若者にオジサン心は難しい

 総勢十羽程度の鳥妖怪たちは、仲良くごちそうを平らげるとしばしの間思い思いに振舞っていた。嘴を広げて欠伸をしたり、羽毛を逆立てて汚れを払ったり羽繕いをしたり、はたまた仲間の襟元の羽毛を整えたりと言った塩梅である。

 その様子はまさに、飼育小屋で食後の余韻を楽しむ鶏たちや、公園でまどろみ仲間と戯れる鳩のような和やかさを醸し出していた。数の暴力でもって邪智暴虐の犬神を喰い殺し、その身から溢れんばかりの妖気を放出している事に目をつぶれば。

 だが、人間たちの領域であるこのギャラリー会場でくつろいでいるのも、そう長い間でもなかった。


「……あー。やっぱりちょっとこってり風味だったかな。一部しか食べていなかったとはいえ、結構ボリュームはあったかも」


 おやつかランチを食べ過ぎたと言わんばかりの物言いで呟いたのはやはり双睛鳥だった。巨大なコカトリスの姿を見せていた彼であるが、首を伸ばして二度羽ばたくと、その姿はもう普通の人間の姿と変わらなかった。そしてご丁寧に偏光眼鏡をきちんと掛けている。

 双睛鳥の変化を皮切りに、鳥妖怪たちは次々と変化していった。化け鶏も巨大すぎる夜雀も雉妖怪も燐光が怪しい鷺妖怪、そして猛禽そのもののフクロウ妖怪も……みんなそれぞれ人間の姿に変化した。双睛鳥と共に犬神を喰い殺したのだから、もちろん彼らは双睛鳥の部下や協力者なのだろう。鳥妖怪の殆どは見慣れぬ面々だった。

 だが、そんな中にも見知った顔は二羽ばかり、二名ばかり存在した。一人は巨大な化け雉姿の青松丸。そしてもう一人は、紅藤が姪として可愛がる、第五幹部の紫苑だったのだ。

 成程、大人数で寄ってたかってと言えども、犬神を捕食できたのはこの面子だったからなのか。源吾郎は彼らの犬神への猛攻を思い出しながら、そのように一人で納得していた。蟲や蛇の毒を鳥妖怪がものともせず、それどころか薬味程度の刺激にしかならない事は源吾郎も知っていた。更に言えば、集まっている鳥妖怪たちの殆どが強大な力の持ち主だ。何しろ第五幹部と第七幹部まで揃っているのだから。

 兄弟子である青松丸もまた、鳥妖怪たちの面子の中で場違いな存在では無かった事に、源吾郎は密かに驚いていた。平素は研究センターの中位の座に甘んじている彼であるが、やはり紅藤の息子であり胡琉安の半兄なのだと思い知らされた。


「さて、そろそろ結界の解除と行きたいのですが……負傷者の護送がまだですね」

「大丈夫です! び、病院への転移と手配はわたしの方で済ませましたので!」


 術者の呟きに対し、何処からともなく声が聞こえる。そう思っていた矢先、サカイ先輩が床から吹き出すように姿を現した。床を敷き詰める素材の隙間にでも潜んでいたのだろう。

 稲荷の眷属たちの中でリーダー格と思しき三尾の妖狐は、突如現れた彼女に驚く素振りを見せずに口を開く。


「このまま彼を病院まで転移してくれるのか……傷が悪化しないような術まで掛けてくださって、貴女には何と礼を申し上げればいいか」

「じ、妖命救助じんめいきゅうじょは何にも勝る事ですから。それに、術を解除したらショック死してしまいますよ。い、意識があるのも一時的に痛覚を遮断しているからですし」

「なに……私はもう……」


 上司であろう妖狐とすきま女の話を聞いていた白狐が、急に身を動かした。妖怪たちの応急処置の賜物か、裂けていたはずの傷が塞がっているように見えた。腹部は生乾きの血がこびりついているが、吐血したはずの口許は綺麗に拭われている。


「つまはもういない……それなら私も……」

「しっかりしろ! そんな事でお前の妻が喜ぶと思うのか!」


 白狐の言葉も彼を叱責する言葉も、ドラマのワンシーンでよく見かける言葉ではあった。もっとも、源吾郎はドラマのワンシーンを眺める様な気軽さで彼らのやり取りを見ていた訳ではない。源吾郎には白狐の気持ちを完璧に理解する事はもちろん不可能だ。だが、誰かを愛する事の凄絶さを垣間見た気がした。

 サカイ先輩が慌てた様子で白狐に手をかざす。白狐が錯乱したと思ったのだろう。白狐は意識を失ったらしく、襟巻のようにだらりと床に身を投げ出した。そこからサカイ先輩の転移術が行使されるのが見えた。


「……私は彼と共に病院に向かう。出向く先が変更になったものの、概ね予定通りの動きではあるかな。さて諸君、大変なのは重々理解しているが、現場の事後処理を頑張ってくれたまえ」


 その言葉と共に、稲荷の眷属であるという二人の妖狐が姿を消した。ここで術者たちが安堵した様子で結界を解除したらしい。

 先程逃亡したと思っていた妖狐たちが戻ってきたのはその直後の事だった。彼らはレジ袋を両手にぶら下げ、顔を赤くしながらこちらに向かって駆け寄ってきていた。白いレジ袋なので中身は見えないが、液体を購入してきたのは音で解った。

 妖狐の一人が汚れていない床に荷物を置き、半ば喘ぎながら妖怪たちに告げた。


「あの……魔除け毒気祓いに桃のジュースを買ってきました。遅くなって……すみません。濃度が濃い目なのも見つからなかったですし、炭酸入りとかも多くて……」

「それにしても、あの犬神は……?」

「犬神ならもういないよ。君らが買い出しに行っている間に退治されたからね。でもまぁ……折角だし桃ジュースを頂こうか。魔除けになるからね」


 術者に従っていた妖怪が言うまでもなく、目端の利く妖狐が関係者に紙コップを配っていた。もちろん、状況が飲み込めず立ち尽くしている源吾郎や雪羽に対しても。この会場自体が飲食厳禁ではない事が幸いしたと源吾郎は思った。


 魔除けと言う名の桃ジュース摂取が終わった頃、源吾郎たちの許にやって来たのは兄弟子である青松丸だった。庄三郎は出向こうかどうしようか様子を窺っており、苅藻に至っては双睛鳥や彼の仲間である鳥妖怪たちを捕まえて何事か話し合っている。


「青松丸先輩。まさか先輩までお見えになっているとは……」

「状況が状況だったからね、萩尾丸さんにこっちまで運んでもらったんだ」


 青松丸はそう言うと少し困ったように微笑んだ。雪羽が周囲を見やり、犬神の事かと問いかけた。青松丸はごくあっさりとした様子で頷き、言葉を続けた。


「君たちも知っている通り、双睛鳥さんには初めから萩尾丸さんに協力していたんだ。あの子やあの子の部下たちは犬神や蠱毒とは相性が良かったんだけど、万が一仕留め損ねたらいけないからね。

 それで僕や紫苑様が後発部隊としてここに飛ばされたという事なんだ。確かに萩尾丸さんならお一人で犬神を仕留められるはずだよ。だけど萩尾丸さんは雉鶏精一派の顔として対外的に広く知られているから、今回稲荷たちが多い場では表立って動けなかったんだ」


 表立って動けない。そう言った時に源吾郎と雪羽は互いに目配せしてしまった。何処かから監視していたとしか思えないメッセージの事を思い出したためだ。もしかしたら青松丸も、件のメッセージの事は知っているのかもしれない。

 青松丸によると、紫苑もこの状況を聞いて数名の部下と共に自ら出陣してくれたらしい。


「山陰地方ではフクロウが犬神を食べるという伝承があるからね。それで紫苑様も、わざわざミミズクの妖怪にお声がけをして下さったんだ。萩尾丸さんは母様の、紅藤様の姪御殿と言う事で大仕事に巻き込むのは気が引けると仰っていたけれど、まぁ結果オーライだったと僕は思っているんだ」


 確かに……雪羽が呟くのを源吾郎は見ていた。蠱毒にも種類があり、ベースになった生物によって相性の善し悪しがあるのだ。簡単に言えば、蛙や蝦蟇ベースの蠱毒は蛇ベースの蠱毒が天敵、と言った塩梅である。とはいえ、犬神の天敵がフクロウであるというのは源吾郎も初耳だった。

 雪羽が納得した様子を見せているのは、もしかしたら前回蠱毒の事を調べた時に、犬神とフクロウの関係性について記されているのを見たからなのかもしれない。

 それはそうとミミズクの妖怪と言えば印象的な事があった。数か月前に灰高が遣いとして研究センターに寄越していた鴉たちを掃除したのは、確か紫苑の部下でミミズクの妖怪だったはずだ。今回訪れているのがその妖物なのかは定かではないが。


「源吾郎に雷園寺君……!」


 兄の庄三郎がやって来たのは、青松丸が立ち去ってからすぐの事だった。結界の外にはじき出されていた彼は、もちろんあの白狐や犬神に襲撃されておらず無傷だった。だが、源吾郎たちに相対するその表情には切羽詰まった物が浮かんでいた。

 普段とは異なる表情にただならぬものを感じた源吾郎は、だから問いかけずにはいられなかった。


「大丈夫だよね、兄上」

「僕は大丈夫だよ。君が助けた女の子もね」


 でも……庄三郎は小さな声で呟き、整っているその面を苦々しく歪めた。


「本当にごめん。あんなに大変な事になっているのに、僕は何も出来なかった。妖狐だけじゃなくて、あんなバケモノもいたなんて……」


 悔しげに告げる兄の姿に、源吾郎は驚いてすぐに言葉が出てこなかった。今回の事件で庄三郎が何もしなかった事を、そのように彼が捉えているとは思ってもいなかったからだ。元より兄は自分の手に負えない事だからこそ、源吾郎や苅藻を頼ったのではないか。


「良いんですよ庄三郎さん」


 呆然とする源吾郎に替わって声を上げたのは雪羽だった。


「庄三郎さんは人間として暮らしていて、僕たちみたいに闘う術を持っている訳じゃあないんですから。僕たちが今日ここに来たのもそのためです。どうかご自身を責めないでください」

「――俺も雷園寺君の言うとおりだと思うよ、庄三郎」


 いつの間にか源吾郎たちの傍には苅藻がやって来ていた。妙に優しげな眼差しでもって庄三郎たちを見つめている。源吾郎や雪羽にも視線を走らせていたが、今一度庄三郎を見やると言い足した。


「そもそも自分では手に負えないからこそ、俺や源吾郎を頼ったのだろう? お前の事だ、自分で出来る事は自分でやって来た事は俺だって知ってるよ。今回は自分ではできない事だった。だから誰かに頼ったとしても恥ずべき事ではない。

 とはいえ庄三郎。弟の身が心配だった気持ちも俺にはよ」


 最後の一文を言った時の庄三郎は、いつになく物憂げな表情を源吾郎たちに見せていた。


「叔父上、叔父上はやっぱり俺たちを助けるつもりで動いてくれたんですか?」

「結果的にそうなるが、論理だって動いた訳じゃあないんだよ」


 苅藻は既に拗ねたりツンデレムーブを見せたりしている訳ではない。素直に自分の考えを口にしているであろう事は源吾郎にも伝わった。

 それでも歯切れの悪い言葉になっているのは、苅藻自身が自分の思いや考えを探り直しているからのように思えた。


「妹はもう十分に独り立ちしたし、俺を頼る事も放っておいて窮地に立たされる事も少なくなった。兄として喜ばしくも寂しい部分もあるけれど。だが、弟分である甥たちはそうでもないからな」


 結論の見えない述懐を終えると、苅藻は源吾郎を真正面から見据えた。叔父ながらも心の内側を覗き込むような眼光の鋭さに源吾郎は一瞬怯んでしまった。


「源吾郎。お前もいずれははずだ。いや――解らないといけないだろうな。お前はもはや親兄姉や学校と言った箱庭で護られた仔狐ではないのだから」


 苅藻はそう言うと、今度は雪羽に視線を向けた。


「ピンとこないというのなら、雷園寺君に聞いた方が良いかもしれないね。雷園寺君ならば、俺の言った事は汲み取ってくれるだろうから」

「そんな……」


 照れたのか何か知らないが、話題を振られた雪羽はばつが悪そうな様子で目を伏せた。

 苅藻はその後源吾郎たちの活躍を褒めてくれた。とっさの判断とはいえ、源吾郎は奈美と言う女性を凶刃から護り、雪羽は襲撃犯を取り押さえて武器を取り上げたのだ。彼らの初動があったからこそ、被害はまだ少なくて済んだのだと苅藻は言ってくれた。日頃の訓練の賜物でもあろう、と。

 誠に勿体ない話ではあるが、源吾郎は苅藻の称賛を半ば虚ろな気持ちで聞いていた。事件現場に居合わせた事で疲れている事もあったし、何より先程の言葉にばかり意識を取られてしまっていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る