たそがれに現れたるは八頭怪

 土曜日の夕暮れ。源吾郎は妖狐の文明と共に術者向けの道具屋を訪れていた。

 件の道具屋は護符とか簡易的な魔道具などと言った、術者が仕事の際に用いる物品を取り扱っているのだが、妖怪たちが入店してもさほど問題ではなかった。そもそも妖怪が必ずしも人間と対立している訳ではないし、店としてもきちんとお金を払うのなら誰が来ても構わないというスタンスのようだ。

 要するに、妖狐である文明と半妖である源吾郎はお咎めなくその店に入る事が出来たという事である。何となれば、品物を眺めている面々の半数は地元妖怪だったりするくらいだ。


「ありがとうな文明。ここを教えてくれて」


 源吾郎は素直に文明に礼を述べる。この道具屋自体は今や別宅となったアパートからさほど遠くない場所に位置していたのだが、文明に教えてもらうまで源吾郎は知らなかったのだ。


「あはは、大げさだな島崎も」


 文明狐は源吾郎の顔を見ながら朗らかに笑った。その様子を見ながら、彼の眼差しや態度が弟に対する物に近いのだと今更ながら思っていた。珠彦や文明とは対等な友達であると思っていたが、二人とも源吾郎よりもオトナだった。彼らは内心で源吾郎を弟分と見做していたらしいが、オトナの気遣いでもってそう言った考えを悟られないようにしていただけなのだ。それらの事は、雪羽と接しているうちに気付いてしまった。


「まぁ、俺らみたいな妖怪でもさ、色々と荒事とかあったらこういう道具も使う事もあるし。近所にこういう所があるって知ってたら便利だと思ったんだけど……」


 文明はそこまで言うと意味深に言葉を濁し、それから源吾郎をまじまじと見た。


「よく考えたら、島崎は桐谷さんの甥っ子だもんな。あの人術者やってるし、道具を買うんだったらそっちの方が良いとか?」


 道具屋の店主の事を慮ってか、文明は先程よりも声を落として問いかけている。

 桐谷さんというのは叔父の方だろう。そう思いながら、源吾郎は渋い笑みを文明に見せた。


「叔父も俺が来たらめっちゃ喜ぶけど、その分他の客よりも料金を上乗せしてくるからさ、こっちも出費がかさむんだよ……向こうの言い分としてはいつも小遣いをあげてただろうって事なんだけど」

「そりゃ世知辛いなぁ。甥っ子には容赦ないのか」


 文明の面にも渋い表情が浮かぶのを見やりつつ、源吾郎はため息をついた。苅藻の事自体は実の兄のように慕い、時に甘えたりもする相手である。親族の中では実父の次に源吾郎を甘やかしてくれる相手であるし、何より妖怪としての生き方をこっそり教えてくれるところも魅力的だった。

 しかし商売人としての側面が強いのも事実である。苅藻はよく源吾郎に小遣いを渡してくれたが、しかしそれで源吾郎の蓄えが増えたためしはない。術者である苅藻はその手の道具も一般向けに販売しており、源吾郎は叔父の許でそれらを購入する事が頻繁にあったからだ。苅藻は抜け目なく源吾郎を言いくるめ、源吾郎に対してはやや高めに道具屋護符の類を売ってくれた。

 苅藻からお金をもらい、そのお金で源吾郎は護符を購入する……長い目で見れば苅藻の許に現金がキャッシュバックされているだけであると気付くのに、相当の月日を費やしてしまったのだ。

 まぁ要するに苅藻は甥っ子可愛さにお金を渡していたのではなく、それでちゃっかり自分の懐も暖まるようにしていたという事である。知恵の回る狐らしい所業ともいえるだろう。

 余談だが研究センターのニューフェースたる雪羽は、萩尾丸に引き取られるまで三國から十二分に小遣いを貰っていたという。羨ましい事だと源吾郎は密かに思ったりもした。


「それにしても、急に補助道具に興味を示すなんてどういう風の吹き回しだい?」


 妖術の補助道具の護符を眺めていた源吾郎に対し文明が問いかける。不思議がっている事は、顔を見ずとも明らかだった。


「島崎って言うて研究所勤めだろう。確かになんかすごい野望とか持ってるけれど、平和に暮らしてるんだろうし」

「戦闘訓練の相手が強いからさ。それでだよ」

「戦闘訓練の相手って、あの雷獣の坊やの事だよな」


 雷獣の坊や、とは雪羽の事であろう。源吾郎が頷くと、文明は驚きと呆れをないまぜにした表情で口を開く。


「ああ、あの時のタイマン勝負は確かに凄かったな。あの雷獣はマジで強いし……いや、それに向かっていく島崎も俺らからしたら十分強いけど」

「文明。最後の言葉だけ聞き取れなかったんだけど。もう一度言ってくれないか」

「俺らからしたら、十分強いと思うんだ」

「やっぱ俺って強く見えるんだ。文明たちからしたら」


 強く見える。そう言った源吾郎の声には驕りの色は薄い。むしろ自分が確認しきれなかった事柄を確認するような気配さえあるくらいだ。

 未だに一尾の文明は、そんな源吾郎を見ながらうっすらと微笑んだ。


「年下だろうと半妖だろうと強い事には違いないさ。そりゃまぁ確かに島崎の戦法にはちとアラがあるとか何とかってボスは言ってるけど、それ以前に威力が俺らのそれとは段違いだもん。

 てかまさか、そう言う所に自分では気づいてなくて、まだ弱いまんまだって思ってたりするとか?」

「別に弱いって思い込んでるわけじゃないよ」


 文明の問いに源吾郎は応じる。彼の言が正しければ、自分は「強い事に気付いていない無自覚野郎」みたいな感じになってしまう。それはそれで不本意だし、源吾郎も源吾郎なりに自分の強さには自覚はある。


「たださ、俺って最強を目指してるしそれを公言してるだろ? だから師範も先輩たちもそのつもりで俺に接してる感じなんだよ。そもそも先輩たち……萩尾丸先輩からしてめっちゃ強いから、それと比較したらどうしてもそんなに強くないって感じになるんだよ」

「あー成程ね。それなら無理もないわな」


 いやはや島崎も苦労してるんだな……文明は何故か憐れむような眼差しを源吾郎に向けてきたのだ。源吾郎はそんな表情を気にせずに頷いてやったけど。

 まぁ恐らくは、文明は庶民狐として生きる方が性に合っているのだろう。源吾郎はそう思う事にしておいた。実力主義で強い者がのし上がるのが妖怪社会である。しかしその一方で、強くなる道に関心を示さない妖怪も存在する事は源吾郎もよく心得ていた。



 まだ残暑が地面を暖めていると言えども、夏も終わりに近付いているのを源吾郎はひしひしと感じた。数日前よりも日が暮れるのが早まっているからだ。逢魔が時とも黄昏時とも呼べる時間帯になる中、源吾郎は研究センターの居住区への帰路を辿っていた。

 結局道具屋では術式の構築を補助するための護符を数枚購入した。雪羽は微弱な電流を流して、源吾郎の術の妨害をする事さえできるのだ。妖術は思念……脳の動きで構築や発動を行っている。電気刺激でそれを妨害されると上手く発動できなくなってしまうのだ。特にイメージが物を言う幻術や変化術を行使する前に妨害されるとひとたまりもない。

 補助具があれば多少はマシ、いや妨害されずに幻術も使えるかもしれない。そう思って源吾郎は一人ホクホク顔になっていた。

――だから、周囲の異変に気付かなかったのだ。


「……?」


 今度のタイマン勝負の事を思い浮かべながら歩いていた源吾郎であったが、とうとう異変に気付き、足を止めた。往来を歩いているはずなのだが異様に静かなのだ。

 源吾郎が歩いているのは住宅街の一角である。繁華街よろしく人が多いわけではないが、それでも何がしかの物音が聞こえてしかるべきなのだ。チワワの怒声とか、猫の啼き声とか鳥のさえずりとか。それらすら一切聞こえない。


「こんにちは、いやこんばんはかな。おにーさん」


 自分はいつしか結界の中に入ってしまったのだ。いや、自分がいる所に結界を展開されたのだ。眼前に人影が現れたのは、源吾郎がそのように判断を下した直後の事だった。


「お、お前は……!」


 一メートル半ほど距離を取って佇立する件の人影を、源吾郎は射抜かんばかりに睨みつける。今日も今日とて仕立ての良いワイシャツとスラックス姿であるが、七つのポンポンが連なった首飾りは今日も健在だ。そのポンポンが不穏なのに愛らしさを内包した鳥の頭である事は源吾郎もはっきりと見抜いている。

 源吾郎が迷い込んだ結界の中で出会ったのは、あの八頭怪だった。雉鶏精一派の怨敵であり、そうでなくとも出会う妖怪たちに破滅と混乱をもたらす、忌まわしい使者である。

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