妖怪の仔と半妖の出自

 雪羽の叔父である三國は、予定通り午後に研究センターにやってきた。それも午前二時を回ろうという時間帯にである。丁度良いタイミングに来てくださったものだと、源吾郎は密かに思っていた。午後一時であれば昼休憩が明けて間がない時間帯であるし、三時頃であれば中休みの時間に重なるからだ。

 とはいえ、その辺の時間管理を三國が調整して行ったのかどうかは定かではないが。


「紅藤様に萩尾丸さん。今年は僕も甥も何かとお世話になりました」


 側近や部下である春嵐や堀川さんを従えた三國は、萩尾丸たちに深々と頭を下げている。責任を伴った、ビジネスマンらしい態度だった。そんな三國の姿を、ある種の感慨を抱きながら源吾郎は見つめていた。今まで見た中でも、今見せている三國の姿は余りにも穏やかで大人びたものだったのだ。

 雪羽の話や実際に三國本人に相対した時の挙動のために、三國は荒々しくて怒りっぽい妖怪と言うイメージが憑きまとっていたのである。


「三國君。あなたも年末と言う事で忙しいでしょうに、挨拶に来てくれてありがとうね」

「とんでもありません。これから忙しくなるからこそ、挨拶が必要だと思ってこちらに参りましたので」


 静かに微笑む紅藤に対し、三國はそう言って明るい笑みを見せていた。その間に春嵐が焼き菓子の包みらしきものを青松丸に渡している。焼き菓子だと解ったのは、包装紙のロゴと源吾郎の嗅覚によるものだ。


「三國君。君の所も今年は色々とごたついて大変だっただろう。雷園寺君の、雷園寺家の一件もそうだけど、よく頑張ったと僕は思ってるよ」


 やや気取った、それでいて優しさをにじませた声音で告げるのは萩尾丸だった。褒められて何処か居心地の悪そうな三國に対し、萩尾丸は更に言葉を重ねる。


「――して、奥方どのの具合はどうかな?」


 奥方どの。その言葉に三國はツレの妖怪二人と一瞬互いに顔を見合わせていた。どうしたのだろうか。まさか月華さんに何かあったのだろうか? 他妖事ひとごとながらも、源吾郎は少しだけ心配になってしまった。


「月華は……いえ妻もそろそろ出産が近いので、きちんと静養しております」


 そう告げる三國の表情は明るく、源吾郎もそれを見てホッとしていた。隣では何かを察した雪羽が、ニヤニヤしながらこちらを見ているではないか。


医者せんせいによりますと、子供たち――双子らしいんです――も順調に育っているとの事ですね。妖力も多すぎず少なすぎずって所ですし、妻自身もすこぶる元気ですから。ええ、もう少ししたら緑樹様の部下が運営している産院に入院する予定です」


 三國は照れながら、しかし明るく晴れやかな表情で今の状況を伝えてくれた。源吾郎は三國が妖力について言及した所に少々の興味と疑問を抱いていた。話の流れからして、月華のお腹の仔の妖力についての話であろう。しかし少ない場合はさておき多くとも問題になると、案に告げていたのが気になった。

 源吾郎は妖怪の血を引いているし、妖怪としての自我を具えている。だが実態は人間として育てられた半妖なのだ。妖怪の事はもちろん知っているし勉強している最中でもある。しかし妖怪の生態の細々とした部分は、知らなかったりうろ覚えの部分もまだまだあったのだ。

 三國はそれから、雪羽は自分たち一家の年末の動きについてもさらりと触れた。雪羽はあの事件をきっかけに、雷園寺家の子息と見做され次期当主候補となっていた。次期当主候補であるから本家とのつながりももちろんできたのだが、今回は年末年始に本家に戻る必要はないとの事であった。

 雷園寺家がらみの事件が解決した後に叔父と共に本家を訪れたのがつい最近の事であるし、何より雪羽の叔母に当たる月華の身を慮っての事だそうだ。

 もっとも、雷園寺家本家自体も事件のあおりを受けて色々とごたついているだろうから、年末年始と言えども呑気に来客を迎え入れられる状況ではないのかもしれないが。


 雪羽は年末に僕の家に戻る事になりますが。三國は息子同然に――実際養子として引き取っているので、手続き上は息子なのだ――扱っている雪羽を見やりながら言い足した。


「その間、僕らも妻や産まれてくる仔にかかりきりになってしまうと思うんですね。それで、今年の年末は姉が一人僕の家に来てくれるって事になっています」

「叔父貴の姉さんって……天姉さんだったっけ」


 三國に問いかけたのは雪羽そのひとだった。叔母が年末にやって来るというのは雪羽も前もって聞かされた話なのだろう。しかしそれでも、その顔には若干の疑問の色が浮かんでいた。三國と兄姉たちの関係性を思えば無理からぬ話ではある。


「姉さん、じゃなくて叔母さんな。あくまでも俺と天姉さんは姉弟だから、俺は姉さんって呼んでるだけだよ。優しい天姉さんの事だ、お前にとやかくいう事は無いだろうが、年下の甥に気安く扱われたと思って気を悪くしてもかなわんからな」


 納得しているとはいいがたい、微妙な表情の雪羽をそのままに、三國は言葉を続けた。天姉さんと呼んだ妖物は、三國の六番目の姉なのだそうだ。十人前後いる兄姉たちの中でも、一番三國に年の近い姉との事だった。それでも三十歳くらいは離れているそうだが。


「末の姉で年が近くて割と交流もありましたし、何より比較的穏やかな性格でもありますからね。フリーのSE(システム・エンジニア)として働いている事もあって、自炊にも慣れてますし……姉が来て食事の用意もしてくれるのなら雪羽も安心できるんじゃないかなと思いまして」

「天ねえ……天叔母さんって穏やかなひとなの? 前にチラッと見たけどさ、めっちゃバリキャリって感じだったけど」

「それはまぁ仕事での顔だろう。オフィスでは辣腕でプライベートはほんわかキャラなんてのは雷獣あるあるだぜ我が甥よ」

「それにしても三國さん。三國さんも、ご兄姉たちと和解なさったんですね」


 兄姉たちと和解。屈託のない、朴訥な様子でそう言ったのは青松丸だった。三國はぎょっとしたような表情を浮かべ、青松丸と紅藤とを交互に眺めていた。青松丸自身は、妖怪的にも職場の身分的にもそう目立つ妖物じんぶつではない。

 そんな青松丸はしかし、第二幹部たる紅藤の息子とであり、その上頭目の半兄でもあった。研究センター勤めである為に、半弟である胡琉安こりゅうあんと頻繁に会っている訳ではない。しかし不仲であるという噂は聞かないから、互いに兄弟として良好な関係を築いているのだろう。

 二代にわたって兄弟間でのごたつきを目の当たりにし、時に渦中の妖物となっている三國がうろたえるのも、無理からぬ話だった。

 ま、まぁアレですよ。三國は視線を泳がせながら呟いた。


「まだ完全に和解したというのは難しい所はあるにはあります。ですがもう、大の大人が変な事で意地を張っていがみ合っている場合ではないと、僕も兄姉たちも思い知らされましたからね。

 それに僕たちももはや、雷園寺家や兄姉たちと絶縁した状態を維持するなんて事は出来ませんし、ちょっとずつ兄姉や他の甥姪たちとも交流しないとと思っている所なんですよ。末の姉も丁度僕の家の事を心配していましたし、それに彼女はあんまり雷園寺家の事にも関与していないんで、却って頼りやすいんですよ、現時点では」


 三國はそれから兄姉だという雷獣たちの名をいくつか挙げ、雷園寺家との関りに少しだけ触れていた。三國の長兄は雷園寺家の現当主に据えられている事に変わりはないが、他の兄姉たちの思惑自体はバラバラであるという事を、源吾郎はこの時知った。もちろん雷園寺家にすり寄ろうとする者や、正式な次期当主である時雨をプッシュする者もいるらしい。だが少なくとも一枚岩ではないらしい。

 前に誰も雪羽を引き取ろうとしなかったという話を三國から聞かされていた源吾郎であるが、その時の印象とは大分違っていた気がした。


「赤ちゃんの妖力が多いと何が問題か、だって?」


 夕方。就業時間が終わってから、源吾郎と雪羽はあれやこれやと世間話をしていたのだ。と言うよりも、今回は雪羽が年末年始の過ごし方について源吾郎に熱心に話していたという方が正しいかもしれない。これまでにも年末年始の過ごし方については二人の間で話題に上る事はあった。しかし、三國が直接家の事に言及したので、改めて考えたくなったのかもしれなかった。

 源吾郎はそこで、妖怪である雪羽にあの質問をぶつけたのだ。

 さて質問を受け取った雪羽と言うと、そんな事を今更聞くのかと言いたげな表情を見せていた。吹き出しかけてさえいたくらいである。妖力の多い子供が生まれる時に起こる問題と言うのは、割と妖怪社会では当たり前の事なのだろうか。ほんの少しだけ源吾郎は恥ずかしくなってしまった。

 思っていた事が顔に出たらしく、雪羽は申し訳なさそうな表情を見せて解説を始めてくれた。


「簡単な話ですよ島崎先輩。俺ら妖怪の持つ妖力は生命力みたいなものって言うのはご存じですよね? お腹の中の赤ちゃんの場合、妖力は母親から供給されているんですよ。赤ちゃんに母体の妖力が吸い取られているって言い換える事もできるんですよ。

 赤ちゃんの妖力が多ければ、その分吸い取られる妖力も多いって事でして、母親の負担も大きいって事になりますね」

「そうか……ありがとう雷園寺君。よく解ったよ」


 お腹の仔に生命力である妖力が吸い取られる。それは本当に大変な事だと、源吾郎は心の底から思っていた。源吾郎も雪羽も男の身であるから、仔を産む事はまずない。だからこそ色々と想像をたくましくし、大変な事だと受け止めてもいた。

 神妙な面持ちの源吾郎に対し、雪羽は澄ました表情を浮かべた。


「もっとも、月姉も叔父貴と同じくらい妖力を持ってらっしゃいますし、お腹の仔の妖力量もまぁ普通らしいんで、そんなに心配は要らないんですがね」


 雪羽はここで月華たちの話から離れ、生まれつきの妖怪の強さについて解説を始めた。妖力の強さは親や親族たちの遺伝であるのだが、生まれて間もない頃の妖力の多寡は、母親の妖力の多寡と関連性が高いという事だった。


「もちろん赤ん坊の頃だから、妖力の多さと言ってもべらぼうに差がある訳じゃないさ。お狐様にしろ雷獣にしろ、十歳未満でで大騒ぎになるくらいなんだぜ。生まれてすぐ八尾や九尾が生まれる事は流石に無いよ。

 でもさ、それでも二尾とかすぐに二尾になる仔が産めるって事は、それだけ妖力を吸い取られても平気って言う指標にもなるんだよ」

「…………」


 赤ん坊の時の妖力差という物も興味深い話だった。生まれてすぐの個体で九尾が出現するのは有り得ない。そう断じる雪羽の言葉には奇妙な説得力も伴っていた。何せで生まれた源吾郎ですら、こんな仔は滅多に生まれないと言われたくらいなのだから。雪羽は何尾で生まれたのかは知らないが、少なくとも三國に引き取られた時には既に二尾だったらしい。

 そして雪羽にしろ源吾郎にしろ、周囲から年齢不相応の妖力の持ち主だと思われてもいた。


「ですから島崎先輩。男妖怪……特に俺らみたく強い力を持つ男妖怪は結婚相手に注意しないといけないんですよ。妖力の少ない女妖怪と結婚してしまったら、相手に負担をかける可能性もある訳ですからね。何せ強い仔を産めるかどうかは母親の健康状態に委ねられますが、強い仔になるかどうかは父親の血も関係していますから」

「結婚て……何か急に重い話なったな」

「そりゃあ重いとも。血を繋ぐのは貴族の責務なんだからさ。そういう先輩だって、玉藻御前の一族を先輩の代で終わらせるつもりじゃあないんでしょう?」


 雪羽の眼差しの鋭さに気圧され、源吾郎は思わず黙り込んでしまった。ドスケベで女遊びが好きだった雪羽であるが、実の所結婚や家庭を持つという点については割と真面目に考えている節があった。そうでなければ血を繋ぐのは貴族の責務、などと言う言葉は出てこないだろう。

 一方の源吾郎は、まだそこまで考えてはいなかった。社会妖一年目と言う事もあるし、学生気分も抜けきっていなかった。力と地位を持てば女の子が寄ってくるかもしれないと安直に思っている節もあった。

 その辺りは実家に帰ってじっくり考えよう。源吾郎はゆっくりと瞬きをしながらそう思っていた。考えてみれば、自分が三尾として産まれたという所も不思議な話である。何せ二尾しか具えていない母から三尾の仔が産まれたのだ。源吾郎を産んだ事で母も消耗し、数か月ほど育児の傍ら静養していたという話もあるが、その辺の話は源吾郎の知らない事柄もまだまだあるはずだ。何せ当時の源吾郎は赤ん坊で、その頃の記憶はなかったのだから。

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