第6話 旅立ち

「昨晩、聖女セレスティアが背信者の凶刃により命を落とした」


 高いところから広場に集まる民衆を見ながら、重々しげな雰囲気を醸し出しつつデミオ・マクレガーが言い放つ。謂れのない罪を押し付けられ、刺客まで差し向けられたのだからもう疑いようのない事実ではあったのだが、こうしてはっきり言葉にされるとショックを受けざるをえなかった。頭が真っ白になる。体が小刻みに震えてきた。まだデミオが何かお言っているが、もう何も耳に入らない。……もうこの場にいたくない。

 そんなセレスティアの感情を察したのか、演説の途中でレオンに手を引かれ広場を後にする。殆ど走るような速度で街の中を突き進んでいく。腕を掴まれているのは正直ありがたかった。そうじゃなければ、何も考える事の出来ない今のセレスティアはその場に立ち竦み、途方に暮れてしまっていただろう。

 一体何が悪かったのだろうか? 毎日欠かさずアルテミシアに祈りを捧げ、言われるがままに人々の傷を癒し、何の見返りも求める事無く教会に尽くしてきた。にも拘らずこの仕打ち……あんまりではないだろうか?


「…………ちっ」


 レオンの舌打ちで、セレスティアは現実の世界に意識が戻る。気づけばバージニアの町の出口付近まで来ていた。周りにまるで人も見当たらない。それなのにレオンは苦い顔で足を止めた。


「……まぁ、そう易々と逃しちゃくれないよな」

「え?」


 レオンの言っている事が分からなかったセレスティアだが、すぐにその意味を知る。十中八九、自分達の周りに音もなく現れた黒ずくめの者達の事を言っているのだろう。


「こ、この人達は……!!」

「あぁ、昨日の奴らだろ。気絶させただけだったしな。こんな事なら足の一本でも折っておくんだった」


 愚痴るようにそう言うと、レオンはセレスティアを自分の近くに引き寄せた。絶望的な状況だというのにレオンは落ち着き払っている。それがセレスティアには信じられなかった。


「じゅ、十人以上いますよ!?」

「正確には十三人だ。戦闘力が皆無の聖女様を殺すには少しばかり数が多い気がするな。あんたを邪魔に思ってる奴は随分と用心深いらしい」

「そんな事を言っている場合ですか!?」


 セレスティアが焦りの声を上げる。だが、レオンは煩そうに耳をほじるだけだった。その間も黒ずくめの集団は警戒しつつじりじりと二人ににじり寄ってきている。


「……なぁ?」

「な、なんですか?」

「こいつらどうする? ……殺すか?」

「え!?」


 びくびくしながら近づいてくる黒ずくめの集団を見ていたセレスティアが、レオンの予想外の発言に驚きながらその顔を見た。


「別に驚く事はない。なんたって俺のジョブは"暗殺者アサシン"なんだからな」

「なっ……!!」


 思わず言葉を失う。信じられないものを見たような顔をしているセレスティアを見て、レオンが小さく鼻で笑った。


「どうした? 俺が悪辣職性イリーガルだと知って、不安になったか?」


 悪辣職性イリーガル。犯罪に適したジョブを持つ者達の総称。ジョブはその者の潜在意識が関係している、という説があり、悪辣職性イリーガルは人間的に大事なものが欠けている、というのがこの国に住まう者達の共通認識だ。当然、その事はセレスティアも知っている。

 まさかこの男がそうだとは夢にも思わなかった。澄ました顔をして心の中には抑えきれない殺人衝動を隠し持っているというのか?


 ……いや、そんな事はない。極めて短い付き合いではあるが、そんな人間ではない気がする。これまで信じてきたものから裏切られた自分の直感など当てにならないかもしれないが、信じたい。レオンの事も、自分の事も。


「……いいえ、不安になったりしません。いえ、今置かれている状況はとても不安ですが」

「へぇ? ならどうする?」

「できれば命を奪わずにこの苦境を乗り越えたいです」


 レオンが意外そうな表情を浮かべる。


「なぜだ? 昨日らなかったから、今こんな事になってんだぞ? また同じ状況に陥る事になるぞ?」

「それでもです。……ですが、一番優先すべきはレオンさんの命です。ご自身の身が危ないと感じれば……」


 それ以上は言葉にしなかった。だが、レオンにはセレスティアの言いたい事は伝わった。


「……一生追われることになっても知らねぇぞ?」

「覚悟の上です」

「そうかよ」


 レオンが呆れた声で答えた瞬間、黒ずくめの集団が一斉に襲い掛かってくる。恐怖で身をすくめるセレスティアを守るように前に立つレオンの目がギラリと光る。

 信じられない光景だった。黒ずくめの集団は恐らく協会が雇ったその手のプロ達だろう。当然、きっちりとターゲットを仕留めるため自身を鍛えているはずだ。だというのに、まるでレオンの相手になっていなかった。

 暗殺に特化した短剣で斬りかかってくる者達を、冷静に、的確に、最小限の動きで撃退していく。自分という重荷を抱えているというのに、武器も持たずに子供の遊びに付き合うような気軽さで迎撃していた。これほどの強さを有しているとは、この男一体何者だというのか。

 時間にして五分と掛かっていないだろう。命が狙われているという緊張感に包まれていた死地が、普段と変わらぬ静かな路地へと姿を戻した。


「……すごいですね。私を狙う刺客をいとも容易くあしらってしまうなんて」

「感心するような事じゃねぇよ。素人相手って事で甘く見たんだろ。気配の消し方からしてこいつらは三下だ」


 足元でうめき声をあげている黒ずくめの者達をつまらなさそうに眺めながらレオンは言った。


「だけど、本当に良かったのか? 今からでも遅くねぇぞ?」

「逃げる時間が稼げれがそれで充分です。……それとも、レオンさんは命を奪いたかったのですか?」


 少しだけ緊張した面持ちでセレスティアが尋ねる。


「別に"暗殺者"だからって人を殺す事に喜びを感じるわけじゃねぇよ。ただ、効率を考えたらって話だ」

「そうですか……」


 ホッとしたようにセレスティアが微笑んだ。それを見てレオンは仏頂面で首元をさする。


「殺さないで済むのならそれに越したことはありません」

「流石は聖女様だな。その甘さが命取りにならなきゃいいけど」

「自分が甘いのは重々承知しています」

「まぁ、この状況でこいつらを殺したら、直接手を下してないにしても聖女様も共犯になっちまうからな。その奇麗なお手手を汚したくねぇ気持ちはわかる」

「いえ、私の手なんていくら汚れても構いませんよ。もう教会のマスコットは解雇されてしまいましたしね」

「はぁ? だったらなんで」

「あなたのためです」


 レオンの目をまっすぐに見据えながらセレスティアは言い放った。この顔だ。この女は本心から自分を気遣っているのが分かる顔。あの突拍子もない発言をした時も、この女はこの顔をしていた。だからこそ自分は何があっても彼女を護りたいと思った。


 レオンはガシガシと頭をかきながら、これ見よがしにため息を吐いた。


「……で? 聖女様はどこを旅したいんだよ?」

「え?」

「どっか遠くへ行きたいんだろ?」


 レオンがぶっきらぼうな口調で言う。セレスティアは口元に手を当てながら少しだけ戸惑いを見せた。


「ど、どこと聞かれても……」

「裏切られた者同士のよしみだ、どこへだって連れて行ってやるよ」

「裏切られた者同士?」


 セレスティアが僅かに眉を潜める。自分の事を全くと言っていいほど話していないので、レオンに起きた事をセレスティアは知らない。とはいえ、まだ身の上を話す気分になれないレオンは、誤魔化す様に視線を逸らした。


「そうですね……」


 それを感じ取ったセレスティアは詳しく聞こうとはせず、レオンに優しく笑いかける。


「教会から全く出た事がないですから、色々な世界を見てみたいです」

「そいつはまた……骨が折れそうな注文だな」


 面倒くさそうにそう言いながらも、レオンは小さく笑った。


 こうして裏切られた"暗殺者"と、裏切られた"聖女"の旅が始まった。交わるはずのなかった二人の旅路の終着点はどこにあるのか、今はまだ誰も知らない。

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