手の内を飛び出したるは焔なり

 月曜日。雪羽は源吾郎が差し出した良縁のお守りを見てまず首を傾げ、少し戸惑ったように源吾郎を見つめた。


「良いんですか先輩。お土産だなんて大げさだって前に先輩も言ってたじゃないですか。しかもお饅頭みたいなおやつじゃなくて、ちゃんとしたお守りみたいだし」

「そうは言っても受け取ってもらわんと俺も困るんだ」


 雷園寺のやつ妙にしおらしいな……源吾郎もまた困惑しつつも言葉を紡ぐ。


「俺が土曜日に叔父の許に行ったのも雷園寺君は知ってるだろ。その時に叔父が雷園寺君のために良縁のお守りを用意してくれたんだよ。もちろん、俺も同じやつを貰っているからその辺も気にしなくて良いよ」


 源吾郎の言葉は、雪羽を納得させようと放たれたものだった。ところが叔父と聞くや否や雪羽の困惑度合いは一層増したのだった。源吾郎が指す叔父というのが苅藻である事は解っているのだろう。解った上で、解ったからこそ戸惑っているらしい。


「叔父さんって……苅藻さんの事だよね。良いの、のために?」

「どうした雷園寺君、何と言うか君らしくないぞ。俺の叔父が……苅藻の叔父上の事が君は怖いのかい?」


 いっそお守りを押し付けたい衝動が脳内をよぎったが、源吾郎はそれを理性で押しとどめた。雪羽が苅藻に畏敬の念を抱くのも無理からぬ話かもしれぬと思い始めていたのだ。源吾郎にしてみれば、苅藻にしろ三國にしろ等しく甥を持つ年長者である。しかし雪羽の中ではそのような認識ではないのだろうと悟ったのだ。

 猫を被り平静を装っているから解り辛いが、雪羽は案外年長者を前に緊張しがちな性質であるらしい。ましてや苅藻は明らかに三國より年上であるし、過去の一件で三國は苅藻に灸を据えられている。三國の過去の痴情のもつれを雪羽が何処まで知っているのかは定かではないが、苅藻を畏れる気持ちが雪羽に伝わっていても何もおかしくはない。

 妖怪たちは強い者が幅を利かせる世界でもあるが、誰が誰よりも強いのか見定める事もとても大切な事なのだ。そしてその事は、雪羽の方が源吾郎よりも詳しく知っているのかもしれない。


「ま、まぁね……叔父貴からもあのひとの機嫌を損ねないようにって言われてるし……何回か会った事もあるけど……」


 雪羽は結局言葉を濁すだけで決定的な事を口にする事はついぞなかった。それでも向こうは気が済んだのか、その瞳に安堵の色が浮かぶ。源吾郎は所在なく開かれた雪羽の手にお守りを置いた。雪羽からの拒絶は無かった。


「叔父は純粋に雷園寺君の事を心配していたんだよ。色々あったけど三國さんの事は弟のように思ってるみたいだからさ。三國さんの甥である君の事も、まぁ弟分とか甥っ子みたいに思ってた感じだし」


 雪羽の表情を観察しつつ、源吾郎は冗談めかした笑みを浮かべた。


「なぁ雷園寺君。それでも俺の叔父に負い目があるとかそんな事を感じるんだったらこうしようじゃないか。俺が君とのタイマン勝負に勝ったら、君はそのご自慢の毛皮を俺にモフらせてくれよ。抱っこもしたいから本来の姿でな!」


 本来の姿に戻った雪羽をモフモフしたい。源吾郎は常々そう思ってはいたが、この時はある種のジョークとして言い放ったのだ。「お前そんな要求するんかよ」「いやいや単なるジョークだってば」みたいな当たり障りのない流れに持って行けば、雪羽も少しは元気を取り戻すだろうという計算である。

 ところが雪羽の反応は予想とは異なっていた。翠眼を瞠りしばし瞬きを繰り返していたが、ゆっくりとした動きで頷き、口を開いたのだ。その面には僅かな気恥ずかしさと決意の色がないまぜになっている。雪羽が真に受けた事は明白だった。


「モフりたいんだったら普段の大きい姿の方が表面積も広くて良いかなって思うけど……先輩があっちの姿をお望みなら構わないよ」

「え、本当に良いの? 言っちゃあなんだけどさっきのはほんの出来心で言っただけなんだよ。別にまさか真に受けるとか……」

「大妖怪に二言は無いってやつだよ、先輩」


 へどもどしている源吾郎を見つめ、雪羽の面に笑みが浮かぶ。


「まぁその大人たちから見れば俺たちってまだ大妖怪とかでも何でもないかもしれないけれど、やっぱりそう言う心構えって大事だし。それにまぁモフらせるくらいなら俺も大丈夫。

 何と言うか、女の子を斡旋あっせんしてほしいって言われたら流石に困るけどさ。前まではオトモダチも一緒に遊ぶ女の子もいたけど、今はもうみんなと縁が切れちゃったから」

「女の子なんて紹介してもらわなくても、自分でどうにか見つけるからそれこそ間に合ってるよ」

「あははは、先輩らしい意見っすねぇ。そう言う事もあって、苅藻様も良縁のお守りを渡してくれたのかもですね」

「いや、叔父によると良縁って女の子との縁だけじゃなくて、もっと広い意味だって言ってたかな。それこそ友達とか、仲間とか……そんなところも網羅してるって」


 雷園寺君に良い仲間がいなかった事を叔父は心配しているのかもしれない。源吾郎はそんな事を思ったがもちろんそこまで言いはしなかった。

 ともあれ雪羽もしおらしい態度は抜けて普段の快活な様子を見せている。源吾郎としてはそれで十分だった。



 今週、タイマン勝負形式の戦闘訓練は金曜日にあるのみだった。紅藤や萩尾丸が来客対応をせねばならなかったり工場の監査があったりしたために日程調整される事と相成ったのだ。普通の術較べならばいざ知らず、タイマン勝負形式となると青松丸が監督している程度では危険が伴うかもしれない。それが紅藤の考えだった。

 実際には木曜日がどうにか時間が取れそうだったのだが、天候がよろしくないという事で木曜日は地下で術較べを行う事になっていた。天気予報では木曜日は烈しい雨が降るという事らしく、雪羽が雨と泥水の飛び交う中でのタイマン勝負は嫌だ、と主張したのである。

 その主張が通った事を不思議に思う源吾郎だったが、別に雪羽がごねたとかワガママを通したとは特に思わなかった。雪羽もまた貴族妖怪や未来の大妖怪としての矜持を持つ妖怪である。それゆえの美意識の高さが現れているのだろうと思ったくらいだった。


 源吾郎も源吾郎で、タイマン勝負の期日が伸びるのは少し歯痒かった。しかし上がそのように判断を下すのならば致し方ないと割り切っていたのだ。源吾郎は確かに紅藤から次代の幹部候補として重宝されてはいる。しかし研究センター内でのヒエラルキーが最下位である事もまた真実だ。新入社員であり、妖怪としても未熟なのだから当然の流れであろう。

 また源吾郎はすぐに意識を切り替え、タイマン勝負が先延ばしになった事を前向きにも受け止めていた。実戦勝負が先延ばしになったという事は、その分練習に充てる時間が増えたという事と同義でもある。次の勝負に向けて技の準備をしておこうと思っていたのだ。次のタイマン勝負では狐火をメイン攻撃に据えようと思っている。使い慣れた弾丸状の狐火ではなく、燃え盛る焔のようなものに仕立て上げるつもりだ。源吾郎は今まで狐火を弾丸状に放つか、力を制御してライター代わりに使う位しか行った事がない。焔のような狐火を造り出すのはどのような感覚なのか、実戦までに知っておく必要があるだろう。緻密な変化術を用いる事の出来る源吾郎であるから、高威力の焔を出すのは造作ない話だ。だがその焔を繰り出すのにどれくらい消耗するのか。その辺りは見定めなければならない。

 源吾郎の戦闘能力が若干アンバランスなのは源吾郎自身も知っていた。攻撃力は高いものの、いかんせんスタミナと防御力に難ありなのだ。妖力そのものは純血の妖怪に劣る事はないのだが、肉体的な脆さや体力面は人間の血に引きずられている所があるらしい。

 ともあれどれほどの威力を持つ火焔を放出し、それに自分が体力的にどれだけ耐えられるかを見ておかねばならないのだ。

 鍛錬については雪羽と合同であるから、源吾郎がどのような技を使えるのか向こうには筒抜けになってしまう。手の内を知られるのは少し癪であるが、これもまぁ上の教育方針なのだから致し方ない。裏を返せば、源吾郎もまた雪羽の術を見て対策を練る事が出来るのだから。

 それに雪羽に攻撃方法を知られるのは何もデメリットばかりでもない。源吾郎の戦闘能力を目の当たりにして、雪羽が委縮する可能性とてゼロではないのだから。

 妖怪同士の闘いは強さや実力が物を言う部分が大きい。しかしそれ以前の気概や迫力やはったりが勝敗を決める要因になる事も十分あるのだ。



 地下室。青松丸がタブレットを片手に控える中、源吾郎は堂々とした足取りで前に進み出た。背後で見学する雪羽の事も忘れ、彼は五メートル先に置かれた標的に目を向けていた。

 標的は積み上げられたコンクリートブロックである。ホームセンター等で販売されているような標準的な代物であろう。寝かせた状態で五、六段積み上げられていたために、それなりの存在感を放っている。

 源吾郎はコンクリートブロックたちを睥睨し、無言で右手を持ち上げた。

 見据える先はコンクリートブロックの塊であり、思い浮かべるは勢い盛んな焔が吹き出すところである。火焔放射器・活火山・爆発……源吾郎の脳裏に様々な物が浮かんでは消える。ようやく焔のイメージが形を取り始めた。それとともに、源吾郎の指先の空気が揺らぐ。

 次の瞬間、源吾郎はまず頬や指先に熱さを感じた。強いて言うならばヤカンの蒸気を浴びたような、それよりも強力な熱気である。源吾郎はそこで、狐火を焔として顕現させる事に成功した事を悟った。

 それから、焔が爆発的な渦となってコンクリートブロックにぶち当たるのを文字通り目の当たりにした。焔のステロタイプである赤い焔ではなく、黄色と白色が所々入り混じった焔である。巨大な獣の頭部のごとき貪婪さ猛々しさを見せているが……発動させてから今に至るまで焔の立てる物音は殆ど聞こえない。だがそれこそが、焔の凄まじさを物語っていた。

 この光景が繰り広げられている間、誰も何も言わなかった。三者三様に、焔の姿を見入っていた。


「……、……っ」


 ずっと歯を食いしばっていた源吾郎の額から一筋の汗が垂れる。吐息が揺らぎ、それと共に焔の勢いが弱まった。

 どれだけの時間――何秒なのか何十秒なのか何分なのか――焔を顕現させていたのかは定かではない。だがそろそろ頃合いであろう。そう思った途端に焔の勢いは弱まり、数秒を待たずして鎮火した。


「いやはや凄いね島崎君」


 軽く息が弾むのを感じていると、青松丸が声をかけてきた。のんびりとした口調であるのが気になるが、それは彼の口癖なのだ。

 標的を見てごらん。青松丸に促され視線を動かし……源吾郎は絶句した。今まで狐火を振るっていた所に鎮座していたコンクリートブロックたちは姿を消している。いや、厳密にはドロドロに融けた何かが床にへばりついているくらいであろうか。灰色の床と同系統の色調なので注意しないと見失ってしまいそうだが。


「そのドロドロに融けているのは、君が焼き払ったコンクリートブロックだよ」


 源吾郎を一瞥し、青松丸が口を開く。彼は源吾郎ほどには驚いていなかった。


「確かにコンクリートブロックなんてものはそう易々と燃えたり融けたりする代物じゃあない。確か千二百度以上の熱でようやく融けるらしいんだ」


 島崎君はそれだけの威力の焔を放ったんだよ。淡々とした口調で青松丸が告げる。


「時間にして四十五、六秒くらいだね。もちろん焔だからかなりの熱はあるけれど、あの威力のままそれだけ持続させる事が出来るなんて……頑張ったね島崎君」

「やっぱり俺の焔って凄かったですか?」

「もちろんだよ。コンクリートブロックでさえああなったんだ。生き物が直撃すればひとたまりもないよ。その生き物の中には防御していない妖怪も含まれるよ」


 源吾郎ははじめ、自分の振るった焔の威力がどのような物か解らず半ば呆然としていたのだ。コンクリートブロックが融ける事は今さっき知った所である。従って、コンクリートブロックが融けたのを見たのも初めてだった。あまりにも現実離れした光景だったので、半ば茫洋としてしまっていたのだ。

 しかし今は違う。青松丸に焔の評価を下してもらい、自分がとてつもない術を使う事が出来たのを素直に喜んでいたのだ。青松丸は研究センターの中では影の薄い妖物であるが、源吾郎はきちんと彼にも敬意を抱いていた。紅藤の息子である彼は研究センターの中では割と高い地位に位置していたし、何より大人としての落ち着きと知識を彼も持ち合わせていたからだ。積極的に絡んでくるタイプの先輩ではないが、隙あらば煽ってくる萩尾丸に較べればうんと良い先輩だと思う位だ。


「青松丸さん。それじゃああの火焔が雷獣に当たったら――」


 一発で勝負がつきますよね。そう言いかけたまさにその時、気の抜けた拍手が源吾郎の鼓膜を震わせた。質問の最中に横槍を入れられたのだ。

 拍手の主は言うまでもなく雪羽だった。壁を背に座って見学を決め込むこの雷獣少年の存在を、源吾郎は今の今まで忘れていたのだ。足元には水筒が置かれており、雪羽は口許をもごつかせていた。暑さを感じて水筒の中の氷でもかじっているのだろう。


「いやはやびっくりしましたよ先輩! あんな凄い焔を……カッコいい術を使えるなんて」


 氷を飲み下すなり、雪羽はまず驚きの声を上げた。頬が火照っているのは何も暑さのためだけでは無かろう。彼が興奮している事は目を見れば明らかだった。澄んだ翠眼は光を宿して輝き、黒目も大きく広がっていた。


「ねぇ先輩。あの術も狐火なんですか? あれだけ威力があるんだったら、それこそ三昧真火さんまいしんかって言っても良さそうですね」


 雪羽は源吾郎の焔の凄さに圧倒されてそんな事を言ったのだろう。源吾郎はしかし、三昧真火の名を聞いて左の眉を吊り上げた。


「そんな、冗談きついぜ雷園寺君。何が悲しくて糞忌々しい姜子牙きょうしがの使った技の名を継承せにゃならんのさ。確かに世間では姜子牙は新しい国を作った英雄なのかもしれん。しかし玉藻御前の末裔たる俺にしてみれば忌まわしい怨敵だよ。というかそれって雉鶏精一派全体でも同じだろうに」


 源吾郎が三昧真火の名を嫌がったのは、すぐに術の使い手である姜子牙を連想したからだった。商王朝(殷王朝)が亡ぶ際に姜子牙は兵を率いて革命を起こしたとされているが……金毛九尾を筆頭に三妖妃たちに害をなした存在である事は言うまでもない。

 源吾郎が姜子牙を疎むのは割合個人的な考えであるが、胡喜媚が頭目だった雉鶏精一派でもその風潮は強い。紅藤はかつて自分の社用車に四不像しふぞうと名付けようとしたところ、姜子牙の騎獣であるという事で却下されたのだそうだ。


「そうか。言われてみてば先輩の言う通りかも。確かにそれはきまりが悪いよなぁ……」


 納得した様子を雪羽は見せているものの、何処となく軽い態度に源吾郎には見えた。それこそ縁あって雉鶏精一派に所属しているものの、本質的には外様とざまである事を示しているようにも思えた。


「いやさ、先輩が縛妖索ばくようさくを買ったって言ってたから、あんな派手な焔の術を三昧真火って呼ぶんじゃないかなって思っただけさ。そうしたら、俺の雷撃とか雷公鞭らいこうべんって呼べるしさ。

 三昧真火も凄いけど、雷公鞭だって凄いしさ」


 言うや否や、雪羽の右手が激しく放電を始める。その放電は一筋の柱となり、光る剣のような様相を見せた。昔のSF映画で見かけるアレにそっくりである。

 その様子を眺める源吾郎の顔には、はっきりと呆れの色が浮かんでいた。


「姜子牙に対抗して申公豹になったつもりかい? しかし雷園寺君、雷公鞭が申公豹しんこうひょうの武器というのは後付けに過ぎないんだぜ?」

「そんな細かい事は良いじゃないか」


 源吾郎の指摘を受け流す雪羽の言葉と態度は確かに雷獣らしい物だった。雪羽は顕現させた「雷公鞭」を消すと、真面目な面持ちで源吾郎に視線を向けた。


「まぁ何にせよ、苅藻様の所に相談に行ったのは正解だったみたいっすね。俺も正直、先輩があすこまで凄い技を繰り出すなんて思ってなかったから……」

「そうか……」


 鷹揚な先輩妖狐の体裁を保とうとしていた源吾郎であったが、雪羽の言葉を聞いて内心ではほくそ笑みが止まらなかった。

 あの気位の高い雪羽が、源吾郎の焔を見て驚嘆し通しである。源吾郎の力量が雪羽のそれを上回っている事の証拠ではないか。雪羽の態度を見ながら源吾郎はそのように思っていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る