第3話 冤罪

 いつものように教会に訪れる人々のために働き、セレスティアは教会での一日を終える。教会の仕事は傷を負った者に癒しの力を施す事だ。教会に所属するための条件として、神官系のジョブを持つというものがあり、ここにいる者達は、力の大小はあれ須らく聖魔法を使う事ができる。その中でも突出した力を持つセレスティアは、教会を頼ってくる人々から絶大な信頼を得ていた。それは、セレスティアの数少ない自分の誇れるところであった。

 本来であれば教会に身を置く者に用意された宿舎で休息をとっている時間ではあるのだが、話がある、とアルテム教の幹部に当たるデミオ・マクレガー大司教に言われたのであれば無視するわけにもいかない。普段は足を踏み入れる事などない夜の大聖堂に、セレスティアは足を運んでいた。

 そこで待っていたのはデミオとアンジェリカだった。


「アンジェリカ……?」


 予想外の人物の姿にセレスティアは戸惑いを隠せない。だが、それ以上に二人の顔に困惑した。デミオも、いつも明るい笑顔で話しかけてくれるアンジェリカも深刻な表情を浮かべている。


「……その顔を見るに呼び出された理由がわからないようだな」


 そんなセレスティアの心境など興味がないデミオが硬質な声で話し始めた。


「え? あ、あの……はい。申し訳ありません」


 本心から心当たりのないセレスティアが謝罪を述べる。それを聞いて、デミオが苛立たしげに鼻を鳴らした。


「お前を呼び出したのは他でもない。セレスティア、お前に確認したい事があるのだ」

「確認したい事、ですか?」

「最近、金庫にある金と帳簿の金額が合わないのだ。それも一ゴルドや二ゴルドといった誤差の範囲ではなく、数万単位でな」

「はぁ……?」


 まったくもって話が見えない。"聖女"のジョブを授かったとはいえ一介の修道女でしかない彼女が資金管理を任されるようなことはない。確かに、数万ゴルドも帳簿と合わなければ大問題なのは理解できるが、その話を自分にする理由が全く分からなかった。


「お前も知っての通り、金庫にある金はこの場で心や体を救われた者達が、神であるアルテミシア様への感謝を形にしたものだ。その資金はより多くの民草を救うため、教会のためだけに使われなければならない。決して私利私欲で浪費してはならないのだ」

「はい。それは重々理解しております」

「そんな、いわば神への捧げものともいえる大事な金の採算が合わない。あまり考えたくない事ではあるが、ここまで合わないと教会内部の人間がその金に汚い手を付けているのは明白だ」

「まさかそんな……?」


 デミオの衝撃的な発言にセレスティアは驚きを隠せなかった。教会内の資金は幹部以上の者達によって厳重に管理されている。手を付けるのは容易な事ではない。まさか、ここに呼ばれたのは犯人に心当たりがあるかどうか聞くためなのだろうか。もしそうだとすれば、セレスティアの答えはノーだ。日がな一日、教会に尋ねてくるものの相手をしなければならない自分に尋ねるなど、お門違いもいいところだった。


 そんな事を考えていたセレスティアに、デミオが鋭い視線を向ける。


「そして、その汚い手の主は――お前だ、セレスティア・ボールドウィン」

「…………え?」


 セレスティアが間の抜けた表情を浮かべた。理解が及ばず思考が停止する。


「……な、何をおっしゃっているのかまるで分らないのですが?」


 汚い手の主? つまりそれは、自分が教会の金を着服した犯人だと言っているのか?

 混乱の極みにいるセレスティアに、デミオが冷たい視線を向ける。


「あくまで白を切るか。まぁ、簡単に罪を認めるような輩が、このような神をも恐れぬ所業を行うわけもない。……だがな、こちらには証人がいるのだ」

「しょ、証人……?」

「アンジェリカ・フローレンシア」


 名前を呼ばれたアンジェリカが静かに前に出た。セレスティアがゆっくりと彼女へ視線を向ける。


「……私は自分の力を誇示する彼女が教会で孤立している事を知っていました。でも、それでは彼女のためにはならないと思い、自分が一番だ、というその思いあがった考えを改め、皆と歩調を合わせてもらおうと、できる限り彼女のそばにいようとしたのです」

「ア、アンジェリカ……? な、何を……?」

「その過程で私は見てしまったのです! 治癒に訪れた者達から受け取ったお布施の一部を自分の懐にしまうところを!」

「っ!?」


 セレスティアが驚愕に目を見開いた。彼女の言葉が頭の中で反芻される。


「もういいぞ、アンジェリカ」

「もっと……もっと早くお伝えするべきでした……!! ですが、私がその事実を知ってしまった事を彼女に知られたらと思うと恐ろしくて……!!」

「よい。お前の勇気のおかげで教会の膿を見つける事が出来た。礼を言う」

「もったいないお言葉です……!!」


 アンジェリカが口元に手を当て、一筋の涙を流しながら後ろへと下がる。そんな彼女を暖かな目で見ていたデミオが、セレスティアに向き直る。


「何か申し開きはあるか?」

「あっ……あっ……」


 言葉が出なかった。お布施の横取りなどしてない事を、自分が一番理解している。つまり、今アンジェリカが言った事はすべて作り話だ。だから、それを声高に主張すればいいのにセレスティアにはできなかった。

 震える体でセレスティアが涙を流しているアンジェリカを見る。自分が見られている事に気が付いたアンジェリカが、にやりと邪悪な笑みを浮かべた。それですべてを確信する。彼女は自分と仲良くするために近づいたわけではない事を。

 この教会で唯一の心の拠り所であったアンジェリカ・フローレンシアに裏切られたという事実は、彼女の心をズタズタに切り裂いたのであった。


「まったく嘆かわしい事だ。神に愛されし"聖女"が、神の顔に泥を塗るとは……あの親あってこの子あり、といったところか」

「え?」


 放心状態だったセレスティアが、聞き捨てならないデミオの言葉に反応する。


「通常、自分の娘が教会に属することになれば、名誉な事であるとはいえ、別れの寂しさを見せるものだ。だが、お前の両親は違う。聞くところによると、ただただ喜びはしゃいでいたそうだ。恐らく、教会に入るにあたり、親族へと送られる入教金に狂喜乱舞したのだろう。食い扶持が減った、と喜んでいたという報告も聞いている。……貧しい家柄とはいえ、何とも品位のない話だな」


 デミオが冷ややかな笑みを浮かべた。だが、それに反応する余裕など、今のセレスティアにあるわけもない。

 

 ――自分の娘が教会に入るなんて夢みたいだ。

 

 セレスティアが"聖女"のジョブである事が分かり、一足飛びに教会に入ることが決まった時に父親が言った言葉だ。自分を誇りに思ってくれての事だと勝手に思っていた。その思いが、自分をここまで頑張らせてきたというのに、それが幻想だったと知ってしまった。信じていた友から裏切られ、もうこれ以上の絶望はないと思っていた自分の考えを、鼻で笑うようなデミオの言葉に、セレスティアの心は完全に破壊された。


「金の汚さだけはしっかりと遺伝していたわけだ」


 そんなデミオの皮肉もセレスティアの耳に届くことはない。


「本来であれば許されることのない悪行ではあるが、その身に余る力により多くの民を救ってきたお前の功績は本物だ。アルテミシア様もこれまで教会に尽くしてきたお前を断ずる事を悲しむ事だろう。とはいえ、神に唾を吐きかけたお前をここに置いておくことなどできない。……よって、セレスティア・ボールドウィンよ。お前を教会から追放する。以後、この街以外の教会にも足を踏みいる事を許さぬ。今すぐにこの場から立ち去れ」


 死刑宣告を下すが如くデミオが告げる。間違いなく冤罪。異を唱える事も出来ただろう。だが、そんな事はどうでもよかった。いや、そんな事を考える思考を、今のセレスティアが持ち合わせているわけもなかった。

 誰が教会の金をくすねたのなんかどうでもいい。重要なのは、信じていた友にも、最愛の親にも見捨てられたという事だ。


 何の反論もすることなく、セレスティアは二人に背を向ける。考える事を止めた壊れた人形は、そのまま大聖堂の扉から光の閉ざされた道へと、夢遊病者のような足取りで進んでいくのだった。

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