第2話 遭遇
頭の中が真っ白になる、っていうのは比喩表現だとばかり思っていた。だが、実際にその状況になるとわかる。それは比喩でも何でもない事に。今の俺の頭の中は被写体の見つからないまっさらなキャンパスそのものだった。
王都に滞在するためにとった宿から出た俺は夢遊病者のように街を徘徊した。小綺麗に整備された美しい街並みがひどく色あせて見える。すれ違う人々が無機質だった。いや、無機質なのは自分自身だ。
「はっ……」
思わず乾いた笑いが口から零れる。自嘲とは少し違った。どうしてこうなったのか分からない。魔族の幹部を倒し、いつものようにシルビアと口喧嘩しながら、それでも希望を抱いて王都にやって来た。セドリックが王様に報告したら、いよいよ魔族の中枢へと攻め込む。恐怖がないとは言わない。だが、この連中となら……口うるさい"大賢者"と、全てを包み込む"大神官"と、どんな絶望をも打破する"勇者"となら、どこへだっていける。そんな風に思っていた。
なのに、突然すべてを失った。
ポケットに手を突っ込み、王都を彷徨う。正直、頭の整理が全く追いつかなかった。だってそうだろう? 背中を預けられると思っていた仲間は、実際には俺に背中を預ける事を拒否した。言葉にしなくても思考が通じ合えると思っていた親友に、『いらない』と吐き捨てられたのだから。
どれくらい歩いただろうか。気が付けば夜の闇が街を支配していた。ゴールのない迷宮の中を、虚ろな瞳で歩き続けた。呼吸をするよりも容易く簡単に目的を奪われたのだ。そうなるのは必然だった。
とはいえ、随分と薄暗い場所に来たものだ。ここはアメリア王国の王都バージニア。人間が住む地の中心地と言っても過言ではない。最先端の建築技術により建てられた建物の数々に、数多の照明魔道具によって夜でも光に照らされている。だが、どんな街でも人目を憚るようなこういう灯りの薄い名所は存在する。まるで、陽の光を嫌う者達に蠢く場を提供するかのように。
そうは言ってもここは王都。人間が住まう地の顔でなければならない。当然、他の街よりもよからぬ事をたくらむ者達には住みにくい街となっている。
「…………」
緩慢な動きで顔を上げる。闇の中で息をひそめる者達が十二人。息をひそめる理由はわからない。だが、お日様に顔向けできない理由である事は確かだ。
いつもの癖で匂いを探る。……どうやら俺が狙いではないようだ。てっきり、勇者パーティの汚点を潰すためにあの王子様が差し向けた刺客だと思ったが、そうじゃないらしい。別にそれならそれもよかったのだが。
「…………あれか」
職業病とでもいうのだろうか? 連中の気配を探った結果、ターゲットの姿が目に映った。
それは全てを飲み込む闇の中で、淡い光を放っている白い修道服に身を包んだ女だった。その存在を隠すように目深にかぶったフードから零れる銀色の髪は、夜を照らす月のように美しく輝いていた。
「はぁ……」
思わずため息が零れる。闇に潜む連中の狙いはわかった。だからどうだというのだ? 俺には関係ない話だ。もう世界を救うための勇者パーティの一員じゃない。誰かを助ける大義名分はあの宿に置いてきた。何もかもを失い、空虚と化した俺にとって今目の前で起ころうとしている事は、書物の中の世界と何ら変わりない。
暗闇の中から女をとり囲むように不届き者達が姿を現す。襲われるのは時間の問題だろう。
心にモヤモヤを感じつつも、面倒事に関わるのはごめんだ、と踵を返そうとする。その瞬間、暗闇にたたずむ女と目が合った。その目に映る感情を読み取った俺は思わず舌打ちをする。
「……くそっ」
ギリリッと奥歯を噛みしめた俺は、気が付いたら地面を蹴っていた。
*
セレスティア・ボールドウィンはただの平民だった。いや、ただの平民とは言い難い。彼女が生まれたのはドが付くほどに田舎にある貧しい農村。なのでより正確に彼女の出生を言うのであれば、ただの貧しい平民だった。祝福の儀を受けるまでは。
"勇者"と並ぶほどに希少なジョブである"聖女"のジョブ。数十万、数百万という極小の確率の網をすり抜け、与えられる天からの恵み。それを授かったのが彼女だった。
十歳という世の理を理解するにはあまりにも幼く、善悪の区別もままならない年齢。ただ一つ行動の指針となるのは自分をこの世に産み落としてくれた両親が喜んでくれるかどうかだけだった。
涙を流して歓喜する父と母を見て、セレスティアは喜びを禁じ得なかった。大好きな両親が喜ぶ姿を見て、素直な彼女は『これはいい事なのだ』と、未成熟ながらもそう思った。だからこそ、アルテム教の総本山である王都にある大聖堂へと修道女として招き入れられても何の疑問も持たなかった。
父は自分に『誰からも敬われる立派な人になりなさい』と言った。母は『慈しむ心を忘れないように』と言った。だから、それを大聖堂に行ってもセレスティアは守った。守り続けた。誰よりも思慮深く、誰よりも他人を気遣うように生きてきた。
だが、優等生はやっかみをうけるのが世の常であり、人の悪癖でもある。この世で一番大事な存在である両親の言いつけを守るセレスティアの行動が、はたから『いい子ちゃんのご機嫌伺い』に見えるのは、ある意味で必然だったのかもしれない。
才あるものとして受け入れられたセレスティアが孤立するのには、そう時間がかからなかった。
ある者は神に恵まれたジョブを持つセレスティアを疎ましく、ある者はお偉方に評判のいい彼女に嫉妬をして、一人また一人とセレスティアから離れていった。
そんな中で彼女を神に選ばれし聖女として敬い、その歩みに手を添える者がいた。
アリーナ・フローレンシア。
セレスティアと同じ歳で、セレスティアよりも少し先に大聖堂に身を置いている修道女。期待に応えようとすればするほどセレスティアに向けられる視線が冷たいものになっていく中で、彼女だけが親身に寄り添ってくれた。彼女だけが味方だった。
彼女と出会ったことで世界に尽くそうとする度に狭く、暗くなるセレスティアの道に光が注いだ。
注いだはずだった。
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