若狐と博士の古い肖像

 出会う娘たちへの期待でときめき浮かれていた源吾郎の気持ちは、知り合いの顔を見て一変した。しばし驚愕に打ち震えていた源吾郎だったが、落ち着きを取り戻しながら羞恥心を抱いていた。米田さんがいて、源吾郎をしっかりと見つめていたからだ。

 米田さんは源吾郎があの日どのように振舞ったのか。その一部始終を知っている。別れの間際、源吾郎はかなり気取った態度でもって米田さんに挨拶をした。あれは再開するまでにかなりの時間があるだろうと思ったからこその言動だった。こんなにもあっさりと、すぐに出会えると解っていたら、あんな言動はしなかったものだ。

 何しろあの台詞は、それこそ何年も歳月が流れ、源吾郎が今以上に成長していなければ様にならない言葉なのだから。


――姉上、これってどういう事?

 そんな思いを込めながら、源吾郎はじろりと双葉を見据えた。恐らく双葉と源吾郎の二人きりであれば、今この状況について臆せず問いただしていた事であろう。しかし思った事を口にはしなかった。この場で姉弟で揉めても利は無いと判断したためである。


「ん、どうしたの源吾郎。何か緊張しちゃってるみたいだけど」


 双葉は源吾郎の顔を見、呑気な様子で問いかける。それを見て源吾郎は追及する事を今一度諦める決意を決めた。思えば双葉は「集まっている女子たちは源吾郎の事を知っている」と言っていたのだ。であれば面識のある鳥園寺さんや米田さんも源吾郎を知る女性陣に該当する。姉は嘘は言っていないのだ、と。


「大丈夫。ちょっと暑かったからさ。ぼんやりしてただけ」

「あっそう」


 姉とのやり取りは短く他愛のないものだった。しかしその間に源吾郎は落ち着きを取り戻し、どうやって振舞うべきか既に考えがまとまっていた。

 誰が参加するか判るまでは、それこそ出会いがあるかもしれないと思い浮かれていた。その一方で色々と癖のある本性を押し隠し、少し猫を被って振舞おうと思ってもいたのだ。

 しかし相手が知り合いである場合、猫を被るという戦法はむしろ悪手だ。ついでに言えば鳥園寺さんや米田さんを異性として誘惑するつもりも無い。彼女らはどちらかと言えば異性というよりも仲間という存在であるように思えたのだ。

 表向きは黙って笑みを浮かべているだけであったが、数秒の間に源吾郎は考えを固め意識転換をしていた。これもある種の仕事である。そう思う事にしたのだ。


「今日はお集り頂きありがとうございます。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、僕が島崎双葉の弟、島崎源吾郎です」


 本日はよろしくお願いいたします。ややたどたどしい口調ではあるが、源吾郎はすまし顔を作って言うべき事を言った。ある意味齢十八の若者らしい言動と言えるだろう。米田さんたちを前に緊張したから気負ってしまってはいるが、実際のところ本当の仕事よりは気楽な物に違いない。



 今更クドクドと言及する話ではないが、島崎源吾郎は父親譲りの容貌の持ち主である。要するにのっぺりとした特徴の薄い面立ちである。

 妖狐としての美貌に恵まれず、よりによって容姿だけが父に似てしまった事を残念に思う源吾郎であったが、この容貌が有利に働く事もあるにはあった。

 一見すると穏和で内気そうな青年に見えるその容貌は、実はある意味女子ウケが良かった。異性として女子たちを魅了する事は無かったのだが、のっぺりした面立ちは中性的と捉えられ、女子たちに警戒されにくかったのだ。思春期真っただ中の女子たちは、男くさい男子や厳つい男子を半ば本能的に警戒し、距離を置こうとするのだ。漢らしい男子とは対極の、耽美なイケメンや美少年の場合も実は似ている。おのれの美貌を濫用悪用し、無垢な女子を食い散らかす腐れ外道がいる事を、聡明なる乙女たちは知っているためだ。源吾郎の容貌は、そのどちらともかけ離れており、小柄な事も相まって威圧的なところは少なく、無害な男子であると見做される事が多かった。

 とはいえ、それも第一印象がそうである、という話に過ぎないのだけど。


「源吾郎君、だっけ。すごい、若い頃の島崎博士にそっくりなんだね」


 さて話を戻そう。源吾郎にまず絡んできたのは、双葉の後輩だという畠中さんだった。二十代後半だという彼女は、着席した源吾郎を見るなり頬を火照らせて声をかけてきた。

 島崎博士とは父の幸四郎の事だろう。特に尋ねなくてもそれくらい見当は付いた。父の幸四郎は学者をやっているから博士と呼ばれてもおかしくないし、何より源吾郎を見てそっくりと評しているのだから。

 ちなみに源吾郎は母の三花や兄姉たちとは外見的な共通点を見つけるのは難しい。しかし仕草や癖などは兄姉たちと似通っている所が大いにあるらしい。遺伝というものは奥深く、謎が多いものである。

 そんな事を思っていると、畠中さんはやや大ぶりのショルダーバッグを膝に置き、源吾郎たちが見ている前でごそごそと中をまさぐり始めた。仕事用ではなくプライベート用のものなのだろう。バッグの表面には五百円玉よりやや大きい丸いバッヂが五、六個ピン止めされており、擬人化されたイケメンのアニメ調のイラストが描かれている。案の定畠中さんはオタクだったが、源吾郎は特に驚きはしなかった。

 演劇部にいた頃などは、女子のオタク談議に耳を傾けなければならない状況もままあったからだ。


「ほら見て。やっぱりそっくりだわ……」


 畠中さんが取り出したのは父がかつて出版した本だった。当然のように妖怪絡みの本であるが、それこそが父のライフワークでもあった。畠中さんは丁寧に最後のページの作者近影の部分を示してくれた。


「こうしてみると、本当に博士って感じがしますね」


 モノクロームの小さな父の肖像を見ながら、源吾郎はしみじみとした調子で呟いた。写真の父を眺めているうちに、見知らぬ誰かを見つめているような奇妙な感覚に襲われた。三十代の頃と思しき若々しい姿を見たからではない。写真に写る父の表情が、あまりにもよそよそしかったからだ。よそよそしく用心深そうな表情を浮かべる父は、源吾郎にとっては全くもって馴染みのないものだった。

 畠中さんが示した近影を注視しているのは源吾郎だけではない。鳥園寺さんも米田さんもそれぞれ関心を示していたのだ。特に興味を持って凝視しているのは鳥園寺さんである。何しろ前かがみになり首を伸ばしているくらいだ。米田さんは姿勢良く座り、全体を俯瞰しているようにも見える。もちろん、その顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。

 米田さんは見た目だけで言えば二十過ぎ、ややギャルっぽい見た目も相まって集まっている三人の中では最も若く見えた。しかし、畠中さんたちを見つめるその眼差しに、年季の入った落ち着きが宿っていたのである。


「これが島崎君のお父さんなんですね。凄い、本当にここまでそっくりだったなんて」


 食い入るように写真を眺めていた鳥園寺さんが思わず声を上げる。鳥園寺さんは源吾郎よりも四つ五つ年上の筈だったのだが、さも感心したように上げるその声音は少女のような初々しさが込められているように感じられた。


「私、元々は島崎博士の……主任や源吾郎君のお父さんに弟子入りしたいなって思ってたの。少し気難しい所はあるみたいだけど、ライフワークに対しては結構ストイックに打ち込んでらっしゃるみたいですし」


 畠中さんが言い添える。双葉や源吾郎の姉弟だけではなく、他に集まっている鳥園寺さんたちにも伝えたかったのだろう。


「気難しくてストイックですか。うちの父が」


 畠中さんの言葉を繰り返す源吾郎の声には、驚きの念が多分に籠っていた。ストイックであるというのはまだしも、気難しいという評価は父にはそぐわないように思えてならない。源吾郎の知る父は、妻である三花に時々甘え、息子らや娘を優しく監督するような、そんな存在だった。


「そんなに驚かなくて良いじゃない、源吾郎」


 驚く源吾郎を嗜めたのは姉の双葉だった。


「誰だって、仕事の時と家にいる時じゃあ態度とか違うものよ。源吾郎だって就職したから察しが付くでしょ」


 それにね。姉の言葉に頷いていると、今度は米田さんが口を開いた。


「後はその、年齢と共に少しずつ性格が変わるって事も考えられるかもしれないわ。若い頃血の気が多かったヒトでも、大人になって分別が付くうちに、丸くなるって事もあるかもしれないし」


 若い頃の島崎幸四郎に会った事がある。米田さんは事もなげに言い足した。彼女が純血の妖狐である事を抜きにして、源吾郎たちは驚いて彼女の顔に視線を向ける。


「島崎博士は若い頃から良い人だったわ。でも確かに、畠中さんが言うように気難しいというか、ちょっと用心深くて思った事を押し進めようとする雰囲気の人だったと思うわ。まぁ、学者とか研究者の人って色々な意味で個性的な人が多いから、学者らしいと言えば学者らしいわね」


 自分は父親に似ていると思って育ち、父親の事は色々と知っていると思い込んでいた。しかしそれは一種の幻想であり、本当は知らない事の方が多かったのだと思い知らされた。

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