第4話 出会い

 教会を追われたセレスティアは一人夜の王都を歩く。その足取りはおぼつかない。どれだけ歩を進めても、地面を踏みしめる感触がなかった。

 どうしてこんな事になってしまったのだろうか。親の期待に応えようと、しゃにむに頑張って来ただけだというのに。ふたを開けてみれば、その親に厄介払いされただけの憐れな娘だった。

 思考が停止したままセレスティアは足だけを動かす。目的地なんてあるわけもない。亡者のようにただひたすら街の中を彷徨っていた。

 十歳の頃に祝福の儀を受け、ここに来てから八年。教会のためにその身を尽くしてきたせいか、こんな風に街をふらつくだけでセレスティアは声をかけられた。傷を癒してくれてありがとう、そんな感謝の言葉を言われる度に、胸がギュッと締め付けられる。今の自分の精神状態では会釈を返す事すらままならない。

 無意識のうちにセレスティアは人がいない王都の裏通りへとやって来ていた。街の喧騒が嘘のように静まり返った場所。本来であれば薄気味悪く感じるのであるが、今の彼女にはこの静けさが心地よかった。

 これからどうすればいいのだろうか。今後の身の振り方を考えなければいけないはずなのに、全く頭が働かない。万が一教会を離れるような事があれば家に帰ればいい、と思っていたがそういうわけにもいかなくなった。あんな話を聞かされたら、帰る事なんて出来るわけがない。

 何を考えるわけでもなく、ただ無心でその場に佇んでいたセレスティアの視界に、黒いローブに身を包む謎の人物が映った。一人ではない。いつの間にか複数の怪しい者達に自分は取り囲まれていた。


「…………」


 戦闘経験がないセレスティアにも分かるほどに相手は敵意を向けてきている。教会から差し向けられた刺客なのかはわからない。ただ一つ言えることは、この者達が自分に害をなそうとしている事だけだった。

 とはいえ、それでも構わない。今の自分にとって身の危険はむしろ歓迎されるものだ。なぜなら、壊れた心に合わせる様に、この身が壊れる事を望んでしまっているのだから。

 絶景を堪能するようにゆっくりと周りを見渡す。自分を取り囲む者達は一様に黒いローブを身にまとい、フードを目深にかぶっているため顔を確認することはできない。だが、それは致し方のないことかもしれない。


 ……もし、一つだけわがままが許されるのであれば、苦しむことなくいかせて欲しい。


 そんな事を考えながらセレスティアは黒ローブの者達を見ていると、少し離れたところに誰かが立っている事に気が付く。黒いローブは着ていない。という事は、無関係の王都に住む無関係の一般市民だ。いつものセレスティアであれば大声でここから離れる様に注意喚起しただろう。だが、今の彼女にそんな心の余裕はない。できる事といえば、巻き込まれないよう祈る事だけだった。

 気づけば十人以上の黒ローブ達に取り囲まれていた。だが、セレスティアはその場から動かない。恐怖に駆られているからではなく、全てを享受しているからだ。一斉にこちらへと向かってくる黒ローブの集団。その者達が手に持つつるぎでこの身を貫いてくれるのであれば、自分はこの苦しみから解放されるだろう。


 神にその身を捧げるが如く、聖女は目を閉じながら両手を広げ、自分でも驚くほどに安らかな気持ちで迫る凶刃を待った。


 …………。


 いつまでたっても痛みが訪れない。まさか、痛みを感じる間もなく自分は天へと誘われたのだろうか。

 ゆっくり目開けると、視界に飛び込んできたのは背中だった。一瞬、死後の世界の案内人なのかと考えたが、それ以外の景色は目を閉じる前と何も変わっていない。星が瞬く夜空に、華やかな王都に似つかわしくないほどの人気ひとけのなさ。


「……?」


 セレスティアに疑問が生じる。人の気配が無いのはおかしい。なぜなら自分は、怪しげな黒ローブの者達に襲われる寸前だったのだから。


「……あれ?」


 自分の置かれている状況を確認しようと周りを見渡したセレスティアが驚きの表情を浮かべる。確かに黒ローブの者達はいた。だが、その全てが地面に横たわり身動き一つしない。


「……随分とお粗末な連中だったな。本当に始末する気があったのか?」


 セレスティアの目の前にいる男が呆れたような口調でそう言った。何が起こったのかはわからない。だが、その口振りから、この状況を作り上げたのがこの男である事は理解できた。つまり、今目の前に立っている男は自分の想像をはるかに超える強さをもった怪物なのだろう。だが、不思議と心は安らかだった。


「……死にそびれたな、あんた」

「え?」


 自分の置かれている状況が未だに理解できずにいるセレスティアを無視して、レオンは呟くような声で言った。


「あんたが死にたがってるのはその目を見た瞬間に分かった。だから、こうやってあんたへの刺客を俺が倒したのは、お節介以外の何物でもない事は十分わかってる」


 刺客達から襲われる直前、確かにレオンはセレスティアと目が合った。その目からレオンが感じ取ったのは、助けて欲しいというものではない。まったくの無だった。今まさに自分の命が危機に瀕しているというのに、まるで自分には関係ないと言わんばかりの、空虚な瞳をしていたのだ。レオンにはそれが我慢ならなかった。


「あんたがどういう理由でこいつらから命を狙われてたなんか知らねぇし、興味もない。だが、自分から死のうとするバカを見ると、どうにもイラつくんだ。……死よりも辛い道を選択したバカを知ってるからよ」


 レオンの心がチクリと痛む。その思いを噛み殺し、呆然としているセレスティアの方へゆっくりと顔を向けた。


「……俺の我儘に付き合わせちまって悪かったな。勝手な頼みってのは重々承知しているが、誰かに殺されるにしても、自分から死ぬにしても、俺の目の届かないところでやってくれ」


 その顔を見たセレスティアははっと息をのんだ。そのまま背中を丸めてここから去ろうとするレオンの背にセレスティアは思わず声をかける。


「あ、あの……!!」


 ぴたりと足を止めたレオンは肩越しにセレスティアへと目を向けた。呼び止めておきながらかける言葉を持ち合わせておらず、視線を左右に泳がせるセレスティアだったが、レオンの瞳を見た瞬間、自然と言葉が飛び出した。


「――私をどこか遠くへ連れて行ってくれませんか?」

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