結界内での話し合い

 会合を終えた萩尾丸は未だに事務所内にたむろする面々に軽く挨拶をすると、今日の業務は終わりだとばかりに帰り支度を始めた。雪羽がそんな萩尾丸に回収され、一緒に帰る事になったのは言うまでもない。


「島崎君も僕が戻ってくるまで居残ってたみたいだね」


 車に乗り込み、助手席のシートベルトを雪羽が着用した所を見計らい、萩尾丸はぽつりと呟いた。雪羽は萩尾丸の言葉に頷いただけだった。厳密には源吾郎は居残っていた訳ではない。一旦帰宅し、それからわざわざ戻ってきたのだ。

 だが雪羽はそこまで事細かに説明はしなかった。それを説明するには疲れ切っていたし、ともあれ居残っている事には違いなかったからだ。

 あの子らしい事だ。運転を始めた萩尾丸はまたも呟いた。源吾郎に対するあの子という呼び方は、それこそ萩尾丸らしい発言だった。萩尾丸は若妖怪含め多くの妖怪を従えており、彼自身も既に三百年以上生きている。そのためか若い妖怪を子供扱いする事が常だった。雪羽の保護者であり、大人妖怪の枠組みに入っているはずの三國の事でさえ、ヤンチャさが抜けぬ若者であると見做している節があるのだ。生後百年に満たない若妖怪である源吾郎や雪羽などは、ほぼほぼ無条件で子供扱いされるのは言うまでもない。


「実はね雷園寺君。昨日は君が休みだったから、島崎君は少し寂しそうな素振りを見せていたからね。一日ぶりとはいえ、君が元気に出社したのを喜んでいるんじゃないかな」

「島崎先輩が寂しがってたんですか」

 

 雪羽は反射的に呟いていた。それが問いかけなのか事実確認なのかは自分でもはっきりとしなかった。とはいえ寂しがっていたのならば先程の彼の態度も納得がいくものだった。

 結局のところ、源吾郎も自分の気持ちに従っていただけなのか。そう思うと不思議と愉快な気持ちが沸き上がり、雪羽は笑みを浮かべていた。


「それじゃあ萩尾丸さん。昨日僕がいないって事で、島崎先輩もずっと寂しいって言ってたって感じなんですかね。先輩は結構甘える事に抵抗が無いというか、まるっきり甘えん坊ですし」

「いや、別にそんなあからさまじゃあなかったよ。僕とか紅藤様に雷園寺君の事を一度聞いただけだったんじゃないかな」


 源吾郎の状況について語る時、萩尾丸は笑いをかみ殺しているような物言いだった。


「雷園寺君。確かに島崎君が甘え上手なのは僕らも知ってるよ。末っ子育ちのお坊ちゃま育ちだからさ。本人が気づかないだけで甘えん坊な所もあるのかもしれない。だけどのべつまくなし甘えているような甘ったれじゃあない事は君とて知っているんじゃあないかな」

「……確かにそうですね」


 雪羽は小さな声で応じ、萩尾丸から顔をそむけた。流れる景色に視線を向けたような動きに見えているのかもしれないが、実際には自分の言動が恥ずかしくて萩尾丸が直視できなかったのだ。

 萩尾丸の指摘は的確であるし、源吾郎が単なる甘ったれではない事を雪羽も知っている。雪羽もひととなりを見抜く眼力は持ち合わせている。三國の許で妖事面談を任されていた事もあるし、彼自身も野良妖怪のを従えていた事があったからだ。源吾郎の気位の高さは、生誕祭に初めて出会ったあの日から既に解っていた。二、三度打ちのめした所で屈服したり心が折れる手合いではない事は、射抜くような眼差しが物語っていた。

 もちろんその読みは当たっていた。そうでなければ負け戦が続く雪羽とのタイマン勝負を辛抱強く続けたりはしなかっただろう。僅か八回の勝負で源吾郎が雪羽を打ち負かす事が出来たのは、もちろん彼の能力と才覚と努力の賜物ではある。しかしそれ以上に折れなかった心の強さというのも大きいはずだ。

 雪羽は軽く身を震わせていた。才能と言い精神面と言い、源吾郎は今後も強くなっていくであろう事が明白であると気付いたからだ。その割に無邪気でお人好しな所が目立つ気もするが、そこはやはり育ってきた環境によるものだろう。



 遅い夕食は出来合いの物で済ませる事になった。普段ならば萩尾丸が用意するか、屋敷に来ている彼の部下――萩尾丸の家である屋敷に、彼を慕っている妖怪が滞在する事がままあるのだ――が作ってくれるかのどちらかだったりする。しかし今回は遅い時間帯であり、奇しくも誰かが萩尾丸の屋敷に訪れている訳でもなかった。猫又のシロウは猫らしく転がっているだけだったし。

 若干味が濃くて脂っこいだろうけれどたまには良いんじゃないかな。萩尾丸は若干神経質そうな声音でそんな事を言っていた。再教育という名目で雪羽の面倒を見ている萩尾丸であるが、雪羽の健康管理というのも萩尾丸の仕事の一つだった。三國の許で野放しになっていた頃は、不摂生が重なっていたのではないかと思っているらしく、一層食事面には色々と気を配っているらしかった。健康診断にもギリギリ引っかからないし健康体なんだけどな……と思いつつも雪羽は萩尾丸の意向に従うほかない。それでも萩尾丸に引き取られてから前よりも元気になった気もするし、動きにもキレが出てきた気がするから結果オーライなのだけれど。

 そんな事を思っていると、萩尾丸が唐突に結界を展開させた。猫又のシロウが驚いたように半身を起こしていたが、何事もなかったかのように耳を動かして伏せている。結構上等な結界だな。電流探知能力で結界を探った雪羽はぼんやりと思った。

 雪羽自身は結界術を使えないが、結界術にも様々な種類がある事は知っている。単純な物は攻撃や外にいる生き物を弾くだけの権能しかない。だが高度なものになると認識を誤魔化したり、結界の内部で何が起きているか解らないような物もある。ややこしい話であるが結界がある事が気付かれないような結界さえあるのだ。

 そうした結界の中でも、萩尾丸が使った結界は、認識阻害も含まれたやや高度な物だった。

 とはいえ何故このタイミングで萩尾丸が結界術を行使したのか。雪羽にはその意図が掴みかねた。雪羽が逃げるのを阻止したり、或いは外部からの敵襲に備えるためのものではない事は明らかだ。雪羽が萩尾丸に反抗する意思が無い事は既に明らかであるし、そもそも外敵除けの結界は屋敷全体にかけられている。


「雷園寺君。今回僕は灰高様に呼ばれて打ち合わせに出向いた訳だけど、君もその事で何か言いたい事があるんじゃないのかな」

「あ、それで結界を……」


 萩尾丸の唐突な問いかけに、雪羽はそんな事を漏らしていた。二人の会話が、雪羽が話した事が外部に傍受されないように結界を展開した。その事が萩尾丸の言葉で明らかになったと雪羽は思っていた。

 何でも良いから話してごらん。言外に促された雪羽だったが、言葉が上手くまとまらなかった。久々の出勤で疲れているからなのかもしれない。とはいえ、雪羽の脳裏には、異母弟妹たる時雨や深雪の姿が鮮やかに浮き上がっていた。


「言いたい事はもちろん色々ありますよ。あるんですけどあり過ぎてまとまらないんです」

「無理にまとめなくても良いよ。思っている事を口にしていくうちに考えがまとまっていくだろうからさ」


 萩尾丸はどうあっても雪羽から意見を聞きだしたいようだ。圧倒的な力を持つにもかかわらず、ゆっくりと追い詰めていく様はいかにも萩尾丸らしい。そんな考えが雪羽の脳裏に浮かんでしまった。

 だが雪羽は意識的にその考えを振り払う。どうにも今日は神経が昂り、そのせいで変な方向に考えが向いているのだと思った。萩尾丸が雪羽の意見を聞きたいのは、雪羽が当事者であるからじゃないか。そのように思いなおす事にしたのだ。


「萩尾丸さん。叔父は時雨の事を、弟の事について何か言っていませんでしたか?」

「特に何も言ってなかったよ。確かに三國君も、君と同じく雷園寺家の当主は君が相応しいと思っている。だけどあの子もあの子で雷園寺家が擁する当主候補がまだ子供である事は知ってるよ。それに雷園寺君に何かした訳でもないし。だから別に、時雨君をピンポイントで疎んでいるとかそういう事は無いと思うけどね」

「そうだったんですね」


 雪羽は思わず安堵の息を漏らしていた。三國は雪羽以上に雷園寺家現当主とその妻の事を憎んでいる。雪羽の前ではひた隠しにしているが、雷園寺家そのものを良く思っていない事も雪羽は知っていた。その三國の憎悪や悪感情が、時雨に向けられているのではないかと気が気ではなかったのだ。

 もちろん、雪羽は三國の事を信頼しているし、保護者として敬愛している事には変わりない。三國とて雪羽の父親代わりになろうと心を砕き、実の息子のように思っている事も知っていた。だから叔父の憎むものを自分も同じく憎むべきだと思っているし、そうする事がなのだと考えていた。

 だがそれでも、時雨の事を三國が憎んでいたらどうしようかと戸惑っていたのだ。雪羽にとって時雨は当主の座を争う相手ではある。しかし時雨に相対した時に沸き上がってきたのは、不当な当主候補への憎悪ではなく弟に対する情愛だったのだ。

 もちろん立場上兄を名乗る事はずっと先の事になるはずだ。ついでに言えばその時には勢力争いの対抗馬として名乗りを上げるわけだから、兄弟らしい交流を行う事はどうあがいても不可能だ。

 そうした事は雪羽にも解っていた。解った上で兄として接したいと思ってしまったのだ。


「三國君が時雨君を悪く思っていないと知って、安心しているみたいだね」


 心中を見透かすような萩尾丸の言葉に、雪羽は素直に頷いた。思っている事が顔に出ていたのだろう。甘えるのが苦手な雪羽だったけど、この時はおのれの思いをストレートに伝える事にした。どのみち意地を張って否定しても、その考えを補強するだけに過ぎないだろうから。


「萩尾丸さん。僕自身は時雨の事は悪く思っていないんです」


 自分が時雨についてどう思っているか。その話をする決心は既についていた。考えてみればその話は源吾郎に対しても行ったばかりである。同じ事を言えば良いだけなのだ。そう思うと少し気が楽になった。もしかしたら、源吾郎が聞いた話は萩尾丸の耳に入っている可能性もある訳だし。


「確かに弟とは雷園寺家当主の座を争う未来が待ち構えているのは僕も知ってます。僕自身、雷園寺家当主の座は諦めていませんし……雉鶏精一派としても僕を雷園寺家当主にしたいと思っておいでなのでしょうから。

 弟も、時雨も雷園寺家次期当主に選ばれている事には変わりありません。ですがあいつは何も知らない子供なんです。しかも妹を探そうと奮闘していましたからね。ええ、全くもって健気な奴でしたよ。面と向かって弟と呼べたらどんなに良かったか。そんな事さえ思いましたからね」


 言いながら、雪羽は視界がぼやけるのを感じた。よりによって萩尾丸の前で涙を見せるなんて。眠いから顔をこすっているだけだというふりをして涙を押し隠し、笑顔を作って言葉を続けた。


「だけど安心してください萩尾丸さん。別に僕は、弟を見て雷園寺家次期当主の座を狙う事をやめたとか、そう言う訳じゃあありません。次期当主としてぶつかり合うにしても、きっとずっと先の事になるでしょうからね。その時には俺も弟も立派な大人――それこそ萩尾丸さんみたいな大人です――になっているはずです。時雨も異母兄がいたと知っても、その頃には動揺しないでしょうし。

 それに相争って勝負がついたとしても、だからと言って憎み合ったりいがみ合ったりする関係になる訳じゃないと僕は思うんです」


 勝負がついた後の関係性。その事を語る時に浮かんだのは源吾郎の姿だった。雪羽と源吾郎はそもそも親しい間柄では無かった。業務上同じ職場で働く事になったから、仕方なく相手の存在を受け入れるという感じだったのだ。

 タイマン勝負の時とて、源吾郎は彼なりに闘志を露わにし、負けたら負けたで悔しがりつつも雪羽に向かって言った位だ。

 しかしそれでも源吾郎が心中ではぐくんでいったのは雪羽に対する憎悪ではなく、仲間意識と相互理解だったのだ。結局の所源吾郎は雪羽を打ち負かしたのだが、彼の心中を慮って気を遣ってくれるほどである。

 そう言った事から、勝ち負けが決まっても禍根を残さない可能性もあるかもしれないと雪羽は思い始めていたのだ。もっともそうした関係性は、源吾郎の人の好さによって生じただけの事なのかもしれないけれど。そしてそれに縋ろうとする雪羽も、子供っぽくて甘い考えの持ち主なのかもしれない。


「確かにそう言うあっさりした関係に帰結するのが理想的だろうね」


 意外にも萩尾丸は雪羽の言葉を聞いて嗤う事は無かった。肯定もせず否定もせず穏やかにそんな事を言っただけだった。このところ萩尾丸の態度は妙に優しい。優しくされるのは有難いが、妙な優しさは萩尾丸らしくなくて違和感があった。

 そんな事を思っていると、今度は萩尾丸の方から話題を振ってきた。


「ところで雷園寺君。君は昨日時雨君たち兄妹に会ったと言っていたよね。だけど灰高様の報告では時雨君たちは本家にいたという事になっている……そこについてはどう思うかな?」

「その事については、むしろ萩尾丸さんの意見が僕は聞きたいです」


 萩尾丸の問いかけに雪羽は質問で返した。のみならず挑むような眼差しを萩尾丸に向けたのだ。挑発めいた雪羽の言動に対しても、萩尾丸の表情は揺らがない。しかし口を開くそぶりも見せなかった。


「昨日僕が出会ったのは確かに雷園寺時雨と雷園寺深雪でした。まさか旅行に出ていると言っていたあの二人が替え玉で、僕とは縁もゆかりもない妖怪だと仰りたいんですかね。

 そもそも、萩尾丸さんは僕に親族の妖気が染みついていると断言なさっていたじゃないですか」

「雷園寺君。君が出会った時雨君たちとやらが、替え玉ではなく本物であると僕も思っているんだよ。もっとも、僕は君と違って彼らに出会っている訳ではないけどね」


 それでも君に染みついている妖気は君の親族の物だよ。断言する萩尾丸を前に雪羽は安堵していた。やっぱり本家にいる方が替え玉なんですね。雪羽の問いに萩尾丸は頷いてくれていた。

 萩尾丸が雪羽と同じ意見を持っている。その事はかなり心強かった。その一方で、疑念が胸の中で膨らんでいった事もまた事実だったけれど。


「それにしても萩尾丸さん。それなら何故弟たちは影武者を立ててまで旅行をしていたんですかね。しかも灰高さんの話では、その事を雷園寺家自体は知らないみたいですし」

「まぁ色々考えられるけれど……その旅行とやらを時雨君自身が考え付いた事柄だからなんじゃないかな」


 思案に暮れる雪羽を見ながら、萩尾丸は言葉を続けた。


「子供の考えた事だろうから、策略とか陰謀とかが隠れている訳ではないだろうね。ただ単に、雷園寺家にいるのがしんどいから、ちょっと気晴らしに遠くに行こうと思っただけなんじゃないかな」


 萩尾丸はそこまで言うと言葉を切り、雪羽の瞳をじっと見つめた。


「雷園寺君。君は今さっき時雨君の事を『何も知らない子供だ』と言っていたよね? 時雨君は雷園寺家の次期当主になる事について君みたいに意気込んでいたのかな」

「正直なところ、弟からはそんな雰囲気は無かったですね」


 正面から問いかけられた雪羽は、時雨の事を思い出しながら即答した。気弱そうな時雨は、むしろ雷園寺家次期当主の肩書はむしろ重荷だと認識しているようだった。その事を雪羽が告げると、萩尾丸は一層笑みを深めた。企みを好む天狗らしい笑顔だったが、それを見て雪羽は少し安心もしていた。


「だったら尚更プチ家出というかちょっとした逃避行と言った線が濃厚になるね。それでも無断で出掛ければ大騒ぎになるだろうから、幻術を使って替え玉を用意したって所かな。今の雷園寺家には狐狸妖怪の使用人も多いと聞くし、合点のいく話になるねぇ」

「萩尾丸さん。その話は灰高様や叔父貴になさっているのでしょうか」


 一人で納得している萩尾丸に対して、雪羽は質問を投げかける。時雨が本家にいると思い込んでいる灰高にこの事が知られたらややこしい事になりそうだ。その事は若妖怪である雪羽も何となく把握していた。若妖怪であるから、ややこしい事態を収束させる術を持たないのも事実だけど。

 すると萩尾丸は首を横に振るだけだった。


「完全に裏が取れている話ではないから僕は何も言ってないよ。繰り返すけれど、僕自身が時雨君たちに会った訳じゃあないからね。

 それにきっと時雨君たちの旅行もほんの数日の頃だろう。誰にも知られないようにこっそり旅行を楽しんで、気付かれないうちに本家に戻って今までの生活を続けていくつもりだと僕は思うんだ。

 そりゃあもちろん気になる所はあるだろう。だけど何かトラブルが起きている訳でもないのに騒ぎ立てたらそれはそれでややこしい事になるからね。そうでなくても雉鶏精一派は雷園寺家にとっては外様であり、ついでに言えば脅威になりかねない存在を擁しているんだからさ……だから雷園寺君も、そんなに気にしなくて良いんだよ」

 

 そうしたやり取りを行っているうちに、萩尾丸はいつの間にか結界を解除していた。食事は互いに済んでいる。雪羽は急に眠気と疲れを覚えたが、それは何も食後だからというだけではないはずだ。

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