第117話 夜道の会話
ベルの頑張りを讃えるために、俺達は以前クローズ商会の令嬢であるフィットに連れられた店にやってきた。かなり値が張る店だが、昼にたらふく食べた俺達はそんなに食欲もないので問題ない。……問題ないはずだったんだ。
「……お前の胃袋、まじでどうなってんだよ」
高級肉が刺さったフォークを両手に持ってるミラを見て、呆れを通り越してもはや感心しながら呟いた。
「ミラの胃袋は宇宙です」
「それが大袈裟な比喩じゃねぇって思い知らされてるわ」
俺は深々とため息を吐きながら、ミラの隣に座っているベルに視線を向ける。大量の皿が前に並んでいるミラとは対照的に、ベルの前にはスープが入った皿だけが置かれていた。
「で? なんでお前はスープしか頼んでねぇんだよ?」
「だ、だだだだだだって兄貴!? こ、こここここの店、メニューに値段書いてないっスよ!? つ、つつつつまりここの料理は数多の世間知らず達を屠ってきた『時価』ってやつなんじゃないんスか!?」
俺と初めて会った時よりも怯えた様子でベルが言う。うんまぁ、そうだな。時価だな。モコ達と好き放題この店で食べた時、伝票を二度見していたフィットの顔が思い出される。……うん。俺もグラスを持つ手が震えてきた。
「何言ってるんですか! 今日はベルを労う会ですよ? 遠慮せずに食べてください!」
セレナが満面の笑みで言った。まぁ、ドラゴンの素材を売った臨時収入もあるし、キャリィからもいい報酬を貰っているから多分大丈夫なはずだ。……とりあえずツケ払いができる店か確認しておくか。
「……細かい事気にする必要ねぇよ。お前は食べたいもんを注文すりゃいい」
「あ、兄貴……い、いいんスか?」
「ミラはこの『グランウルフの霜降り刺し、レアマッシュルームのシャインソース添え』、と『プルミエールホエールのパイ包み焼き、雲丹ソースと季節の野菜を添えて』を頼むです」
「お前は遠慮しろ」
なんだその長すぎる名前の料理は。いちいち添えすぎなんだよ。
「じゃ、じゃあお言葉に甘えるっス……」
そう言うとベルは、それでも遠慮がちに店員に料理を頼んだ。
あまり遅くなっても教会の連中が心配するという事で、ベルが料理を食べ終えたところで俺達はあまり長居をせずに店を後にした。あくまでベルの帰りが遅くならないようにするためだ。決して無限に飲み食いし続けるミラにビビったわけじゃない。ちなみに、支払いはなんとかなったのでそこは心配無用だ。
「ごちそうさまっス兄貴! ……正直、緊張して味とかよくわからなかったっスけど、なんか美味かった気がするっス!」
教会への帰り道、ベルが俺に頭を下げてきた。今この場には俺とベルしかいない。セレナにはまだ食べ足りないと煩かったミラを連れて先に宿へと帰ってもらった。
「予想以上に頑張ってるからな。正直三日と経たず音を上げるもんだと思ってたわ」
「それはひどいっスよ! ……まぁ、いつだって俺は楽な方楽な方へと、いつも逃げ道ばっか探してるから、そう思われても仕方ないっスね」
ベルが肩をすくめて自嘲するように笑った。
「でも、今回ばかりは逃げたりしないっスよ! 冒険者は俺の夢っスからね! ……それに、ようやく恩返しができるかもしれないんで」
「恩返し、か。あの神父に感謝してるんだな」
「当り前じゃないっスか! あの人は十歳で捨てられた俺を今日まで文句一つ言わずに育ててくれたんスよ?」
ベルの口調が少しだけ熱のこもったものになる。
「俺はこの町の生まれなんスよ。だから、祝福の儀をあの教会でやったんスけど、結果を知った途端、俺の親はそのまま教会に俺を置き去りにしてどっか他の町に行っちまったッス。中々にひどいと思いません?」
「そうだな」
同情なんて求めていないだろうから、俺はあえて淡白に返事をする。それが面白かったのか、ベルがプッと噴き出した。
「なんだよ?」
「いやぁ少しの間しか一緒にいないのに、兄貴ってすげぇ俺の事分かってるっスよね? なんだかそれがおかしくて」
「一週間も一緒にいりゃ、お前の逃げ腰の性格くらい誰だってわかるだろ」
「性格っていうか気持ちっス。ここは適当に聞き流して欲しいところとか、ここは共感して欲しいところとか、すっげぇ理解されてる気がするんスすよ」
「……セレナも言ってただろ? 俺とお前は境遇が似てるんだ」
十歳の祝福の儀で分かるジョブによって親から見放される。その辛さは実際に経験した者にしか分からない。自分は何もしていないのに、好きでこのジョブになったわけじゃないのになんで? どうしてこんな扱いを受けなければならないのか? そんな事を叫んだところでどうにもならない現実を無理やり受け入れるしかなかったはずだ。
「そっか……兄貴も
「ああ。しかもお前よりよっぽど印象の悪いやつだ」
「そういや聞いてなかったスね、兄貴のジョブ」
「俺のジョブは
驚いた顔で立ち止まりベルが振り返る。俺自身も驚きだ。本来、ジョブを知られる事は自分の弱点を晒す事にもなるので、家族や信頼のおける仲間にしか教えない。
じっと俺の顔を見つめていたベルがふっと小さく笑い、再び前を見て歩き始めた。
「……そりゃ、おっかないっスね。暗殺されないようにちゃんと鍛錬しないと」
「そうだな」
誰もいない夜の町を黙って二人で歩いていく。冒険者がたくさんいれば酒場とかが五月蝿いくらいに盛り上がっているものだが、今はこの静けさが妙に心地よかった。
「…………プリウスは本当に甘い人なんス」
しばらく無言で歩いていたベルがポツリと呟くにように口を開いた。
「聖職者だからなんスかね? すげぇ穏やかで、俺がどんな悪戯してもニコニコ笑って見てるだけなんスよ。……でも、この前初めて怒られたっス」
この前……多分あの時だろう。俺の財布を盗んだベルを連れて教会へ初めて赴き、二人で話したいと言ってプリウスが教会の奥に向かった時。
「どんなにきつくても、どんなに辛くても、お日様に顔向けできなような事はしてはいけないってすごい真面目な顔で言われたっス。プリウスのあんな顔初めて見たから、結構心にくるものがあったっスね」
「父親にそう言われると堪えるよな」
「父親……そうっスね、父親っス。兄貴も同じ経験があるんスか?」
「ああ。まぁ、俺の場合は父親か母親か判断つかねぇけどな」
「なんスかそれ」
ベルが楽しげに笑う。つられて俺の口角も上がった。
「すげぇんスよ、俺の父親は。気づいたらどっからともなく孤児を連れてきちゃうんス。しかも、あんな貧乏教会で生活が苦しいっていうのに、絶対に見捨てたりしないんスよ。一人で生きて行けるようになるまでちゃんと面倒みるんス」
「そいつはすげぇな。立派な人だ」
「はい、立派なんス。今じゃあの教会で俺が最年長っスけど、それまではたくさん兄ちゃんや姉ちゃんが居て、全員卒業していったっス」
「へぇ……」
孤児を育てるという事がどれほどの事かは分からないが、それは凄い事なんじゃないか? あのプリウスという男は相当優秀なんだろうな。
「まぁ、兄ちゃん達はみんな優秀だったからってのもあると思うんスけどね。俺みたいに十七になっても職を見つけられず、教会でダラダラしてるような落ちこぼれはいなかったっス」
ベルが笑いながら言った。それは恐らくジョブのせいだと思ったが、あえて口にしなかった。励ましを期待しているような顔には見えなかったからだ。
「お前の兄や姉はどんな仕事に就いたんだ?」
「さぁ? 知らねぇっス」
なんとはなしに聞いてみると、ベルが首を傾げながらさらりと答えた。
「知らねぇって……教会に顔出しに来た時とかに話を聞いたりしないのか?」
「卒業してから兄ちゃん達には一度も会ってねぇっス」
「一度も会ってない?」
ベルの言葉に俺は眉を顰める。
「お前と同じようにあの神父の世話になったんだろ?」
「そうっスよ! まぁ、俺ほど手はかかってないとは思いますけど、兄ちゃん達もプリウスにはめっちゃ世話になってるっス!」
「それなのに一度も教会には来てないのか?」
俺が尋ねると、ベルは難しそうな顔で首を捻った。
「そう言われると不思議っスね。まぁ、仕事が忙しいんじゃないっスか? せっかくプリウスが見つけてくれた働き口に迷惑かけるわけにもいかないだろうし」
「……働き口はプリウスが見つけてきたのか」
「そうっス! みんな十五になるくらいまでにプリウスから仕事を紹介してもらってたみたいっス! ……そう考えるとこの歳まで仕事を紹介してもらえない俺ってかなりやばくないっスか!?」
一人でショックを受けるベルを無視して考えを巡らせる。いくら仕事が忙しいからといって自分を育ててくれた場所に全く顔を出さないなんて事があるだろうか? 一人ぐらいはいてもおかしくないだろうが、教会を卒業した者全員となると……。
「やっぱり俺には冒険者になる道しか残されてないって事っスか! こりゃ気張るしかないっスね! ねぇ、兄貴?」
「あ、あぁ。そうだな」
笑顔でそう問いかけてくるベルに慌てて返事をする。そのまま上機嫌で自分のホームへと歩いていくベルの背中を、違和感を抱えたまま俺は追いかけた。
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