かつて辿りし異類への恋路
昼食後。外では太陽が天高くおわす時間帯であるが、源吾郎は部屋に引き戻るやそのままごろりと床に寝そべった。ご自慢の四尾まで伸ばしているので、さながら打ち上げられたヒトデのような有様である。
実家と言えども昼日中にこのような自堕落な姿を見せる源吾郎だったが、特段罪悪感は無かった。同じ部屋をあてがわれた兄の庄三郎も、ジャイアントパンダよろしく寝転がっていたのだから。
「源吾郎も、一杯写真を見たから疲れちゃったんでしょ」
「……うん。ちょっと情けないけど」
「良いじゃないか源吾郎。君は普段仕事で頑張ってるのは僕らも知ってるんだからね。それに僕は、製作の時以外はいつでもこんな感じだからさ」
「それはそれで問題だよ、兄上……」
柔らかく微笑む庄三郎に対し、源吾郎は軽くため息をついてしまった。放っておけば庄三郎は何処までも自堕落に暮らすであろう事を知っていたからだ。それでも体調を崩さないのは、やはり頑健な半妖の体質のお陰なのかもしれないが。
「そりゃあまぁ、年末だからって赤ちゃんの写真を寄ってたかって見られたら、気恥ずかしかったり驚いたりするよ。僕だって同じさ。父さんや宗一郎兄さんが、臍の緒と一緒に保管している尻尾を見てみようなんて言い出すしさ……」
ううん、とかうんうん、などと言った半分唸り声に近い声音で源吾郎は頷いていた。家族で集まって昔の写真を見るのは確かに楽しかった。だが、庄三郎の指摘通り気恥ずかしさやくすぐったさも源吾郎の心の中にはあるにはあった。人の頭部を持つ仔狐と言う、異形そのものの姿で生れ落ちた事は源吾郎も聞かされていたから知っている。別段その事について思う事は無かった。初めから異形として産まれた事を知らしめたのだと思うと愉快な事だとも思っていた。
だが、父母や兄姉らの意見はどうであろうか。犬の仔みたいで可愛かっただの、尻尾はフワフワでぬいぐるみみたいだっただの、そんな意見ばかりだったのだ。家族らが異形である自分を受け入れ、立派な青年になるまで育て上げてくれた事には感謝している。それでも文字通り仔狐として可愛がられた過去があると解ると何ともおさまりが悪い。物心ついたころより仔狐扱いには慣れていると思っていたにも関わらずだ。
「それにしても、母上や叔父上たちはさておき、父さんも兄上たちも姉上も俺が文字通り仔狐だって解っても全然動じなかったんだな。俺が言うのもなんだけど、それはそれで凄いかも」
「僕もある意味狐に……と言うかご先祖様に近かったからさ。それで父さんたちも耐性が付いたんじゃないかな」
「あー確かに。兄上も色々あったみたいだもんなぁ」
源吾郎の言葉に、庄三郎は何も言わずにうっそりとした笑みを見せるだけだった。虚ろに見開かれた瞳の昏さに、源吾郎は思わず身を震わせる。源吾郎に較べれば人間の血が濃いと言えども、それでも庄三郎は兄姉らの中では妖狐の特性が最も強い。そしてその能力に苦しめられた半生である事も源吾郎は知っていた。
何せ保育園児の頃は信頼していた保育士に拉致されかけた事があるし、小学校低学年の頃には、悪心を抱いた子供ら――男児が大半だが、中には女児もいたらしい――に悪戯を仕掛けられた事もあるくらいなのだ。しかも恐るべきことに、これらは源吾郎が生まれる前の――要は庄三郎もまだ六、七歳の児童だった頃に降りかかった出来事でもあるのだ。その頃になれば、自分の容貌や能力が特異な物である事、それらが元凶である事はうっすらと解っていたに違いない。
実際庄三郎は、源吾郎が産まれるまでは内気でおどおどとした陰気な子供だったらしい。と言うよりも、極度の人間不信に陥り精神を病む手前まで来ていたともいう。玉藻御前が他者を思うがままに操る能力を持て余し、逆に使い手の精神を腐蝕させていた。何とも皮肉で残酷な事実であろうか。
しかしその庄三郎が持ち直したきっかけと言うのが、弟である源吾郎の存在でもあったのだ。理由は定かではないが、源吾郎は庄三郎の持つ魅了や制御の力が通用しなかった。それは実の兄弟だからなのか、妖狐の血がより強い存在だからなのかは解らない。ともあれ源吾郎の存在に庄三郎は救われたらしいのだ。源吾郎としては自分の心に従って兄らに接してきただけに過ぎないのだが。
源吾郎に解るのは、妖狐の血がやや濃くて歳が近いがために、庄三郎が源吾郎に絡んでくる事が多いという事だけだった。
「源吾郎自身は確かに狐っぽかったけれど、僕みたいに厄介な能力は持ち合わせては無いなかったでしょ? もしかしたら、君の事だからご先祖様の力を十二分にコントロール出来ていただけなのかもしれないけれど……」
庄三郎はそこまで言うと、いたずらっぽく微笑んだ。
「ごめんね源吾郎。魅了の力を厄介だなんて言ったら君は嫌だったかな?」
「そんな事は無いよ、庄三郎兄様。兄様が魅了の力で苦しめられてきたのは俺もよく知ってるよ。それに俺が魅了の力を持っていないのは本当の事だもん」
寂しげに笑う庄三郎に対し、源吾郎もまた笑い返した。放った言葉は全て本当の事であり、源吾郎の本音でもある。
まず、四尾を保持する源吾郎であるが、魅了や洗脳と言った系統の術を使う素養は持ち合わせていなかった。妖狐、特に若い妖狐では特定の術に特化していたとしても、他の系統の術が使えない、苦手であるという事は珍しくはない。源吾郎の場合、得意な術は変化術や結界術の類になるのだ。
また、源吾郎自身も魅了とか洗脳の術を使えたとしても濫用はしないだろう。そのように漠然と思っていた。兄である庄三郎がその能力で散々苦しんだのを知っているし、何より紅藤や萩尾丸たちの叱責が恐ろしかった。源吾郎の上司たる大妖怪二名が、洗脳術の類を嫌悪し、或いは下等な術であると軽蔑している事はもちろん知っている。
もっとも……萩尾丸クラスの大妖怪であれば、凡百の妖怪程度であれば言葉一つで従える事は出来る訳なのだが。雪羽や源吾郎は言うに及ばず、雪羽の保護者であり、強大な力を持つはずの三國ですら、萩尾丸の前では平伏するほかないのだから。
「まぁなんにせよ、僕と源吾郎は大分狐の血が濃く出てしまったんだよ。宗一郎兄さんたちは人間に近いのに、なんか不思議だよね」
不思議でも何でもないさ。自分たちは上の兄姉らよりも妖狐の血が濃い。その事を不思議がる庄三郎に対し、源吾郎はとっさに言い返していた。
「若い両親から生まれた子供は骨髄が満ち満ちていて、年老いた両親から生まれた子供の骨髄は少ないって言う話を庄三郎兄様は御存じないんですかね? あれは俺たちの曾祖母である玉藻御前様が仰られた言葉なんだぜ。蘇妲己として、胡喜媚様や王鳳来様と共に紂王に侍っていた時の言葉なんだけどさ。
庄三郎兄様。俺たちが産まれた時と言えば、母様はともかくとして父さんもお世辞には若いとは言い切れん歳になってただろう? だからその……俺らには骨髄が……人間としての髄液が少ないのかもしれんな。
でもそれだったら都合が悪いから、その少ない髄液を補填するために、母様が持つ狐の髄液を多く受け継いだのかもしれない。だから俺たちは妖狐の血が濃いんじゃあないかな」
封神演義の伝承をも引っ張り出した源吾郎の考察に、庄三郎はさも感心したように息を吐いていた。源吾郎はそれを見て心からの笑みを浮かべた。自論を展開し、それに相手が納得する様子を見るのは気持ちの良い事ではないか。相手が兄姉であればなおさらである。
「成程ねぇ。源吾郎の言葉には説得力があると思うよ。しかも成り行きはどうであれ僕らのご先祖様が見出した法則でもあるんだからねぇ。
でもさ源吾郎。それなら誠二郎兄さんはどうなのかな? 誠二郎兄さんは僕ら兄弟の中で一番人間に近いけれど……僕と兄さんとは二歳しか離れていないんだけどなぁ」
「それはその……誠二郎兄様はそれこそ人間としての髄液を多く受け継いだんじゃないのかい? んでもって、そんな感じだったからこそ、庄三郎兄様も俺も狐としての髄液を多く受け継いだのかもしれないし」
口早に源吾郎は言って、気まずさから笑ってごまかしてもいた。言い訳に走ったと思われたかもしれないが、実際にその通りなのだから致し方なかろう。
と言うよりも、源吾郎の中には上の兄姉三人と末っ子二人という兄弟たちの区切りがあり、二番目の兄である誠二郎と大きい方の末っ子である庄三郎の年齢差をそれほど考えていなかったというだけの話でもあるのだが。
※
「源吾郎。ちょっと父さんと一緒に散歩しないか」
ノックされたドアの向こう側から顔を覗かせたのは、父親の幸四郎だった。父がわざわざ部屋を訪れた事、特に前触れもなく散歩に誘われた事に源吾郎はまず驚いた。
「可愛い末息子ももう一人前になったし、それこそ男同士の会話と言うのをやりたいと思ってな。なに、源吾郎を父さんがちょっと借りるって話は母さんにも宗一郎にも通してあるから」
「大丈夫だよ父さん。父さんが俺と散歩したいって言うなら付き合うからさ」
言いながら、源吾郎は着替えて支度をするから少し待っていて欲しいと父親に告げた。元より父親の散歩に付き合うつもりだった。楽しそうだからとかつまらなさそうだからと言う自分の意志を優先したのではなく、父が望んだからそれに沿うべきであろうと源吾郎なりに考えていたためである。
それでも実のところ、源吾郎は内心ワクワクしてもいた。源吾郎も一人前。男同士の会話。父が何気なく放ったこの言葉に源吾郎は気を良くしていたのだ。源吾郎は長らく仔狐として親兄姉や親族たちに扱われていた。だが先程の言葉は、源吾郎を仔狐ではなく一人前の青年、大の男として見做そうとする父親の意志の表れであるように思えたのだ。
父親が俺を仔狐としてではなく、一人の男として見てくれている……! プライドの高い源吾郎がのぼせ上り高揚するのは致し方ない話だった。ましてや、一家の長としての威厳を父がきちんと具えている事を昨晩知ったばかりなのだから。
幸四郎と共に出向いたのは、白鷺城の堀の向こう側にある公園だった。春になれば白鷺城を背景に桜並木が美しい道を具えているのだが……もちろん年末なので桜たちも枝を落として寂れた様子を見せている。
幸四郎も源吾郎も慣れた様子で歩を進め、四阿の中に入った所で長椅子に腰を下ろした。何気なく父の隣に腰を下ろしたのだが、視線の先には池が見えた。枯山水を現したような……と言うのはいささか大げさであるが、幾分和風で風情のある池だった。冬場なのでやはり魚の影は見えず、水鳥の姿も特にない。年末の昼下がりと言う、張りつめつつも何処かうら寂しい心情を反映しているかのようだった。
冬曇りの寂しい気持ちを払拭しようと、源吾郎は父の顔を見て問いかける。
「父さん。こんな所で話って何かな」
「父さんと母さんがどうやって知り合って、何で結婚したかについてだよ」
「……え?」
思いがけぬ返答に源吾郎は間の抜けた声を上げていた。父の微笑みには照れくさそうなものが浮かんでいたが、しかしふざけたような気配はない。
何故急にそんな話を……? 疑問が脳裏をかすめつつも、源吾郎はその一方で納得し始めてもいた。ある意味男同士の会話という物に相応しい話であるようにも思えたからだ。
或いはもしかしたら、源吾郎に好きな狐がいるという事を父親も何か察しているのではないか。そんな風にも思えたのだ。少なくとも、母は源吾郎が妖狐の娘と結婚するのではないかと思っていたようだし。
「そうだな源吾郎。父さんと母さんの結婚のきっかけはな、滑落事故だったんだよ。滑落事故から始まる恋ってやつだな。今風に言えば」
「滑落、事故……」
急に始まった父親の語りに、源吾郎は重要そうな単語を反復するほかなかった。そう言えば長姉の双葉が時々滑落の事を口にしていたのを急に思い出した。滑落、と口にした時の、長姉の妙に恍惚とした表情と共に。姉上は何かを知っていたのかもしれない。そう思いながら源吾郎は父の言葉を待った。
「源吾郎。お前はもしかしたらうまくイメージできないかもしれないけれど、父さんだって若かった頃はあるんだからな。あ、でも今日は散々昔の写真を見てきたから、ちょっとは父さんの言う事は解るよな?」
「もちろんだとも」
やっぱり子供扱いされたかも。そう思って口を尖らせる源吾郎に対し、幸四郎は叱るでもなく嬉しそうに目を細めるだけだった。
そうして父は若かった頃の事を話し始めてくれた。長兄の宗一郎は、父が二十八の時に生まれた子供であるという。だからこれからの話は、父が二十代半ばから後半の頃の話だった。
その頃の父は大学院を出たばかりの若者だったという。若かったので気力体力も満ち満ちており、そして向こう見ずで無鉄砲な所も持ち合わせていたそうだ。
「……フィールドワークに勤しむあまり、足許が不注意になってしまってな。滑ったか弱った地盤を踏み抜いたのかは覚えていないが、ともかく崖下に滑落してしまったんだ」
いやぁもう大変だったよ。昔の事を懐かしんで笑う父の姿を、源吾郎は無言で眺めていた。
「後で判ったんだが転げ落ちる時に骨も何か所も折れちゃってたから動く事もできなかったんだよ。もちろん当時は携帯何て便利な物もないし……あの時ほど死を間近に感じた事は無かったかな」
「そりゃあ……もう……」
大変どころか生命の危機にさらされていたじゃないか……源吾郎は心中でツッコミを入れていたのだが、上手に言語として放出する事は出来なかった。それくらい衝撃が大きかったのだ。
それに絶体絶命だったのかもしれないが、今こうしてその話を幸四郎本人が行っている事もまた事実である。死にかけてたやん、などと言った野暮なツッコミを入れるよりも、いかにして父が生還を果たしたのか、そこにどのように母の存在が絡むのか、それを聞く事が先決であろうと源吾郎は思っていた。
「とはいえ、あの時は死ぬのは怖くなかったんだよ。と言うか父さんもちょっと自棄になっていた所もあったんだよな。言うて好きだった女性に振られたなんて言う他愛のない理由ではあるんだけど。
まぁ……家族の事はその時は思い浮かばなかったかな。両親にしろ兄弟たちにしろ――源吾郎にとってはお祖父さんやお祖母さんと伯父さんたちだな――僕の事は真面目に仕事をせずにふらふらしているやつっていう認識だったからね。まぁ流石に葬儀には出てくれるだろうなって思ったけれど」
その時に出会ったのが源吾郎の母さんだ。先程まで纏っていた仄暗い雰囲気を払拭し、幸四郎は明るく弾んだ口調で告げた。
「何をしていたのか定かではないけれど、ちょうど父さんが落ちた近辺に母さんがいて、父さんの事を見つけてくれたんだ。何か色々と手当てしてくれたのは覚えているんだけど、気が付いたら病院のベッドの上にいたという事なんだ。しかもその後も、母さんとか母さんの弟である苅藻君とかがマメに見舞いに来てくれたんだよ。入院生活はずっと静かな物だって思っていたから驚いたけどね。まぁその時は、母さんも苅藻君も父さんは殆ど見ず知らずのヒトだった訳だし。
でも――それでもその時から父さんは母さんに惚れてしまったんだよ」
母さんに惚れた理由は解るだろう? 問いかける幸四郎の言葉と顔は、往時の恋心の熱気によって潤んでいた。
「母さんが何故父さんを助けたのか。それはもしかしたら単なる気まぐれだったのかもしれない。だけどな源吾郎。あの時の母さんはまさしく救いの女神だったんだよ。母さんのお陰で父さんは助かったし、何より生きる気力さえも蘇ったんだから。母さんの境遇や正体なんて問題じゃあなかったんだ」
要は壮大な吊り橋効果のようなものがあったのかもしれない。源吾郎はやや冷静にそんな事を思っていた。もっとも、恋の引き金は吊り橋ではなく滑落であり、色々な意味でドキドキしていたのが男性サイドと言うのは珍しいのかもしれないが。
「母さんも何度か見舞いに来てくれていた事を良い事に、退院してからも何度か母さんに会ってみたり、折に触れて母さんにもっと会おうと父さんも画策したんだよ。実を言うと、その時は結婚するとか、夫婦になるとか、そこまで踏み込んだ事は考えていなかったんだ。ただただ母さんに会って、一緒にいればそれで満足出来たからな。
でも……会うたびに母さんの事を色々と知りたくなったし、ずっと一緒にいたいと思うようになったんだ。途中から、父さんの方もちょっとストーカーめいた感じになってしまったんだけど」
「ストーカーって、それはそれでマズいんじゃないの」
源吾郎は思わず呆れて本音を口にしてしまった。父が母に惚れ込む気持ちは話を聞いていて解らなくもない。しかし付きまとってストーカーになったのだという所まで聞かされると何とも言えない気持ちになってしまった。
確かにマズかったのかもしれないなぁ。幸四郎はしかし、末息子のツッコミに鷹揚に笑うだけだった。
「初めは母さんもあしらっていただけだったんだけど、母さんの弟妹達が父さんの事を警戒し始めてな。あんまり鬱陶しく憑き纏うのなら、喰い殺してしまえば良いだろうって話さえ持ち上がったらしいんだ」
「えぇ……」
源吾郎はもはや突っ込む気力さえなかった。恋する父のストーカー行為も大概であるが、そんな父を喰い殺そうと画策する叔父たちも中々である。とはいえ、叔父たちの出自や境遇を思えばそれ位の事をやってのけそうなのでそれはそれで物騒な話である。何せ彼らは玉藻御前の孫なのだから。
そうした話題が持ち上がっているのを教えてくれたのは、母の末弟である苅藻君だった。幸四郎は鷹揚な笑みを崩さずにそう言った。
「苅藻君は優しい妖だったから、父さんに最終通牒として警告してくれたんだよ。これ以上姉に接触しようとしたら、兄姉たちは容赦せずにあなたを殺しにかかる。自分たちは玉藻御前の血を引く半妖であり、純朴なあなたが想像も出来ないような残虐な事だって平然とやってのけるってね」
「苅藻の叔父上がそんな事を……父さんはどうしたの?」
「別に構わない。三花さんがそうしたいのならそうすれば良い。父さんはそう言ったんだ」
父親の顔に浮かぶ笑みは、いつの間にか儚げな笑みに変化していた。
何処か物憂げで寂しそうな表情のまま、父は言葉を重ねていく。
「元より母さんが助けてくれなければ朽ち果てていた身に過ぎないんだからね。勝手にのぼせ上った父さんを喰い殺す事が母さんの望みなら、それもやぶさかではないと思ったんだよ。
それに――父さんの家族は僕にそれほど関心を持っていなかったから、人知れず姿を消しても特段迷惑にならないだろうってね」
母さんが優しくなったのはそれからだったんだ。一緒にいたいという僕の意志を尊重してくれて、恋人を経て夫婦になったんだ。母さんの弟妹達も父さんと母さんの結婚には反対しなかったから、きっと母さんが説得してくれたんだろうな。
幸四郎の、三花との出会いとなれそめの物語はこのような形で締めくくられた。滑落事故で二人は出会い、幸四郎の猛アプローチに三花も絆されて交際したという事になるのだろう。付きまとうのを止めなければ喰い殺す。そう言われて喰い殺されても構わないなどとそうやすやすに言える事ではないはずだ。しかしだからこそ、母も父の純粋さに心が動いたのかもしれないが。
祖父母との出会いほどには無いにしろ、ともあれ父母の出会いと結婚も中々にドラマチックな話だった。身内の欲目でも何でもなく、それが源吾郎の素直な感想だった。
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