泥臭きかな勝利の味は ※戦闘描写あり

 戦闘訓練のタイマン勝負は既に七回行っているが、源吾郎は目下七連敗中である。四回目と五回目の間に苅藻の許に赴き、アドバイスを受けたものの、それでも勝利を掴む事は叶わなかった。

 五回目では源吾郎は火焔術を主体にして攻撃をおし進めた。しかし雪羽はそれらをどうにかしのぎ切り、ついで陽動作戦で源吾郎を攪乱する事までやってのけた。

 六回目では縛妖索を用い、雪羽を捕らえる事に成功はした。しかし雪羽は自分の足に縄が掛かっている事は気にも留めず、逆に暴れまわって縛妖索の持ち手である源吾郎を翻弄した。

 七回目では結界術と変化術を用いて雪羽の攪乱を試みた。しかし雪羽の攻撃力が結界の強度を上回り、生半可な変化では電流を読む能力を欺けない事が解っただけだった。

 五回目から七回目までのタイマン勝負では、どうにか攻撃をぶつける事は出来た。だがそれでも、致命傷相当になる決定打を雪羽に与える事は叶わなかった。


 弁解じみた話になるが、特段源吾郎が弱いわけではない。源吾郎とて若妖怪としてはむしろ強い方に分類される方である。ただそれ以上に雪羽の戦士としての素養が高すぎるだけの話なのだ。

 雷園寺家の血を引く上に叔父の三國の特徴も色濃く受け継いだ雪羽は、先天的にも強さに恵まれた雷獣と言える。しかも三國に引き取られてからというもの武芸の手ほどきを受け鍛錬に勤しんでいたのだ。さらに言えば雷獣自体が戦闘能力の高い種族と来ている。ここまで条件が揃えば、強い妖怪として存在していても何らおかしな話ではない。

 常識的に考えれば、源吾郎程度ではおいそれと太刀打ちできない存在ともいえる。源吾郎は大妖怪の血を引く若者であるが、言うなれば彼の強みはなのだ。妖狐は知能は高いが戦闘に特化した種族でもない。ましてや源吾郎が妖怪として闘う術を身につけ始めてから半年も経っていないのだ。

 確かに九尾と雷獣では九尾の方が格上だろう。しかし流れる血のみで勝敗が決まるほど世間は甘くなかった。

 もちろん源吾郎もその事は解っていた。解っていたからこそ勝利をもぎ取る事にこだわっていたのだ。



――もしかしたら雷園寺は泥や汚れるのが弱点なのか? そんな手で勝っても恥ずかしいんじゃないのか

 土曜日の夜。日中の出来事を思い返しながら源吾郎は一人思案に耽っていた。先程からホップが鳥籠の中で何やら啼いているが、その声に返事する暇もない位だ。

 雪羽が泥や汚れを嫌うのはそれが弱点故の事――何ともばかげた仮説ではある。しかし考えれば考える程その仮説の信憑性は増すばかりだった。源吾郎が所有している妖怪図鑑にも、雷神は汚物等で身を汚されると神通力を失うとはっきりと記されてあった。かつて苅藻が源吾郎に教えてくれた事と同じである。

 もちろん、雷様たる雷神と雷獣は別の種族ではある。しかし妖怪である以上それぞれの心の中にある思い込みや先入観に縛られる事は往々にしてあるのだ。また、雷獣たちの中には雷神を崇拝し、自分たちと同一視する事もままあるらしい。

 雪羽は今もなお雷園寺家の名を背負う程に気位の高い妖怪である。であれば雷獣の上位互換たる雷神を崇拝し、そこまで行かずとも畏敬の念を抱いていたとしてもおかしくはない。そしてそこが付け入る隙なのだろう。

 それに泥や汚れが弱点であるか否かはさておき、泥に沈ませるというのも攻撃手段として有効であろう。


「ホップごめん。明日もちょっと忙しくなるわ。あ、でもちゃんと遊ぶ時間はあるから安心しろよな」

「プゥ~」


 声をかけながら鳥籠の中を見やった。ホップは止まり木で、不思議そうに小首をかしげている。



 八回目の戦闘訓練は昼前に行われる運びとなった。時間帯はさておき、今回は何と久々に来客が多い物だった。萩尾丸曰く「都合がついたから部下たちを多めに連れてきた」という事らしい。見た所、若妖怪集団である「小雀」のメンバーはほぼ全員引き連れてきていた。のみならず、妖力も多く年かさの妖怪たちも数名見受けられる。上位組織「荒鷲」のメンバーなのだそうだ。

 余談だが雪羽の身内としてやってきていたのは風生獣の春嵐と黒𤯝の堀川さんだった。三國はやはり忙しいらしい。

 時間となったので、源吾郎は用心深い足取りで会場に入っていった。いつも護符だのなんだのを仕込んでいるが、今日はそのが何時にもまして多い。それらが駄目にならないように気を付けていたのだが、傍から見ればおかしな動きに見えるかもしれない。

 源吾郎とは対照的に、雪羽は軽快な足取りで会場の中に足を踏み入れていた。

 対照的。確かに源吾郎と雪羽は対照的だった。人間の血も混在する半妖と純血の妖怪。多彩な術を手数とする妖狐と戦闘と身体能力の高さが武器の雷獣……見た目や女子の好みさえも対照的な二人である。それでも、貴族妖怪としての矜持や目指すものはほぼ同じである。

 だからこそ今日まで源吾郎たちは互いをライバル視し、こうしてタイマン勝負で相争う事となったのだろう。源吾郎はそんな事を思っていた。


「ふふふ、島崎先輩。今日も楽しませてくれますか」

「そいつはどうかな」


 屈託のない笑みで問いかける雪羽に対し、ニヒルな(つもりの)笑みで源吾郎は応じる。そうしている間に試合が始まった。

 雪羽は早速雷撃を放ってきた。源吾郎はそれを難なくかわす。厳密には護符の助けを借りた結界術の変種だった。結界というのは対象物を閉じ込め、或いは攻撃を通さない効果を持つものが多い。しかし中には攻撃の軌道を逸らすような使い方もできるのだ。雪羽の雷撃のような、威力の強い攻撃にはむしろこちらの方が都合が良いくらいだ。防ぐ結界では破られれば終わりであるが、逸らすのならばその効果はまだ長生きする。しかも妖気のロスも普通の結界よりは少ない。


「先輩も狐らしくなりましたね」

「はは、俺はそもそも九尾の子孫だからなぁ」


 言いながら、源吾郎は腕を振るう。小さな粒子が舞い上がったかと思うと、その粒子一つ一つがチビ狐に変貌した。源吾郎の十八番である変化術である。チビ狐の数は数百に上る。単なるチビ狐ではない。妖術で標的を攻撃するように指示を下したチビ狐たちだった。現に彼らはちんまりとした武装をしている。

 雪羽は目を細めながらそれらを眺め、無言で浮き上がっていった。チビ狐らが動いたのはその直後の事だった。手にしていた槍を振るい、小さな狐火を放ち、護符のような札が飛び交う。下界を離れ上空を舞い上がる雪羽に対し、さながら暴徒のごとき動きでもってチビ狐たちは殺到しようとした……もっとも彼らには空を飛ぶ能力は無いらしい。雪羽が二メートルも浮き上がれば飛び道具を使うほか対抗でき無さそうだ。とはいえそれも源吾郎の想定内だ。

 鬱陶しそうに雪羽が雷撃を放つ。直撃したチビ狐は消滅したがそれは問題ではない。である源吾郎は討ち取られていないのだから。それにチビ狐には自然増殖する術も仕込んである。高威力の雷撃ならば話は別だが、牽制程度の雷撃であればむしろ増殖を促すだけなのだ。

 そして寄り集まっていたチビ狐たちは雷撃を合図に蜘蛛の子を散らしたかのように散開する。すぐに狙いにくくするようにしているためだった。

 もちろん、本体である源吾郎も雪羽に攻撃を仕掛けるのは忘れない。斜め上めがけて狐火を放った。気軽に放った一発であるが、その一撃の威力は言うまでもない。

 雪羽はそれを見切り、空中で回避しようとした。だが、その動きが不自然に止まる。奇しくも狐火の命中は免れたが、何かにぶつかったような動きだった。

 怪訝そうな表情を浮かべる雪羽は相変わらず浮遊している。しかしその動きは何処かぎこちなくでたらめなものになっていた。見えない何かにぶつかっているかのような、自分にぶつかる何かを手探りで避けているような動きである。


「そうか、結界を使ったな」


 雪羽の空中での妙な動きのからくりは、彼の指摘通り結界だった。チビ狐の大軍を放った時に、実は源吾郎は結界術も徐々に発動させていたのだ。雪羽は空中から攻撃する事が多いが、今回の技を使うには空中に浮いていてばかりでは都合が悪かった。そうでなくても、空中からの雪羽の攻撃には源吾郎も困っていた所であるし。

 恐らく雪羽がこの結界に気付けなかったのは、大量のチビ狐の存在と、結界の性質によるものだったのだろう。チビ狐がなのは言うまでもないが、結界もまた電流を受け流す性質を持たせていた。それらが功を奏したのだろう。


「そりゃあまぁ結界だって使いたくなるよ。てか、雷園寺君は地上戦でも十分強いじゃないか」


 チビ狐たちに取り囲まれながら、源吾郎は両手を広げた。標的が舞い降りてくるや否や、チビ狐たちは色めき立って狐火を放つ。威力は豆鉄砲程度でそうそう強くはない。しかし雪羽を不愉快にさせるには十分すぎる出来だったらしい。


「そのチビ狐も中々ややこしいやつだなぁ。何か雷撃をぶつけたら地味に増えたし」


 狐火ごとチビ狐を雷撃で退けた雪羽だったが、親玉たる源吾郎を見据えると残忍な笑みを浮かべた。


「――だけど、使い手である先輩を潰したらどうなるんですかねぇ」


 直後、雪羽の雷撃が二筋源吾郎にぶつかった。白銀の槍と化した雷撃は、源吾郎の眉間と心臓のある部位を。タイマン勝負の判定では致命傷になる一撃である。そもそもからして雷撃は当たり所が悪ければ生命にかかわる。ましてや、相手の肉体を貫通する攻撃ならば尚更だ。


「…………」


 さて攻撃を受けた源吾郎は、眉間と左胸に風穴を開けながらゆっくりとくずおれた。一瞬の出来事だったから何が起きたのか解らなかったのかもしれない。表情はむしろ穏やかで、いっそ笑みらしきものも見えていた。

 一方の雪羽は、目を見開かんばかりに源吾郎を凝視していた。その面は今や強い驚愕に染まり、声も出ない程である。周囲の若妖怪たちもどよめいているらしいが、彼にはきっとその声も聞こえていないだろう。

 数えきれないほど顕現していたチビ狐たちの大多数も消滅し、唯の粒子に戻っていた。しかし雪羽はその事にも気付いていない。戦闘訓練の最中に源吾郎を本当に斃してしまった。その事に驚愕していたのだ。

 雪羽の術も源吾郎の術も、無防備な状態で当たれば致命傷になりうるほどの威力を秘めている。しかしそれでも無邪気にそんな技を繰り出してタイマン勝負が出来たのは、互いが護符で護られているという前提があったからだ。

 。雪羽のちょっと強い攻撃に源吾郎は急所を撃ち抜かれ、無残に屍を晒しているではないか。

 屍……? 地上から十数センチの所まで高度を下げた雪羽は、ここで違和感を覚えた。倒れている源吾郎からは血肉の匂いは漂ってこない。アレはみたいだ。雪羽は心中でそのように結論を下した。雪羽は他の妖怪を殺した経験はない。しかし過去の経験から、死の匂いがどのようなものか知っている。


「――くっ!」


 倒れていた源吾郎もまた幻術だった。狐火が死角から飛んできたのはまさにその時だった。いつの間にか源吾郎が倒れていた所には、藁の塊が転がっているだけだった。そしてその塊から離れた所に本物の源吾郎が立っている。


「ははは、驚かせて悪かったな雷園寺君。見ての通り、俺は無傷だよ」


 神妙な面持ちの雪羽に対して源吾郎は笑う。チビ狐を潰すべく自分を狙うであろう事を先読みし、おのれの姿の幻術を作っていたのだ。そうして本物の源吾郎はチビ狐に化け、紛れていた訳である。


「そりゃあ安心しましたよ先輩!」


 死角からの狐火も雪羽は回避していた。しかしバランスを崩したらしく、とうとう彼は地上に降り立った。

 源吾郎の言う通り地上戦にもつれ込む運びとなった訳である。源吾郎はここで、今一度変化術を行使した。対象は雪羽が踏みしめる地面の一帯である。粘性の高い泥に地面を変化させたのだ。


「え……何だ、動かんぞ!」


 泥になった地面は雪羽の足首をいい塩梅に呑み込んでくれた。無論雪羽も異変に気付いてはいる。足を引き抜こうとするも上手く動かないようだ。雪羽はスタミナもあるし力もあるにはある。しかしこの泥沼に脱出するには軽すぎたのだろう。

 うろたえる雪羽を眺めながら、源吾郎は白くて丸い物を放った。何処からどう見てもそれは鶏卵に見えた。これこそが、源吾郎の今回の最大の仕込みでもあった。

 雷撃や狐火とは比べ物にならない程ゆっくりと放たれるそれに対し、雪羽は身動きがつかぬまま雷撃で打ち破った。打ち破られ破裂した卵の内部からは、赤茶けた泥が飛び散り、雪羽の顔や胸にべったりと付着する。陶芸用の粘土を水で薄め、人工的に作った泥だった。

 この攻撃に驚き首を振って汚れを落とそうとする雪羽に向けて二発目を放る。雷撃を使われるまでもなく雪羽に当たり、泥水の中身がぶちまけられた。雪羽は雷撃を使わず、それどころか放電している気配もなかった。雷神はその身が汚れると神通力を失うという話があったが、何とそれは雪羽にも当てはまった事なのだ。

 そうこうしているうちに、雪羽は変化を維持する力さえ失ったらしい。その身体はしぼみ、白銀の毛皮を持つ小さな獣の姿に戻っていた。

 翠の瞳で恨めしそうにこちらを見つめる雪羽の姿に、源吾郎は一瞬だけ戸惑った。しかし一度深呼吸をすると狐火を錬成し、雪羽に向かって何発か放つ。勢いをつけたつもりではなかったが、狐火にぶつかった反動で雪羽の身体は吹き飛ばされた。吹き飛ばされたと言っても、雪羽も受け身を取って安全な体勢で着地してはいたけれど。


「よしっ、ここまで。今回の勝者は島崎源吾郎君だ!」


 萩尾丸の号令は、何故か普段以上に遠くから聞こえてくるかのようだった。

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