講義終わりて宿命話

 雷獣の弱点や源吾郎が戦士として乗り越えなければならない事柄などと言った主だった講義はおおむね終わった。あとは次回以降の戦闘訓練に向けて必要な道具を買うだけだった。

 既に戦闘訓練は四回目が終わった所だ。しかしそれで終わりではない事は源吾郎も解っていた。雪羽は十回タイマン勝負を行う事に拘泥していたからだ。もしくは十回未満であっても源吾郎か雪羽のどちらかが拒否すれば、二人のタイマン勝負は終了する。それはあり得ない話だろうと源吾郎は思っていた。源吾郎の闘志は未だに衰えていない。そして何より勝ち戦を続ける雪羽の闘志が潰える事はもっと考えづらい。

 余談だが源吾郎と雪羽のどちらかがタイマン勝負を拒絶した場合、戦闘訓練の相手は萩尾丸になるだけだ。無論彼は大妖怪であるのだが、源吾郎たちの力量に合わせて手加減してくれるとも言っていた。手加減があると言えども、萩尾丸と手合わせするのは考えるだけでも怖気がする。それは雪羽も同意見らしかった。


「叔父上、今日は色々と教えてくれてありがとう。とりあえず要りそうな物を買ってくよ」

「叔父孝行な甥っ子がいてくれて俺も嬉しいよ……値段を気にせず買っていけと言いたいが、流石にそれは難しいんだな」


 この際だからツケも考えてやるぜ。軽い調子で告げる苅藻に対し、源吾郎は苦笑しながら首を振った。


「ツケにしなくても大丈夫。俺、ちゃんと持ち合わせはあるから」

「そうかそうか。源吾郎ももう社会人だから、その辺はしっかりしてきたなぁ」


 慈愛に満ちた笑みを見せる叔父に対し、源吾郎は愛想笑いを返しただけだった。持ち合わせを用意しているのは事実だった。だがそれ以上に叔父に対してツケというか借りを作るのは避けたかったのだ。

 普通の家庭では、叔父叔母や祖父母と言った親族は親兄姉よりもお金のやり取りの融通が利くらしい。苅藻は源吾郎の事を可愛がってくれるが、ことお金に関しては結構きっちりしていたのだ。まぁ、お金に厳しいのは叔母のいちかも同じだが。


「とはいえ、持ち合わせが少なかろうと源吾郎だったら尻尾の毛を素材として売り出す事も出来るだろうに。高く売れるだろうなぁ。血統が申し分ないのは言うまでもないが、飲酒・喫煙とは無縁だろうし不摂生してる感じでもないしさ。それこそ、紅藤様の出す給料数年分の値打ちがあるかもな」

「そんな……尻尾は……」

 

 源吾郎はミニサイズに留めている四尾を腹側に巻き付け思わず抱え込んだ。

 妖怪の身体の一部が、術者などが使う素材になる事はもはや源吾郎も知っていた。場合によっては骨や革などと言った物騒な素材もあるにはあるが、何も素材になるのはそればかりではない。苅藻の言葉通り獣妖怪では尻尾の毛が素材になる事が多かった。妖怪の妖力は体毛にも宿り、採取するにしても肉体的な負担が少ないためだ。

 とはいえ、尻尾の毛の売買はそんなに盛んではない。術者は妖狐の毛を欲するが、お金のために尻尾の毛を刈り込む妖狐は少ないためだ。また、暴飲暴食が目立つ者・過度な飲酒や喫煙を行っている者・染色をしている者の場合、毛の質が悪くなるという事でそもそも業者が買い取りを拒否する事もあるくらいだ。というか人間の術者たちは折に触れて妖狐の若者たちに毛の染色を行わないようにとキャンペーンを行っているらしいが、そう言った事が事情が背後に隠れているのもまた事実だ。

 苅藻はしばらく源吾郎を黙って見つめていたが、ふいに息を吐きだして笑った。


「いやいや冗談だよ。尻尾の毛は妖狐の生命だもんあぁ。いくら質が良かろうとそんなやすやすと刈り取って売りに出すなんて出来ないだろうし」


 源吾郎は抱えていた尻尾を元に戻しながら思案に暮れていた。ゴールデン・ウィークの折に尻尾の毛を刈り込んだ事を思い出したのだ。その時は自分の毛が売れるという事を知らなかったので萩尾丸たちにそのまま上納してしまったのだが、かなり勿体ない事をしてしまったのかもしれない。

 そんな事を思っていると、苅藻は一枚のビラを手に取り、源吾郎に手渡した。


の案内が来てるんだ。妖手がちと足りないからっていう事で、妖を集めて欲しいって言われててね……昼食も出るし小遣い稼ぎになると思うんだが」


 かいぼりというのはため池の水を抜き、泥とか分解されかけた落ち葉などを取り除き、ついで増殖した外来魚や外来生物を駆除するあの作業である。但し苅藻の話によると、若干妖気が滞留している場所であるらしく、一般人ではなくて術者とか一般妖怪に声がかかっているとの事だ。

 源吾郎はひとまずそのビラを受け取った。小遣い稼ぎというものの日当は二万五千円とあった。結構もらえるんだな、というのが素直な感想だった。知り合いから時給八百五十円でバイトしているとかそんな話を聞いていたから余計にそう思った。


「ありがとう叔父上。一応紅藤様たちに確認してみるよ。一応就職してるし、こっちもお金が発生するみたいだから参加して良いのかどうか許可を取らないといけないし」

「まぁその日当だったら所得税は発生しないが……確認したほうが無難な事には違いない。お金が発生するもんな」


 苅藻の言葉を聞きつつも、源吾郎は実は紅藤たちは快諾してくれるのではないかと思っていた。妖怪社会は人間社会よりも副業についておおらかな所があるようだから。萩尾丸も前に副業は構わないみたいな事を言っていた。というよりも彼も自分で組織を運営しているから、ある意味副業しているようなものかもしれないし。

 もちろん源吾郎は月曜日にでもこの件を紅藤に問い合わせるつもりだ。快諾するだろうと思っている事と実際に快諾してくれる事とは別物である事は流石に源吾郎も心得ている。



 ※

 成程お前らしい道具の選び方だ。会計を済ませるや否や苅藻はそんな事を言った。源吾郎が購入したのはおおむね防御用の護符の類だった。込められた妖力がスムーズな結界の発動を促す物、不測の攻撃に応じて自動的に結界を展開するような物などである。特に自動的に結界を展開する護符は源吾郎にとってありがたかった。源吾郎自身も簡単な結界術を展開する事は出来る。しかし純血の妖怪を相手取って闘うには自前の結界術展開では遅すぎる。妖力の保有量や攻撃力は凡百の若妖怪では太刀打ちできない領域に至っている源吾郎であるが、それでもやはり彼は人間の血を受け継ぐ半妖だった。動体視力やそれに起因する反応は、純血の妖怪に較べて格段に劣っているのである。そしてが勝負の分かれ目でもあった。カマイタチ程ではないにしろ速度に特化した雷獣が相手ならば尚更その差は浮き彫りになる。

 変わり種では縛妖索ばくようさくと呼ばれるロープ状の道具もひと巻き購入してみた。標的の妖怪にダメージを与える事なく捕縛するための道具らしい。装備している護符の護りに弾かれる可能性も考えられるが、使ってみるのも一興であろう。

 色々と買い込んでいた訳であるが、源吾郎が購入しなかったものもある。攻撃用の護符や道具である。

 術者の道具、特に人間向けの道具は何も防御用の物ばかりではない。むしろ攻撃用の護符や道具の方が多い位であろう。それはやはり人間と妖怪との決定的な力の差が大きい事にも起因するだろう。雑魚妖怪や弱小妖怪と呼ばれる者たちは、確かに妖怪としては弱い存在だ。しかし人間の脅威になりうるだけのポテンシャルの持ち主である事もまた事実なのだから。

 そういう事もあり、攻撃用の護符も苅藻は多く取り揃えていた。術者が念じるだけで付与されたエネルギーを放出して標的を攻撃するタイプの物もあれば、術者の力を増幅させるようなものもある。ついでに言えば防御用の護符よりも一、二割程度は安価だった。

 それでも源吾郎は攻撃用の護符は購入しなかった。それはやはり、玉藻御前の末裔としての矜持によるものだった。


「確かに攻撃用の護符の方が安いみたいだけど、今の俺にとっては無用の長物だよ。叔父上の話だとチンピラ崩れの野良妖怪を怖がらせるくらいの威力しかないみたいだし。それにまぁ……俺自身の攻撃力も高いもん」

「ははは、負けず嫌いなお前らしい言葉だな」


 苅藻は源吾郎が差し出した紙幣を数え、釣銭を用意していた。すぐに釣銭を渡すのかと思いきや、苅藻の手は一度釣銭から離れ、レジの横に伸びていった。レジの横に鎮座するお守りの類を二つ取り、何食わぬ顔で釣銭の上に乗せたのだ。


「良縁を招くお守りだ。これは俺からのサービスだ。このお守りについてはお代は良いよ」


 思いがけぬ苅藻の言葉に源吾郎は目を瞠った。術者にして商売人たる苅藻のケチ度合いは源吾郎もよくよく知っていた。もちろん今しがたある程度の額の護符を購入したばかりであるが……だからと言ってこういうサービスをするような事は滅多にない。


「そんな叔父上。珍しい事を仰るじゃないですか」

「折角の機会だから、にちょっとしたお土産を渡したくってな。ついでだからお前にも同じお守りを、と思った所だよ。源吾郎も何だかんだ言いつつも頑張ってるからさ。ちょっとくらい甘やかしてもばちは当たらんだろう」


 受け取った釣銭をしまいながら源吾郎は苅藻を見やった。鷹揚に微笑む苅藻を見ながら源吾郎は少し首を傾げた。


「さっきから思ってたんだけど、叔父上は結構雷園寺君の事を気にしてるんだなぁ」

「何だやきもちか源吾郎?」

「別にそんなんじゃないよ。叔父上が一番大切にしているのは叔母上だって知ってるもん」


 叔母のいちかを引き合いに出したのは半分冗談みたいなものであるが、苅藻が雪羽の事を気にかけているのが気になったのは事実だ。苅藻と三國の関係性は単純に良好と片付けて良い物ではない。確かに苅藻も三國を弟と見做して可愛がっていた事があったのだろう。しかしその三國はいちかに手を出そうとしたという。結果的には何も起きなかったが、苅藻の三國に対する心証は悪くなっているに違いない。何せシスコンの苅藻である。先も述べたようにいちかを一番大切に思っているのだろうから。

 ちなみにいちかはそんな兄を醒めた目で見る事が多いようだが、兄妹の関係性なんてそんなものである。

 だからまぁ、過去の遺恨もあるだろうに雪羽を気にする苅藻の姿勢は不思議に思えてしまったのだ。


「叔父上と三國さんが交流があったみたいだけど、雷園寺君とも何かあったの? それともやっぱり、身内だからそう言う話になっただけ?」


 源吾郎が問うと、苅藻は視線を泳がせた。過去の出来事や記憶を探り当てようとしているようだった。


「……三國君はな、雷園寺君を引き取ってすぐに俺の許に相談に来たんだ。訳あって甥っ子を引き取る事になったから、甥っ子の面倒の見方を教えて欲しいってな。源吾郎が知らないのも無理はない。お前が生まれるうんと前の話だからな」


 少年のような姿をしている雪羽だが、実はそれでも四十年近く生きている事は源吾郎も知っている。三國が雪羽を引き取ったのは三十年ほど前の話だというから、確かに源吾郎はまだ産まれてもいない。影も形もない存在だ。


「三國君も切羽詰まってたんだよ。兄姉たちや雷園寺家たちと比較的穏便に話を進めるために神経をすり減らしたみたいだからね。その上そうまでして引き取った甥は、三國君に馴染まずむしろ怯え切っていたんだから……見た目や妖気がそっくりだから身内だと判ったけど、それこそ三國君が何処かから子供を拉致してきたのかと思った位だからな」


 乾いてうっそりとした笑みを浮かべる苅藻を前に、源吾郎は驚いて息を漏らした。源吾郎の知る雪羽は、三國を唯一の肉親として慕う姿だった。時々物憂げな表情を見せたり物思いにふけったりしている所を見せるものの概ね快活で若干粗暴な所が見え隠れする少年だ。三國に怯える雪羽の姿はどうも上手く想像できなかった。

 だがそれでも、雪羽にもそういう事があったのかもしれないと源吾郎は思っていた。叔父である苅藻の言葉を信用していたし、何より三國の話や雪羽の何気ない仕草を見ていると思い当たる節がある気がしたのだ。


「三國君としても俺に相談するほかなかったんだろうな。兄姉たちの中には既に所帯を持つ妖もいたんだろうけれど、雷園寺家での一件があったから相談できなかったんだろう。

 それに三國君は、俺にも甥っ子や姪っ子がいる事を知ってたんだ。あわよくばその甥っ子たちが雷園寺君の弟妹がわりになるかもって思ってたらしいんだよ。その甥っ子たちというのは、言うまでもなく宗一郎君と双葉ちゃんの事だ」

「それで、さっきは兄上の名前を出したのか」


 源吾郎の声には嘆息が混じっていた。三國が苅藻やいちかに頭が上がらないのは少し前に知った話である。しかし雪羽の事で苅藻に相談していた事や源吾郎の兄姉と雪羽が友達になれないかと画策していた事は初耳だ。


「まぁ結局のところ、俺は三國君の相談を突っぱねたんだがな。

 しかし勘違いしないでくれ。別に三國君に意地悪して相談を突っぱねた訳じゃない。いちかをモノにしようとした件も無関係だ。あの一件で三國君はすっかり反省して、女性関係の方は落ち着いたからな。ついでに妹は俺の所業を知ってドン引きしたが、それもまた別の話だ。

 ともかく、俺が相談を突っぱねたのはある意味親切心からの事だよ。確かにあの時、俺と三國君にはそれぞれ甥がいた。しかし甥の面倒を見るという意味は三國君と俺では決定的に違っていたんだ。三國君は父親代わりになる事の心得を求めて俺に相談を持ち掛けてきた。それは――俺には伝えられない事だったんだよ。俺の甥っ子たちへの接し方はそんなんじゃあなかったからな。それこそ親戚のお兄さんという感じだっただろう」

「確かにそれなら……」


 源吾郎はそこまで言っただけだった。三國と雪羽は互いの関係性を叔父と甥である事を強調しているが、実際には父子と言っても問題ないであろう事は源吾郎も知っている。父親代わりとして甥を育てたい。その問いに苅藻が窮するのも解らなくもない。


「そんなわけで、俺も俺なりに雷園寺君の事は気になっていたんだ。最近はおイタもちょくちょく目立つようになっていたみたいだし。とはいえ春嵐君や月華さんが上手く立ち回ってたみたいだから自警団とかにしょっ引かれる事はなかったみたいだけど。

 それに今は雷園寺君があちこちでおイタをしてヤンチャしていたのも過去の話だろう。萩尾丸さんの監督下にあるんだからな。しかもライバル的な存在としてお前もすぐ傍にいるわけだし」


 全くもって因果な話だ。源吾郎は心の中で強く思わざるを得なかった。雪羽個人とのかかわりが出来たのは、あのグラスタワーの事件があったのがきっかけではある。しかしまさか、互いの叔父同士にも因縁のような物が絡んでいるとは。

 して思うと、訓練と言えども互いに闘志をぶつけ勝負を挑むのもある種の宿命なのかもしれない。そんな考えが源吾郎の脳裏に浮かんでいた。


読者の皆様へ:作中の表現は新入社員の副業を奨励する意図はございません。

副業を考える会社員の皆様は、必ず所属する会社に相談していただきたく思っております。

 また、作中での表現は2017年相当の物なので、現在の状況と異なる場合がございます。

 お手数ですがどうぞご理解のほどよろしくお願いします(作者註)

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