旧友は大学デビューで変貌す
平日の昼下がり。健全なサラリーマンや勤め人ならば各々仕事に勤しんでいる時間帯である。源吾郎は買い物籠を片手にホームセンター内をうろついていた。仕事をさぼっている訳ではない。生誕祭の休暇がまだ続いている。それだけの話だ。
そういう訳であるから、ママチャリを飛ばしてホームセンターにやってきたのだ。そろそろホップが愛用するつぼ巣などを買い替えないといけなかったし、源吾郎自身が使う日用品も補充しておこうと思ったためだ。
「おっ、誰かと思えば島崎じゃないか。久しぶりっ!」
買い物を済ませてさぁ帰ろうかと思った矢先、斜め後ろから声がかけられた。声のニュアンスからして、学生時代の知り合いだろうと源吾郎は思った。就職してから知り合った面々も島崎とか島崎君と呼びかけるが、ここまで気軽に呼びかける者はそう多くはない。源吾郎の事を単なる若者と見做してはいないからだ。
「ひさし、ぶり……」
振り返って声の主を見やった源吾郎は、瞠目したまま首を傾げた。親しげに声をかけてきた事には違いないが、その顔を見ても誰なのか判然としなかったのだ。
声の主は源吾郎と同じくらいの年齢の青年だった。飛び抜けてイケメンと言う訳ではないが、陽キャでありチャラ男である雰囲気を全身から放出させている。短い髪は明るい金髪に染められており、ワックスの類である程度固められていた。左右の耳朶には金属製のピアスが音もなくぶら下がっている。衣装自体はそんなに華美ではないが、お洒落に気を使い外部から粋に見られるように注意を払っている事が読み取れた。
こいつはいったい誰だろう? 源吾郎は割合真剣にそんな事を思っていた。それなりに鋭い嗅覚を持つ源吾郎は、この青年が人間である事を見抜いていた。高校とか中学での知り合いであろう事は確実である。しかしここまで派手ななりをする青年には見覚えが無かった。
「俺だよ、こ・じ・ま・だ・よ」
「小島って……えぇ、あの小島!」
たまりかねて自己紹介をした青年――小島を前に源吾郎はまたも目を丸く見開いた。小島祐一というのは高校時代の同級生である。親友とか大親友などという間柄ではなかったが、課題の問題集を一緒にああだこうだ言いながら解いたような事があるくらいには親しかった。
だが、源吾郎が知っている小島は陽キャぶってチャラチャラした少年ではなかった。見た目も大人しく、むしろどちらかというと陽キャな生徒らに圧されがち隠れがちな少年だったはずだ。
「いやぁ、あんまりの変わりっぷりだから一瞬誰か判んなかったよ」
源吾郎が素直に思った事を口にすると、小島は歯を見せて快活に笑った。
「何、大学デビューしたんだよ。大学なんて遊んだもん勝ち楽しんだもん勝ちだからさ、思い切ってイメチェンしたのさ。今一人暮らしだし、中学や高校の時の事を知ってる人もほとんどいないし」
ああ成程大学デビューか。源吾郎は合点がいったとばかりに一人で小さく頷いていた。源吾郎は大学生ではないが、大学デビューが何を示すのかは大体知っている。中学時代にうだつの上がらなかった少年少女が高校時代に垢ぬけた存在に変貌する事を高校デビューという。大学デビューはその大学版であろう。
ちなみに源吾郎は高校デビューを失敗した口であるが、それはまぁどうでもいい話だ。
さて源吾郎は旧友の変貌ぶりに一人納得していたのだが、小島がじろじろとこちらを見つめている事に気付いた。陽キャっぽい擬態姿にそぐわぬ、真面目で冷静な分析眼である。
一体俺の何を分析しようとしているのだろうか。源吾郎は密かに思った。源吾郎自身は学生から社会人という身分にランクアップしたのだが、所謂社会人デビューを果たしたわけではない。スーツを着込む習慣が出来たが、垢ぬけたり陽キャっぽい雰囲気をまとうという方面での変化は皆無だ。そもそも新生活や仕事の内容に馴染むのに精いっぱいで、イケてる男のファッションの研究とか、そっち方面は少しおろそかになっているくらいなのに。
どうしたんだ、小島。思わず問いかけてみると、小島は二、三度瞬きしてから口を開いた。
「俺もまぁ高校時代から変わったかもしれんけど、島崎も大分変わったんじゃないか?」
「確かに就職して一人暮らしを始めたりしてるけど……そんなに変わった?」
「目つきとか表情が前とは全然違うよ」
源吾郎の問いに対し、小島は即答した。目つきと表情が違う。そう言った小島の顔には、微かな怯えと畏怖の色が見え隠れしている。
但しそれを訝る必要はなかった。小島は間を置かずに言葉を続けたのだから。
「何というかさ、見ない間にめっちゃ逞しくなってないか? 前までいかにもお坊ちゃま育ちの中二病で、ほわほわふわふわしていたお前がさ……」
――成程、そう言う事か
驚きと、何かに対する若干の恐怖を織り交ぜつつ言葉を紡いだ小島が何を言わんとしているか源吾郎は大体察した。彼が源吾郎を見て変わったと思ったのは、ファッションなどと言った外面的な部分ではなく、内面的な部分を示しているのだ、と。
――それにしてもこの俺が逞しくなっただって? そりゃあ逞しくなったとか精悍な感じって言われれば嬉しいぜ。しかし就職してからまだ四ヶ月しか経ってないし、そこまで人って変わるものなのかな……
畏敬の念を未だ見せている小島を前に、源吾郎は静かに思案を重ねていた。確かに数か月も会わなければ変わっている所もあるかもしれない。しかし旧友にそこまで大げさに変わったな、と言われる程の変化が自分にあったのか。それが純粋に疑問だった。
確かに源吾郎は就職している。ついでに言えば最強の妖怪になるための修行もやっている。しかしそこまで大げさな事を行っているという実感はない。妖怪たちとのやり取りが前以上に増えたのは事実だが、源吾郎が主に行っている仕事は、恐らくは普通の新入社員のそれと変わらない所も多いだろう。目録の作成や試薬作りなどは。
「……とりあえずフードコートに寄ってかない?」
源吾郎に呼びかけたのは小島だった。カフェラテの大きな看板を右手で示している。源吾郎はカフェラテの看板よりも、アイスクリームを模した看板を眺めていた。
「俺も島崎がどんな暮らしをしているのか知りたいし、島崎もさ、俺が今どんな風に過ごしているのか知りたいだろ? 立ち話もなんだし、もしよければ……」
「俺は別に大丈夫だよ」
源吾郎は手に提げている買い物袋の中身を一瞥してから答えた。冷蔵庫や冷凍庫の世話になるような食品の類は購入していない。急いで持ち帰らなくても大丈夫だし、今日は特に用事もない。ホップも留守番に慣れているから別に問題はない。
「それよりも、小島は大丈夫なの? 今日は平日だから……」
大学とかあるんじゃないの? そんな源吾郎の問いかけは小島本人の笑い声に遮られる形となった。
「あ、いや俺は大丈夫だよ。平日は平日でも八月だから夏休みなんだよ。んで、今バイトも終わった所だし、夜も特に用事は入ってないから今日はこれからヒマなんだ」
「夏休み、ああ、そうか……」
源吾郎がぼんやりとその単語を繰り返すと、小島は小さく頷き、言い足した。
「大学は夏休みがめっちゃ長いからびっくりしたよ。前期の試験は日程とか時間とかばらばらに受けないといけなくてそれが鬱陶しかったんだけど、それが終わればもう自由気ままな夏休みが待ってるんだよ。九月の半ばまで自由なんだぜ? 凄くないか?」
「そっか……やっぱり学生と社会人は違うんだね」
いつの間にか、源吾郎の意識の中で夏休みというものがごくごく短いお盆休みという概念にすり替わっていた。お盆休みというのは源吾郎が務める研究センターでの話である。そういう感覚でいたからこそ、小島が今夏休み期間中であるという事を失念していたのだ。
ともあれ源吾郎は小島に促され、フードコートの空席を探して歩き始めた。大学時代は人生の夏休み――何処かで耳にしたその言葉が、源吾郎の脳裏にくっきりと浮かび上がるのを感じながら。
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