若妖怪たちの朝談義

 土曜、日曜と何事もなく過ぎていった。土曜日は地元住民(妖怪・人間の術者混合)のイベントがあったのでそちらに顔を出していたのだが、体感的に暇すぎず忙しすぎず、と言った塩梅だったと源吾郎は思っている。

 朝食、弁当作り、ホップの放鳥タイムと朝のルーティンをこなし、源吾郎は出社した。ホップは相変わらず警戒気味だ。本性が用心深い小鳥であるから致し方なかろう。しかしホップはホップで鳥籠の中を好んでいるから、外で遊ぶホップを捕まえる手間が無いのが幸いだった。彼なりに籠の外で遊ぶ時間の制限があるのだ。鳥籠の入り口を開けっぱなしにしておくと、時間になったホップがそこに自分で入っていくのである。小さいながらもホップは賢かった。



「おはようございます先輩。週末は楽しかったですかぁ?」


 研究センターの事務所に入るや否や、先客である雪羽が彼を出迎えた。やや間延びした口調であるが、英気を養い元気なのは妖気とかで伝わってくる。普段はくっきりした二重まぶたが僅かに垂れている。まだ眠そうな感じだった。


「楽しいというかなんというか、まぁ普通かな」


 数秒ほど土日の出来事を振り返ってから、源吾郎は律義に正直に答えた。平和で怠惰な土日だった。八頭怪がまた訪れたり雉鶏精一派の敵対勢力が殴り込みにかけてきたり野良妖怪に襲撃されたりなどと言った物騒な事は何一つ起きていない。

 しかし楽しいか否かで言えば首をかしげざるを得ない過ごし方だった。源吾郎の思う楽しい休日というのは、気の合う友達と遊んだり、可愛い女子とお洒落な所で話が出来たりすると言ったものである。

 飛び抜けて楽しい事があった訳でもなく、トラブルに巻き込まれた訳でもない。だから自身の休日を普通と称したのだ。

 もっとも、雪羽が何故そのような問いを投げかけてきたのか。おおよその理由は解っていた。


「そう言う雷園寺君は、楽しい休日を過ごせたみたいだな?」

「そうだなぁ……楽しかったというか嬉しかったって感じかな。久々に自分の家に戻れたから、結構のんびりできたよ」


 そう言う雪羽の面には柔らかな笑みが咲き広がっていた。雪羽が萩尾丸の許で暮らすようになってから一か月経ったか経たないかという所である。しかしそれでも雪羽はある意味大変な思いをしているだろうと源吾郎は思っていた。何しろ萩尾丸は強大な力を持つ大妖怪だ。彼が何かする事は無かろうが、それでも同じ空間で過ごすのは緊張するだろう。ましてや雪羽は素行の悪さを咎められ、再教育のために泣く泣く萩尾丸に預けられている身なのだから。

 萩尾丸の許で、雪羽がどのように暮らしているのか源吾郎は詳しく知らない。しかし恐らくは暴れたり逆らったりせず大人しく緊張しつつ過ごしているのだろうと思っていた。


「のんびりできたのは良かったじゃないか。自分の家だったら家族水入らずな訳だし」


 家族水入らず、と言った所で雪羽の両目が輝いたようだった。


「三國の叔父貴も俺が戻ってきたのをとっても喜んでくれたし、月姉も好きな料理を作ってくれたし。あと春兄も仕事の話とか色々聞いてくれてブラッシングもしてくれたんだ」

「ブラッシング、かぁ」


 毛並みの良くなった銀髪を撫でつける雪羽を見ながら、源吾郎は嘆息の声を漏らした。獣妖怪が親しい者同士でブラッシングしたり毛づくろいしあったりする習性がある事を源吾郎は知っている。

 源吾郎はまた、雪羽の本来の姿が長毛種の猫みたいな姿である事も知っている。雪羽はその姿が恥ずかしいみたいだが、源吾郎は実は彼の本来の姿を好ましく思っていた。何と言うか抱っこしたり膝に乗せて撫でるのに丁度良いと思える姿なのだ……雪羽には言わないけれど。


「それにしてもハルさんもいたんだ」

「春兄はもう四分の三くらい俺ん家のヒトだぜ? 何せずっと前から叔父貴と行動を共にしてるし。それこそ、俺が叔父貴に引き取られる前から、ずっとね」


 それじゃあ春嵐も雪羽にとっては家族みたいなものなのだな、と源吾郎はひとり納得していた。三國たちが親代わりなのであれば、春嵐はやはり雪羽の叔父や兄に相当する存在なのだろう。真面目で面倒見の良い彼に対して、兄らしさを見出しているのは源吾郎も同じ事だった。

 今日は叔父の三國に送ってもらってここまで来たのだと、雪羽は唐突に教えてくれた。三國の暮らす亀水からこの研究センターまではそこそこ遠い。厳密には山間のこの辺りは交通の便が悪く、電車やバスを使って移動するのには不向きなのだ。萩尾丸に迎えに来てもらうのも気が引けると思った三國の考えが手に取るようにわかる気がした。


「まぁ遠方だし、まだ自分でここまで行き来できる足が無いからなぁ。バイクは運転できるけど車の免許は無いし」

「仮に免許を持ってたとしても、その姿で運転したらマズいだろうに」


 車の運転について言及した雪羽に対し、源吾郎は遠慮なくツッコミを入れた。源吾郎はギリギリ成人男性に見える一方、人型に変化した雪羽は何処からどう見ても少年そのものである。年かさに見積もっても童顔の高校生というのが関の山だろう。

 すると雪羽は怪訝そうな源吾郎をじっと見つめ、不敵な笑みを見せた。


「そりゃあ俺とてこの姿だったらマズいのは解ってるよ。だけどな、大人の姿に変化する事くらい俺でも出来る」


 大人の姿に変化できる……? その言葉の意図を考えていた丁度その時、雪羽の姿が一変した。文字通り雪羽は青年の姿に変化していたのだ。先程の十代半ばの姿とは異なり、今の雪羽は人間で言えば二十歳前後に見える。面立ちは叔父である三國に似ていたが、雪羽の方が幾分線が細そうに見える。

 変化術を披露した雪羽を前に、源吾郎は素直に驚いた。


「おお。その姿だったら大人っぽく見えるじゃないか。変化できるんだったらその姿で通しても良いんじゃないのかい?」

「いやまぁそうもいかないんだよ」


 苦笑いしつつ首を振ると、雪羽はまた普段の姿に戻っていた。


「変化を維持するのも結構疲れるし、大人のふりをするのも中々難しいんだよ。それにさ、今のこの姿の方がオトモダチと接するにも女の子と遊ぶにも丁度良いんだよ。可愛い顔して中々強いなぁってギャップを魅せる事が出来るからさ」


 真面目に語る雪羽を前に、源吾郎は思わず笑ってしまった。いかにも雪羽が考えそうな事だったからだ。


「そう言えば先輩。大人と言えば土曜日に先輩のお兄さんに会いましたよ。三番目のお兄さんです」


 またも雪羽は話題を変えて話しかけてきた。源吾郎はその事にはツッコまなかった。話題を変えた事よりも、三番目の兄に会ったという事に驚いたからだ。


「庄三郎兄様の事か。出先で会うなんて珍しいなぁ。あの人は超人見知りでインドア好きだから、そもそも一人で外にいる事なんてほとんど無いのに」

「ギャラリーで見かけたんですよ。買い物帰りに雨に降られて、たまたま入った雑居ビルでギャラリーをやってたんですよ」

「…………」


 雪羽の話を聞きながら源吾郎は思案に耽っていた。庄三郎は「作品が展示されるなら作者は黒子でも構わん」という考えの持ち主である。従って積極的にギャラリーに顔を出す事はない。それでも出てこねばならない事情があったのだろうと源吾郎は思った。

 但し事前にその事が解っていれば、(彼女役として)源吾郎に協力を要請するはずだ。それもなかったから、きっと突発的に顔を出さざるを得なかった――そのような事を源吾郎は考えていた。


「庄三郎さんでしたっけ。少しだけお話しましたが大人っぽい感じでしたぜ。ああ言う人がお兄さんなんだなって思っちゃったんだ」


 庄三郎が兄らしい。実の兄を持たぬ雪羽の言葉に、源吾郎は思わず笑ってしまった。首をひねる雪羽に対し、源吾郎は臆せず言ってのけた。


「そうか。雷園寺君には庄三郎兄様も兄っぽく見えたのか。ははは、庄三郎兄様はそんなに人なんだけどなぁ。むしろあの人は末っ子気質が強いと思ってるんだよ。何せ俺が生まれるまで末っ子だったわけだし」


 源吾郎の言葉に雪羽は驚いて目を丸くしている。暇があれば他の兄の事について話すのも一興だと源吾郎は思っていた。

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