昔日写してポートレート

 母の言う通り、父親の幸四郎も長兄の宗一郎も翌朝まで怒りなどを持ち越しているわけでは無かった。と言うよりも、幸四郎はそもそも昨晩の一件で腹を立てていなかったのではないか。そう思う程のえびす顔を源吾郎たちに向けていたのだ。


「遅かったわねお父さん。探し物をやっていたのは知っていたけれど、ちょっと心配になったのよ」


 気遣うような素振りで告げる三花に対して、幸四郎はハハハと声を出して笑っていた。成熟した大人の鷹揚な笑みにも、或いは無邪気な子供の笑みにも見えたのが源吾郎には不思議だった。

 ちなみに宗一郎の方はやや気まずそうな表情を浮かべており、一層父親の笑みが際立った。


「母さん。探し物の方は実は夜中に終わっていたんだよ。でも夜遅かったから少し寝過ごしちゃってな……」

「お父さんもあんまり無理しないで。言ってくれれば私だって手伝ったのに。お父さんの書斎の探し物レベルだったら、術を使えば十何分かで片付くでしょうし」

「そんな、母さんだって昨日は双葉や誠二郎たちを出迎えるのに大忙しだったろう。源吾郎とも色々と話したい事もあったみたいだし、あくまでも父さんが探したいって思っただけなんだから……でも有難う。母さんがそう言ってくれると嬉しいよ」


 父母のやり取りは他愛のない物であったが、その言動の節々からも仲睦まじい物をひしと感じ取っていた。夫婦仲が良いのは子供である源吾郎にしてみれば無論有難い事ではある。しかし見ているうちに何故か気恥しくなってしまった。

 こっそりと兄姉らの様子を窺ってみる。兄姉たちは特段恥ずかしがるでもなく、平然とした様子で父母のやり取りを眺めているだけだった。一層自分がまだ子供であると言われているような気がしてしまい、源吾郎は少し気まずかった。


「源吾郎が雷獣の子の話をしてただろう。多分雷園寺君の事だと思うんだけどな。宗一郎たちが小さかった時に、雷園寺君と引き合わせた事があって、その時の写真を父さんは昨晩探していたんだ。なに、三十年も前の事だから、探すのもちょっと難儀しちゃってな」


 やっぱり雷園寺と上の兄姉らは面識があったんだ。またしても鷹揚に笑う幸四郎の姿を見て源吾郎はぼんやりと思った。

 それでな源吾郎。父はしかしすぐに写真を見せようとはせず、何故か源吾郎を見据えて呼びかけたのだ。


「その写真を探している最中に、源吾郎がちっちゃかった時の写真も見つかったんだよ。本当に、生まれたての時から生まれて一、二か月も経ってない時の頃の写真とかな」

「俺の……生まれたての時の写真?」


 源吾郎は思わず父の言葉を反芻した。雪羽の写真を探していたという話からこの話題になった事を、半ば不意打ちのように思っていたのだ。

 その通りだと、幸四郎は頷いている。その頬を笑みで緩ませながら。


「源吾郎だって、自分がちっちゃく生まれた事とか、元々は狐みたいな姿で生まれたって事は知ってるだろう。だけど、本当に生まれたばっかりの写真を見る機会は少なかったなぁって思ってな。

 年末で宗一郎たちも集まってるし、折角だからみんなで赤ちゃんだった頃の源吾郎の写真を見てみないか?」


 なぁ母さん。子供らに呼び掛けていたのが一転し、父は鷹揚な様子で母の顔を見つめている。母の三花は源吾郎を一瞥してから頷いた。


「……そうね。源吾郎には昨夜お父さんの事とか妖怪の生き方について少し話した所なの。それにしても懐かしいわ、源吾郎が産まれてすぐの頃の写真なんて……ここ二十五年ほどは、もう本当にあっという間だったから」


 父の提案に母も満更でもない様子だった。微笑む母の顔は何処か初々しく、それこそうら若い娘のように見えて、源吾郎はやはり不思議な感覚になってしまった。


 源吾郎は産まれた時から妖狐の血を色濃く受け継いでいる事は親族たちに知れ渡っていた。

 しかしそれは、単純に狐と人が融合した姿で生れ落ちたとか、赤ん坊の頃から三尾を保有していたという点だけで論じられている話ではなかった。

 と言うのも、妊娠から出産までの期間すらも人間に近かった兄姉たちと明らかに異なっていたのだから。日にちの若干のずれはあれど、兄姉たちは曲がりなりにも十月十日で生まれたという。だが源吾郎は、妊娠してから半年強で生れ落ちたのだという。狐の面影を多分に残す姿は人間の赤子よりもはるかに小さく、それこそ犬の仔のようでもあったと家族も言っていた気がする。従って、源吾郎は早産の未熟児であるとされていたのだ、

 もっとも、源吾郎が兄姉らよりも早く誕生し、尚且つ小さかったのも妖狐としての血が濃かったが故の事であったそうだ。妖怪化していると言えども、妖狐と言うのはそもそもからしてキツネより分化した存在である。その生理的な機構はアカギツネやホンドギツネのそれに近い。妊娠期間や産まれる仔の大きさなども例外ではない。

 半妖であっても、産まれる仔が妖怪に近ければ生まれた時の姿などが妖怪のそれに似る事は珍しくはないという。ましてや源吾郎の母は玉藻御前の孫娘に当たるのだから。

 ともあれ常人とは幾分かけ離れた出生ともいえる源吾郎だったが、それでも半妖として丈夫な青年に育った事には変わりはない。強いて言うならば、小学校や中学校の授業の一環として「わたしが産まれた時の事」と言った課題を仕上げる際に、事情をでっち上げてを用意せねばならないという苦労があった事くらいだろうか。

 そんな風に思案に耽っている源吾郎の傍で、歓声がにわかに沸き立った。いつの間にやら幸四郎はアルバムを開いていたのだ。声の主は長姉の双葉である。彼女は源吾郎の傍にいたはずなのだが、その眼は写真に向けられていたのだ。


「ちっさ……!」

「そうだよ源吾郎。源吾郎は本当に小さかったんだぞ」


 源吾郎が驚きの声を漏らすと、すかさず父がその言葉尻を捉えた。相変わらずその顔には笑みが浮かんでいるが、慈しむような色味がその面には浮かんでいた。


「小さいからお乳を飲む量もちょっとだけだったしなぁ。母さんや苅藻さんたちは狐の血が濃いだけだから大丈夫だって言ってくれたけど、父さんも宗一郎たちも気が気じゃあなかったんだよ。まぁ、何か月か経ったころには普通の赤ちゃんと同じ位の大きさになったから一安心したんだけどな」

「そうそう。小さすぎるから、却って抱っこするのも難しかったしね」

「宗一郎兄様が、俺を抱っこしていた事もあったんだ……」

「そりゃあるとも」


 源吾郎の言葉に、宗一郎は当たり前だと言わんばかりに頷いた。


「母さんも父さんも手いっぱいで、源吾郎を満足に抱っこ出来ない時が初めのうちはあったからね……しかも子供だった弟連中は、源吾郎に物凄い興味を持って、隙あらば触ろうとしていたからさ。子供が不用意に赤ちゃんを抱っこしたりこねくり回したりしたら危ないから、それで僕が抱っこする事も度々あったんだ。誠二郎にしろ庄三郎にしろ、流石に僕から赤ちゃんを奪い取るなんて真似はしなかったからね」


 やっぱり宗一郎兄様はだったのだ。抱っこ事情を語る宗一郎を見ながら、源吾郎は静かに思った。末弟たる源吾郎に対しては若い父親のように接する一方で、年長の兄として他の弟たちを導いていたのだ、と。

 そんな宗一郎は長姉の双葉にはやや甘い所はあるが、それはまぁご愛敬であろう。双葉は宗一郎と歳も近く、尚且つ妹なのだから。男という生き物は妹には甘い。源吾郎には妹はいないものの、そうした事は嫌と言う程知っていた。

 そんな中、宗一郎はじっとりとした視線を誠二郎らに向け、やや呆れた調子で口を開いていた。


「別にだな、庄三郎が関心を持って触りたがったのは解ったよ。源吾郎ほどには無いにしろ君も狐の血が濃かったみたいだし、何より初めての弟だったんだからね。

 だけど……誠二郎は堪えろよなぁって正直思ってたところはあったかな。庄三郎と違って、弟とかちっさい赤ちゃんなら見慣れてるだろうってさ」

「そうはいっても兄さん。俺と庄三郎は二歳違いなんだから、庄三郎が赤ちゃんだった時なんてうろ覚えだったんだよ。それに源吾郎は尻尾も生えててフワフワしていたんだよ。狐の血が濃いと言っても、庄三郎には尻尾なんて無かったし」


 妙に生き生きとした様子で言い返す誠二郎の姿はこれまた新鮮だった。源吾郎と異なり、宗一郎と比較的歳が近いために、世間で言う所の兄弟のやり取りに近いのだなと源吾郎は感じていたのだ。


「あら誠二郎。庄三郎には尻尾が無かったんじゃなくて途中でのよ。まぁ、誠二郎もまだ小さかったから、その時の事は覚えてないでしょうけれど」


 尻尾が落ちる。妖狐的に物騒な事を言ってのけて笑ったのは姉の双葉だった。

 源吾郎は思わずおのれの腰のあたりに手を添えたが、兄と自分とは違うのだと強く思って心を落ち着かせた。余程の事が無い限り、普通の狐では尻尾は落ちぬ、と。

 中国の伝承では、人と狐の間に生まれた半妖の狐は、人間として育てるために尻尾を切り落とすのだという。この伝承は事実でもあり間違いでもあった。

 妖狐にとって、尻尾とは妖力を蓄える大切な機関である。ある程度成長した妖狐ならばいざ知らず……赤ん坊の場合であれば、尻尾を切り落とすとなると生命の危険にさらされる恐れもあるのだ。そもそも、尻尾を切り落とすだけで相手の負担なしに妖力を減らす事が出来るのならば、それこそ源吾郎はとうに尻尾を切り落とされ、何も知らずに人間として育てられる事になっただろう。

 しかしその一方で、半妖の赤子の尻尾が自然と落ちる現象が確認されているという。人間に近い要素を持つ半妖でも、母親の妖気の影響を受け、妖怪としての特徴を具える事も珍しくない。狐の血を引くならば、それが尻尾として現れる事となる訳だ。そうした尻尾は妖力が通っておらずな物なので、生まれてすぐに臍の緒よろしく本体から抜け落ちてしまうという事なのだそうだ。もちろん半妖だからと言って必ずしも尻尾が生えている訳ではないらしい。少なくとも、上の兄姉三人には尻尾があったという話は聞かない。

 庄三郎は中途半端に妖狐の血が濃かったので、そうした現象に見舞われたのだろう。そのように源吾郎は考察していた。源吾郎は源吾郎で妖狐の血が濃すぎたので、尻尾は抜けずに健在であるわけだが。

 源吾郎。庄三郎の抜けた尻尾について父や兄姉が盛り上がる中、母の三花が源吾郎に呼びかけていた。


「確かに源吾郎は他の兄弟たちと違って、狐の血が……いいえ先祖である玉藻御前の血を濃く受け継いで生まれたの。生まれた時から既にちゃんとした尻尾を三本も生やしていたし、。私たちが人間として育て、尚且つ宗一郎の思惑を知った上でね」


 源吾郎は怯んだ犬のように喉を鳴らした。母の、見透かすような眼差しにたじろいだからだ。


「でもね、私は別に驚いてもなんともないわ。源吾郎が妖怪として育つであろう事は、事だもの。それこそ、源吾郎が生まれる前からね」


 生まれる前からその事が解っていたのか……源吾郎は瞠目し、母の顔を眺めていた。一瞬だが、脳裏に雪羽たちの一家の姿が浮かぶ。父が雷園寺君の写真を見つけたと言っていたからかもしれないし、雪羽の保護者である月華がもうすぐお産を迎えると知っていたからかもしれない。

 源吾郎はお腹の中にいた頃からとかく妖力の多い子だったから、自分もその分食事を多く摂っていたのだ。あっけらかんとした様子で、三花は過去の事を源吾郎に語って聞かせたのだった。


「それに私の母も……あなたのお祖母様もこう言っていたのよ。『玉藻御前の野望と力は、玉藻御前自身が倒れたとしても途絶える事は無い。その力と意思を受け継ぐ者はいずれ現れる』ってね。何でも母は、祖母と袂を分かつ寸前に、その話を聞かされたみたいなの。

 だからもしかしたら……源吾郎がその玉藻御前の力と意思を受け継いだのかもしれないわね」


 しんみりとした母の言葉に、源吾郎もまた神妙な面持ちで頷くほかなかった。

 源吾郎は異形の血を色濃く受け継ぎ、しかもそれ故に異形として生きる運命をたどっているのかもしれない。それはそうと父母も兄姉らも源吾郎を息子として弟として受け入れて可愛がってくれている。その事実は揺るぎないものとして横たわっている。その事だけは若い源吾郎もはっきりと把握できたのだ。

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