コンパの報せは唐突に

「あぁ~、もうめっちゃ疲れたぜぇ~」


 夕方。居住区の本宅に戻った源吾郎は、遠慮なくおのれの本音を口にした。着替える事も無くそのままだらりと寝そべり、置いてあるクッションを両前足もとい両手のひらでフミフミし始める。

 くたびれ切ったオッサンの言動そのものであるが、源吾郎はさほど気にしていない。見ているのがホップくらいだからと思い、安心して全力でだらけ切っているのだ。


「ププッ、プッ!」


 全身全霊でグデグデダラダラを始めたあるじに対して呼びかけたのは十姉妹のホップである。源吾郎が知る限り、ホップは眠るその直前まで元気はつらつとしている。人間で言えば十代前半の子供だからなのか、はたまた小鳥の習性なのかは定かではないが。


「あ、ただいまホップ」


 源吾郎は顔を上げ、ウミウシよろしく這いずってホップの鳥籠ににじり寄る。六十センチほど近付いたところでホップを見据え、源吾郎は言葉を続けた。


「ホップぅ、俺、仕事でめっちゃ頑張ったんだよ。今日はまぁ仕事じゃなくて大掃除だけどさ。でも俺頑張ったんだよ。祭日なのに、仕事……じゃなくて大掃除って考えただけでも大変だろ。しかも、あの雷園寺のボンボンまでいるわけだしさ」


 半ばまくしたてるように言い切ってから源吾郎はしみじみと今日の出来事を振り返っていた。

 実のところ、大掃除なるイベントそのものは重労働ではなかった。見た目は小柄でずんぐりとした青年であるが、妖狐の血が濃いために体力面では人間の若者よりも勝っている。それに源吾郎がメインでやったのは換気扇の掃除や水回りなど、どちらかと言えば腕力勝負の部位でもない。

 源吾郎の疲れは精神的なものに起因している。その原因は雷園寺雪羽だった。同じ空間に自分に迫る実力を持つ同年代の妖怪がいる。その事に対するプレッシャーのようなものが源吾郎の心を圧迫していたのだ。

 ちなみに萩尾丸の管轄下にいる雪羽が、源吾郎に対してあからさまに嫌がらせを仕掛けてきたという訳ではない。むしろ雪羽は品行方正な好青年(好少年?)として振舞っていた。だがそれはある種の仮面であり、その裏でこちらを虎視眈々と観察しているように源吾郎には思えた。雪羽がどう思っているのかは解らない。しかし警戒しておいて損は無いと思っている。そう思って警戒していたのだが、警戒するという事がここまで神経をすり減らすとは思っていなかった。

 要するに、源吾郎は今まで平和な世界に身を置きすぎていたという事だ。


「雷園寺のやつも、中々の曲者だな……」


 ホップを眺めながら源吾郎はぼんやりとした口調で呟いた。何もその性格や地位だけで雪羽を曲者だと判断している訳ではない。雪羽はあれでも強力な妖怪であると解っているためだ。もちろん大妖怪ではないし、萩尾丸の見立てでは源吾郎よりは弱い妖怪になるらしい。それでも同年代の妖怪たち――源吾郎が日頃術較べや摸擬戦を行う面々だ――などとは一線を画する妖力の持ち主だ。

 実はその力の片鱗を、大掃除の場でも彼は発揮していた。雷獣である彼はこびりついた汚れを落とすのに電撃の術を使っていたし、高所も臆せず軽快な身のこなしで掃除を行っていたのである。萩尾丸さえも感心していたその挙動は、或いはおのれの雷獣としての、妖怪としての能力の高さを見せつけるある種のディスプレイだったのかもしれないと思う程だ。


 ああだこうだと雪羽の事ばかり考えていた源吾郎は、携帯しているスマホが震えている事に気付いた。誰だろうか。怖々と画面をのぞき込み、すぐに顔をほころばせた。何という事はない、姉からの電話だったのだ。

 長兄の宗一郎とは異なり、長姉の双葉は面白がりでマイペースな性格である。年齢は離れているのだが、ある意味兄たちよりも気軽に接する事が出来ると源吾郎は感じてもいた。


「……もしもし?」

『もしもし源吾郎。双葉だよ。元気?』

「うん、俺は元気だよ姉上……」


 受話器の向こう側で誰が話しかけているのかを互いに確認すると、源吾郎と双葉の姉弟はしばし話し込んでいた。盆休みは帰ってこないのか、今日まで仕事があったとは大変ではないか……いずれも取り留めも無い近況である。

 だが双葉は、源吾郎が実家に戻ってこないという事が気になったらしかった。


『ねぇ源吾郎。お盆なのに戻ってこないつもりなの? 兄さんも母さんたちも心配するんじゃないの』

「心配するも何も、この前の連休の時に戻ってきたよ? あ、でも姉上は仕事だからってニアミスしちゃったけど」


 そう言って源吾郎は軽く笑った。五月の連休に戻ってきた事は事実だが、実家に戻らない理由はそれだけではない。家を空けるという事はホップを置いて留守にするという事だからだ。日帰りならば問題はないが、実家と言えども泊まり込むとなると色々とややこしい。もちろんホップを連れて里帰りしても、両親も兄姉たちも何も言いはしないだろう。しかし暑い最中に小鳥を連れて実家に戻るというのは正気の沙汰とは思えなかった。だから今回は見送ろうと思ったのだ。

 すると、姉から問いかけがあった。声を発する前に何か息が漏れるのが聞こえた。きっと向こうも向こうで笑っているのだろう。


『随分と素っ気ないわね。すこーし前まで兄さんとか私とか誠二郎たちに甘えてくっついてたのに。あ、もしかして今カワイ子ちゃんと同棲中で愛の巣を構築するのに忙しいのかしら? そうよね、そうだったのねぇ?』


 カワイ子ちゃんに愛の巣。この言葉に源吾郎は反応してしまった。無論双葉が言う所のカワイ子ちゃんとは女子を想定して口にしたであろう事は解っている。であれば「違うから姉様」とでも言ってスルーすればよかった話だ。何故か源吾郎の脳内でカワイ子ちゃんという単語がホップ(十姉妹・オス)と結びついてしまったのである。それゆえの反応だった。


「うーん、半分合ってるけど半分違ってるかな」

『半分合ってるって、どういう事?』

「いやさ、流石に一人暮らし始めてるけどまだ彼女なんかいないよ? だけど今、ホップと……可愛いオスの十姉妹なんだけどさ、そいつと暮らしてるんだ。んで、今カワイ子ちゃんって言われてホップの事が浮かんだの。今もピッピピッピ言ってるし」

『ああそうなの。源吾郎にはまだ彼女はいないのね』

「うん、まだいないんだよ」


 まだ彼女はいない。その旨の言葉を姉に伝えたのち、源吾郎は魂をも抜け出そうなほどのため息をついた。真面目に考えれば、齢十八の若者で恋人がいない手合いなどごまんといるだろう。しかしわざわざ誘導された挙句、実姉にその事をカミングアウトしたとなるとそれはそれで堪える。雪羽相手に神経を使ったから、余計にしんどいのかもしれないが。

 姉様も中々に良い性格をしているぜ……双葉が今再び口を開いたのは、源吾郎が皮肉交じりにそんな事を思った直後だった。


『あのね源吾郎。実は私もライターの仕事がお盆にもあるんだけど、そこで若い女の子たちと取材をするのよ。もちろん妖怪絡みの話よ。それでもしよければ源吾郎も参加してみない?』

「取材……女の子……」


 源吾郎は口の中で小さく呟いていた。取材という事なので双葉にしてみれば仕事の一環なのだろう。しかし源吾郎は若い女の子、という部分に興味を示していた。

 先日合コンの誘いが流れた所であるから、尚更そう言う事に喰いついたともいえる。


『ちなみに、正体がバレるかどうかとか気にしなくて良いからね。向こうは私らの正体も知ってるし……というか源吾郎とかはそっち方面ではもうかなり名が知られているみたいだしね』


 双葉によると、やってくる女の子の中には妖怪、それも妖狐の女の子もいるのだという。源吾郎は特に考えずに姉の申し出を受け入れた。確かに人間の女子にチヤホヤされたり、軽いデート的なものに興じるのも悪くはない。しかし長く付き合うならば妖怪の女子、特に同族である妖狐の女子が良いと考えていた所だったのだ。

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