第5話 残酷な現実

 昨日初めて出会った女と、王都の隅にある貧民街で一夜を過ごす。当然、色っぽい話ではない。適当に打ち捨てられた建物を見つけて二人別々の部屋で寝ただけだ。

 太陽がその姿を山の陰から覗かせ始めた頃、俺は目を覚ました。ゆっくりと体を起こし、大きく伸びをする。直接床に寝たから体の節々が痛い。野宿には慣れているからこれくらいどうって事ないんだが、今回は久しぶりに王都の高級宿に泊まれると思っていたから、その落差が心にきた。

 戸もガラスもない窓から朝の景色を見ながら周囲を探る。"暗殺者アサシン"は気配を感じる事も消す事も得意なジョブだ。そのおかげで俺に不意打ちや奇襲は通用しない。……どうやら今のところ怪しい気配はなさそうだ。

 俺はもう一度大きく伸びをすると、蝶番が外れてぐらついてる戸をくぐって隣の部屋へと移動した。壁を背もたれにして三角座りとは、随分とお行儀よく寝てらっしゃることだ。静かに近づき、そっとその寝顔をのぞき込む。


「この女がセレスティア・ボールドウィン……」


 昨日の夜、と突拍子もない事を言い出した後すぐ、慌てながら確かにそう名乗った。その発言もさることながら、俺はその名に驚きを隠せなかった。


 セレスティア・ボールドウィン。

 王都バージニアが誇るセント・ニコラス大聖堂における最高の偶像。

 大聖堂から外に出てくる事は殆どなく、俺達のパーティには聖魔法のスペシャリストである"大神官"のアリアがいたから世話になった事がなかったため、実物を見るのは初めてだった。彼女が本当に"勇者"と並ぶ希少なジョブである"聖女"であるのであればの話だが。


「ん……」


 俺がじっくり観察していると、セレスティアがゆっくりと目を開けた。至近距離にいる俺と目が合い、そのまま硬直する。長いまつ毛に大きな藍色の瞳。全てのパーツが完璧に配置された顔立ち。なるほど……アリアも、認めたくないがあのシルビアも美人だったが、セレスティアは少し違う。美しさの中に微かな神秘性を感じる。


「おはよう」

「あ……お、おはようございます」


 戸惑いながら挨拶を返しつつ、セレスティアが周りを見渡した。ようやく自分の置かれている状況を思い出したのか、セレスティアは静かに息を吐き出し、苦笑いを浮かべる。


「……こんな場所で目を覚ましたという事は、夢ではないという事ですね」

「怪しげな連中に襲われた事を言ってるなら、残念ながら現実だな」

「そう、ですか……」


 力なくそう言うと、セレスティアはスッとその場で立ち上がった。


「……お笑い種ですね。人の命を助けてきた私が、人から命を狙われるだなんて」


 その声はとても穏やかで、とても寂しげだった。

 しばらく窓から街を眺めていたセレスティアが微笑みながらこちらへ振り返る。


「本当に私を連れて行ってくれるのですか?」

「…………」


 どこか遠くへ行きたい。初対面の俺に、彼女はそう言った。そして、自分でも不思議なのだが俺はその申し出をすんなり受け入れた。勇者パーティを追い出されて自暴自棄になっていたから? 見知らぬ集団に襲われていたこの女が不憫だったから? 自分もどこか遠くへ行きたかったから? どれも正しくてどれも違う気がする。


 とはいえ、彼女と行動を共にするうえで一つだけ確認しなければならない事がある。そのために、わざわざこんな廃墟で体を痛めながら寝たのだ。


「あぁ、基本的にはな」

「基本的には? 何か気になる事でも?」

「それを今から確認しに行く」


 そう言うと、不思議そうにしているセレスティアを連れて俺は廃墟を後にした。


 早朝という事で人の往来が激しい王都とは言えど人はまばらだ。注目を集めないのはいいのだが、人ごみに紛れる事ができないのはいただけない。周囲の確認は常にやっておくべきだろう。

 そんなこんなで街の中を歩いていき、目的の場所に辿り着いた。大人しく俺の後について来ていたセレスティアが小さく息をのむ。


「こ、ここは……!!」

「フードを目深にかぶっておけ」


 セレスティアの表情が緊張感に染まっていた。無理もない。彼女の話が事実なのであれば、あそこは自分を追い出した場所なのだから。

 俺は庇うようにセレスティアの前に立ちながら、目の前にある荘厳な建物を見上げた。流石はアルテム教の総本山だ。王城に負けず劣らずの威厳を周囲に振りまいている。

 そんなセント・ニコラス大聖堂の大看板、それが"聖女"セレスティア・ボールドウィンだ。いやな言い方をすれば人寄せパンダ。アルテム教の運営資金の中心となる寄付金を集めるための巨大な広告塔。

 そう、セレスティアはアルテム教にとって欠くことはできない存在なのだ。"勇者"のジョブを持つ者として国王から重宝されたセドリックが、この大聖堂に従事していたアリア・ダックワースを魔王討伐の仲間として連れていく事を許可されたのは、彼女がいたからに他ならない。

 セレスティアは昨日、多くは語らず『教会に裏切られた』とだけ俺に告げた。だが、そんな事が考えられるだろうか? 金に汚い教会が、金のなる木を伐採しようとするだろうか? 二枚看板であったアリアを引き抜く時ですらあれだけ渋っていたあの教会が?

 考えられるのは二つ。この女がセレスティア・ボールドウィンの名前を語り、よからぬ事を企んでいた結果、教会から刺客を差し向けられたか、この女が本物であり何らかの理由で教会から本当に命を狙われているか、だ。

 大聖堂の近く、一番人目につかない場所で俺はその時を待つ。前者であれば教会は『聖女の偽物が現れた』という類のお触れを出しはすれど、大きな動きは見せないだろう。だが、後者であれば……。


 大聖堂の前にある広場を多くの人が行きかうようになった頃、ついにその時が来た。


「……バージニアに住まうアルテミス様の子供らよ」


 布教のために使う高台にのぼった男が、魔力を利用した拡声器越しに町民へ話しかけ始めた。それまで足早に歩いていた人達が、足を止め興味深げに声のした方へと顔を向ける。


「デミオ大司祭……!!」


 何かを押し殺した声が後ろから聞こえた。あれがデミオ・マクレガーか。アルテム教のお偉いさんがわざわざこんな朝早くに出張ってくるとは、何を語るのか興味が尽きない。


「今日は悲しいお知らせをしなければならない。……老若男女、全ての者から愛された我が教会の光であるセレスティア・ボールドウィンについてである」


 セレスティアの体がビクッと震えたのを感じた。周りの人達がざわつき始める。これは……。


「遠回しに言っても事実は変わらない。だから、事実をありのままに言わせてもらう。……昨晩、聖女セレスティアが背信者の凶刃により命を落とした」


 背後でセレスティアが息をのむ。……なるほど。


「そのような凶行に及んだ犯人については調査中ではあるが、我がアルテム教は人々に希望をもたらす聖女を我らから奪った……」


 もう十分だ。これ以上聞く必要はない。俺は振り返ると、青い顔で唇を噛みしめているセレスティアの手首を掴み、動揺を隠せない民衆の中を歩き出した。


「レ、レオンさん……?」

「憂いは消えた。さっさとこの街から出よう」


 困惑するセレスティアを無視してずんずん進んでいく。決まりだ。彼女は本物のセレスティア・ボールドウィンで間違いない。理由は知らないが、セレスティアは教会にとって必要なくなったのだ。いや、むしろ邪魔になったのかもしれない。でなければ、聖女が死んだと大々的に発表するわけがない。そして、それをしたという事は――。


「…………ちっ」


 街の出口の近くまで来たところで足を止める。ゆっくりと息を吐き出し、俺はスイッチを切り替えた。


 聖女の死を声高に広めた以上、それを死に物狂いで事実にしようとするのは当然の行動と言えるだろうな。

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