野狐たちは顔を合わせて話たる

 さて金曜日となって待ちに待った戦闘訓練の時間と相成った。源吾郎が新たな技を編み出してから初の戦闘訓練であり、彼にとっては節目に当たる訓練でもあった。

 新技を皆に披露したいという源吾郎の思いとは裏腹に、この日集まった観客たちは少なかった。研究センターの面々が揃っていたり三國の配下が出席しているのは言うまでもないが、萩尾丸が連れてきた部下たちは僅か数名だけだったのだ。萩尾丸の部下たちと言えども彼らにも彼らの都合がある。それを気にせずとやかく言っても致し方ない。

 それに萩尾丸の話によると、小雀の若妖怪たちの中には源吾郎と雪羽のタイマン勝負に興味を失い始めている者も出始めているのだそうだ。 

 別に源吾郎の闘いぶりがショボいからではない。むしろ彼らの目には源吾郎も十分に存在に映っているくらいなのだという。その源吾郎を軽々とあしらい勝利をもぎ取る雪羽の存在は言うまでもない。要するに、自分より隔絶した妖怪同士の闘いは見世物としては面白いが……勉強して何かに役立てられるような代物ではないと判断する若妖怪たちがいるという事だ。ましてや、若妖怪の中には争いや闘いが苦手な者もいるのだから尚更だろう。

 そして萩尾丸が連れてきた部下たちというのは、妖狐が一匹とあとはハクビシンやアナグマ、或いはイタチっぽい妖怪たちの数匹だった。

 種族も見た目も体格もてんでバラバラな若い獣妖怪たちであるが、源吾郎は共通点をすぐに見つけ出した。何と言うか大人びて落ち着いたオーラを漂わせているのだ。まるきり子供丸出しな雪羽や少年らしさが色濃い珠彦たちとはえらい違いである。心持ち、珠彦たちよりも妖気も多そうな気もする。


「こんにちは、島崎君……」

「こ、こんにちは先輩」


 そんな事を思っていると、妖狐の若者がこちらに向かってきた。見知った顔ではないのでへどもどした源吾郎だったが、一応挨拶を返す。相手は珍しく黒狐であるらしく、背後で揺れる二尾は先端以外は黒々とした毛で覆われていた。

 無論二尾だから妖力は源吾郎よりも少ないだろう。しかしその若さで二尾に到達している事を思えば、彼もまた一定水準の才能を持つ妖狐なのかもしれない。

 二尾の妖狐は簡単に名を名乗ると、自分が玉藻御前の末裔を自称している事を口にした。目を丸くする源吾郎をよそに、彼は頬に笑みを浮かべながら言葉を続ける。


「末席ながらも僕も玉藻御前の末裔を名乗る妖狐の一人だからね。である島崎君とは仲良くしておきたいなと思ってるんだ。君が出世して地位と発言権を得た暁には、必ずや僕たちに何か働きかけるだろうからね」


 あ、まぁそれはどうも……社会人というよりむしろ学生みたいな声を出して、源吾郎は相手と握手を交わした。

 玉藻御前の真なる末裔の数は少ないが、玉藻御前の末裔を自称する妖狐たちの個体数は地味に多い。玉藻御前と縁深い雉鶏精一派もまた、こうした妖狐集団とは無縁では無い。というか萩尾丸などは面白がってそんな妖狐たちを進んで自分の部下として雇い入れているくらいだ。顔と名前は定かではないが、萩尾丸の部下の中にも自称・玉藻御前の末裔は十数匹はいるらしい。

 ともあれ黒狐の青年が若干の懸念を抱いているのは真実だろう。玉藻御前の末裔を自称する妖狐たちがのうのうと暮らせるのは、本物たち(特に白銀御前)がその存在を黙認しているからに他ならない。またそう言った考えを持つ本物たちとは異なり、源吾郎が彼らの存在をあまり良く思っていない事もまた事実だった。きっとその事は彼らも何処かで知っているだろう。ゆくゆくは雉鶏精一派の幹部となり、最強の妖怪を目指す男なのだから。

 であれば、自分の保身のために源吾郎と親しくしようと思ったとしても何らおかしな話ではない。

 そう思っていると、黒狐の青年は顔をほころばせ、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「ああ、別にさっきのはちょっとした冗談だよ。それでも君の親戚である桐谷さんたちにはお世話になってるし、同じ組織に勤務してるわけだしね」


 聞けば苅藻やいちかは彼が所属する「自称・玉藻御前の末裔」たちの会合に賓客として年に二度ほど出席するらしい。叔父たちは一応術者として顔を出すのだが、彼らがである事は会合では広く知られてもいる。

 そっくりさんというか偽物連中が集まる会合に事もあろうに苅藻やいちかが出席しているとは……その事実を知った源吾郎はめまいのような混乱を感じずにはいられなかった。苅藻達がその会合に出席し受け入れられているという事は、玉藻御前の末裔を自称する団体はの存在なのだろうか。関西圏、特に京都や阪神地区はどうも稲荷の連中が幅を利かせている。安倍何某と玉藻御前との因縁も相まって、稲荷に仕える狐たちは玉藻御前の子孫たちをとかく目の敵にしがちであった。そう言った事から、苅藻達も自称・玉藻御前の末裔たちと連携を取っているのかもしれない。とはいえ今はそれをあれこれ考察している場合でもないのだが。


「と、ともあれ今日はわざわざ観に来てくれてありがとうございます」


 しばし考えこんでいた源吾郎であるが、気を取り直して言葉を紡いだ。バッタもんと本物の違いを見せつける機会だと思ったからだ。


「実は今週は色々と新しい技を確立させましてね……今まで負け戦ばかりで情けない所をお見せしていましたが、今回はそうは行きませんよ。もしかすると、本部で働くと言った狐たちはこの度の決定的瞬間を見逃したと言って後で歯噛みするかもしれません」


 源吾郎はそこまで言い切ると、狐らしくニヤリと笑った。言葉自体はいつものように謙遜している体であるが、その実おのれの実力と新しい技を観客に見せつけたくてしようがない所だったのだ。

 また、自分が負け戦ばかりで大した事ないと思われているのではないか、という考えもあるにはあった訳だし。

 そのような源吾郎の考えを知ってか知らずか、黒い妖狐は淡く微笑んだだけである。


「島崎君。別に僕らは君の勝敗がどうであれ情けないなんて思ってないよ。

 そもそも君は雷園寺君に果敢に立ち向かっているけれど、が僕らにしてみれば驚嘆すべき事なんだから」


 妖狐の視線が一瞬雪羽に向けられた。雪羽は雪羽で三國の部下たちと何事か話し込んでいる。


「雷園寺君は強いというのが僕らの認識なんだ。力量差が大きすぎるからね。全力で闘ってみたけれど力及ばず負けてしまったとか、そう言う次元じゃない。まず彼を相手取って。それくらいの差が僕らと彼の間にはあるんだよ」


 闘う前から勝負が決まっている相手は君にもいるはずだ――言い添えられた妖狐の言葉に源吾郎は頷くほかなかった。それこそ、師範である紅藤や萩尾丸などと言った兄弟子らに楯突きその地位を奪う事など考えられない事だからだ。

 雉鶏精一派の幹部である八頭衆の面々は発足から揺らいでいないものの、配下たちによる下克上や地位の奪取は認められている行為だった。何せ第一幹部の峰白からして、「私の地位が欲しければ私を殺してごらんなさい」などと公言しているのだから。極端な話、紅藤を打ち負かせば第二幹部の地位を得られるし、頭目以上の発言権を持つとされる峰白を殺せば雉鶏精一派を掌握する事にもなる。この事は源吾郎にももちろん当てはまっていた。

 源吾郎は、峰白や紅藤に対して下克上を働こうという気概は無い。相手が萩尾丸や三國と言った若手幹部であっても同じだ。それは彼らが自分よりも強いという事を受け入れているからに他ならない。


「まぁそれにしても島崎君も頑張ってるよね。戦闘訓練で立ち向かうだけじゃなくて、雷園寺君とも結構仲良くやってるってうちのボスから聞いたんだけど」

「え、ええと……まぁ先輩から見たら仲良く見えるのかもしれませんね。というか僕も雷園寺君も仕事上の付き合いですから……」


 やっぱり萩尾丸先輩由来の情報か。半ば呆れつつも源吾郎は作り笑いを浮かべて言葉を紡ぐ。源吾郎としては雪羽とどのように接しようか模索している所もあるが、大人妖怪には無邪気に仲が良さそうに見えるのかもしれない。雪羽も研究センター勤めに慣れてきたのか、隙あらば源吾郎に近付くようになっていたし。まぁ、彼の話も面白く目新しいので会話が楽しいのも事実である。

 妖狐の青年は目を細め、様子を窺うように言葉を添えた。


「雷園寺君は確かに自分に正直で何を考えているのか解りやすいひとだとは僕も思っています。ただどうしても、島崎君みたく自然体にあのひとと接するのは僕らには難しいんですよ。いかんせん自分に正直すぎますし、地位も力もありますんでね。

 きっと雷園寺君が僕らの職場で働くようになったとしたら、僕らではついついあのひとの機嫌を取るような事しかできないかもと思っているんですよ。正直な所はね」


 自分たちは雪羽の存在を恐れている。その事を妖狐の青年は暗に伝えているのだと源吾郎はすぐに気付いた。源吾郎にとっては弟分なのか年長者なのか判然としない存在である雪羽だが、他の若妖怪が雪羽を恐れるのも無理からぬ事だと思っていた。

 その理由はやはり、彼の言う通り雪羽が強さと権力を兼ね備えているからだろう。

 雪羽の妖怪としての能力が著しく抜きんでている事は言うまでもない。四十を超えたかどうかという子供であるにも関わらず、既に中級妖怪の域に食い込んでいるのだから。しかもただ多い妖力を保有するだけではなく、闘いの心構えも力量もきちんと具えているのだから尚更だ。

 そして地位に関しても妖狐の青年の指摘通りである。現在は再教育という事で萩尾丸の秘書もとい雑用係という地位に収まっているが、元々は第八幹部の組織内では部長職相当の役職を得ていたらしい。規模や妖員の数は異なるが、研究センターの序列で言えば萩尾丸の地位とほとんど同じである。幹部職ではない上に三國の贔屓によってもたらされた地位であると言えども、普通の若妖怪が委縮するには十分すぎる地位だった。

 雪羽を引き取った萩尾丸は、自分の部下たちに引き合わせずにまず源吾郎に雪羽を引き合わせた。もしかしたら雪羽の意向だけではなく、部下の若妖怪たちの態度も考慮して、萩尾丸はそうした行動に踏み切ったのかもしれない。そんな考えが源吾郎の脳裏をかすめた。

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