白狐は乱舞し犬神あらわる ※残酷描写あり

「ふふふふふ。どうかな島崎君、俺の作品の出来栄えはさ」

「……素敵な作品だと思いますよ。色々と芦屋川さんがイメージなさって、それを表現しようとしている事がこちらにも伝わります」

「そう言えば島崎君も心象風景の表現がメインだったっけ。ははは、抽象画の領域になるみたいだけど、絵の具をぶっつけてそれで絵になるのならばたいしたものだよ。俺なんかはさ、イメージを三日三晩練り上げて、その上でそれに見合う素材を調達したりしているんだけどさ……それが中々大変なんだけどなぁ」

「その生みの苦しみもまた、創作の楽しみだと僕は思ってます」


 ああこいつ気に喰わないな。庄三郎と話し込む芦屋川満の姿を見るなり、源吾郎は即座にそう思った。忌々しく禍々しい犬神が憑いている・もしくは積極的に利用しているというステロタイプがあったからなのかもしれない。もっと単純に、芦屋川と言う名が蘆屋道満を想起させたからなのかもしれない。

 もちろん源吾郎とて、初見で相手を嫌なやつだと判断してはいけないという事を知っている。ついでに言えば蘆屋道満は葛の葉の生き胆を狙っただとか安倍晴明とライバルだったという話は多く残っているが、玉藻御前との接点は特に無い。

 源吾郎は少しの間、芦屋川を疎む理由について理屈をこね回して考えていた。そしてややあってから気付いた。芦屋川を嫌なやつだと思っている理由は、犬神や蘆屋道満の連想などとは無関係である事、もっとシンプルな事であると。

 要するに、芦屋川の態度そのものが気に入らなかったのだ。兄である庄三郎に対してあからさまに見下したような態度を見せ、隙あらばマウントを取ろうとするその姿勢に、源吾郎は密かに憤慨していたのだ――

 庄三郎が、傍目には恵まれた者・持てる者に見えるであろう事は源吾郎にも解っていた。庄三郎に芸術の才がどれほどあるのか源吾郎には解らないし、金銭的にも割とギリギリの生活を送っている事は源吾郎も知っている。しかし庄三郎には玉藻御前からとんでもない遺産を受け継いでいる。それは類まれなる美貌である。

「人は中身こそが大事」と言う建前がある一方で、「ただしイケメンに限る」「イケメン無罪」などと言った残酷な言葉もある世の中だ。とんでもないイケメンである庄三郎にもそれは適用されていたのだ。ともかく庄三郎は、見目が良いというだけで下らない輩に絡まれ、マウントを取られがちであるという事だ。それこそ先祖のように狡猾に立ち回る事が出来れば、マウントを取る相手を手玉に取る事が出来れば状況は違うだろう。だが庄三郎は恐ろしいほどに愚直で純粋すぎるのだ。それが源吾郎にはもどかしく、何とも腹立たしい所でもあった。

 そのようなおのれの心の動きを見ながら、兄の為に自分が腹を立てている事に気付き、僅かに驚いた。

 源吾郎もまた、庄三郎が受け継いだ玉藻御前の能力に、やるせない嫉妬心を抱いている者の一人に過ぎない。それに自分は、他の面々に較べて親兄弟から距離を置いている方だと思っていた。その自分が、こうして兄の事を思って憤慨しているとは。自分にも多少は身内の情があるんだなと源吾郎は思っていた。

 隣の雪羽にその事を話せば、きっと「何言ってるんですか先輩。兄弟や親子で情があるのは当然の事っすよ」と一笑に付されるだけだろうけれど。


 ひとまず源吾郎と雪羽は、「何も知らない庄三郎の弟とその友達」といった体で作品をぼんやりと眺めていた。事件の発端となった新作を源吾郎は直視できなかった。同族だから。その代わりに狸とかアライグマとか或いは小鳥などで作ったと思しきものを眺めていたのだが、やはり良い気分ではない。

 雪羽も無言であったが、源吾郎よりは幾分気負った様子は感じられなかった。同族の作品が無いからなのかもしれないし、死生観が源吾郎のそれと異なるからなのかもしれない。誰かが目の前で死ぬ事を恐れる半面、死んでしまった者に対しては何処か割り切った部分を見せる事があるのだ。

 この死生観の違いは、別に純血の妖怪と人間として育てられた半妖の差とはもちろん異なる。妖怪の価値観は人間のそれと異なる部分はあるが、似通っていたり相通ずる部分があるのもまた事実なのだから。

 ぼんやりしながらも、二人で敵襲が来ないかどうかの確認ももちろん怠らない。先程の殺気は本物だったし、割とすぐ傍で放たれた者であるから。

 ただやはり、源吾郎程度の索敵能力であれば上手く感知できないのもまた事実だった。狐の剥製と今回の事件の繋がりは稲荷たちでも共有しているのであろう。殺気の主よりも、稲荷の眷属と思しき狐たちの気配の方が濃厚だったからだ。それこそ、森で木を隠しているという状況なのかもしれない。


「……まぁそんなに気負わない事っすね、先輩。状況を見て動くだけですよ」


 源吾郎の心の動きを悟ったのか、雪羽がぽつりと呟く。源吾郎は小さく頷いた。雪羽の言葉は簡潔な物だったが、今の源吾郎には頼もしい物だった。ヤンチャであったがために戦闘慣れしている雪羽は、やはり周囲の状況を察するのが得意なのだと源吾郎は思っている。

 実を言えば、戦闘訓練でも冷静に立ち回っているのはむしろ雪羽の方なのだから。


「みっちゃーん。お待たせ~」


 硬直し、張りつめた空気が漂っているように思われたその場が動いたのは、一人の人間がこちらに近付いたためだった。その人間は若い女性だった。十八の源吾郎よりは年上であろうが、芦屋川よりは明らかに若かった。もしかすると二十代前半か、二十歳を少し過ぎた程度なのかもしれない。

 みっちゃん、と言う呼びかけは芦屋川に向けた物であろう。彼の下の名はミツルであるのだから。であれば彼女は芦屋川の恋人か、婚約者のような存在なのだろう。人間たちは解らぬであろうが、彼女には芦屋川の気がしっかりとまとわりついているのを源吾郎は感知した。親しい間柄にある者同士の気が、対象になる相手にまとわりついて混じり合うのはよくある事だ。妖怪同士はもちろん、人間や動物でも珍しくない現象である。


「おう、やっと来たんだな奈美。良いじゃんか、おしゃれもきちんとしてさぁ」

「だってぇ~みっちゃんのハレの舞台なんだもんー」


 奈美とかいう娘がやって来るや否や、芦屋川は庄三郎との会話を打ち切り、彼女をそのまま迎え入れた。庄三郎は困ったような、うっそりした表情で少し距離を置いている。

 何と言うかあの女の人、何処となく猿っぽい感じがするな。キャッキャとはしゃぐ奈美の姿を、源吾郎もまた醒めた眼差しで眺めていた。奈美にしろ芦屋川にしろ人間であるから、彼らを見て猿だと思うのは特におかしな話ではない。猿だと思った時に、いくばくかの居心地の悪さを感じたのは、源吾郎の裡にある狐の性ゆえの事であろう。

 犬猿の仲という言葉があるが、これはイヌ科である妖狐にも地味に当てはまる節はある。更に言えば、高位の猿妖怪である白猿や狒々、猿神の類は好んで犬を喰い殺すという。パワーバランスはさておき、犬と猿は天敵同士なのだ。


「赦せん、赦せんぞ貴様らぁーっ!」


 遠くから怨嗟の絶叫がほとばしったのは、芦屋川と奈美が戯れようとしたまさにその時だった。芦屋川と奈美、そして庄三郎はぼんやりと立ち尽くしているようであったが、その間に源吾郎は状況を把握するべく首を巡らせていた。声の主が五、六メートル先にいた事、妖狐の脚力で疾駆しこちらに向かってきている事を悟ったのだ。


「え、な……何……?」


――標的は猿っぽい娘の奈美だった。走りくる狐男の手許がギラリと輝くのを源吾郎は見た。

――畜生!

 源吾郎は考える間もなく動いていた。瞬時に読み取った狐男の軌道を、おのれの身をもって妨害したのだ。一、二歩の跳躍で奈美と言う娘の前に進み出ると、そのまま彼女を突き飛ばそうとした。思いがけぬ事に奈美はよろめき、ついで源吾郎も背後に結界術を展開している関係もあり、二人してその場に倒れ込む形となってしまった。


「ちょっと。あんた一体何をして……」

「ごめんなさいごめんなさい! ですが今危なかったんです。その……き、じゃなくて通り魔が貴女を狙っていたんで……」


 仰向けのままもぞもぞと動く奈美に対し、源吾郎は早口に弁明した。彼女が驚き、戸惑って源吾郎に恐れをなすのも無理からぬ話だ。何せいきなり若い男が飛びかかってきて、成り行き上とはいえ押し倒してきたのだから。源吾郎とてもっとスマートに事を運びたかった。だが相手の身の安全を思えばやむおえない話だった。人間が妖怪に襲撃されればひとたまりも無いのだから。

 背後への衝撃は無かった。その代わり、叫び声や怒号がほとばしっている。放せ、現行犯だ、凶器は取り上げた……様々な妖怪たちの声があちこちで上がり、混ざり合っていた。源吾郎がそっと振り返ると、果たして一人の妖狐が他の妖狐たちに取り押さえられている最中だった。グループ長と思しきやや年長の妖狐に、恭しい様子で梅園幸夫が刃物を差し出しているのが見える。梅園幸夫も、雪羽もあの時動いてくれていたのだ。


「通り魔ですって? あはっ、あなたもお上りさんっぽいし、こうしたギャラリーでの作品の種類は知らないか……」


 いつの間にか奈美は立ち上がっていた。呆然とへたり込む源吾郎に対して笑みを浮かべている。立ち上がろうとする源吾郎に手を貸し、それから彼女は言った。


「あのね、アート作品は絵とか造形だけじゃないのよ。ああしたパフォーマンスアートもあるの。ふふっ。今回の作家さんは無名だったから、敢えてパンフにも載せないで、ゲリラライブ的にやってくれたのね。私らはそれに惑わされただけなのよ」


 それじゃ。そう言って何事もなかったかのように去っていく奈美の姿を、源吾郎は字義通り狐につままれたような表情で眺めていた。あれは、背後で展開されている逮捕劇はパフォーマンスでも何でもないはずだ。


「安心したまえ。あれは単に我々が人間たちにをかけているだけだ」

「お、叔父上……」


 いつの間にか源吾郎の傍らには苅藻がいた。変化していた中年男の姿では無く、苅藻本来の姿で。ついでに言えば黄金色の三尾がぞろりと伸び、毛先から妖気が放出されている。

 苅藻の傍には他にも術者や彼らと共に働く妖怪の姿もちらほら見えた。面識のない者たちだが、苅藻にしてみれば見知った相手なのかもしれない。


「君や雷園寺君、そして稲荷の面々が動いている間に結界も構築しておいたんだ。妖力を持たない人間や、無関係な妖怪たちを退けるためにね。今回起きているのが、妖怪の襲撃と言う人間たちには理解しがたい現実をぼやかす暗示と共にね。

 源吾郎にしてみれば、さっきの娘さんの言動は不可解に思えるだろう。だが、そう言ったからくりなんだよ。ちなみに暗示は事が終われば解除されるようになっているから心配はいらないよ」


 果たして、俺はこれからどうするべきか。源吾郎は捕縛劇の全貌を見ながら密かに思った。下手人である狐男の抵抗も、稲荷の眷属たる妖狐の奮闘も山場を迎えていた。下手人は諦めて捕縛されようとしているからだ。

 端的に言って、もう源吾郎の出る幕は無さそうに思える所だった。稲荷の眷属が身柄を確保したのだ。後は彼を然るべき場所に護送されるだけだろう。もしかしたら、源吾郎や雪羽は稲荷の眷属たちの活動を手伝った事について何か話があるのかもしれない。

 縛妖索を持ち出す妖狐たちを源吾郎は眺めていた。自分が何かを忘れている事に気付かないまま。


「ちょ……これは一体何なんだ! 畜生、奈美ちゃんは変な事を言ってさっさとどっかに行っちまうし、俺の作品の前で変な事になってるし……」

「…………!」


 結界でけぶる向こう側から姿を現した人物に、源吾郎は瞠目した。仏頂面で周囲を睥睨するのは、芦屋川満その人だったのだから。単なる人間で、しかし犬神が憑いているという疑惑のある彼だ。

 何故彼がここにいるんだ……? 源吾郎はもちろん動揺した。しかし動揺したのは源吾郎一人ではなかった。雪羽は言うに及ばず、稲荷たちも若い術者たちも多少なりとも動揺していたらしい。

 そしてそれが、一瞬の隙だった。


「貴様、貴様がわがつまを……!」


 大人しく捕縛されていたと思っていた白狐が力を振り絞り、自身を取り押さえていた妖狐たちを振り払ったのだ。その際に身体は膨れ上がり、伯蔵主よろしく白い毛並みを針状に変化させていたから、再び取り押さえる事は難しかったのだろう。

 狐そのものの姿になった彼は、芦屋川満の喉笛めがけて躍りかかった。

 復讐に狂う白狐が芦屋川の喉笛を噛み切った。そんな血生臭い予想が皆の脳裏を駆け巡ったが、実際に起こった事は違っていた。

 血みどろになって倒れ伏したのは白狐の方だった。彼の牙が芦屋川に触れるまさにその瞬間、彼の影から犬の輪郭をした黒い塊をした犬が飛び出してきたのだ。白狐は逆に黒犬の牙に捕らえられ、三度ばかり振り回されたのちに床に叩きつけられた。空気の少ないボールのように白狐はバウンドし、生々しい血の跡を床にまき散らしたのだ。咥えられた腹の傷は思いがけぬほど鋭く、桃色の柔らかな物まで露わになる始末である。


「お………………」


 口から血泡を吹き出しながら、白狐は黒犬に問う。犬と呼ぶには禍々しい姿、幾重もの何かが融合し、犬としての体裁を保っているだけの黒いそれは、その顔にあからさまな笑みを浮かべて白狐を見下ろした。


「ふん。連れ合いを亡くした妄執に駆られているから少しは旨味も出るだろうと思ったが……所詮は清廉なお稲荷様の眷属か。はっ、全くもって面白みのない輩だぜ」


 。源吾郎は尻尾の毛が逆立つ思いを抱きながら、はっきりとそう思った。

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