散らばる羽毛と妖力の珠

 昼休みは丁度いい塩梅に雨が上がっていた。もっとも空は灰色の雲が分厚く垂れこめており、いつ降り出してもおかしくないぞと下界の生物たちに知らしめていた。

 雪羽はそんな空を眺めつつ研究センターへと足を運ぶ。工場棟にある購買所からの帰りだったのだ。研究センター内は妖数にんずうが少ないため、敷地には自販機すらないありさまだ。飲食物を購入する際は、一旦建物を出て工場棟に入らねばならないのだ。従業員数が多い工場棟は食事の提供も充実していた。社員食堂らしきものもあったくらいなのだから。


「ん……」


 弁当(もちろん妖怪用)の入ったエコバッグを半ばブラブラさせながら歩いていた雪羽だったが、地面に視線を向けて思わず立ち止まった。黒い物が散らばっているのが視界に映ったためだ。落ち葉では無かろう。

 少し近付いた雪羽は、散らばっている物を見て思わず眉をひそめた。黒い羽だったのだ。大きさや匂いからして鴉の羽だ。もちろん鳥だから羽が抜ける事もある。しかし散らばっている羽の数は異様に多い。何かに襲われて羽を散らしたか、或いは……不穏な考えがどうしても浮かんでしまう。

 こんな時にこんなものを見るんじゃなかった。軽く後悔しながら雪羽はその場を立ち去った。そう言えば今日は鴉の姿も少ないし啼き声も聞こえない。烈しい荒天だから何処かに隠れているのだろう。



「雷園寺君がお弁当を買うなんて珍しいなぁ」


 雪羽が弁当を広げるのを見た源吾郎は、さも驚いたような声音でもって呟いた。源吾郎は雪羽のはす向かいに腰を下ろしており、自分で作ったらしい弁当を持参していた。マメな源吾郎が弁当を作る事も、互いに近寄って昼休憩を取る事も今となっては珍しい事でも何でもない。


「今日は朝から忙しかったからねぇ。萩尾丸さんもお昼を用意する余裕なんて無かったんだ」

「いつもは萩尾丸さんが作ったお弁当を持ってきてるもんなぁ。萩尾丸先輩って根っからの仕事妖みたいな感じがするけれど、料理とか弁当作りもそつなくなさるなんて……やっぱりすごいお方だよ」


 源吾郎は半ば嘆息の混じった声で呟いた。そんな事を言いつつも源吾郎とて自炊しているのだが。ともあれ源吾郎は萩尾丸に畏敬の念を抱いている事には変わりない。


「まぁ、萩尾丸さんって妖の面倒を見るのが案外好きだからさ。俺の料理を用意するのも結構楽しんでなさってるみたいなんだ。それとまぁ、俺自身も料理を教えて貰ってる。玉子焼きくらいなら一人でできるようになったからな!」

「玉子焼きが出来るのか……」


 挑むような雪羽の口調に、源吾郎はほのかに笑っていた。彼は今まさにマウスの天ぷらを箸で摘まんでいる所だった。中々に手間のかかるマウスの天ぷらも作れる彼にしてみれば、雪羽の自慢も子供っぽく聞こえたかもしれない。今更ながらその事に気付き、雪羽は気が気ではなかった。

 まぁ、料理は出来ておいて損はないもんな。源吾郎は単にそう言っただけだった。おかずを口にして咀嚼している間、源吾郎は雪羽の手首を眺めていた。

 厳密に言えば、新たに作ってもらった護符を、源吾郎は食い入るように眺めていたのだ。


「やっぱり護符が気になるんですか、先輩?」


 雪羽は言いながらゆったりと右手を動かした。紫色の玉が一つと、それよりも一回り二回り小さな玉を幾つも連ねた代物である。ミサンガと数珠の中間みたいな姿のそれは、雪羽がかつて身に着けていた物とよく似ていた。

 しかしこの護符は前回の護符とは決定的に異なっている。小さな玉の中には三つほどひときわ輝く玉があった。全体的に透明な玉なのだが、内部に小さな稲妻が蠢いているのだ。

 稲妻が内部で見えるこの玉の正体は、雪羽の妖気を玉にしたものだった。


「前のやつも良い護符だったと俺も思うよ。だけど今回のは今回ので凄いよなぁ。何せその辺の椅子とかから雷園寺君の妖気の残滓を集めて玉に生成したんだろう。やっぱり研究センター長の実績は伊達じゃないよなぁ」


 妖怪が体内に宿す妖力や妖気は一種のエネルギーである。しかしこれを特殊な形で体外に放出すると玉のような塊になる事もあった。そうしてできた玉は妖珠だとか妖力珠と呼ばれている。紅藤が護符を作る際も、自分の妖気を玉状にしているとも聞いている。

 実際問題、おのれの妖力を玉として大概に放出するという芸当を出来る妖怪の存在は限られてくる。妖怪にとって妖力・妖気は生命力の一つであり、無闇に放出すれば生命に関わる事も少なくない。そうでなくても保有する妖力が減少するのだから弱体化は逃れられない。

 自身の妖力を玉として放出する行為。それは中級妖怪程度の雪羽や源吾郎ではまねできない芸当だった。仮に出来たとしても大幅な弱体化や妖気の減少に由来する体調不良を招くだけだろう。

 とはいえ実際には雪羽の妖気を基にした玉が、妖珠が護符の一部を構成している。この玉たちは源吾郎が指摘した内容で作られた物だった。雪羽が気付かぬ間に放出していた妖気の残滓を集め、増幅させて錬成して玉としてこしらえたのだそうだ。

 度が過ぎた妖気の放出が、妖気の主たる妖怪の体調を損ねる結果を招く事は事実である。しかしその一方で、普通に活動している場合でも妖怪は妖気を放出している事も事実だった。自然に放出される妖気は微弱な物であるが、力の強い妖怪であればその妖気がその場所に留まる事もままあるらしい。そうした妖気の残滓に着眼し、この度雪羽の妖気が玉として護符の一部を構成する事となったのだ。


「うん。前の隠しコマンドももちろん仕込まれているけれど、俺由来のこの玉は、いざという時に消耗した妖力の補填をしてくれるんだって」


 そうらしいなぁ。雪羽の言葉に源吾郎はやや間延びしたような声で応じる。相変わらず雪羽由来の妖珠をじろじろと眺めている。

 妖怪が自身の妖力を増やす行為の一つとして、外部から妖気・妖力を取り込むという物がある。エネルギーである妖気を直接体内に取り込むから妖力が増えるというのは感覚的に解りやすい話であろう。

 しかしながら、この方法はリスキーな方法である事もまた事実だった。弱い妖怪がたくさんの妖気を取り込んだからすぐに強くなると言った安直な事はまず起こりえない。妖気を取り込むと言っても、取り込める妖気の保有量には上限があるためだ。上限を超えて取り込めばやはり生命に関わる。また、妖気の量に問題が無くても取り込んだ妖気と相性が悪ければそれもそれで生命に関わる問題に発展しかねない。

 紅藤が密かに作った雪羽由来の妖珠は、そう言った問題を解消している代物だった。元を正せば自分の妖気になるのだから拒絶反応も起こりようがないし、妖力の補填も有事の際にしか発動しないように調整されているのだから。

 八頭怪に襲撃された事もあってか、相当に凝った造りの護符だったのだ。


「先輩。もしかして羨ましいんですかね?」


 雪羽はなおも護符を眺める源吾郎に質問を投げかけてみた。源吾郎ははじめぎょっとしたように目を見開いていた。だが何度か視線をさまよわせてから口を開いた。何かに恥じ入るような、そんな表情である。


「まぁ……正直に言えば羨ましいかな。俺のにはそう言うからくりは無さそうだし……」

「あはは、先輩はやっぱり素直ですねぇ」


 雪羽が笑うと源吾郎は更に恥じ入った様子で身を縮めた。元々血色の良い方であるが、その頬は火照りに火照り耳まで赤くなっている。気恥ずかしさと若干の恨めしさの籠った眼差しを相変わらず雪羽に向けている。やっぱり先輩にも子供っぽい一面はあるんだな……源吾郎を見ながら雪羽は呑気に思っていた。実年齢で言えば雪羽の方が二十年ばかり年長ではある。しかし半妖である源吾郎の方が心身の成長は早いらしく、言動は年長者のそれに見える時もあるにはあるのだが。

 二人の微妙な年齢差はさておき、源吾郎が見せる素直さや子供っぽさを雪羽は好ましく思っていた。とかく源吾郎は解りやすい男だった。もちろん多くのと接してきた雪羽であるから、相手の考えを察して動くという駆け引きも曲りなりには出来る。しかしそうした物に倦み疲れていたのだと最近気付いた。


「でも別に、紅藤様が雷園寺君をひいきしているとか、そんな事は思ってないよ。そのからくりだって、単に雷園寺君には必要で俺には必要なかったんだって紅藤様も仰ってたし。俺もその通りだと思ってるよ。

――確かに雷園寺君は強いよ。俺だって結構戦闘訓練でてこずったしさ。でもなまじ強いから危ない所まで無理しちゃうもんな」

「言うて俺も無理ばっかしてる訳じゃないぜ」

「雷園寺君はそう思ってるのか」


 意味深な言葉を口にしつつ源吾郎はひっそりと笑う。寂しそうな笑みだった。源吾郎の目には自分がそんなに危うく見えるのだろうかと雪羽は思った。

 源吾郎は特段手を抜くのを好む手合いではない。むしろ訓練にしろ鍛錬にしろ全力を出して頑張ろうとする性質だ。鬼気迫るものを感じた事も何度かある。だがその一方で、自分が人間の血を引くがゆえに脆弱な所があるのもよく心得ていた。雪羽との戦闘に臨む時も防御面の弱さやスタミナの無さをどうにかカバーしようとしていたし。

 そう言った面もあるからこそ慎重さも持ち合わせている。雪羽はそのように解釈していたのだ。


 一旦話は変わるけれど。源吾郎は軽く前置きをしてから今再び口を開いた。


「昨日灰高様たちとの間で会合があっただろう。それでその後に雷園寺君の弟さんたちが秘密裏に旅行していたって話になってたみたいだけど、あれってどうなったのかな」

「ああ、あの話だな……」


 そう言えばそんな事もあったなぁ。昨日の事なのに遠い昔の事のように思えてしまい、雪羽はおのれの考えに身震いしていた。八頭怪襲来のショックが大きかったのもあるにはあるのだが。


「俺も萩尾丸さんも、こっちに来ている方が本物で、本家にいる方が替え玉か何かだって言う意見で一致しているよ」


 まぁ、俺は最初から何か怪しいと思ってたんだけどな。そう言う源吾郎の面は僅かに笑みで緩んでいた。


「もっとも、替え玉とか影武者とかでなくても変化術の可能性もあるけど。雷獣には難しいかもしれないが、それこそ妖狐とか化け狸だったら簡単に出来る話だし」

「…………」


 妖狐や化け狸。雪羽はそこで時雨一行の事を思い返していた。当主の妻は妖狐や化け狸を好んで従者として侍らせていたし、姐やの松子も化け狸だったではないか。

 それで弟さんはどうするの。ややあってから、探るような声音で源吾郎が尋ねてきた。雪羽は荒く息を吐き、源吾郎を見据えて応じる。


「どうするもこうするも特に何もしないよ。そもそもまだ確証が得られないかもしれないって事だから、灰高様にも報告はしてないって萩尾丸さんも言っていたし。

 理由はさておき、時雨は本家から少し離れたくてこっそり姐やや妹と一緒に遠出をしているだけなんだ。替え玉なり分身なりを用意しているって事は、バレずにきちんと戻ってくる段取りも考えているはずだと思うんだ。こっそり出かけてこっそり戻ってくれば、向こうも大騒ぎなんてしないはずさ。

 そうした段取りがあるのに、変に俺たちがでしゃばったら、それこそ迷惑が掛かるんじゃあないかな。そうでなくても俺らは八頭怪とか他の連中にも狙われている訳だし」


 だから俺は、時雨たちが何事もなく雷園寺家に戻るのを待っているだけなんだ。雪羽が放った最後の言葉は、雪羽の願望そのものであったのは言うまでもない話だ。

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