねのようにしならせる動きに注意が向いていたからすぐに気付かなかったが、よく見れば何かを咥えている。


「ああもう、待ってよ猫ちゃん!」


 もう一つの影は人間に変化した妖怪の娘だった。雪羽よりいくらか年上だが、少女と呼んでも十分通用しそうな見た目である。淡いクリーム色のブラウスと栗色のズボンと、割合に落ち着いた出で立ちだった。

 雪羽は状況が解らず首を傾げた。シロウはあの妖怪少女の物品をくすねた挙句、雪羽を見つけて走っている。その事しか解らなかった。


「ちょっとシロウさん……どうしたんですか一体」


 そうこうしているうちにシロウは雪羽の足許に辿り着いた。繋いでいた手を離し、雪羽はそのままシロウを捕獲した。抵抗されたらどうしよう。そんな懸念とは裏腹にシロウはあっさりと雪羽に捕まったのだった。どっしりと重い白猫又を胸元に抱き寄せると、そこでシロウは咥えていた物を放した。シンプルな模様の入った財布であり、ちょうどいい塩梅に雪羽の手の平の上に乗っかったのだ。

 さてそうこうしているうちに、シロウを追いかけていた妖怪娘もこっちに駆け寄ってきた。微かに漂う妖気は彼女が化け狸である事を物語っている。


「あの……ええと……ね、猫が」


 知り合いの猫が財布をくすねて申し訳ありません。そう言えばひとまず収まるであろう事は雪羽も解っていた。しかし困った事に声が詰まり、上手く言葉が出てこなかった。

 そんな雪羽の傍らに控える時雨は、やって来た化け狸の少女を見て親しげな表情を浮かべた。


「松姉、実は僕たち、深雪を探すのに松姉と合流したほうが良いって事になって、それで探してたんだ」


 時雨の言葉と態度で、雪羽は事の顛末を悟った。シロウが行方をくらませたのも、財布を咥えてこちらに向かってきたのも、時雨のツレである姐やをこちらに連れてくるために行われた事だったのだ、と。

 雪羽はだから、松姉と呼ばれた少女に、落ち着いた態度で財布を返す事が出来たのだ。松姉も松姉でシロウの意図が解ったらしく、雪羽はシロウの行動に腹を立てたりはしなかったのだ。

 そして当のシロウはと言うと、雪羽に抱え上げられたまま、得意げに尻尾を揺らしていた。



 名門クラスの妖怪一族は、同一の種族の中でも影響力が大きいのは有名な話だ。しかしだからと言って、一族に仕える妖怪たちも同種族ばかりとは限らない。むしろ異なる種族の妖怪たちも雇い入れるのが普通の事だった。

 名門妖怪たちの多くは、その土地を統括する役割を担っている事がほとんどだ。種族が異なっていたとしても、その土地にゆかりのある妖怪という事で名家に雇い入れられる事も多い。彼らに名家への忠誠心を植え付けるためではない。運よく忠誠を誓う妖怪が出れば出世するものの、若い一般妖怪の場合はある程度勤めあげたら別の組織に転職する事も珍しくはない。

 ともあれ雷園寺家にも雷園寺家に仕える妖怪たちは存在していた。分家からやって来た雷獣も十数名いたが、それ以上に若い狗賓天狗ぐひんてんぐ白狼天狗はくろうてんぐが多かった気がする。それこそ、隣接する地の天狗の大将から妖材じんざいが提供されていたのかもしれない。幼子だった雪羽は詳しい所までは解らない。しかし思い返してみれば、先代当主だった母はよく天狗らと交流していたようにも思える。


「すみませんマシロさん……深雪お嬢様を見失ったのは私の不手際ですのに……」


 松姉こと松子は、マシロと名乗る雪羽に対し、さも申し訳なさそうに頭を下げていた。姐やという事であるがかなり若い。雪羽よりは年上であろうが、それでも六、七十歳くらいの若妖怪であろう。化け狸らしく丸顔でやや童顔な所も相まって、少女っぽい雰囲気が強かった。

 俺の傍にいた姐やはずっと大人だと思っていたけれど、彼女みたいに若かったのだろうか……雪羽はそんな事を思いもしていた。


「いえいえ大丈夫ですよ。僕も今日は休みですし。妖探しの目は多いに越した事はありません」


 雪羽は通りがかりの好青年を装ってほんのりと笑った。雪羽は演技が巧いわけではない。それでも幸いな事に、松子が怪しむ事は無かった。

 それにしても、姐やに化け狸を採用していたのか。時雨や松子を見つめながら雪羽は密かに思った。化け狸は妖狐や天狗に並び繫栄している種族である。他の妖怪と違って突出した能力を持つ個体が少ない反面、多くの事をまんべんなくそつなくこなす事が出来るからだ。ついでに言えば忍耐強く実直さを具えた個体が多い。支配者としてその土地を統括するにも、逆の他の妖怪勢力の中核として働くにも適した種族であった。

 化け狸自体があちこちで働いているのはおかしな話ではない。しかし前述の通り、雷園寺家先代当主は天狗たちを優遇していた。それが今では化け狸の娘が次期当主の姐やとなっている。その辺りからも、雷園寺家が変わった事を雪羽は嫌でも感じてしまった。

 無論その事は胸にしまっておく事柄ではあるが。


「それにあなたもよく頑張っておいでだと思います。いくら良い子たちと言えども、お一人で旅行の引率をなさるというのは大変でしょうから」


 ともあれ雪羽は松子の頑張りを褒める事にした。慌てふためいているであろう松子を落ち着かせるためのリップサービスとしての意味合いがあるにはある。とはいえ松子が頑張っていると思っている事もまた事実である。


「そ、そんなマシロさん。頑張っているだなんて私にはもったいないお言葉です……それに、ゆくゆくは雷園寺家当主になられる時雨おぼっちゃま、そして時雨おぼっちゃまの妹君弟君の面倒を見る事を、旦那様と奥様から直々に仰せつかっておりますので」


 時雨がゆくゆくは雷園寺家の次期当主になる。傍らの狸娘はさも屈託のない様子で言ってのけた。彼女も時雨が次期当主の座に収まるまでのあれこれを知らないのだ。雪羽は静かにそう思うしかなかった。


「松姉! こんな所まで来て当主候補の話なんてしないで下さいよ。折角遠くまで来て羽を伸ばしているんですから」


 先を歩く時雨が振り返り声を上げた。合流したのだから松子の許に戻るのかと思いきや、彼は雪羽たちから少し離れ、先導するかのように前を歩いていたのだ。地面に降ろしたシロウがいるので、特段寂しくはなかろう。

 シロウと戯れようとする姿や先の物言いから、時雨がまだ子供であるという事を雪羽は思い知らされた。

 旅行。その事について聞いてみようと雪羽も思い始めた。雷園寺家当主云々の話は雪羽にしてみても愉快な話ではない。旅行についてはハプニング以外は彼らも楽しんでいるだろうから、この微妙な空気を払拭できるだろう。


「それにしても、この辺りは観光にうってつけなのではないでしょうか。学生街とか高級住宅地の近くなので、大理町もお洒落なお店とか建物が多いですからね。あと学生街の外れに梅林があるのが良いんです。僕は梅の花が好きなので……秋ですし、色々と見て回るには丁度良かったと僕は思います」

「え、ええ……そう、ですね」


 相手の緊張をほぐそうと旅行の話を振ってみたのだが、松子の返答は何とも歯切れの悪い物だった。何と言うか、むしろ一層困惑しているようにさえ見えた。

 そう思っていると、松子は実はこの辺りの地理には明るくないのだと打ち明けた。


「私も豆狸の一族なので、従兄弟の実家とか遠縁の親族はこの辺りにいるにはいるんです。ですが私自身は雷園寺家の膝元で生まれ育ちましたので、大理町近辺についてはさっぱりなんです」

「実は僕も、この辺りはそんなに詳しくはないんですがね。二か月ほど前にこの辺りに移り住んできたばかりでして、散歩して何があるか模索している最中ですね」


 雪羽の言葉は事実だったが、それでもおのれの素性がバレないように注意を払ってはいた。元々三國と一緒に亀水たるみで暮らしていたのだが、萩尾丸の許で再教育されるという事になり、学生街の外れにある彼の屋敷に住む事になった。色々な事はぼかしてあるが嘘を言っている訳ではない。

 松子は雪羽をまっすぐ見つめていた。真顔なので迫力のある表情に見えた。


「旅行というものは家に着くまでが旅行なのです。私は……深雪お嬢様を見つけ出して、三人で無事に雷園寺家に戻れるように考えております」


 時雨たちにとっては骨休めなのかもしれないけれど、使用人の松子にとっては結構大変な事なんだな。雪羽は松子の言葉を聞きながらそんな事を思っていた。

 時雨は松子たちを気にしていないふりをして歩いていたが、一瞬だけちらとこちらを振り向いた。時雨の顔も何故か緊張が浮かんでいる。不思議な事に、彼の浮かべる緊張の表情と、松子が浮かべているそれは妙に似通っていた。



「こら深雪! 勝手にウロウロしちゃあだめだろう。しかも勝手に上がり込んで、お店の人を困らせるなんて……」

「お兄ちゃんがお父様みたいに怒っても、お父様みたいには怖くないもん」


 時雨の妹である深雪は、かれこれ数十分の探索で見つかった。何という事はない。学生街の少し外れにある雑貨屋と思しき所に滞在していたのだ。花山堂と名乗るそこは表向きは雑貨屋として打ち出していたのだが、果たしてどのような店なのか判然としなかった。少なくともスーパーやモールの中にあるような、妙に無機的な店とは違う。ハンドメイド作品や絵画が多く、若干ギャラリーの趣が漂っていた。しかも店内は和室であり普通に靴を脱いで上がり込む形を取る。趣味人の家に遊びに来たような感覚さえあった。

 そんなところに深雪は迷い込んでいたのである。時雨が言った通りおてんば娘には違いない。しかもちょっと無警戒な気もする。とはいえ店主たちは妖怪のようだが人の良さそうな面々ばかりであり、この幼い闖入者は茶菓子等々でもてなされていたのだ。

 そんな深雪に真っ先に駆け寄ったのが時雨である事は言うまでもない。


「本当に、ご迷惑をおかけしてすみません……」

「いえいえ大丈夫ですよ」


 兄の妹への叱責がじゃれ合いにすり替わる傍らで、引率者である松子が店主に頭を下げている。とんでもない大失態をしたという松子の表情とは裏腹に、店主はさほど怒っていない。むしろ雷獣の幼い兄妹の姿を、微笑ましそうに眺めている位だ。


「ここはまぁ、昔懐かしの家とか、優しいおばあちゃんのおうちにやって来た、というのをコンセプトにしてますからね。もちろん芸術品を扱っているので大人がお見えになる事が多いですが、お子さんが遊びに来ても楽しめるようにしておりますので」


 雪羽は店主と松子のやり取りを眺めたり、時雨と深雪のふざけっこが落ち着くのを見守っていたが、ややあってから少し動いた。部屋の奥、ドアに繋がっている所に雉妖怪の朱衿らしき姿を見た気がした。注視しても姿は見えなかったから気のせいかもしれない。だが朱衿は前もギャラリーで見かけたから、こういう所に出没してもおかしくは無かろう。

 松子たちの会話が途切れるのを見計らってから、雪羽は口を開いた。陳列されている小物を見た雪羽は、それらを購入して時雨たちにプレゼントしようと思い立ったのだ。妹を探して一人で頑張った時雨や、彼らを引率している松子を労いたいと雪羽は思ったのだ。それにここで何かを買えば、花山堂の利益になる訳であるし。

 雪羽が目を付けたのは繊細な切り絵細工のしおりだった。名家の子女たる時雨たちへのプレゼントというには余りにもささやかな物かもしれない。だが今の雪羽は……マシロは単に成り行きで時雨の兄になり切っただけの存在だ。そんなマシロが変に値の張る物を購入したとしたら、松子や時雨は委縮してしまうに違いない。

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