第16話 異変
アオイワの町に来てから三週間ほどが経過した。想定よりは時間がかかったが、ようやく旅支度は整ったのでこれでいつでもこの町を出る事はできる。
セレナの訓練の方も上々だ。聖魔法に関してはアリアに負けず劣らずの才能を発揮した。教会では回復しかやって来なかったというのに、光の壁による防御魔法があると教えただけですぐに使えるようになった。流石は"勇者"と並ぶ希少ジョブである"聖女"といえる。
弓の方もかなりの上達を見せている。冒険者ギルドには冒険者のために用意された修練場があり、俺達もクエスト前にそこで弓の練習を行った。真面目なセレナは俺の指示通り愚直に弓を弾き続けた結果、Eランク程度の魔物であれば、問題なく当てる事ができるほどの腕前になった。それで仕留められるかどうかはまた別の話ではあるが。
近接戦を想定して行った回避に特化した訓練も行った。訓練内容はいたってシンプルで、セレナが俺の攻撃をひたすら避けるというものだ。あの奇麗な肌に痣を作るのは流石に嫌なので、それとなく手加減をしていたらセレナに本気で怒られてしまった。以降は心苦しく思いながらも、容赦なく木刀で叩きのめしている。その甲斐あってか、セレナの回避スキルは相当高くなった。これで簡単に殺されることはないだろう。
アオイワでの彼女の評判はかなりいい。誰にでも明るく接する彼女を嫌う方が無理な話だ。冒険者達も、毎日修練場で頑張っており、地道にクエストをこなしている彼女には好感を抱いているようだった。パーティに入らないか、と誘ってくる者もいるほどだ。それはセレナの美しい容姿が大きく影響している気がしないでもないが、まぁ、いずれにしろ妙なやっかみもなく、セレナがこの町で快適に過ごす事が出来てよかった。
ちなみに、セレナの評判がよくなるに連れて、俺の評判は順調に下がっていった。'勇者'に縋りつく無能なハイエナ野郎というのに加え、情けないヒモ野郎という素晴らしい称号をもらった。嬉しくて涙が出そうだ。
という事で、アオイワでの滞在は概ね満足といえる結果だった。セレナの事を考えると、このままこの町にい続けたいところではあるが、そういうわけにもいかない。教会からの刺客がいる以上、一ヶ所に留まる事は得策じゃないからだ。ぼちぼちセレナと話し合って、次に向かう場所を決めなければならないな。
そんな風に考えていた自分がどれほど悠長だったのか、俺は痛感する事になる。
*
「……ん?」
夜も遅い時間帯だというのに何やら外が騒がしい。町によっては夜の方が盛り上がるところもあるのだが、アオイワはそういう町ではない感じだ。少なくとも今日まで一度もこんな事はなかった。
「…………」
ベッドで寝ているセレナを起こさないよう音を立てずに窓の側に立ち、耳を澄ませる。
「…………なるほどな」
どうやらこの町に魔物の群れが向かってきているようだ。どうりで冒険者達が深刻な顔で町中を走っているわけだ。緊急クエストとしてギルドから招集がかかったに違いない。セレナにお呼びがかからなかったのはまぁ当然の話だろう。こんな状況でFランクの冒険者がいたところで、お荷物以外の何者でもない。
とはいえ、まさか
とにかく状況は把握した。これは寝ている場合じゃない。他の町と同様、この町も魔物に備えて城壁が建てられてはいるが、その強度はお世辞にも高いとは言えない。気休め程度といっても差し支えないだろう。魔物の生息地から十分離れた場所に作られた町なので、そういう意識が低くても仕方がなかった。
「起きろ、セレナ」
「……んー……」
体をゆすってセレナを起こした。目を覚ましたセレナが焦点の合わない目でぼーっと俺を見る。
「あー……レオンさん、おはようございます……?」
「残念ながらまだ夜だ。緊急事態が発生した」
「ふぇ……?」
セレナが寝ぼけ眼で目元をこすった。起きたばかりでまだ頭が働いていないのだろう。だが、覚醒するまで待ってる時間はない。
「大量の魔物がアオイワを目指して来てるらしい。手早く着替えてくれ」
「大量の魔物が……!?」
セレナが大きく目を見開いた。慌ててベッドから起き上がると、寝間着から着替えようとしていたので、俺は彼女に背を向ける。
「わ、私達も町のために戦いに行くって事ですね!」
「いや、夜のうちにこの町を出る。最低限の物資は用意できたからな」
「え……?」
後ろで動きが止まるのを感じた。その反応は想定済みだ。
「……レオンさん」
「この町を守る義理はない。そして、俺が何より優先すべき事項はセレナの身の安全だ」
だからこそ、セレナが何かを言う前にきっぱりと言い放った。今の言葉に嘘偽りはない。青臭い正義感を振りまく時期からは少しばかり年を重ねてしまった。
「…………私は」
少しの沈黙の後、セレナが静かに口を開く。
「毎日美味しい朝食を用意してくれる宿屋のカリヤさんが好きです。いつもおまけで串焼きを一本多くくれるスタウトさんが好きです。初心者冒険者の私に手取り優しく教えてくれた受付嬢のコルトさんが好きです」
だから、彼らを助けてくれないか、とでも言うのか? 残念ながらそれは拒否させてもらう。お門違いも甚だしい。
「あの人達を見捨てたら、きっと私は夜も眠れぬ日々を過ごす事になるでしょう。だから……」
俺の前に回り込んだセレナがじっと俺の目を見つめる。
「だから、私の安眠を守っていただけませんか?」
……その言い回しは、あまりにも卑怯過ぎるだろう。
アオイワの人々を守って欲しいではなく、アオイワの人々が魔物が襲われたことによって不調をきたす自分を助けて欲しいとは。それが本心ではない事など分かり切っているというのに、セレナの身の安全が最優先事項だと言ってしまった手前、頭ごなしに拒絶できない。
何よりその目だ。その目を見ていると、勝手に記憶が蘇ってくる。
『……どう考えても遠回りになるが』
それはまだ青臭かった頃の自分。
『見捨てるわけにはいかねぇだろ』
勇者パーティの一員としての責務に燃える時分。
『はぁ……'暗殺者'の癖に何甘っちょろい事言ってんのよ』
本当は手の届く全ての人を助けたいのに素直になれない'大賢者'に、
『ふふふ。相変わらずレオンくんは優しいんだね』
どんな時でも慈愛に満ちている'大神官'。
『……何を言ってるんだ、レオン?』
そして、迷いのない目をいつも俺に向けてくる'勇者'。
『助けるに決まってるだろ? 手の届く命であればどんな状況でも諦めない、そう二人で決めたじゃないか』
そんな'勇者'の目にあまりにも似ていたから。
「……何があってもセレナは安全な場所で待機する。俺の言う事をきっちり聞く。それを厳守できるか?」
「っ!? は、はい!!」
深くため息を吐きながら言うと、セレナは嬉しそうに答える。その声には溢れんばかりの感謝と謝罪が混在していた。
やれやれ……。どうにも俺はこの聖女様に甘い気がする。これは少しばかり自省する必要がありそうだ。
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