玉藻の孫の会話術

 ひとまずは狐火を焔のように展開させてみよう。それで雷園寺を打ち負かす事が出来れば……狐ながらも皮算用を始めた源吾郎を見ながら、苅藻が笑みを浮かべた。


「源吾郎。今回俺の話を聞いたからと言って無闇に期待したり絶対勝てると早合点しないようにな。あくまでも俺は弱点とか護符の仕様について口にしただけに過ぎないんだからさ。

 それに勝つ事ばかり妙に意識したら、普段以上のパフォーマンスが出ない可能性だってあるんだし……」


 苅藻はきっと親切心で言ってくれたのだろう。しかし源吾郎はその言葉を受けて冷や水をかけられたような思いだった。雪羽に勝つために助言を求め、源吾郎は苅藻の許を訪れたのだ。だというのに苅藻は勝つ事は確約できない、何となれば負ける可能性もあると言った。そのように源吾郎は捉えていたのだ。

 そんな源吾郎の心中は苅藻も見抜いていたのだろう。にたりと口角を上げると更に言葉を続けた。


「源吾郎。言っちゃああれだが別に雷園寺君にのだろう? 話を聞く限り、給料を減らされるみたいな切羽詰まった話でもなさそうだし。それに恐らくだが、お前が負けたのを見て紅藤様たちや他の妖怪たちに嗤われている訳でもないだろう」


 苅藻の言葉を前に源吾郎は戸惑い、そして若干の苛立ちも感じ始めていた。苅藻はきっとその事に気付いているであろう。しかし彼には源吾郎の気持ちは伝播しなかった。むしろ源吾郎を見つめ、妙に甘ったるい笑みを浮かべるくらいだ。


を受け入れて認める。それが一番方法なんだぞ源吾郎。そうしたって構わないし、そう言う判断をしたとしても誰もお前を責めはしないさ。

 確かに源吾郎じゃあ雷園寺君に太刀打ちできないのかもしれない。しかしだからと言ってそれが駄目だなんて決めつけなくても良いんだよ。別にその状況でも構わないじゃないか」


 最後の一文は、源吾郎の胸にぐっと突き刺さってきた。驚いて苅藻を凝視する。その動きを察していたかのように苅藻と目が合った。目が合うとともに、苅藻の笑みに甘みと毒気が増した。


「よく聞け源吾郎。お前にはきちんと才能があるし、今まできちんと頑張ってきたんだよ。残念ながら俺は源吾郎の詳しい仕事ぶりは知らないが……きっとお前の事だから真面目にコツコツ頑張って来たんだと思うよ。

 だからな、出来ない事を出来るようにしようと躍起になって苦しむのは辛いだろう? だったら一度そう言う考えを捨ててを素直に受け入れてみろ。雷園寺君にはでは敵わないと思っても構わんのだよ。雷園寺君との勝負がどうであれ、お前の力量には変わりはないんだからさ……」


 苅藻の言葉は色々な意味で耳障りの良い物であった。先程まで抱いていた戸惑いも苛立ちもしばし忘れ、源吾郎はうっとりと彼の言を聞き入っていたのだ。確かに叔父上の言うとおりである、と。

 源吾郎は戦闘訓練にて雪羽と何度もタイマン勝負を行っている。今に至るまで負け戦であるが、その事が業務上の支障をきたす事は特に無かった。負け続きであるからと言って馬鹿にされる事ももちろん無い。ただただ源吾郎自身が負けて悔しいと感じ、その悔しさが昏い感情に育たないかと恐れを抱く程度である。本当にそれだけの話なのだ。それが源吾郎にとっては一大事なのだが。

 苅藻の放った甘言に酔い痴れたままだったら、或いは源吾郎はつかの間の幸せを得る事が出来たのかもしれない。源吾郎が玉藻御前の末裔ならば、苅藻もまた玉藻御前の末裔である。話し方や話の内容、仕草に至るまで相手の心を掴み操るためのテクニックが込められていた。

 しかし――源吾郎が苅藻の甘言に酔っていたのはほんの間だけだった。幸か不幸か源吾郎は我に返り、今再び闘志の焔が吹き上がるのを感じたのだ。苅藻の甘言から脱したのは極度の負けず嫌いゆえか大妖怪としての素養を持つゆえか。はっきりとした理由は定かではない。ただ一つ明らかなのは、源吾郎も大妖狐の血を引いている存在であるという事だけだ。


「叔父上。やっぱり叔父上の方が俺よりもように感じたよ。やっぱり半妖とクォーター、孫と曾孫の違いなのかな」


 一度言葉を切ると、射抜くような眼差しで苅藻に向ける。


「それにしても叔父上。まさか甥である俺を籠絡しようとするなんて……」

「籠絡とは人聞きが悪いなぁ」


 鼻を鳴らして言い返す苅藻の顔や口調には、毒気を孕んだ甘さは消えていた。日頃の見知った雰囲気をまとっている。


「源吾郎が根を詰めて自分を追い込んでいるように見えたから、ちょっとしたリップサービスをしたまでさ。可愛い甥っ子が、自分を慕う弟分が苦しんでいるのは心が痛むからさ」


 それはどうも。源吾郎はぶっきらぼうに呟いた。苅藻と源吾郎は、血縁上は叔父と甥の関係になる。しかし両者の振る舞いはむしろ兄弟のそれに近かった。源吾郎は苅藻を兄と見做して懐き、苅藻もそれを許容していた。むしろ末の甥が自分を兄のように慕うのを喜んでいる節があった。苅藻と言えば実妹のいちかを偏愛するシスコンぶりが目立つ叔父であるが、弟を可愛がりたいという欲求もあったのだ。他の甥たち(源吾郎の兄たち)が苅藻と若干距離を置いている事も要因の一つかもしれないが。

 まぁ要するに、両者の思惑が上手くかみ合って、兄弟のような関係性を構築しているのだ。


「とはいえ、俺の言葉くらいでお前が素直に納得するなんて思ってなかったけどな」


 苅藻はそう言うといたずらっぽく微笑んでいた。


「さっきの俺の言葉で納得して諦める事が出来るのなら、助言を求めて俺の許へわざわざやって来たりしないはずさ。今住んでる所は交通の便が少ないから、ここまで来るのも大変だろうし。それに何よりお金だってかかるし」


 それらの労力を度外視してまで訪れた事こそが、源吾郎の本気度を示している。苅藻のその主張はまさしくその通りである。

 交通の便についてはさておき、お金が動く事については源吾郎も神経質になっているからだ。無論サラリーマンなので給料はあるが、それでやりくりをせねばならない身分である。実家にいた頃は父や兄姉らにねだればある程度工面してもらったが、もはやそのような事は通じない。そしてそう言う環境下だったから、源吾郎は実は貯蓄は苦手だったりもする。


「しかしまぁ源吾郎。お前のやる気をくじくつもりはないが、多少思い上がっているという所はあるだろうね。もちろん妖力は他の連中に較べて多いし、妖術を使いこなす才覚もずば抜けているのかもしれない。

 だけどお前が妖怪としての術を、特に攻撃術を使い始めて半年も経ってないだろう? いくら妖力の多さという底上げがあってもだな、少し術を習得したばかりの初心者中の初心者が、サクッと他の妖怪を打ち負かすなんて言うのはやはりあり得ないんだよ。雑魚妖怪だの野良妖怪だの言ってる連中だってな、同僚とか下請け会社の社員として働いているのならば、何十年も妖怪生活をやってるわけだし。それに引き換え源吾郎は、妖怪生活を始めてまだ半年も経ってないじゃないか」

「まぁ確かにキャリアの違いは大きいかも……」


 言ってから、源吾郎はため息をついた。物心ついてからというもの妖怪としての意識を持っていた源吾郎であるが、クォーターである事もあり概ね人間として育てられ、人間として暮らし続けてきたのだ。

 もちろん、人間社会に紛れ込む妖怪たちとの接触や交流はあったが、彼らは大人しく小市民なので妖怪らしいやり取りは特に無かった。血気盛んな妖怪との接触は叔父たちによって阻まれていた事もあり、妖怪らしい活動は高校を卒業するまでできなかったというのが現状である。そしてそれが妖怪たちとの戦闘訓練で後れを取る理由になっている事も源吾郎はよく知っていた。半妖と純血の妖怪の場合、時の長さの感覚が同じと考える事は難しい。それでも源吾郎が妖怪としての経験値が少ない事には変わりない。


「それに雷園寺君は雑魚妖怪でも凡百の妖怪でもないんだよ。源吾郎も確かに才能のある妖怪だ。しかしそれは雷園寺君とて同じなんだよ。しかもあの子はもう四十年は生きている。妖怪としてはかなり若いが、それでもよりも年長なんだよ」

 

 苅藻の言葉を聞いていた源吾郎は、無意識のうちに息をのんだ。雪羽の実年齢が源吾郎よりも上回っている事は知っている。しかし長兄――源吾郎にとっては兄というよりも父親のように振舞う兄である――たる宗一郎を引き合いに出されるとその事が真に迫ってくるようだった。半妖でありながら人間として生きる事を選んだ長兄を何故引き合いに出したのか、その意図は解らないが。


「しかもあの子は戦闘慣れもしているからね。元々は内気で大人しいお坊ちゃんだったのかもしれないが、三國君に引き取られてから闘う術・力で他の妖怪を従える術を教えられたんだ。まぁ、雷園寺君の戦闘面での凄さはお前も身をもって知ってるだろうけれど」


 源吾郎は雪羽の事をしばし思い出していた。事あるごとに雷園寺家の次期当主になると豪語している彼は、上辺だけ見ればビッグマウスのイキリ小僧のように思える。しかしその能力や才能は他の妖怪たちと一線を画している事もまた事実だった。強いからイキっているのかもしれないが、もしかしたらイキれる程の力量を身に着けたという可能性もあるにはある。

 そんな事を思っていると、苅藻が静かな口調で問いかけてきた。


「なぁ源吾郎。それでもやっぱりどうしても雷園寺君に勝ちたいのか。勝ちたいというよりも、雷園寺君を打ちのめして泣く所が見たいのか。生誕祭の折で源吾郎と雷園寺君の間でトラブルがあったって話は俺もうっすら知ってるよ。その時に失礼な事をされて、その事で報復したいとか、そんな事でも思っているのか?」

「そ、そんなんじゃないよ叔父上」


 苅藻の言葉があまりにも深刻なので源吾郎は少し面食らってしまった。確かに生誕祭のグラスタワー事件では色々と大変な目に遭った。雪羽にもウェイトレスだと思われ連行されかけたし変態呼ばわりされたし碌な事は無かった。

 しかしだからと言って、その事で報復したいとかは思っていない。まぁ過ぎた事だし、というのが今の源吾郎の考えだったりする。


「別に俺は、雷園寺の事を強く嫌ったり憎んだりしてるわけじゃないと思う。そうは思うんだけど……やっぱり俺って負けず嫌いだからさ、負け通しだと悔しくなるんだよ。まぁ、悔しい位じゃあどうって事は無いんだけどさ。

 でもなんか、その悔しい思いがずっと残るんじゃないかって思う事があって、それが悪い気持ちにならないか心配なんだ」


 源吾郎は負けず嫌いである。そうでなければ身内の意向を押し切って最強の妖怪になると言い出したりはしないだろう。しかし一方で負け続きの悔しさがおのれの中で仄暗い悪意にならないか。そう言った心配も未だに胸の中にあった。


「そんな事を思っていたのか。だがそこまで考えてるって事は、別に雷園寺君の事を嫌ってるわけでもないんだろう」


 苅藻の訝しそうな問いかけに源吾郎は頷く。


「まあね。雷園寺のやつは確かに時々いけ好かない所はあるけれど……だからと言ってあいつを怪我させて良いって訳でもないんだ。雷園寺に何かしてしまったら、三國さんたちに申し訳が立たないよ」


 思わず放った源吾郎の言葉に苅藻はふわりと微笑む。


「ちゃんとその辺の事も考慮しているんだな。良い事だぞ源吾郎。三國君の事は俺も知っている。雷園寺君はあいつにとって息子同然の存在だからな。部下以上に大切にしている事には違いない」


 やっぱりそうだよな……苅藻の言葉を聞きながら源吾郎は思った。それから、苦い思いがこみ上げてくるのを感じつつ言葉を放つ。


「それに実を言えば一度やらかして……雷園寺を傷つけてしまった事があるんだ」


 源吾郎は言葉を繋ぎ合わせながら、雪羽を傷つけてしまった件について語った。今ここでこの話をしてもそれこそ叔父は戸惑うかもしれない。しかし語るべき話であるという思いが源吾郎を突き動かしていた。

 苅藻は相槌を打つくらいで特に何も言わなかった。苅藻も苅藻で内心驚き当惑しているのかもしれない。雷獣の少年との戦闘で勝ちたいという話を持ち掛けてきたと思っていたら、急にヘビーな話を持ち出してきたのだから。しかも苅藻は桐谷家と白銀御前たちとの争いについては知らないだろうから尚更だろう。


「――それはまぁ何というか、大変な事だったな。こんな言い方をするのは妙かもしれないが、源吾郎はよく頑張った」


 源吾郎は微妙な表情で苅藻を見上げるだけだった。苅藻も微妙な表情だったが、甥の視線に気づくと笑みを作った。


「だがまぁそんなに気に病む事はないと思うよ。雷園寺君も襲撃されたとはいえ大事には至らなかったわけだし、何より三國君もお前の事情を考慮して赦してくれたんだろう?」

「……雷園寺君はあの事件以降週末は三國さんの許で静養する事になったんですよ。元々はそんな事しなくても良かったのに」

「そんな事しなくても良かったかどうかは部外者には解らんだろう。源吾郎より年上とはいえ雷園寺君はまだ子供なんだ。修行の都合上萩尾丸さんの許で暮らさざるを得なくなっているかもしれんが、三國君たちが恋しくなる事もあるだろう。

 もしかしたらお前の襲撃が無かったとしても、ホームシックに陥っていたかもしれないし。雷園寺君自体は元気なんだろうから、そんなに気に病むな」


 源吾郎は小さくうなりながらも苅藻の言葉を吟味していた。週末に雪羽が実家(三國の家)に戻るのは源吾郎の襲撃でショックを受けたからだと思っていた。実際その側面は強いだろうが、苅藻の言葉も一理ある気がする。

 まずもって雪羽が妖怪として幼いのは事実である。全くの子供という訳ではないが、人間で言えばせいぜい中学生くらいだろう。そう思えば、いきなり実家を離れ世話係と言えども直属の上司の許で寝泊まりするというのは大変な事だ。むしろ一か月間弱音を吐かずに耐えた方だともいえる。源吾郎などは、二泊三日程度の修学旅行でも緊張とかストレスで疲労困憊になっていた口なのだから尚更そう思えた。

 源吾郎。苅藻が源吾郎に呼びかける。今日聞く中でも一番優しい声音だと源吾郎は思った。


「強くなりたいとかそういう事だけじゃなくてそんな事まで悩んでいたなんてな。中々相談できない事だから、しんどかっただろう。

 だけどそっちの件についても心配はないと俺は思うよ。傷を負った雷園寺君も確かに気の毒だが、雷園寺君も三國君たちとも和解出来ているんだろう?」

「和解したというか、俺は特に咎められなかったんだ。それどころか、三國さんも雷園寺も俺の事を善いやつだって思いたがってるくらいさ……もちろん、悪く思われるよりは良い事だとは思う。だけど勝手に善いやつだって思われるのはしんどいよ」


 島崎君は善いやつでしょ。そう言った時の雪羽や三國の顔は、思い起こせば鮮明に浮かんでくる。あの雷獣たちは論拠もなくそう思い込み、その思い込みを源吾郎に押し付けようとしたのだ。身勝手な話である。源吾郎にも悪心や邪心はある。血統的にも野望的にも善良な好青年とは縁遠い存在である。

 そもそも、善いやつだと思ってくれる三國たちを前に身勝手だと思う事そのものが、源吾郎が善性から遠い証拠なのかもしれない。


「源吾郎。そう言う風に悩む事って事は、お前自身そんなに悪いやつじゃあないって何よりの証拠だと思うけどなぁ」


 でも……と源吾郎は反駁しかけた。しかし苅藻はその暇を与えずにさらりと言い放ったのだ。


「昔から言うだろう。善い人ほど自分の善良さを自覚しないってな。悪いやつとか腹黒いやつはな、周囲から善いやつだと思われたからって悩んだりしないんだよ。都合が良いって思う位でさ」


 果たしてそんなものだろうか。源吾郎は苅藻を見ながらぼんやりと思った。

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