蛇の道は蛇、鳥の道は鳥

 昼休み。食事を終えた源吾郎はふらりと研究センターを後にした。何処に行くとかは特に誰にも言っていない。つかず離れずの微妙な距離で食事を摂っていた雪羽に対しても、だ。別に昼休みは自由時間であるから、勝手に帰ったりしない限り特に咎められる事も無い。それにわざわざ何処で何をするかとか報告はしていないし。

 そんなわけで源吾郎は気負った様子もなく歩き始めていた。向かう先は、会うべき相手は既に決まっている。



 ※

「あら島崎君。この前は何か色々大変な事があったみたいだけど……大丈夫?」


 若干戸惑いの色を滲ませつつも、鳥園寺さんはのんびりとした様子で源吾郎に問いかける。職場は違えど新入社員である彼女は、休憩スペースの一角でのんびりと休んでいた。自分の世界を満喫していたらしく、周囲には他の工員はいない。

 ちなみに彼女は術者の卵であり工員でもある柳澤と正式に交際しているらしいが、彼の姿も無かった。社内恋愛が地味に多い工場内であるが、流石に職場でくっつきはしないようだ。


「僕はまぁ大丈夫ですよ」

 

 源吾郎はぎこちなく笑い、ぎこちない動作で両手を上げた。別にホールドアップしなくても良いのだろうが、無意識のうちに傷ついた腕が癒えているという事を彼女に見せたかったのかもしれない。

 良かったわぁ。しみじみと呟く鳥園寺さんの声音に、若干おばさんめいたものを感じたのは気のせいであろう。


「島崎君は知ってるかどうか知らないけれど、こっちもこっちで大騒ぎだったのよね。雉仙女様の秘蔵っ子である島崎君が蠱毒にやられて、その元凶を捕まえるのに躍起になってるって感じでね。まぁ……その、みんなで頑張って犯人は捕まえたみたいだから今はまた平和になってるんだけど」


 紅藤たちに届けられた下手人を捕縛するのにあたり、アレイも参加していたのだと鳥園寺さんは告げる。その声には何故か多少の憤慨の色が見え隠れしていた。


「アレイが町のみんなと協力した事は別に怒ってないわ。雉仙女様を怒らせれば大変な事になるし、アレイが鳥園寺家の代表として動いてくれたって私も思っているもの。

 だけど、その事を私に何も言わないでこっそり抜け出していくのは……ちょっとね」

「お気持ちは解りますが、鳥園寺さんの身を案じての事だったのでしょうね」


 思いがけず鳥園寺さんをなだめなければならない状況になり、源吾郎は若干の戸惑いを感じていた。鳥園寺さんの気持ちはもちろん解る。しかしそんな行動を取ったアレイの考えも源吾郎には推測できる。


「失礼ながら、鳥園寺さんも戦闘や実戦は不得手と思われます。今回の件に関しては、鳥園寺さんを連れて行けば危険が伴うとアレイさんは考えなすったんだと僕は思うんですが……」

「それじゃあまるで私はお荷物の子供みたいな扱いじゃない」


 鳥園寺さんの声には若干の憤りと若干の諦観が混じっていた。図星なのだろう。何より今の彼女の態度は結構子供っぽい。口には出さなかったが源吾郎はそう思ってしまった。

 だが、鳥園寺さんはすぐに気を取り直したらしい。何度か瞬きと呼吸をゆっくりと繰り返し、源吾郎の方に向き直る。


「ところで、相談事は何かしら。わざわざここまで来たのって、私に聞いてほしい事があるからでしょ?」

「そうです、そうなんです」


 源吾郎の声は興奮のためか戸惑いのためか僅かに震えていた。拳を軽く握り表情を引き締めると、源吾郎は言葉を続ける。


「鳥絡みの相談事になりますが……お時間は大丈夫でしょうか」


 大丈夫よ。そう言いつつも鳥園寺さんはじろじろと源吾郎を見つめていた。


「言うて私も鳥の専門家じゃないから、もしかしたら望む答えは言えないかもしれないわよ? それに雉仙女様の方が鳥には詳しいんじゃないの? あの人、鳥類歴長いから」

「……紅藤様はお忙しいですし」



 源吾郎はそう言ったきりだった。だが鳥園寺さんは色々と察してくれたらしい。視線を動かして源吾郎に話すようにさりげなく促した。


「個人的な話で恥ずかしいんですが、使い魔のホップが……あの日を境に僕を怖がるようになったのです」


 源吾郎は単刀直入に悩んでいる事を口にする。蠱毒云々の話を省略できたのは、彼女もその騒動を知っているという確信があったからだ。

 鳥園寺さんは相槌を打つだけだった。特に何も言わず、源吾郎の言葉を待ってくれている。


「ホップは元々友達の飼い鳥だったのが、僕の薄皮をつついて妖怪化したというお話はご存じですよね? それ以来、僕に驚くほどベタ慣れしていたんです。

 しかしここ数日は僕を見て怖がるようになりました。まずもって手に乗ろうとしません。小鳥や……十姉妹が臆病な鳥が多いのは僕も知ってます。ですが元々ベタ慣れしていたホップがああなるとなると、やっぱり怖がられて嫌われてるのかなと思っちゃうんですよ。

 今日もおやつを手の平に乗せてみて、誘導しようと思ったんですが見事に失敗しました。ホップは手に止まることなく、欲しいおやつを持って行っちゃいましたからね……」


 長広舌を振るっていた源吾郎であるが、ホップの様子を思い浮かべて力なく笑った。ホバリングまでして源吾郎の手に乗ろうとしないホップの姿を、源吾郎は色々な思いで眺めていた。嫌われたのだというショックはあった。その一方でホバリングしながらおやつペレットをつまむホップの身体能力の高さに驚いていたし、その動きにはそこはかとない滑稽さもあるにはあった。


「……小鳥は、いえ多くの生物が一番強く抱く感情は恐怖なのよね。恐怖心を抱いた存在に対して警戒しちゃうのは生物の本能として致し方ないわ」


 生物教師が言いそうな事を鳥園寺さんは言ってのけた。日頃のほわほわした雰囲気はなりを潜めている。お嬢様でほんわかした雰囲気に惑わされがちだが、鳥園寺さん自身は賢く冷静な性質なのだ。そう言う事を思い知らされた気がした。


「特に小鳥は警戒心が強くて恐怖心を抱きやすいでしょうね。何しろ野生化では捕食される側だしね。あ、でも十姉妹は野生化には存在しないけど、それでも同じ話なのよ」


 十姉妹は飼い鳥の中ではある意味特殊な存在だ。インコや文鳥、カナリヤと言った他の飼い鳥とは違い、野生の十姉妹は存在しない。原種である野鳥を飼い馴らして累代飼育の末に十姉妹が誕生した。人の手によって生み出された十姉妹は、人の庇護下でなければ生きていけないのだ。

 そんな十姉妹を、妖怪として生きようとしている源吾郎が養っているというのも、思えば随分と不思議な話である。いずれにせよ、小鳥や十姉妹が神経質な事には変わりない話だが。


「具体的な解決案、というよりも劇的に現状を変える術は多分無いでしょうね。強いて言うならその問題を意識しないようにして、普段通りに接するように心がける事くらいかしら。島崎君ももう知ってると思うけれど、鳥ってものすごく頭が良いの。だから何が危険かすぐに判断できるし、危険だと思ったものもしばらく忘れないの。

 焦らずに、無理強いせずに普段通りにやってたら、また元通りになるんじゃないかしら。

 ただくれぐれも無理は駄目よ。餌で釣ろうと思って絶食させたり、羽を切ったりするのはもってのほかだからね。そんな事をしたら生命に関わるから」

「そ、そんな、それは流石にやり過ぎですよ……」


 羽を切ったり絶食させる。鳥園寺さんが口にした極端な例に源吾郎はへどもどした。鳥園寺さんはそんな彼を見ると、安堵したように笑みを浮かべたのだった。


「まぁ、おやつにミルワームを使うのもアリかもね。小鳥って虫が好きな子が多いから、ミルワームが手の上にあったら喜んで止まってくれるかもしれないわ。

 島崎君の所のホップ君は蜥蜴とかハエを襲ってたみたいだし、きっと喜ぶと思うけど」

「それは確かに仰る通りかもしれませんねぇ……」


 ミルワーム案について同意した源吾郎であるが、内心動揺していたしその動揺は声にも出てしまっていた。ホップはミルワームを喜んで食べるだろうが、源吾郎自身が虫を苦手とするという所がネックになるのだ。ホームセンターでミルワームは入手できるが。小さなカップにオカクズのような物と共に百匹以上収まった状態で販売されているのだ。ホップが一日二匹食べるとしても、使い切るまでに相当な日数はかかるだろう。その間に、茶色い頭部と黄土色の胴体の芋虫共がどうなるのか。それを考えただけでもテンションが下がる。


「まぁ、ミルワームって最近は生きたのを売ってるだけじゃなくてフレッシュな状態で缶詰にしているのもあるから、使い切るのを心配する事も……」


 更に恐ろしい事を言い募る鳥園寺さんだったが、彼女は何故か途中で言葉を切った。彼女は源吾郎から視線を逸らしていたが、その理由は明らかだった。何者かが近づいている事に気付き、そちらに注意が移ったのだろう。鳥園寺さんの顔には怯えや驚きの色は無いが、急に現れた存在、それも見知らぬ相手だから気になるのも致し方なかろう。

 しかしながら、源吾郎には誰がこちらに向かってきているのか明らかだった。くだんの妖物は修道服めいた裾も袖も長い衣装を身にまとい、ついで顔や頭もローブで覆い隠している。顔や表情は見えなかったが、源吾郎たちを見てニヤニヤしているであろう事は容易に推察できた。

 こちらに向かってきている妖物。それは雷園寺雪羽だった。

 彼は源吾郎たちの数メートル先まで近づくとやにわに立ち止まり、顔を覆っていたフードを下ろした。隠蔽の術はフードを下げると解除されるらしいのだが、きっと雪羽もほとんど人がいないからと思っての事だろう。


「島崎先輩! 急にふらっといなくなると思ったら……女の人と一緒にいるじゃないですか。流石っすね」


 やっぱりこいつ女子の事ばっかり考えてるじゃないか……雪羽に対して脳内でツッコミを入れた源吾郎は、やや鋭い眼差しでもって雪羽を見つめ返す。


「勘弁してくれよ雷園寺君。別に俺は、鳥の事について相談したくて会いに行ってただけなんだぜ。そもそも鳥園寺さんには彼氏だっているから、男の俺がちょっかいをかけたら大変な事になるだろうし」


 柳澤のむっつりとした顔を思い浮かべた源吾郎は、そのままじっとりとした眼差しを雪羽に向けた。


「まさか雷園寺、鳥園寺さんにちょっかいかけに来たんじゃあ――」

「そう言う事はしないから、さ」


 源吾郎の問いかけを半ば遮るような形で雪羽は告げた。


「彼氏なんぞよりもおっかないボディーガードがそこのお姉さんにはいるみたいだしさ。いくら俺でもそんな危険な橋を渡るような真似はしないよ。

 それにそもそも、人間の女子には興味ないし」


 人間の女子には興味がない。雪羽の言葉に源吾郎は軽く衝撃を受けてしまった。雪羽はドスケベであるという先入観と事実があったから、人間の女性にも関心を持っていると源吾郎は勝手に思い込んでいた。だが考えてみれば、雪羽はそもそも人間に対して関心の薄い妖怪だった。ある意味貴族妖怪らしいとも言える態度だった。ある程度力を持った妖怪は、人間を屈服させたり襲撃したりする事に意味を見出さないのだ。そう言った考えは、半妖である源吾郎もうっすら理解できる事柄だった。

 雪羽が鳥園寺さんに興味を持ったのではないか。この源吾郎の邪推は、源吾郎の裡にが残っている証拠でもあった。


 雪羽が途中で乱入したものの、鳥談義はつつがなく終わった。鳥園寺さんが鳥妖怪を従える術者の次期当主と知ると、雪羽も雪羽で鳥妖怪について彼女にあれこれ聞きたがっていたからだ。

 ホップに関する質問は途中で打ち切られた形になったが、源吾郎はさほど気にはならなかった。雪羽が投げかけた質問への鳥園寺さんの答えは中々に興味深かった。端的に言えば黒い羽根を持つ鳥妖怪は、鴉や鴉天狗以外にも考えられるという話になる。また鴉天狗などはそもそも強くて知能も高いから、こそこそとせこい計略を働かせる真似はしないだろう、というのが彼女の見解だった。

 鳥園寺さんは化ける鳥妖怪の名を幾つか列挙し、手短であるがその特徴などを教えてくれた。化けるのは獣妖怪の専売特許ではないから化ける鳥妖怪もバラエティ豊富である。夜雀や青鷺火、山鳥などがその代表格だった。

 源吾郎もある程度は妖怪の事を知っている。だがこうして術者である鳥園寺さんから直々に教えてもらうのは中々に新鮮な物だった。



 ※

 夜。少しくつろいでから源吾郎はホップを籠から出してやった。ホップは相変わらず源吾郎を警戒している。しかし籠の外で遊びたいという欲求は健在だった。時間になると鳥籠の壁にへばりつき、胸や喉を膨らませて啼き始めるのだ。

 相変わらずホップは自由気ままに探索をしたり、籠の外にある巣に止まって破壊活動に勤しんだりしている。その間に源吾郎は身をかがめ、ティッシュを片手に床を掃除していた。

 ホップがまき散らした餌の殻をティッシュで集めていると、手の上に小さな衝撃が伝わってきた。おや、と思って目を動かすと、ホップが源吾郎の手許に着陸していたのだ。手にするティッシュが気になったらしい。首を伸ばしてティッシュを取ろうとしていたが、源吾郎の視線に気づくとそのままふわりと飛び上がってしまった。

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