雷園寺家の兄弟たち

 俺は雷園寺家の次期当主である。日頃所かまわずその事を公言する雪羽であるが、雷園寺家次期当主への執着が強まったのは、雷園寺家を出たの事だった。先代当主の長子として生れ落ちてからずっと、雷園寺家の次期当主として育てられてきたにも関わらず、である。

 その事実を知った者は、あの頃の雪羽はまだ幼かったからだと思うようだった。もちろんそれも要因の一つだ。三國に抱えられて雷園寺家をあとにした雪羽は、まだ乳歯が抜け始めるかどうかという幼子に過ぎなかったのだから。

 だが――幼獣だった雪羽は、実は雷園寺家を放逐されたからこそ次期当主の座に執着したのだ。自分だけ雷園寺家をあとにし、弟妹達が雷園寺家に残される。その異様な状況こそが執着のきっかけだった。雪羽は弟妹達を護るために雷園寺家をあとにする事を受け入れた。だがその裏で、一人でを立てたのだ。死んだ母さんのために、。薄汚い思惑を持つ大人共を払拭し、弟妹達と共に穏やかに過ごすのだ、と。

 従って、雷園寺家への情愛は雪羽の中で一体化したものだった。だからこそ、雪羽は時雨を迷いなく救い出す事を決意したのだ。

 さて実の弟妹である穂村たちに取り囲まれた雪羽は、苦々しい気まずさがこみ上げてくるのを感じていた。実の弟妹達に会える事は喜ばしい事ではある。しかしあの時の雪羽は、異母弟である時雨に会おうと思っており、いわば不意打ち的に穂村たちと顔を合わせたのだ。卑俗な言い方ではあるが、浮気相手の許へ向かう所を本妻に見られた男のような、そんな状況だと雪羽は思っていた。彼自身はそんな状況に陥った事は無いけれど。


「穂村……」


 すぐ下の弟の名を呼ぶおのれの声はやけにぼんやりとしていた。彼らの顔を見ているうちに、のうのうと異母弟に会おうとした事が悪い事のように思えてしまったのだ。血の濃さで言えば穂村たちの方が勝っている。ましてや彼らは雷園寺家現当主の子供であるという事を伏せられ、不当な扱いを受けていたのだから。時雨に対して不満や恨みを抱いていてもおかしくはない。

 そんな訳で雪羽はもじもじしていたのだ。正面に穂村が、左右を取り囲むように開成とミハルが控えている。記憶の中の彼らは幼子だったものの、今の彼らは自分より若干年下、下手をすれば同い年位の少年少女に見えた。彼らとの年齢差は小さく、末妹のミハルでさえ雪羽とは六歳差に過ぎない。百年近く生きてようやく大人と見做される妖怪にしてみれば、ある程度成長すれば十年未満の年齢差など小さなものである。雪羽たちは子供の部類に入ると言えども、それでも三十年以上は生きている。五年程度の年齢差はに較べれば小さなものだ。

 それに穂村を筆頭に弟妹達は大人びてもいた。特に穂村は細身ながらもすっと背が伸びていたし、ミハルは女の子という事でおしゃまな感じを抱かせた。弟妹達の中で一番甘えん坊で気弱だった開成も、活発で好奇心旺盛な少年と言った風情を見せている。叔父の許で甘やかされて育った雪羽とは異なり、弟妹達は本家で半ば冷遇されつつも生き延びてきたのだろう。雪羽は疑わずそう思っていた。

 思えば雷園寺家次期当主という肩書や叔父に寵愛されることに目がくらみ、本来の目的を忘れていた時もあった。気まずさと共に雪羽の心中に羞恥心も滲む。それこそ、どの面を下げて会いに来たのかという話ではないか。


「あの、雷園寺雪羽さんのご弟妹ですよね?」


 逡巡している雪羽の傍らで声が上がる。ついでにふわふわしたものが足許に触れる感触もあった。声の主も、ふわふわの感触をもたらしたのも源吾郎だった。彼は雪羽よりも半歩ほど前に進み出ていた。邪魔にならないように縮めていた尻尾の一尾が細長く伸び、さも当然のように雪羽の足許に添えられている。

 ぼんやりする雪羽に替わって穂村たちに声をかけ、ついでに気付けとばかりに尻尾で雪羽をさすったのだろう。

 そう思っている間にも、源吾郎は動き始めていた。


「初めまして。僕は島崎源吾郎と申します。兄君である雷園寺雪羽さんとは職場で知り合いまして、今では互いに研鑽し、また幸運な事に友誼を結んだ間柄でもございます。ええ、僕自身は見ての通りの妖狐に過ぎませんが、この度は彼の付き添いとして同行した次第です」

「くぷふっ」


 営業マンもかくやという源吾郎の弁舌を聞いた雪羽は思わず吹き出してしまった。源吾郎には悪いが今の彼は何とも面白かったのだ。雪羽に対して話しかける源吾郎は、大体播州弁交じりの砕けた物言いである。こんな慇懃な物言いは先輩や上司が相手でも中々聞く事は出来ないだろう。

 しかし一方で、友誼を結んだという言葉は雪羽としても嬉しくあった。

 そんな事を思っている間に口を開いたのは穂村だった。彼の口許にも笑みが浮かんでいたが、驚きを押し隠そうとしているような笑みだった。


「島崎さん、妖狐に過ぎないなんてご謙遜を……僕たちもあなたの事はご存じなんですよ。玉藻御前の直系の子孫、それも特に強大な力を持つ存在なのですから」

「とはいえ見ての通り半妖なのですがね」

「むしろ半妖でこんだけ尻尾あるって逆に凄いと思うけどなぁ」

「島崎さんのお父さんってあの妖怪学者の島崎博士でしょ? 私、博士の本とかエッセイとか好きだから、その姿の方が親しみがあるの」


 穂村だけではなく、開成やミハルの関心も源吾郎にシフトしていた。玉藻御前の真なる末裔。その上半妖。更に人間である父親は術者ならずとも妖怪に多少は関わりのある人物。どれを取っても源吾郎は妖怪たちの関心を呼ぶ要素で構成された存在と言っても過言では無かろう。

 そして雪羽は、穂村たちが源吾郎に関心を向けつつも妖怪として若干警戒し様子を窺っている事も見抜いていた。雷獣の力に乏しい穂村は言うに及ばず、開成もミハルも普通に一尾しかない。既に三尾ある雪羽よりも妖怪なのだ、弟妹達は。だが――生後五十年未満の若妖怪である事を踏まえれば、むしろ彼らの方が普通の妖怪なのだけど。繰り返すが、半世紀も生きていないのに二尾以上ある事自体がなのだ。だからこそ雪羽は危険視され、雷園寺家から体よく放逐されてもいた。

 また、穂村たちは源吾郎の事を一方的に知っているのだろう、とも雪羽は思った。島崎源吾郎の事は、妖怪たちの間でも既に有名になっていたのだから。玉藻御前の末裔という時点で耳目を集めてしまうのだ。半妖ながらも力が強く、しかも先祖と縁のある雉鶏精一派に就職したとあれば、注目せずにはいられないだろう。


「……さて皆さん。僕はちょっと軽食を取りに行きますね。折角の兄弟のご対面となった訳ですし、僕が変にでしゃばっても良くないですからね。

 そんな訳で雷園寺君、折角弟妹達に会えたんだから頑張りたまえ」


 源吾郎は気を利かせてこの場から離れようとしていた。最後に雪羽の肩に手を添えて声をかけてきたのだが、その時の言葉はちょっとおどけた雰囲気が出ておりいかにも彼らしい。

 ところが、源吾郎のみならず末弟の開成もまた動き出そうとしていた。若干慌てたような表情さえ見せながら。


「雪羽兄さんに島崎さん。おやつなら俺が取りに行くけれど。えへへ、実はさっきまで親戚の子たちのおやつ配りとか俺とミハルでやってたんだ。つい……いつもの癖でね」

「開成たちのやってた事は別にまぁ悪い事ではないと僕も思うよ。だけど僕らは今や雷園寺家現当主の子供だって事が明らかになっただろう。それなのに今まで通りに丁稚みたいな事をしていたら、却って分家の雷獣たちは戸惑っちゃうんじゃないかなぁ?」

「穂村兄ちゃんはそう言うけどさ、そんな風に割り切るのって難しいよ」


 いつの間にか穂村と開成の間でちょっとしたやり取りが始まっていた。どちらの言い分が正しいのか雪羽には解らない。穂村は慎重に物事を考えていて、開成は典型的な雷獣らしい考えだ。長兄である雪羽はそう思うのがやっとだった。雪羽も雷獣らしい雷獣、雷獣の中の雷獣だ。難しくあれこれ考えるのは苦手なのだ。


「本家の皆様も、お集まりのようですね……」


 そんな風に思っていると、傍らで誰かが雪羽たちに呼びかける。焼き菓子の微かな香りを漂わせながら。お菓子を運ぶという問題が、思わぬところで解決しようとしているのだと雪羽はこの時悟った。

 一人の雷獣が雪羽たちの許に近付き、人数分のお菓子を運んできてくれたのだ。自分は分家筋の雷獣に当たり、本家の子女たちに敬意を示すのは当然の事だ。そんな事を言いながら。

 分家筋と言われても、その雷獣が誰なのか雪羽には解らなかった。解ったのは相手の少年は自分よりもやや年上である事、二尾である事だけである。そこそこ力があってそこそこ賢い相手のようだった。

 彼が用意した盆は、当然のように開成が受け取っている。スイートポテトの類だったが、雷獣好みにトウモロコシの実が練り込まれている。


「あのひとは誰?」

「時雨の従兄に当たるひとだよ」


 雪羽の問いに穂村は即答する。時雨の、という所を殊更に強調していた。


「時雨の母親とあのひとの親のどっちかが兄弟らしいんだ。僕たちは時雨の異母兄だけど、先代当主の実子だからないがしろに出来ないって判断したんだろうね。ふふふ、力もあって賢いなんて珍しいよ」

「…………」


 穂村の大人びた言葉に雪羽はしばし何も言えなかった。ともあれあの二尾の雷獣も雪羽たちの親族に違いない。その事しか雪羽には解らなかった。



 ともあれ一行は丁度良い一角を見つけて腰を下ろし、歓談する事となった。異母弟である時雨たちから若干遠ざかった場所に位置する事になったのは気のせいでは無かろう。

 穂村たちの視線はただただ雪羽に向けられている。ひたむきな眼差しだった。


「お前たちも大変だっただろう。ごめんな、兄ちゃんがふがいなくて」


 三十年ぶりの再会という事もあって言いたい事は色々あった。しかし思いがあり過ぎて却って言葉が出てこない。時雨の時と同じかそれ以上だった。だが色々な事が申し訳なく感じられた。弟妹達の辛苦に寄り添う事が出来なかった事。それどころかそんな事も忘れて増長し阿呆になりかけていた事。そうした事が申し訳なかったのだ。彼らを差し置いて真っ先に時雨に会いに行こうとした事すらも雪羽には後ろめたかった。

 穂村はゆっくりと首を振り、その面にほんのりと笑みを浮かべた。少し寂しげな笑みだった。


「僕らは大丈夫。父親の親族って事で雷園寺の血を引くとは思われていなかったけれど、それでもそんなに粗末には扱われなかったから。もしかしたら、先代の事を知っている妖たちも末端にはいたのかもしれないし」

「そうそう。俺らの事は穂村兄ちゃんの言うとおりだよ。まぁ、半分居候みたいな感じだったから、使用人たちと一緒に仕事とかするようになってたけどね。ちっちゃい時からそんな感じだったし、俺としてはそれが当たり前かなって思ってたから、そんなに苦じゃないよ。今は時雨君も、俺らが兄姉だって解ったみたいだし」

「時雨君は素直な良い子だったもんねぇ。私らは表立ってあの子らを弟扱いできなかったけど、いびられたりしなかっただけ幸せだと思うの。あの子、私らと歳も近いし力も強いから」


 そうだったんか。弟妹達の言葉を順に聞き、雪羽は感慨にふけっていた。不当な扱いを受けていたとはいえ、弟妹達はそれほど不幸や苦難を味わっていた訳ではない。そう思うと安心できた。一方で、これらが自己申告に過ぎず真相は明らかではないという所にモヤモヤしたものを抱きはしたが。


「それよりもさ、雪羽兄ちゃんの方こそ大変だったでしょ?」


 今度は開成が質問する番だった。心配そうにこちらを見つめる彼の顔は、昔の気弱な少年のそれだった。


「俺たちのためとはいえ、雪羽兄ちゃんは物騒な三國叔父さんに引き取られたんでしょ。あのひと、ケチだしテロリスト予備軍だし怖い感じのひとだって皆言ってたし……雪羽兄ちゃんこそ本当に大丈夫?」

「ケチでテロリスト予備軍とはえらい言いようだなぁ」


 呆れと笑いを交えて雪羽が言うと、開成は怯んで首をすくませていた。雷園寺家に残った穂村たちにしてみれば、三國は得体のしれない存在に思えるのも無理からぬ話なのかもしれない。雪羽は冷静にそう思っていた。三國も雷園寺家現当主の縁者である事には変わりない。しかしそれ以上に雷園寺家の面々とは疎遠だった。雪羽を引き取ってからは、意地になって雷園寺家と接触しなかったような気配すらあるくらいなのだから。

 反体制派だった事も親族たちと疎遠だったので子供らにお年玉とかを与えなかったのもまた事実だ。それにしてもその事実がこのように尾ひれが付いて伝わるとは。三國の恩寵を受ける雪羽としては複雑な心境だった。


「叔父貴……三國さんは良いひとだよ。俺にも優しくしてくれるし。そりゃあ、お前たちと同じで最初は怖かったけどさ。あとケチでテロリスト予備軍とかっていうのはあくまでもデマだからな。叔父貴は雷園寺家と距離を置いていただけだし、今じゃあちゃんと組織勤めで真面目にやってるんだからさ。

 それに、今回だって時雨の救出作戦に積極的に参加してくれたんだぞ」


 しまった。時雨の事を口にしてから雪羽は思った。穂村たちは時雨の事について複雑な心境を抱いているに違いない。雷獣と言えど無神経が過ぎた発言だと雪羽は一人反省する。


「時雨君の事件、あれは本当に……俺らじゃあどうにもできなかったもんなぁ」


 雪羽の言葉にまず反応したのは開成だった。年長で兄らしく振舞う穂村が真っ先に何か言うだろうと思っていたから、雪羽は少し驚いた。


「雪羽兄ちゃんが直々に犯人たちに名指しされて、しかもあんな事をしろって言われるなんて……本当に怖いよなぁ。でも、俺らもまだ子供で、しかも雑魚妖怪だから現場に向かっても何もできないって言われたし」

「雑魚妖怪だなんて、俺はそんな事は思ってない!」


 開成の卑下するような言葉に、雪羽は即座に反応した。一尾しかない穂村たちの妖力は少なく、現時点では下級妖怪程度に過ぎないだろう。口さがない者であれば、確かに雑魚妖怪呼ばわりする者もいるかもしれない。しかし繰り返すがこれくらいの年齢であれば下級妖怪・弱小妖怪である事は何らおかしな事ではない。開成たちとてあと二百年もすれば立派な大人妖怪になる筈なのだから。


「雪羽兄さん」


 穂村が声を上げる。先程までとは異なり、妙に思いつめた表情を浮かべていた。雪羽も思わず真顔になる。この事件に関して、最も思う所がある存在であろう。雪羽はその事を知っている。雷園寺家の怨霊の話を聞かせ、異母弟にして次期当主である時雨を怖がらせたのは誰あろう穂村なのだから。

 彼の思い詰めた表情の裏には、後ろめたさと恐怖の色がありありと浮かんでいた。


「兄さんは時雨に会っているから色々な事を知ってると思う。僕が元々時雨の事をどう思っていたかについてもね。だから、だからそれを踏まえてはっきりと言うね。

 僕は……僕はどうしても時雨を弟として受け入れる事が出来なかったんだ。雷園寺家の次期当主にあいつがなるって事もね。僕は、雪羽兄さんにどうしても雷園寺家を継いで欲しかったから。時雨にあんな事を言って怖がらせたのも、そういう事だったんだ」


 。穂村は一呼吸おいてからそう言った。


「母さんが死んで雪羽兄さんも戻ってこなければ、僕は雷園寺家から不要な存在になるかもしれない。その事が一番怖かったんだよ。雪羽兄さんも、開成も、ミハルも知ってるだろ? 僕が単なるだってね。雷園寺家の、本家の血を引きながらも雷獣の力をほとんど持っていないんだから」

「穂村……」


 雪羽は呟くのがやっとだった。すぐ下の弟がそんな事で悩んでいるとは思いもしなかったのだ。雷獣としての能力に乏しい事は、雪羽も本家にいた頃から知っていた。しかしまだあの頃は互いに幼く、それが深刻な事だとは思いもよらなかった。

 ましてや穂村は鵺に近く思慮深い気質の持ち主だ。だからこそ余計に思い悩むのかもしれない。何より穂村もまだ子供なのだ。いくら賢さ聡明さに恵まれようと、おのれを取り巻く環境をそんなものだと割り切るには幼すぎるのだ。


「雪羽兄さん。それでも僕はあの事件に関わってはいない。誓って言うし、警察にも調査されて身の潔白は証明してもらったからね。だけどこの事件は僕へのなのかもしれない。そう思えてならないんだ」

「穂村兄さん、また思いつめる悪い癖が出ちゃったね。しかも久々に会う雪羽兄さんの前で……」


 見かねたようにミハルが呟く。口調は若干蓮っ葉で、ある意味大人っぽい物言いでもあった。


「心配しないで雪羽兄さん。穂村兄さんはね、本当は雷園寺家の子供だって周囲に知られて喜んでいるの。雷園寺家の子供であるって事を利用できるってね。私も、利用できるものは利用したほうが良いかもって思うし……」

「ミハル、穂村。それってもしかして……」

 

 もしかして、穂村やミハルたちも雷園寺家の当主の座を狙っているのか。雪羽はそう思い、身構えた。驚きのために瞳孔が大きく見開いているかもしれない。

 そんな長兄を見やりながら、しかしミハルはゆっくりとかぶりを振る。


「ううん。私たちは当主の座は興味ないよ。ただ、やっぱり雷園寺家でずっと暮らすには窮屈だから、もう少ししたら独立しようって思ってるの。単なる雷獣ってだけだったらしんどいけど、雷園寺家現当主の子供って言う肩書があれば良いかなと思ってね」

「何だ、そういう事だったのか。穂村にミハル。そういう事なら俺とか叔父貴に相談してくれよな。何かあったら協力するぜ」


 雷園寺家の子供として認知された穂村たちは、やはりそれぞれ戸惑ったり抱える物があったりしていた。しかし明るい展望もあるにはある。そう思うと雪羽は兄として安堵し嬉しく思えるのだった。


 大人たちで進められた会合は三時間ばかり続いた。その結果、雪羽もまた雷園寺家の次期当主候補として認められたのだ。

 結局のところ、萩尾丸がかつて言っていたような事柄が本家にも通された形になったのだ。幼い時雨のプチ家出騒動と、雪羽のわが身をなげうっての救出劇。雷園寺家の子息だった雪羽は雷園寺家に貢献したという事で、雷園寺家の次期当主になる権限を与えられたのだ。

 一方で、時雨の振る舞いは雷園寺家次期当主らしからぬ身勝手な物であると判断されはした。とはいえその事だけで雷園寺家次期当主の座を剥奪されたわけでもない。まだ彼は幼いし、成長すれば次期当主に相応しいか否かはっきりするだろう。大人たちはそのように判断したのである。

 結局の所は、二人が成長したあかつきに決まる事となった。次期当主に相応しい存在になった方が雷園寺家を継ぐ。先延ばしのような雰囲気があるという者もいたが、雪羽としては満足しきりだった。正式に雷園寺家の次期当主候補になる事が出来たのだから。


「良かったじゃないか雷園寺君。願掛けなんざしなくても、実力で雷園寺家次期当主の椅子を抱え込む事が出来たんだからさ」


 萩尾丸の運転していた社用車に向かう道すがら、源吾郎はそう言って雪羽に笑いかけた。願掛けと言われ、雪羽はちょっとだけ不思議な気持ちになった。戦闘訓練で源吾郎に十回勝てば雷園寺家の当主になれる。雪羽は確かにそんな願掛けをしていたのだ。少し前に源吾郎に敗けて、その事でひどく落ち込んでもいたのだ。

 そうした過去の心の動きを思い出し、雪羽は明るく笑った。不確かなものに大事な物の願掛けをするんじゃあないよ。萩尾丸の忠告は、今なら素直にそうだと思えた。

 屋敷の駐車スペースに辿り着いた雪羽は、敷き詰められた砂利が踏みしめられる音を聞いた。ふと視線を向けると、雷獣の少年が同年代の狸妖怪を連れているではないか。雷園寺時雨とその付き妖になった楓太とかいう狸の子だ。結局控室では、雪羽は時雨に話しかける事は無かった。実の弟妹である穂村たちと話し込むのに夢中になっていたのだ。時雨は来なかったし、彼としても来づらい所だったのだろう。


「時雨じゃないか。どうしたんだ」


 雪羽は源吾郎に目配せしてから時雨に近付く。源吾郎が妖気を引っ込め、ついでに尻尾まで隠すのが見えた。入院していた時もそうだが、時雨はまたこっそり抜け出して雪羽の許にやって来たのだ。雷園寺家の屋敷だから妙な事は起こらないと思いたい。ついでに言えば今は源吾郎も傍に居る。有事の際は二人で切り抜けようとも思っていた。

 さて時雨はというと、近付いた雪羽を見上げてにっこりと微笑んだ。屈託のない子供の笑みである。


「雪羽お兄ちゃん。今日は親戚の人とかお兄ちゃんたちとかがいて話せなかったけど、また会えて嬉しいよ」

「うん、俺も……兄ちゃんも嬉しいよ」


 雪羽はそう言って時雨の頭をそっと撫でた。僕たち兄弟だからまた会えるよね。そりゃそうさ。そうでなくても雷園寺家の事で繋がってるんだからな。

 そんな事を話しているうちに、年若い雷獣がやって来て、時雨たちを屋敷に戻るように言いつけていた。時雨と同じく二尾で、あの時雪羽たちに軽食を持ってきた雷獣の若者だった。


「雪羽兄ちゃん、またね!」

「おう、また今度な時雨! 時間があったら一緒に遊ぼう、な!」


 去っていく時雨に手を振りながら雪羽は叫んだ。ここまで晴れやかな気持ちになるのは久しぶりの事だった。

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