第17話 金魚の糞の実力
アオイワの冒険者ギルドで一番人気の受付嬢であるコルトが夜の町を必死の形相で駆け回っていた。こんな時間まで従業員をこき使うようなブラック企業に勤めているからではない。町の存亡に関わる緊急事態が発生したからだ。ギルドの事務作業が殆どな受付嬢が全員駆り出されるほどに、状況は逼迫している。
「次はDランク冒険者のイプサムさん……!!」
紙に書かれた名前を確認しながら暗い路地を走る。大量の魔物が街に接近している、という知らせが突如として舞い込んできた時、ギルド内は騒然となった。すぐに情報を精査し、それが事実である確認を取ったギルド長は迅速に指示を出した。それは町にいる冒険者への連絡だ。魔物と戦えるのは冒険者以外にいない。一般市民とほとんど変わらないFランク冒険者を除くすべての冒険者に、アオイワに迫る危機を知らせ助力を求めるよう受付嬢達に命じたのだ。
「あっ、イプサムさん……! き、緊急クエストが……!!」
「わかってる。やばいんだろ?」
目的の冒険者が滞在している宿を目指して走っている途中で、その冒険者と出会う事が出来たコルトが息も絶え絶えに説明しようとするも、冒険者イプサムは既に仲間内から話を聞いていた。時間を短縮できたことにホッと息を吐きつつ、何とか息を整える。
「は、はい……南門の方に魔物が集結しているようです……!」
「南門だな。承知した」
イプサムは真剣な顔で頷くと、南門に向かって走り出した。それを見送りながら、コルトは次の冒険者の所へと足早に向かう。
めぼしい冒険者が南門に集結したのは、コルト達受付嬢が連絡に回り始めてから一時間ほど経過したころだった。アオイワの町がそれほど広くなかった事が幸いした。だが、それはいい事ばかりではない。集まった冒険者は二十人ほど。しかも、Bランク以上の冒険者はいない始末。比較的平和な土地柄のせいで、高ランク冒険者はこの町に寄る事はあっても滞在する事は稀なのだ。
「大丈夫でしょうか……」
冒険者への連絡係として共に南門の城壁の上まで来ていたコルトの口から自然と不安な気持ちが零れる。コルトだけではない。同僚の受付嬢達も、集まっている冒険者すらも表情は不安に満ちていた。
「"ファイヤーボール"」
炎属性の下級魔法がいくつか上空に向かって放たれる。これは魔物を倒すためではない。夜のせいで殆ど視界が聞かないため、炎による灯りで魔物の数を把握するためのものだ。城壁に集まった全ての者達が注目する中、放物線上に飛んでいった"ファイヤーボール"が残酷な現実を照らし出す。
そこにいたのは部屋を埋め尽くすほどの魔物の大群だった。百……二百……いや、もっとだ。
「う……そ……!」
途方もない数の魔物がコルトの脳機能を停止させる。恐怖。圧倒的な恐怖が彼女の心を瞬く間に侵食していった。あんな数の魔物に町が襲われたらどうなるか、子供にだってわかる話だ。全てを壊され、乱され、食い尽くされる。もちろん、自分自身もだ。これほど予測しやすい未来が他にあるだろうか? へたり込むコルトの目からは自然と涙がこぼれていた。
「――鬱陶しいくらいに群がってんな」
絶望に覆いつくされたこの場に似つかわしくない軽い声が響き渡った。涙を流したままゆっくりとコルトが振り返る。
「これはかなり厳しい戦いになりそうですね」
コルトの目に映ったのは、絵画に描かれる女性もここまで美しくはないだろう、と思わせるような銀髪の美女だった。
「セレナ……さん……?」
予想外の人物がこの場にいる事に動揺を隠せない。彼女は冒険者になりたてもなりたて。つい先日冒険者になったばかりのひよっこもいいところだ。当然、緊急時に付き召集するリストに名前は記載されていない。
「どうですかレオンさん?」
「夜で視界も悪いしあんまりいい状況とは言えねぇが、魔物が攻めてくるのが一方向だけだから何とかなるだろ」
「ふふ……頼もしいですね」
そんな彼女が誰かと会話している。だが、コルトには誰と話しているのか認識できなかった。それほどまでに、隣にいる男は夜の闇と同化している。
「コルトさん、助勢に来ました」
手の届くところまで近づいてきたセレナが優しく微笑んだ。ここに来てようやくコルトはセレナの隣にいるレオンを視認する事が出来た。
「セ、セレナさん! どうしてこんなところにいるんですか!?」
「町の危機にのんびり寝ているわけにはいきません」
「ですが……!!」
初級冒険者が参加したところで無駄に命を散らすだけだ。そんな事を言おうとしたコルトだったが、ぐっと言葉を飲み込む。だが、その表情で言わんとしている事を理解したセレナは悪戯っぽく笑った。
「手を貸してくれるのはレオンさんなんですけどね」
「彼、が……?」
言葉の意味が理解できなかった。レオン・ロックハートが手を貸す? 勇者パーティのおこぼれにあずかるだけの、
「適当に助太刀して被害を減らそうと考えていたけど、ここまで魔物がいたらカバーしきれねぇな。冒険者のお守りをしてたらまず間違いなく町の中に侵入される。それは聖女様の望むところじゃねぇんだろ?」
「そう、ですね」
「だったら、下手に手を出される前に片付ける他ないな」
そう言うと、レオンはすたすたと歩き出した。それを見て、コルトが涙をぬぐいながら慌てて立ち上がる。
「ま、待ってください!」
「……あ?」
足を止めたレオンが面倒くさそうに振り返った。
「何をしようというのですか!?」
コルトが怒声を上げる。コルトはこの男の事が嫌いだった。冒険者というのは自分の命を危険に晒す、という対価を払って報酬を得る職業。それを金に目がない命知らずのバカだと鼻で笑う者もいたが、彼女は敬意を払っていた。確かに、報酬が彼らの目的である事は事実だ。だが、彼らがクエストをこなしてくれるからこそ平和に暮らせる、魔物に怯えずに明日を迎える事が出来る。冒険者は人々の希望だと彼女は思っていた。だから、この仕事を選んだのだ。
そんな誇り高い冒険者の中でも一際力を持った'勇者'に取り入り、労せず甘い蜜を吸う。そんな男が許せるはずもなかった。
「アオイワを守ろうと決死の覚悟でいる冒険者の邪魔はさせません!! 私はギルドの受付嬢なんですからっ!!」
陰に身を潜め、倒された魔物の素材をこっそりかき集める。そして、危なくなったところで適当にこの場から離脱。この男の事だからどうせそんなところだろう。コルトの体に沸々と怒りが湧き上がる。
そんなコルトの言葉には応えず、レオンはその後ろにいるセレナへと視線を向けた。
「……約束は覚えているだろうな? お前はここにいろ」
「……はい」
何があっても安全な場所で待機する、この戦いに参加するうえでレオンが提示した条件だ。もちろん、セレナは覚えている。重々しく頷くセレナを確認したレオンは魔物のいる平野の方へと向き直った。
「ちょ、ちょっと! 私の話を聞いているんですか!?」
「じゃ、ちょっくら行ってくるぜ」
「はっ……?」
そのまま城壁の下へと飛び降りたレオンを見てコルトが間の抜けた声をあげた。セレナはグッと唇を噛みしめ、祈るように手を合わせる。
「お、おい! 誰か下に落ちていったぞ!!」
「ありゃヒモ野郎じゃねぇか!?」
「はぁ!? なんであいつが!?」
ざわつく城壁の上を無視して、レオンは静かに前を見据える。城壁に備え付けられた松明の光でぼんやりとその姿を視認できるまで魔物の群れは近づいて来ていた。目算でおよそ三百体。
「……こりゃ後がしんどいが、あれを使うのが一番手っ取り早いな」
小声でぼやきながら、レオンは親指の腹を噛み切った。そして、流れてくる自分の血に魔力を注ぐ。
神から与えられるジョブには特性を持つものが存在する。'剣豪'であれば剣を持った時に身体能力が飛躍的に向上し、'赤魔導士'であれば炎属性の魔法が低燃費高火力で打てる、といった類のものだ。レオンのジョブである'
それが
「……別に思い入れがある町じゃねぇし、お前らに恨みもねぇけど」
なにやら上がうるさいが、レオンの耳には届かない。
「うちの我儘でお人好しな聖女様が、お前らが暴れると眠れなくなるって言うんだ」
もはや彼の頭の中には魔物を排除する事しかなかった。
「だから、悪いな。……あいつのために死んでくれ」
徐々に近づいてくる魔物の大群に向けて、一気に魔力を爆発させる。
「――"
前に出したレオンの手から放たれた魔法は、一瞬にして景色を塗り替える。ロングソード、バトルアックス、ランス、ハルバード、シミター、スピア。無数の武器が空間を支配した。その全てが鮮血のように赤い。そして、その全ての矛先がにじり寄る魔物達に向けられていた。
「駆逐しろ」
その言葉を合図として、紅い刺客達が一斉に理性を失くした雄牛の如く一直線に魔物へと襲い掛かる。その進軍に慈悲はない。
眼下に広がる光景に、セレナも含め城壁にいる誰もが言葉を失った。町を蹂躙しようとしていた魔物達が、宙から襲い来る凶器に蹂躙されていた。もはや、戦いと呼べる代物ではない。
時間にして一分に満たないほどだった。南門周辺が静寂に包まれる。町を守るべく集まった者達は呆然とその場に佇み、町を襲うべく集まった魔物達は例外なく物言わぬ骸と化した。
「あー……やっぱきつかったか」
そんな中、レオンがぽつりと呟く。打ち漏らしがないか気配を探りつつも、揺らぐ視界に抗う事が出来ず、町を守った金魚の糞はそのまま地面に倒れ伏した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます