第120話 譲れないもの

「プリウス……?」


 この緊急事態に心の底から助けを求めた相手が今目の前にいるというのに、ベルファイアは名前を呼んだだけで、それ以上言葉を続ける事が出来なかった。その顔つきが自分の知っているものと明らかに違ったからだ。


「てっきりあの厄介な冒険者と夕方まで仲良くつるんでいると思いましたが、とうとう見限られてしまいましたか? まぁ、それも仕方がないことですね。あなたは使えそうで使えない人材ですから」

「は……?」


 凍りつくような冷たい声で吐き捨てられた言葉の意味が、ベルファイアにはまるで理解できなかった。本当にこの男はプリウス・キッドマンなのか? 自分が父と慕い、全てのものに分け隔てなく慈愛を注ぐお人好しのあの神父だというのか?


「お前誰っスか……?」


 その思いが無意識にベルファイアの口から溢れた。脳みそが完全に機能停止しているベルファイアを見て、プリウスが嘲笑する。


「おや、頭が悪いとは思っていましたが、ここまでとは。私はあなた方の父親役だったプリウスですよ。嫌になるくらい毎日会ってるんだからそれくらい覚えていてください」

「父親役……?」

「まったく……何年もこんな役をやらされたんですからしっかりボーナスが欲しいところですね」


 プリウスが深々とため息を吐いた。信じられない。いや、信じたくない。


「い、今までずっと演技してたってわけっスか……?」

「えぇ、そうです。陳腐な脳みそでもようやく理解できましたか。本気であんな善人がいると思っていたんですか? だとしたら頭が悪い上にお花畑のようですね。あんなの親に捨てられたゴミ共にニコニコ愛想を振り撒いて安っぽい優しさを与える、この世で最も退屈で反吐が出る役ですよ」


 鼻で笑うプリウスを見て、ベルファイアは言葉を失った。掛け値なしで信頼していた男は自分達の事をゴミだと思っていた。プリウスの言葉をゆっくりと噛み砕いていくうちに、段々とベルファイアの世界から色がなくなっていく。


「家族ごっこは楽しかったですか?」

 

 ゆっくりと振り返り、縛られている自分の兄弟達を見た。シャマルとカーゴは訳も分からずただただ怯えているようだったが、ポーラは目を見開いてプリウスを凝視している。おそらく自分と同じ気持ちなんだろう。それを見ていると悲しみが溢れ出してきた。


「……レオン兄貴は正しかったってわけっスか」


 力無くされたベルファイアの呟きを聞き、プリウスが顔を顰め盛大に舌打ちをする。


「今朝の問答がなんとなく気になってはいましたが、やはりあの冒険者は勘づいていましたか。これは早々にここから撤退したほうが良さそうですね」

「なんだ? トラブル発生か?」

「そのようです。さっさとその商品を連れてずらかりましょう」

「この仕入れ先はもう使えねぇって事か」

「ここらが潮時のようです。ここ最近は全然新しい孤児を集めることができませんでしたからね。なんのために北と南で喧嘩させているというのか」

「おい、こいつはどうすんだよ?」


 男の一人が茫然自失で立ち竦んでいるベルファイアを指差した。プリウスが壊れたおもちゃを見るような目で一瞥する。


「女なら多少は買い手もついたんですけどね。年齢の高い悪辣職性イリーガルは扱いにくいって需要がないんですよ」

「いいのか? 使えるスキルもってんだろ?」

「スキルが良くても使い手が無能だと役立たずになるんですよ。盗みが得意だからいい副収入になるかと思ったんですが、まるでダメでした。全然盗もうとしないし、ようやく盗んできたと思ったら、盗んできた財布や宝石をそのまま私に渡してくる馬鹿ですよ?」

「ははっ、そりゃいい! いい人の神父様があからさまにな盗品を受け取るわけにはいかねぇわな」

「その通りです。一応受け取って使わずに保管していたら、案の定訳の分からん連中がやってきたのでなんとか誤魔化しました。……まぁ、結局疑いは持たれてしまったようですけどね」

「じゃあ、この役立たずは……」

「殺して適当に川にでも沈めておいてください」


 ベルファイアがビクッと反応した。三人の男が凶悪な笑みを浮かべながら得物を抜く。戦う? 親と思っていた相手から裏切られ、心の拠り所を失ったこの状態で? いや、そもそも万全の状態であったとして、戦うという選択肢を取るのか? 自他共に認めるヘタレな自分が?

 縛っているポーラ達を地面に投げ捨て、男達がジリジリとにじり寄ってきた。恐怖で体がブルブルと震える。確かに修練場で武器を持った冒険者を相手に鍛錬をした。だが、あれは殺意のない相手に殺意のない武器で、の話だ。この男達には明確な殺意があり、持っている得物を刃がない練習用のものなんかではない。あれで斬られれば命など簡単に散らすことができる。


「はぁ……はぁ……!」


 迫り来る死の気配を前に、ベルファイアの呼吸が荒くなる。逃げるべきだ。本能が囁く。赤子の様に震えるお前に何ができるというのか。無様に逃げて意地汚く生に縋り付くのが情けないお前の姿だろう、と。

 確かにその通りだ。これまでずっと嫌な事から逃げてきた。親から捨てられたという現実から逃げ、自分のジョブから逃げ、夢から逃げ、逃げ続けの人生を過ごしてきた。ならば何も迷うことなどないだろう。恐怖に怯える家族を見捨て、生き残るために躊躇う事なくこの場から逃げ出すのがベルファイアという男だ。


 ――今までの自分であれば、だ。


「……思考を停止するな。それが冒険者に一番大事な事」


 ベルファイアは静かに呟いた。これは家族以外に初めて信頼を置いた男の言葉。きつい日差しを浴びながら必死にどぶさらいをしている時に言われた事だ。


「そして、最悪を想定しろ。そうすればやばい状況でも頭の中が真っ白にならなくて済む……だったっスか」

「ぶつぶつ何言ってんだよ?」

「ビビって頭がイカれちまったか?」


 せせら笑う男達を前に、ベルファイアはゆっくりと深呼吸する。今までの自分とは違う。底辺で燻っていた自分を掬い上げてくれた……こんな自分の可能性を信じてくれた男がいるんだ。


「ちょこっと違うっスけど、俺なりに最悪を想定するっス。……やっぱり可愛い弟と妹に幻滅される事っスかね?」

「あぁ?」


 怪訝な顔をする男達に、ベルファイアが構えをとった。それを見て、男達が意外そうな表情を浮かべる。


「なんだ? 今の今までぶるっていた奴がやるってのか?」

「盗みの腕と逃げ足しか脳がないってお前のパパから聞いてるんだが?」

「まぁ、逃がすつもりはねぇけどな」


 明らかに馬鹿にした態度をとる男達にベルファイアは引き攣った笑みを向けた。


「逃げたいのは山々なんスけどね、そうもいかねぇんスよ。……もしここで逃げ出しちまったら、本当に家族ごっこになっちまう」


 今すぐに尻尾を巻いて逃げられたらどれだけ楽だろうか。体の震えが止まる気配はない。それでも逃げるわけにはいかなかった。

 縄で縛られたまま地面に倒れるポーラ達に視線をやる。恐怖に染まる彼女達の顔を見て、沸々と熱い感情が湧き上がってきた。この場から逃げ出さない理由なんてたった一つしかない。


「ヘタレでも情けなくても頼りなくても……あいつらを守り抜くのが兄貴の役目なんだよ!!」


 怒声を上げながら、ベルファイアは勢いよく地面を蹴った。ここ数日の鍛錬により、ベルファイアの動きが良くなっているのは確かだ。だが、あくまでちゃらんぽらんな生活をしてきた怠惰な男と比べての話。荒事に慣れている男達の目にはさして脅威の感じない単純な突進に映った。だからこそ、真っ直ぐに向かってくる相手に対してなんの警戒もなく自身の剣を振り下ろす。


「なっ!?」

「うおおおおおお!」


 その瞬間、男の手から剣が消えた。驚愕に目を見開く男に、ベルファイアが奪った剣で獣のように斬りかかる。男は慌てたように背後へ転がりながら寸での所でそれを躱した。


「てめぇ!」


 もう一人の男が横から自慢の斧を思いっきり振り抜く。と、思ったらまたしてもその手から斧が消えた。


「ぐっ!? 重すぎるっ……!」


 奪ったはいいが想像以上の重さに、ベルファイアはすぐさま斧を放棄し、顔を歪めながら最初に奪った剣で返り討ちにしようとする。が、その一撃も虚しく空を切った。


「くそ! くそっ!」

「おいおいマジかよこいつ。攻撃を受ける瞬間に武器をとったぞ」

「確かに盗む技術は常軌を逸してるぜ」

「ただまぁ、それだけだな」


 ブンブンと無茶苦茶に振り回すベルファイアの剣を避けながら、男達は少しずつ冷静になっていく。驚きこそあったが、武器を奪った後の動きがおざなりである以上、ベルファイアがやっている事は曲芸でしかなかった。


「ふんっ!」

「がっ……!!」


 器用に間を抜け、荒くれが拳を顔面に叩き込む。まともにそれを受けたベルファイアは盛大に鼻血を撒き散らしながらはるか後方へと吹き飛んでいった。


「なるほど。こりゃいいサンドバックになりそうだ」


 ニヤリと笑みを浮かべると、鼻を押さえながらよろよろと立ち上がろうとしているベルファイアへと近づき、その胸ぐらを掴んで無理やり立たせる。


「お得意の盗み術で俺の拳も盗んでみるか?」


 ニヤニヤと笑いながら腹部に容赦なく膝をねじ込んだ。体が浮き上がるほどの膝蹴りに一瞬呼吸が止まったベルファイアに、襲いくる拳を避ける事など不可能だった。


「おっ、ナイスパス」


 殴り飛ばされる位置を予測していた仲間の一人が、ボレーシュートのように蹴りをお見舞いする。ゴロゴロと地面を転がっていったベルファイアはそのままぐったりと動かなくなった。


「おいおい、もうくたばっちまったのか? まだまだ遊び足りねぇぞ? ……おっと、仮にも父親役を演じていたわけだし、優しい優しい神父様はこういうのを見ると多少は心が傷んじまうか?」


 何も言わずに見ていたプリウスに男が意地の悪い笑みを浮かべながら尋ねる。


「自分でも驚くほどに何にも感じませんよ。むしろ見せしめになるから大歓迎ですね。ですが、あまり時間をかけてはいられません。件の冒険者達がやって来たら面倒ですからね」

「けっ、ストレス発散にちょうど良かったんだが、しょうがねぇか。さっさと息の根を……」

「ベル兄から離れろ!」


 なんとか猿轡をずらしたポーラが目に涙をためながら声の限りに怒声を上げた。


「この人でなし! 一人相手によってたかって……恥ずかしくないの!? あんた達、最低よ!」


 視線が集まるのも構わず、ポーラが必死に捲し立てる。


「そうやっていつも弱者を虐げてきたんでしょ!? それで自分が強いとか勘違いしちゃって本当格好悪い! あんた達なんかよりベル兄のがずっとずっと強いわよ!!」


 男達の顔から表情が消えた。そんな彼らをポーラは縛られたままキッと睨みつける。大の男三人から怒気を向けられ恐怖を感じてはいるが、それ以上に倒れるベルファイアからなんとしてでも注意を逸らしたかった。


「……商品は傷つけないでくださいよ?」


 ポーラの方へ行こうとする男に、プリウスが静かな口調で言った。


「見せしめが必要なんだろ? 大丈夫、殺しやしねぇよ。ただ、自分の置かれてる状況を少しばかり教えてやるだけだ」

「……顔はやめてください。価値が下がる」

「承知した」


 ため息混じりでプリウスが言うと、男は凶悪な笑みを浮かべながら一歩足を踏み出そうとする。


「あ?」


 だが、それは出来なかった。男がゆっくり視線を下へ向けると、息も絶え絶えで自分の足にしがみついているベルファイアの姿が目に入る。


「ベル兄!」

「ゴミが。その汚ねぇ手を離せ」


 男が不快そうな顔でその手を振り払おうとするが、ベルファイアは離れなかった。


「うざってぇな!!」


 苛立ちを募らせながら掴まれていない方の足で何度もベルファイアを踏みつける。それでもベルファイアはがっちり掴んだままだ。


「もういいよベル兄! 助けようとしなくていい! ここから逃げて!」

「な……に言ってんスか……! す、ぐに……助けるっスよ……!」

「無理だよ! このままじゃベル兄死んじゃうよぉ!」

「だい、じょうぶっスよ……! た、まには……かっこいいとこ、見せさ、せて欲……しいっス……! だって、お、れは……お前らの兄、ちゃん……なんだから……!!」

「ベル兄……!!」


 踏まれながらもなんとか顔を上げ、無理やり笑みを浮かべる。涙が溢れ出したポーラはそれ以上何も言うことができなくなった。


「薄ら寒い茶番をしやがって……所詮は家族ごっこだろうが!」

「家族ごっこじゃ、ねぇっスよ……! 俺達は……血が繋がって、なくても……家族だっ!!」

「鬱陶しいガキが! さっさと死にさらせ!!」


 怒りに顔を歪めながら男は懐からナイフを取り出し、ベルファイア目がけて振り下ろした。


 キンッ!


 そのナイフがベルファイアの頭に突き刺さる寸前で、何かに弾き飛ばされる。それは血のように真っ赤な細剣だった。この場にいる者達が同時にその真紅の剣が飛んできた方へと顔を向ける。


「――俺の弟分が随分と世話になったみたいだな」


 肩に黒い鳥をとまらせ、その顔に静かな怒りを滲ませた”暗殺者アサシン”が、そこには立っていた。

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「勇者パーティに暗殺者はいらない」と追い出された俺が出会ったのは、「今すぐにここから立ち去れ」と追い出された聖女だった 松尾 からすけ @karasuke

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