雷園寺雪羽の帰還

 何処か懐かしさを感じさせるチャイムの音が鳴り響く。雪羽はチャイムの音を聞きながら帰り支度を始めていた。同じく帰り支度を進めているのは源吾郎くらいであるが、それは気にしてはいけない事柄らしい。むしろ紅藤などは夜の休憩時間が始まったなどと言ってクリーム色のミックスジュースらしきものを飲んでくつろいでいる。

 夜の休憩ってなんかエロいよな。前に雪羽がそんな事を漏らすと、赤面した源吾郎に小突かれた事があった。源吾郎はハーレムを作ると公言したり恥ずかしげもなく女子に変化したりする男だが、妙に奥手な所があるのも事実だった。


「週末は三國様の所で静養するんだよな、雷園寺君」


 その源吾郎が雪羽に尋ねてくる。声や表情には、雪羽を気遣うような色が見え隠れしている。あの事件があってから、源吾郎の態度は一変していた。正気ではなかったとはいえ自分を傷つけた事に負い目を感じているらしい。それと――自分の過去の事とかを知ってしまったから尚更なのだろう。

 元々源吾郎も雪羽の事を警戒していたし、それほど友好的な態度を見せてもいなかった。だがそれは雪羽の過去の行動も関与していた訳だから、そこをとやかく言うつもりはない。


「うん。萩尾丸さんにも休むようにって言われてるからさ。正直な所、ワクワクしてるしドキドキしてる」

「そりゃそうだろう。あの萩尾丸さんと一緒に暮らしてるんだからさ、ただでさえ緊張していたと思うよ。俺だったら……その……」


 小声で話し、ついで源吾郎は周囲を窺うように声のトーンを落とす。紅藤の一番弟子であり第六幹部である萩尾丸の事を、源吾郎は少し苦手としているのだ。今もきっと、萩尾丸の耳に入らないかと様子を窺っているのだろう。


「まぁ、お土産とかそう言う気づかいは俺に対しては大丈夫だからさ。それこそ土産話とかで大丈夫だよ」


 雪羽が三國の許で静養するのは遠足か泊りがけの旅行であるように源吾郎は捉えているらしい。大げさだなぁ、と笑いつつも何となく彼らしいと思った。


「そう言えば先輩。先輩は休みの日はどうするんですか?」

「土曜日は自警団の自治活動があるから、そっちに顔を出す予定だよ。それ以外はまぁのんびり過ごそうかな」

「自治活動に参加って真面目ですねぇ」


 雪羽が言うと、源吾郎は真顔で首を揺らした。


「そりゃあ住んでる地域の皆に顔合わせして、協力するって大事な事だぜ。しかも今週は俺らの事で皆色々と協力してくれたみたいだし。そうでなくてもさ、俺らって強くなって他の妖怪たちを統率する身分になるだろうから、余計にそう言う事って大事だと俺は思うんだ」


 そこまで言うと、源吾郎は雪羽をまっすぐ見据えながら言い添える。


「だからさ、雷園寺君もそう言う事は大事だと思った方が良いよ。多分、ハルさんもそう言う事を言ってくれてると思うけど」


 源吾郎は春嵐の事をハルさんと呼ぶ事がままある。叔父の信頼篤い側近であり、雪羽にとっては教育係みたいな存在である。甘え上手というか、年長者にあれこれ言われる事に慣れている源吾郎は、春嵐の事も素直に慕っていた。

 ともあれ、源吾郎は時々こうして雪羽に物事を教えようとしたり、こうしたほうが良いと口にする事がある。さほど上から目線、という感じはしないけれど、案外教えたがりなんだなと雪羽は思っていた。先輩と自分が呼んでいるからなのかもしれないし、彼も弟分が欲しいと思っているのだろう、と雪羽は考えていた。


「先輩って時々俺のみたいな感じがするっすね。えへへ」


 ところが雪羽のこの言葉を耳にすると、源吾郎の顔色が一変した。恥じ入るような、うろたえるような表情がその面に浮かんだのだ。しまった、と思ったがもう遅い。


「お兄さんだって。冗談きついぜ雷園寺君。いや、お前が俺の事を兄のように思ってくれるのは嬉しい事かもしれないけどさ……お前の方が年上だし、なんて出来ないぜ?」


 早口に言う源吾郎は明らかに焦りと戸惑いの色を見せていた。雪羽も戸惑ってしまった。お兄さんみたい、というのは完全に戯れで言った言葉である。源吾郎の真面目さはうっすらと気付いていたが、まさかここまで戸惑わせてしまうとは。


「雷園寺君。こっちも支度が出来たからそろそろ帰ろうか」


 雪羽が源吾郎にどうやって声をかけようかと考えていると、萩尾丸がふらっとこちらに近付いていた。彼は戸惑う源吾郎たちを一瞥したが、特に何も言いはしなかった。



「島崎君に何か言ったのかな?」


 萩尾丸が問いかけたのは車の中でのことだった。シートベルトを軽くいじりながら雪羽は素直に頷いた。


「お兄さんみたいだねって言ったら急にうろたえたんだ。別に困らせるつもりじゃなかったんだけど」

「ははは、雷園寺君は島崎君をお兄さん扱いしたのか。君もしたなぁ」


 萩尾丸のコメントに、どう対応すれば良いのか解らなかった。雪羽は既に四十年近く生きているから、実年齢的には年上である。しかし源吾郎には人間の血が四分の三も流れている。純血の妖怪たちよりも寿命が短い分、半妖の成長は早いのだ。精神的な部分は源吾郎の方が自分よりも若干大人であろう事は認めざるを得ない。


「気にしなさんな雷園寺君。別に島崎君は君の言葉で気を悪くした訳じゃあないんだからさ。ただ、雷園寺君と島崎君とではという存在の捉え方が違うという話さ」


 弟妹たる年少者を保護し、正しい道に指導する責務を持つ。源吾郎は兄という存在をそのようにとらえているのだろう。萩尾丸の解説はこのような物だった。その概念は雪羽の持つ兄の概念とは大きく異なっていた。第一子である雪羽には兄はいない。むしろ自分が兄だった。

 自分と源吾郎の間に横たわる兄の概念の違いに驚きつつも、一方で腑に落ちた思いでもあった。源吾郎が末っ子である事、兄姉たちと相当に年齢が離れている事は雪羽も知っていた。

 だからホップの事を指して弟と言っていたのか……雪羽は口には出さずにそんな事を思っていた。



 叔父の三國に迎えられ、雪羽は亀水たるみにある家に戻っていた。萩尾丸の屋敷で暮らし始めてからまだ一月も経っていないはずなのに、随分と久しぶりに戻ってきたような感覚だ。懐かしいような、寂しいような感覚が胸の中で渦巻いていた。


「何かめっちゃ久しぶりな感じがするよ、叔父さん」

「そうだな。俺もそう思うよ」


 三國は言いながら雪羽の肩を撫でる。二人が帰ってきた事は伝わっているらしく、出迎えるために叔母である月華や春嵐の姿があった。他の妖怪たちはいないようだ。三國は普段部下である妖怪たちを自宅に呼び集めている事が多いのだが、今回は雪羽を静かに休ませようと思い、彼らに声をかけていないのかもしれない。

 ちなみに春嵐がいるのはいつもの事だ。春嵐も春嵐で自宅はあるのだが、半ば三國たちと同居しているような存在である。もちろん雪羽にも影響のある存在だった。それこそ、源吾郎は春嵐のような存在を兄だと思っているのだろう。


「ただいま、月姉に春兄!」


 手を振りつつ二人に挨拶すると、月華たちはお帰り、と返してくれた。職場で時々会いに来てくれる春嵐は安心したような表情を浮かべ、約一か月ぶりに顔を合わせる月華は嬉しそうに微笑んでいる。


「雪羽君。前よりもうんと元気で逞しくなったんじゃないの?」

「そりゃあもう、萩尾丸さんの許で規則正しい生活を送ってるからさ」


 月華に対し自慢げに言うと周囲で笑いが広がった。元々妖力の多い雪羽であったが、萩尾丸の許で過ごすようになってから妖力が増えたり身体の調子が良くなっているのを自覚していた。萩尾丸の監視下もとい監督下にある雪羽は、今までとは異なり夜遊びも飲酒も出来ない状況にある。そもそも研究センターの仕事に馴染むのに気を張っているらしく、いつもよりも早めに寝るようになっていた。食事も萩尾丸が色々考えて用意してくれるから、前よりも健康的な暮らしになっているのだろう。

 つまるところ、健康や規則正しい生活は妖怪にとっても大切という事なのだ。


「そんなわけでさ、俺も紅藤様の所で色々勉強して色々覚えたんだよ。その事も皆に教えたいなって思ってるんだ」


 雪羽が言い切ると、三國が大きな手の平をその頭に乗せた。軽くポンポンと触れながら雪羽に告げる。


「まぁ雪羽。今日は休みなんだから仕事の事とか忘れてのんびりやれば良いんだよ。社畜じゃあるまいに、休みの日も仕事の事を考えるのはしんどいだろう?」


 三國の言葉に少し戸惑っていると、春嵐が助け舟を出してくれた。


「三國様。わざわざそんな事を仰らなくても良いのではないですか。休みたい気持ちと仕事の話をしたい気持ちが両立する事とてあるんですから。

 お坊ちゃまが仕事を頑張っているっていう話、私たちも興味があります」

「うん。私も雪羽君の働きぶりは気になるなぁ」


 月華と春嵐に雪羽は笑みを向けた。叔母である月華はもとより、春嵐も雪羽が研究センターでどのように過ごしているのか気になっているのは知っていた。

 何しろ春嵐は雪羽の処遇を知るや「島崎君とできるだけ仲良くなるように」と言い含めたくらいなのだから。もっとも、その言いつけ以前に雪羽自身が源吾郎に好印象を抱いているのも事実だ。長らく同年代の妖怪は取り巻きか酒の席で戯れる若い娘妖怪ばかりだったので、決してこちらに媚びへつらわない源吾郎の姿はかえって新鮮な物だったのだ。

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