最強の野望と風評被害

 よどみない口調で言ってのけた源吾郎をしばし驚いた様子で観察していた女性陣であったが、数秒もすれば我に返ったらしい。彼女らは未だ源吾郎に視線を向けているが、深く息を吸ったりゆっくりと瞬きを繰り返したりして、思い思いに落ち着きを取り戻そうとしている。

 驚いていてもすぐに気を取り直すあたり、女性陣の強さを源吾郎は感じていた。腕力的な部分は男の方が強いだろうが、総合的な部分を見れば女性の方が強い。この思いは幼い頃から源吾郎は抱いていた。


「源吾郎君。妖怪の世界で叶えたい望みってなぁに?」


 畠中さんの質問は、実は源吾郎にとっては想定済みの物だった。人間として育てられたにもかかわらず、妖怪の世界に身を投じる。そんな若者が眼前にいれば、そう問いたくなるのも当然の流れだろう。


「……そもそも、妖怪の世界って人間の世界と違うのかしら?」

「あまり大きな違いはないんですよ、畠中さん」


 畠中さんの呟きに答えたのは妖狐の米田さんだった。源吾郎よりも真っ先に返答した訳であるが、そのまま彼女に妖怪社会の解説を行ってもらっても問題はない。というより妖怪社会の事について一番詳しいのは、何をどう考えても米田さんだろうし。


「種族によっては人間の暮らしぶりとの違いが目立つ場合もあるにはありますが、少なくとも私たち妖狐の場合でしたら、その違いは人間のそれと少ないと思ってます。家族、社会、会社、勤労……そう言った概念は私たちの中にもありますからね。その枠組みで言えば、私はフリーター、島崎君は会社員になるわ」


 そう言ってちらとこちらに視線を向けたので、源吾郎は驚いて目を丸くした。源吾郎の事にさりげなく言及した事よりも、彼女が自分の事をフリーターだと言い切った事に実は驚きを覚えていた。


「ま、まぁ確かにある程度育った妖怪も仕事をするんで、その辺りは人間の組織と似てはいますね」


 軽く咳払いをしたのち、源吾郎は言い添える。冷静な態度を見せるように心がけてみたが、それが畠中さんたちに伝わったかどうかは解らない。


「ですがやっぱり妖怪社会って人間社会とは違うんですよ。実力主義の側面が強いですからね。才能があって強さを求めるものがのし上がっていく。そんなところなんです」


 才能があって強さを求める。源吾郎はその言葉を強調した。それこそが、源吾郎の望んでいた事であるからだ。


「もちろん、身の丈に合った暮らしで満足する妖怪もいるけどね。むしろそう言うヒトの方が多いかもしれないわ」


 米田さんの言い足したその言葉の意図は謎めいていた。人間サイドにいる畠中さんや鳥園寺さん(彼女は術者だが)を安心させるために言ったのか、源吾郎を諭すための言葉だったのか。その真相は彼女の心の中であろう。


「さ、源吾郎。そろそろ頃合いじゃないかしら」


 少し思案に耽っていると双葉が声をかけてきた。彼女の頬には見慣れた笑みが浮かんでいる。源吾郎の持つ望み、野望を話せと促しているのだ。

 源吾郎はちらと姉を見やってから、畠中さんたちに視線を向ける。少し緊張してはいるものの、野望を口にする準備は出来ていた。


「僕が妖怪としての生き方を選んだのは、最強の妖怪になりたいからです。それが……それが僕の望みです」


 最強の妖怪になる。途方もない熱量を秘めた野望を、源吾郎はかなりあっさりとした口調でもって言ってのけた。感情がこもらなかったのはやはり演技のためだ。最強の妖怪になる。無論これは源吾郎の野望である。彼の野望はこれだけではなかったが、彼女らの前で公表するにあたり控えめに表現したのだ。

 控えめと言えども、無論インパクトのある内容には違いない。現に畠中さんは驚嘆と尊敬のまなざしを源吾郎に向けているではないか。


「最強の妖怪って凄いね。知り合いの子たちにも強いって褒められてたみたいだし、それを目指すって事は才能があるって事だよね。島崎主任からは面白い子だって源吾郎君の事は言われてたけど、私、こっそり源吾郎君の事応援したいな」

「あ、ありがとうございます」


 ある意味熱烈な畠中さんの言葉に対し、源吾郎は軽く手を挙げて微笑んだ。思った以上に畠中さんが持ち上げてくれるので、内心少し戸惑ってもいた。

 だがそれよりも気になるのは、他の面々の態度である。米田さんはまぁ良い。問題は双葉と鳥園寺さんだ。二人は何故か興醒めしたような、或いは白けたような様子で源吾郎を無遠慮にじろじろと見つめている。


「あら源吾郎。あなたの野望の解説ってそれで終わり?」


 もっと色々と説明する事はあるでしょ。言外に双葉がそう言おうとしているのは解った。離れて暮らすとはいえ、姉弟で互いに何を考えているか、察するのは容易い事だ。

 さらなる説明を欲しているであろう事を見越したうえで、源吾郎は首を振った。


「さっきのは紛れもなく僕の野望だよ。最強の妖怪になるってさ、それ以外に何か言う事とかあるかな?」


 あるに決まってるじゃない。敢えてとぼけた様子でやり過ごそうとして見たが、双葉は一歩も譲らないようだ。


「まぁ確かにさっきのも源吾郎の野望だって事は私も解るわよ。だけど、家族や親戚の前で言った事と違うじゃない」

「ですが……」


 語気強く言い募る双葉を見据え、源吾郎は反駁を試みようとした。他ならぬ姉の発言により、畠中さんや鳥園寺さんが源吾郎の野望に関心を持ち始めたのを肌で感じたためである。


「今回はあれで良いじゃないですか。というよりもむしろ、込み入った話はこの場には……お姉様方にお聞かせするにはアレな内容ですし」


 源吾郎の言葉は、額面通りに受け取れば集まっている女性陣を気遣っているように受け取れるであろう。しかし実際の意図は少し異なる。源吾郎自身が、おのれの抱える真の野望を口にするのが恥ずかしいと思っていたのだ。

 源吾郎自身、今のおのれの野望を変えるつもりも無いし、紅藤たちに期待されている手前もはや後戻りも出来ない。源吾郎自身も叶えたいという強い思いを抱き、しかも実現する事を周囲からも期待されている。

 何故そんな野望を口にするのが恥ずかしいと感じているのか。源吾郎の野望を聞いた者たち――妖怪がほとんどであるが、人間だって同じ反応をするだろう――は、なべて失笑するか荒唐無稽で愚かしいと言い捨てるかのどちらかだという事を知っているからだ。年かさの妖怪であれ若い妖怪であれ、源吾郎の野望を耳にするやそう言う態度を見せるのだ。

 誰かに笑われたからと言って、その野望を棄てるなどという真似はしない。しかし、段々とその野望を軽々と口にするのが怖いというか、嫌だと思うようになっただけだ。源吾郎が嬉々として野望を語れるのは、その野望を持つに値する力量を源吾郎が持った時か、寛大に源吾郎の言葉に耳を傾ける相手に巡り合った時くらいだろう。


「最強の妖怪になるって事を目指してるって言ってたのに、そんな事で尻込みするなんてらしくないわよ」


 しかし、姉の双葉は納得してはくれなかったようだ。むしろ、ほのかな憤慨の念を滲ませて源吾郎を見下ろしているではないか。


「いいこと源吾郎。あんたは最強の妖怪になるって野望を持っているんでしょ。だったら堂々としていれば良いじゃない。馬鹿にされたり笑われたりするからって、その野望を口にしないなんてみみっちい事を考えるのは、三下のやる事よ」


 しかも双葉は源吾郎の密かな躊躇いを完全に見抜いているではないか。いささか暴論ではあるが、双葉の言う事も一理あるのもまた事実だ。最強の存在になり、妖怪の世界の頂点に君臨すれば、源吾郎が一番権力があって強い事になる。そこまで上り詰めれば、確かに彼の行う事を嗤う手合いはいないだろう。

 源吾郎は畠中さんたちをちらと観察した。米田さんは少し心配そうに姉弟の会話の行方を見守っているようだ。だが畠中さんや鳥園寺さんは面白がっている風にも見える。もちろん双葉もこの事には気付いているであろう。


「姉様の仰る事も一理ありますよ。ですけど、ここにお集まりのお三方は、既に僕の野望もご存じでしょうに」


 源吾郎はここで一旦言葉を切ると、先程よりも声を張り上げて言い添えた。


「何せ僕は本物の玉藻御前の末裔で、尚且つ才能もある。妖狐たち妖怪たちのみならず、術者の業界やオカルト関連の世界でも、話題になっているのではないですか」


 そう言った源吾郎の視線は自然と米田さんに向けられていた。別に妖狐の女性である彼女に色目を使ったという訳ではない。彼女は野狐だが、玉藻御前の末裔を自称する妖狐の一人である。

 源吾郎の問いかけにまず応じたのは鳥園寺さんだった。


「もちろん島崎君の事は話題になってたわ。強いうえに野望もあるしちゃっかり大妖怪な紅藤様の許に就職してるしで、警戒する妖は警戒するみたいだよ。

 そう言えば、玉藻御前の子孫だって自称している妖狐たちも色々と島崎君の行動を心配していたよ。島崎君が妙な事をしでかしたら、自分たちがを受けるかもしれないって」

「あいつらが俺の行動で風評被害に悩むって、それ普通にだと思うんだけど」


 あまりの事に驚いた源吾郎は、思わずため口で言い放ってしまった。風評被害というのは元来、バッタもん等の横行により本家の風評が損なわれる事を示す。言うなれば源吾郎が本家であり玉藻御前の末裔を名乗る連中はバッタもんだ。しかし実際には自称している連中の方が本家の言動による風評被害を気にしているとは。本末転倒極まれり、と言った所だろうか。

 源吾郎はいてもたってもいられず、双葉の方を振り仰いだ。


「聞きましたか双葉姉様。玉藻御前の末裔を自称する連中が、本当の玉藻御前の末裔である俺の行動を気にするって、何かおかしくないですかね」


 弟の問いかけに、双葉は首をひねった。


「まぁ確かに源吾郎の言いたい事も解るわよ。だけど彼らの方が玉藻御前の末裔を名乗って活動する期間の方が、源吾郎が生きてきた年月よりも長いと思うし……まぁそこは気にしなくて良いんじゃない? 私は気にしてないし」

「まぁ、その辺りの考えは狐それぞれですから。ただ、玉藻御前の末裔を名乗っている妖狐たちは、てんでばらばらに暮らしつつも時々集まって会合をしますから、その時に話題に上ったのでしょうね」


 双葉の発言の後に米田さんはそんな事を言った。まぁ確かに狐は集まりたがる性質を持つわけだし、玉藻御前の末裔を名乗るという点では仲間ともいえる。彼らが集まって連絡を取り合っていたとしても何一つおかしなところはない。


「さて、そろそろ野望について皆に発表しましょ」


 ケロリとした顔で双葉は告げ、源吾郎の右肩を軽く叩いた。


「あんたならできるわよ。何せ、気難しい叔父さんたちや、生真面目な兄さんの前でもきちんと言えたんですから」


 源吾郎は小さく頷くと、何度か呼吸してから今一度畠中さんたちに視線を向けた。鳥園寺さんや米田さんは源吾郎の性格をある程度知っているはずなのだが、心持ち期待と緊張の入り混じった眼差しを向けているようだった。


「それじゃあ言いますね。僕の本当の野望は、最強になって妖怪たちの世界の頂点に君臨して、それでもってハーレムをこ、構築する事です」


 彼女らに何と言われるだろうか。そんな事が脳裏をよぎった為に、やや早口気味になってしまった。

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