第19話 逃走
ディアブロ・ブラックバーン。
冒険者ギルドが受けないような後ろ暗い依頼をこなす裏ギルドのSランク執行者。裏仕事ばかりしている彼らの名前が表で知られることはまずないにも拘らず、俺はこの男の名前を知っている。それだけの実力者であり、それだけの異常者という事だ。陰に身を潜める事無く、真正面から堂々と標的の命を奪い、時には関係ない者まで皆殺しにする'死神'。それが俺の聞いたディアブロ・ブラックバーンという男の人物像だった。間髪なく繰り出される大鎌を躱しながら、その情報に殆ど間違いがない事を認識する。
「はっはー! いい動きじゃなぁい!!」
俺が攻撃を躱す度にディアブロの笑みが深まっていった。どうやらこいつは極度の
そして、なにより厄介なのが、この男の実力が本物だという事だ。万全の状態でも勝てるかわからないのに、血が足りない今の俺では話にならないのは明白だった。
「おらおらおらぁ! 息上がってきてんじゃねぇのぉ!?」
少しずつ大鎌を振る速度が上げてきている。完璧に躱し続けるのは難しく、少しずつ細かな傷が俺の体に刻まれていっていた。
「出し惜しみしてる場合じゃないんじゃなぁい!? あの魔物達を屠った力、見せてみろよぉ!!」
ディアブロが大鎌を振り下ろしながら吠える。あれは広範囲殲滅用の魔法だ。万全だったとしてもお前にあんな燃費の悪い魔法を使うわけないだろ。
これほど息もつかせない連撃を繰り出しながらまだまだ全然本気じゃないように見える。Sランクの名は伊達じゃないという事か。まったくもってありがたくない話だ。
だが、本気じゃないというのは俺にとってそう悪い事ではない。戦闘を長く楽しみたいからだろうが、俺に付け入る隙があるとすれば、こいつが本気になるまでの"お遊び期間"しかない。とはいえ、今の俺に出来る事はこいつが本気にならないよう祈りながら信じて待つだけだ。
「おらそこぉ!!」
「ぐっ……!!」
血液不足で一瞬ブラックアウトした隙をついて奴の大鎌が俺の肩口を抉る。これ以上血を失うのはまずいと、肩を押さえながら体勢を立て直した俺に対し、なぜかディアブロは追撃を仕掛けて来なかった。
「なぁ……てめぇの実力はこの程度なのか?」
心底失望したようにディアブロが話しかけてくる。
「もしそうなら期待外れもいいとこだぜ、まじで」
「……勝手に期待されて勝手に失望されるなんて、迷惑この上ねぇな」
「期待もすんだろ! あんなすっげぇ魔法見せられたらよぉ!」
ディアブロが怒声を上げた。期待していた強さじゃなければ怒るなんてガキかこいつは。とはいえ、これは少しまずいかもしれない。
「はぁ……もういいわ。こんなつまらねぇ戦い、さっさと終わりにして俺様は寝る」
ディアブロの纏っている雰囲気が変わった。これは……キメに来るな。こうなったら一か八か
「レオンさんっ!!」
来た。待ち焦がれた相手が。
「んん?」
ディアブロが眉を潜めて声のした方へと顔を向ける。そこには必死な形相で馬に跨ったセレナの姿があった。
「なんだ? 馬なんかに乗って」
「"
セレナに注意が向いた瞬間を狙って、肩から流れる血に魔力を混ぜて魔法を発動させる。ディアブロの周囲から現れた複数の赤い鎖が奴の体を縛り付けた。
「おっ? おっ? おっ?」
「申し訳ないけどお暇させていただくぜ」
魔法を放つと同時にディアブロに向かって走り出していた俺は、そのままの勢いで奴の腹に飛び蹴りをかます。木箱が置かれている場所へ盛大に吹き飛んだディアブロを尻目に、馬へと伸ばしていた赤い鎖を利用して移動し、セレナの後ろに軟着陸した。
「中々いい馬を見つけてきたじゃねぇか」
「はい! 黙って持ち出すのは忍びなかったですが……あぁでも、お手紙とお金はちゃんと置いてきました!」
「そりゃ、まじめなこって」
置手紙を残してきたのか。どうりで時間がかかってると思った。まぁ、結果的に俺の指示をこなしてくれて、なんとかあの狂人から逃げられたからいいとするか。
……っと、流石に無理をしたか。
「ひぁっ!?」
血が足りない状態で出血&紅魔法の行使をした結果、体に力が入らなくなった俺がしなだれかかるとセレナが素っ頓狂な声を上げる。
「レ、レオンさん!? だ、大丈夫ですか!? 今、回復魔法をかけますね!」
「いや、そっちじゃねぇ。出血しすぎた奴に使う血を増やす聖魔法って使えるか?」
「え?」
「傷自体は大した事ないもんばっかなんだ。問題は血の方でな。俺が使う紅魔法は自分の血を消費して使う代物なんだよ」
「あっ……だから、あの時魔物の攻撃を受けた様子がないのに倒れたんですね……。わかりました! 今使います! "
馬上で俺を背負いながら器用にセレナが魔法を唱えると、一瞬で体のだるさがなくなった。すごいな。この聖魔法の効果はもしかしたらアリアよりも上かもしれない。
ほぼほぼ全快したのでセレナから手綱を受け取り、馬の操作役を代わる。
「助かった。今ならあの野郎とも戦り合えそうだ」
「それは良かったです! ……って、戻ってもう一度戦おうなんて思ってませんよね?」
「心配すんな。あんな狂人、自分から関わりたいなんて思わねぇよ」
「そ、それならよかったです」
「おっと、門が閉まってんな。まぁ、当然と言えば当然か」
真夜中という事で町中を馬で疾走してても人の目に触れなかったのはいいが、町を出るのは少々厄介そうだ。門番に事情を話して門を開けてもらう間に大鎌野郎が来ないとも限らない。ここは無理にでも門を超えるしかなさそうだ。
「ど、どうしましょう! 門を開けていただくようお願いしますか!?」
「血を増やす魔法を俺に使い続けてくれ」
「へ?」
「"
目の前に城門の上へと続く赤い道が一直線に伸びた。俺が魔法を使うのを見て慌てて自分も魔法を唱えたセレナの体をがしっと掴み、馬を操ってその道を進んでいく。
「レ、レレレ、レオンさん!? か、かなり細い道なんですが大丈夫なんですか!?」
「大丈夫だ。お前が選んだ馬を信じろ」
徐々に下になる街並みにセレナの顔が恐怖で引きつった。怖いと喚かないだけ十分だ。
「……これ、下りも同じような感じになるんですよね?」
「いや、下り坂を一気に駆け降りたりしねぇよ」
「そ、そうなんですね!」
セレナがホッとした顔をする。そんなまどろっこしい真似はしない。
「門の上から一気に飛び降りる」
「えっ……」
セレナがぽかんとした顔で振り返ってきた。それと同時に門の上に辿り着いたので、なにやら騒いでいる見張り達を無視して、まっすぐ突き進みそのまま囲いを飛び越えた。
「えええええええええええええええええ!?」
セレナが悲鳴とも奇声ともとれる声を上げる。まさかこのまま落ちていくとは思ってないよな?
「"
馬の背中に巨大な赤い翼が現れた。高ランクの魔物にこういう見た目の奴がいたな。だが、それとは違ってこの翼は力強く羽ばたくことはできない。風を切って滑空するのが精々だ。まぁ、空の散歩を楽しみたいわけじゃないからいいだろ。
「……そんなに固く目をつぶらなくても平気だって」
「ふぇ……?」
今にも泣き出しそうな声を出しながらセレナが恐る恐る目を開けた。そして、自分がゆっくり落下している事に気が付くと、強張った体が少しずつほぐれていく。体に回している俺の腕をしっかり掴みつつ、セレナは眼下に広がる景色を楽しみ始めた。
「風が気持ちいいだろ?」
「……はい。こんなの初めてです」
「俺だって馬に乗ったまま空を飛んだことはねぇな」
基本的にこの魔法は俺自身に使うものだ。だから、他の相手に使うのは初めてだったのだが、上手くいってよかった。……初の試みという事はセレナには黙っていた方がよさそうだ。
「……ごめんなさい」
どのあたりに着地するのがいいか考えていると、突然セレナが謝罪してきた。
「レオンさんが苦しんでいる理由が分からず、治癒が遅くなってしまって……私がもっと早く血が不足している事に気が付いていれば……」
「苦しんでたって程じゃねぇが」
「一時とはいえ、教会に属していた身としては恥ずかしい限りです」
セレナの顔に影が差す。ダメだな。こんな顔をさせるために彼女を王都から連れ出したわけじゃないんだ。不安にさせないよう、安定した戦いをしなくてはならない。そのためには……。
しばしの沈黙の後、俺は覚悟を決めてセレナに話しかける。
「なぁ? 王都を出る時、どこへだって連れて行ってやるって俺は言ったよな?」
「はい」
「今まで檻の中にいたセレナを行きたい場所へ連れていく、って思いは今でも変わらねぇんだ。……ただ、その前に行きたい場所があるんだけどいいか?」
「レオンさんの行きたいところ、という事ですか?」
セレナの問いに俺は頷いた。万が一、という事を考えて逃亡場所にその場所に近いアオイワを選んだのだ。
「その場所っていうのは――'血'のダンジョンだ」
*
夜も遅いという事で、人の気配がまるでないアオイワの町。そこに乱雑に置かれた荷物に埋まっていた男がゆっくりと体を起こす。
「……いってーな、おい」
首をこきこきと鳴らしながら立ち上がったディアブロは、側に落ちていた愛用の大鎌を拾い上げた。
「逃げちまったか」
誰もいない路地を見回しつつ、独り言ちる。
「俺様の手から逃れるとは……やるじゃなぁい」
今はいない獲物に対して賞賛の言葉を送った。自分の力を正しく理解しているからこそ、ディアブロはレオンの実力を素直に評価する。
「こりゃ久々の上物だな。ゆっくりじっくり楽しませてもらおうじゃないの」
目を細め、三日月のような笑みを浮かべると、ディアブロは夜の闇に消えていった。
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