第7話 想定外
セント・ニコラス大聖堂は朝から多くの救済者で賑わっていた。それはいつもの光景なのだが、訪れる者の表情はいつもと異なっている。その最大の原因が、今朝唐突に告げられた聖女セレスティア・ボールドウィンの急逝である事は明らかだった。王都バージニアの民の多くが、その治癒の腕もさることながら人当たりの柔らかさに絶大な信頼を置いていた彼女がいなくなってしまった事により、誰もが深い悲しみと大きな不安を抱いていた。
そんな皆に衝撃を与える発表をした張本人はだだっ広い部屋で一人食事に舌鼓を打っていた。
セント・ニコラス大聖堂が治療のため一般人に開放しているのは一階に当たる礼拝堂のみで、二階から四階は修道女や司祭の生活スペースとなっている。そして、最上階に当たる五階はアルテム教の幹部とされる大司祭が暮らす場であり、一般人は愚か聖職者であってもそう易々と立ち入りが許されていない場所だった。
汚れ一つない純白の部屋で、金色のナイフとフォークをカチャカチャと動かしていたデミオ・マクレガーの動きがピタリと止まる。食器をテーブルに置くと、脇に置いてあったナプキンを手に取り、口元をそっとぬぐった。
「……食事くらいはゆっくりとりたいものだ」
不満の色を滲ませながらデミオが部屋の隅に視線を向ける。今の今までこの部屋には確かにデミオ一人しかいなかったはずなのに、その場所には不気味な意匠が施された仮面をかぶる謎の男が立っていた。
「私の食事を邪魔したのだから、いい報告を期待してもよいのかな?」
「セレスティア・ボールドウィンの抹殺に失敗した」
仮面の男が淡々とした口調で告げる。デミオは顔を歪めた。
「……どうやら依頼相手を間違えたようだな。裏ギルドというのは小娘一人殺す事も出来ないのか」
「我がギルドの新入り達を軽く蹴散らすほどの手練れの護衛がついている」
「なに?」
デミオが僅かに眉を潜める。これまで全ての時間を大聖堂に費やしてきたあの女に、裏ギルドの刺客を撃退する味方がいるなど俄に信じがたい話だった。
「……そのせいで失敗したと? お前らの仕事にはイレギュラーがつきものではないのか?」
「確かにその通りだ。だが、それにも限度がある。新入りとはいえ送り込んだ十三人を一人も殺すことなく無力化する力を持った者があちらについているのであれば、それは事前に教えておいてもらわなければ殺せるものも殺せない」
「十三人を……」
デミオが渋い顔をしながらワイングラスに手を伸ばす。
「依頼の達成率を上げるためにも情報は正確に、とお願いしたはずだが?」
「私が知る限り、あの女にそのような頼もしい味方などいるはずがない。そんなもの作る暇も機会もなかったのだから」
「……という事は、昨晩大聖堂を追い出されてからほんの数刻でそんな猛者を味方につけたというのか? 流石は聖女様といったところか。神にも民にも愛されている」
「嫌味を言われても知らんものは知らん」
仮面の男がじっとデミオを見つめた。どうやら嘘はついていないようだった。
「……本当にイレギュラーなのだな。とはいえ、子猫のお守りに獅子が目を光らせているとなると、今の料金では受けられないな」
「ふん、卑しい守銭奴めが……よかろう。金に糸目はつけん。確実にあの女を殺せ」
「話の分かるクライアントで助かる」
仮面の下でにやりと笑みを浮かべる。
「その誠意にお応えして、こちらもSランクを投入させていただこう。尤も、表のギルドとは違い『冒険者』ではなく『執行者』ではあるが」
「次はいい報告が聞けるのだな?」
「美味しく食事が取れる事をお約束しよう」
「できれば食事の時間を邪魔されたくないのだがな」
不機嫌さを隠さずにデミオが言うと、仮面の男は恭しく頭を下げた。次の瞬間には煙のようにその姿が部屋からなくなる。しばらく仮面の男が立っていた場所を見ていたデミオだったが、気を取り直したように食事を再開するのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます