世間とは驚くほどに狭いもの

 デートなどに着込む特別な衣装を勝負服と呼びならわすのは当然の事なのだろう。源吾郎は糊の利いた柄物のシャツを着こみながら静かに思った。

 今日は姉の双葉が言っていたコンパ……もとい合同取材の予定が入っている。妖怪向けだか妖怪ものだかの記事に仕立てるという事で、お盆の黄昏時に開始する事となっていた。港町某所の書庫バーが会場である。バーと言ってもきちんとソフトドリンクも提供してくれるらしいので、未成年である源吾郎が参加しても問題は特にない。

 可愛い感じの女の子だとか、美人な妖狐の娘が参加すると聞いていて、源吾郎のテンションはかつてないほどに上昇していた。まだ昼過ぎなのにいそいそと支度を始める源吾郎は完全に浮かれ切っていた。もちろんこの辺鄙な吉崎町から港町に出るまでに時間はかかるのは事実であるが、それを差し引いても前倒し気味に行動していたと言える。


「ホップ、今日はちょっと出かけるからさ、良い子で留守番しておくんだぞ」

「プ? ピューイ」

「あ、もしかしたら君にお姉さんが出来るかもしれんな、なんてな、ははは」

「ピュピュピュ……」


 籠の中で大人しく遊ぶホップによた話を投げかける源吾郎の顔は、生気に満ち満ちてイキイキとしていた。源吾郎の脳裏には、既にこれから参加する取材の光景が目まぐるしく浮かんでは消えていた。流石に顔も知らぬ妖狐の女の子とすぐに仲良くなれるとか、そんな都合のいい妄想を行っていた訳ではない。しかしそれでもどうやって知り合った娘を魅了し、おのれの虜にするか。その事ばかりを考えていたのだ。

 ちなみに今回出会う女子たちが危険な存在かもしれない、という考えは源吾郎の頭の中には無かった。一度サヨコとかいう女妖狐に騙されてえらい目に遭った割には不用心とも見做されるかもしれない。しかし姉の知り合いだし取材でやってきたという事であるから、素性の怪しい女が紛れ込む事も無かろう、と思っていたのだ。


 田舎から都会である港町へと電車で向かう間中、源吾郎はずっとドキドキワクワクし通しだった。胸の奥とか指先の血管がぎゅっと狭まって圧迫していくのを感じていた。その圧迫感は不快な物ではない。むしろ多少の切なさを孕む、心地よいものだった。源吾郎は幸せだったし、今以上に幸せが訪れると思っていた。

――ああ、もう既にお盆が来たけれど、俺にはようやく春がやってきたのかもしれんなぁ。どんな娘が来るのか、今から楽しみで仕方ないぜ

 港町に佇む、洒落た書庫バーでの取材。しかも同席するのは美人の妖狐……考えただけでも頬が緩んで仕方が無かった。とはいえ源吾郎とて公共の場で外の人間の視線を意識するほどの良識は持ち合わせている。頬が緩んでいると気付く度に周囲に視線を走らせ、筋肉の動きを意識して表情を引き締めた。今源吾郎は自分がカッコよく粋に見える衣装に身を包んでいる。いくらワクワクしていると言えどもいつもと違ってカッコよく決めようとしているのだ。だからきちんと落ち着いておかねばならない。源吾郎はそのように考えていたのである。


 美人の妖狐と言っていたが、一体どんな娘なのだろうか。車窓の景色をぼんやりと眺めながら源吾郎はそんな事ばかり考えていた。女子で妖狐で美形が同席してくれるだけでも嬉しいのだが、清楚で少女らしい感じの娘だったら良いな。そんな事を臆面もなく考えていた。

 異性愛者である源吾郎は、女子にモテるために奮起し、色々と研鑽を重ねている。しかしその一方で女の好みにこだわりがある事もまた事実だった。

 清純で清楚。少女らしいというか少女そのもの。それこそが源吾郎の好みのタイプだった。大人の女性にも憧れとか畏敬の念は抱くものの、その感情は恋愛感情とは異なっていた。少女が好みだなどと言えばロリコンだのなんだのと言われそうだが、もしかすると自分が長らく末っ子として子供扱いされてきた反動として、少女とお近づきになりたいと思っているのだと源吾郎は解釈していた。まぁ要するに少女が良いというのは、自分がリードしたいという願望の裏返しでもある訳だし。源吾郎は相手との精神的なやり取りも重視しているが……生々しい欲望と無縁という訳ではない。むしろ煩悩まみれであるくらいだ。

 そう言う源吾郎の好みを加味してみると、やはり妖怪の女子を選ぶというのは理にかなっている訳だ。妖怪たちは寿命が長い分、成長も人間よりもゆったりとしており、少年少女でいる時期も長いのだ。

 源吾郎もまた、人間の血を受け継ぎつつも妖怪としての要素が日増しに濃くなっている。そう言う意味でも、妖怪の女子の方が本格的に付き合うにはうってつけなのだ。

 もっとも今回は単に取材で居合わせるだけだ。そもそもその時会ったきりになる可能性とてあるにはある。そうだったとしても、おのれが女子に良く見られるように振舞う事自体は無駄ではないと源吾郎は思っていた。


 早めに出発した源吾郎であったが、結局約束の時間の十分前に件の書庫バーに到着する運びとなった。物思いにふけり過ぎて乗り過ごしたり港町を散策している間に少し迷ったりとハプニングがあったのだ。とはいえ遅刻した訳ではないから結果オーライと言っても問題は無かろう。


「あ、源吾郎。遅かったじゃないの」


 店内に入るや否や、姉の双葉が出迎えてくれた。源吾郎よりもうんと人間としての要素の濃い彼女であるが、品よく整った面立ちと三十半ばとは思えぬほど若々しい姿は妖狐の血の恩恵を受けている何よりの証拠だった。

 女性としては背が高く肉付きの良い姉を前に、源吾郎は尻込みせず笑い返した。


「港町に出るなんて久しぶりだからさ、ちょっと迷ったりしたんだ」

「そうだったのね。てっきり準備とかに時間がかかったのかと思って」


 双葉はしばらく源吾郎を見つめていたが、身を翻して源吾郎を手招いた。


「実はもう他の人たちは揃ってるの。集まってるのは三人いるわ。一人は私の後輩だけど、後の二人が今日集まって来てくれた娘たちなの。さ、おいで」


 姉上の後輩も来てるんだ……そんな事を軽く思いながら源吾郎は付き従った。書庫バーは既に双葉が貸し切っているらしいが、やや奥まった席で話を進める事にしているらしい。カルガモよろしく双葉の後を追従する源吾郎は、店内の雰囲気もしっかりと把握していた。ライトは柔らかい橙色で、木目の壁と相まって落ち着いた内装である。書庫バーという名称は伊達ではなく、半分棚になっている壁もあり、そこには見慣れぬ本がこれ見よがしに置かれている。


「さて皆、うちの弟が来てくれたわよ」


 双葉の声に、集まっていた三人が反応する。双葉の後ろからその三人を見た源吾郎は驚いて思わず声を上げそうになっていた。三人のうち二人は見知った顔だったのだ。初めて見る、ややオタクそうな雰囲気の女性が双葉の後輩なる人物であろう。

 問題はあとの二人だ。明らかに面識がある面々だった。厳密に言えば一人はキバタンの使い魔を従える鳥園寺さんであり、もう一人は生誕祭で一緒に働いた米田さんである。

 思いがけぬところで思いがけぬ再会を果たした源吾郎は、挨拶も忘れて目を瞠るばかりだった。

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